F-nameのブログ

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義務。

法律学でいう「権利」概念の対となる概念。売買の契約では物を貰う権利や代金を貰う権利を双方が持つが、代金を払う義務や物を渡す義務を持つ。法律の世界では、権利や義務の束で関係を説明することとされている。そういう発想は日本社会には馴染まないものだと言う主張が未だになされることがある。しかし、権利や義務の束で説明する以外に他の概念で説明する訳でもない。代替案が無いのは論外では無いか?差し当たり権利や義務の束を使うのは国際社会のスタンダードなのだから。まあ疲れるというのは分からなくもないが。

コンビニの店内放送。

某コンビニチェーン店では、店内放送が共通になっている。音楽もたまに流れるが、店の案内や他社の宣伝が流れることが多い。合宿免許なんてものも。社会人が参加するのは無理だから大学生が対象なのだろう。まあ卒業すると時間が無くなるのは事実。関東圏の某大学のCMも頻繁に流れる。今日は「まだご存知ない?」とか「総合大学」とか喧伝している。しかしCM以外には耳にした事はない。関西で流れているくらいだから、かなり広告費をかけている。そこまでしないと受験生が集まらないのだろうか。大学の「倒産」もこれからは頻繁にあるのかも。

イマドキの裁判制度(現代訴訟法第1回)

00年代から司法の各制度で改革が進められている。一応は法学部出身なので各法律には触れたが、Updateしなければいけないのは明らか。法学部出身者でも意識している人は少ないのかもしれないけれど。

 

最近の司法制度改革。司法制度の概要と課題。法的紛争と処理のプロセス。
裁判のimage。正義と公平。実情無視。機械的な判断。大岡裁き。強いものになびく?権力者の為に法律を曲げる?良い評価と悪い評価。実効的であるか無力であるか。血も涙もない?様々な評価をする人が。それは日本特有ではない。明治維新の法律編纂。ボアソナード。発祥の地のヨーロッパでも。裁判の象徴。正義の女神像。公平と力。目隠し。しているものとしていないものがある。姿形で影響を受けること無い公平な。不当な裁判を防ぐ。古代ギリシアでの女性が裸になり罪を免れる。美しいことが善ということなら不当でもないが。京都所司代。目隠しは真相解明の為に邪魔ではないか?訴訟をわざわざ起こして和解に応じないのは?法を曲げるのに専念。事件を大きくするのが法律家。事件をでっち上げる。やたら費用をかける。勝った成果よりも。裁判と法律家のimage。太った法律家と痩せた当事者。裁判への矛盾した複雑な感情。
現実の裁判の問題点。理想の裁判、その理念。それに対する現在の問題。公平迅速経済。適正。法と正義にかなった裁判。現実には難しいし、場合によっては真実を追求する必要が無かったり、法律の内容が不明確な場合。罪刑法定主義。何をしたら罰せられるのか?明確に。事実関係を正して。証拠に基づいて判断するので、真実と異なる裁判になることも。消極的実体的真実主義。「それでもボクはやってない」。再審での無罪も何件かある。死刑判決も覆っている。冤罪事件。パソコン遠隔操作事件。自白に追い込まれる。長期間の身柄拘束。民事裁判では当事者の意思が優先。証拠調べなど。明確な法内容で無くても裁判はしなければならない。適正な裁判。適用する法は一義的ではない。裁判の公平。天秤。トルコの弁護士会。正義の代名詞だけど現実的な意味ではどうか?当事者の力の格差が持ち込まれる?金力権力の問題。特に刑事裁判の問題。大企業や官庁、医療裁判での病院。構造的証拠偏在。裁判は迅速に。実現されているとは言い難い。拙速なのは許されない。それでも限度が。迅速さも必要。高田事件で免訴の判断。無罪ではないが刑事訴追から解放する。刑事訴訟法337条は厳密には適用されないが。迅速な裁判も基本的人権の範囲。審理を続けても真理の究明は困難。非常の救済手段が憲法上必要。裁判所のウェブサイトにアクセスして判決文を読んでみる。裁判例情報。検索が出来る。最高裁判所判例集。昭和47年12月20日。全文。頻繁に裁判例を引用するので、大部分が原文を見ることが出来る。民事裁判の場合は?不当な引き伸ばし。しかしただ単に長引くだけでは難しい。裁判迅速化法。第一審は2年以内を目安に。定期的に審理期間をモニターして報告書を公開している。裁判の経済。重複する事件を無くす。コストを軽くする。費用が不当に高ければ裁判を受ける権利は画餅に帰す。訴え提起の手数料や日当などの裁判費用が。更に弁護士報酬も必要。刑事事件にも費用がかかる。本人訴訟。しかし複雑な法律問題を自分で勉強するよりも、弁護士に依頼した方が良いことが多い。弁護士費用が出せない人にも重要。リーガルエイド。日本でも国選弁護制度。法律扶助制度。法テラス。潤沢な予算ではないが。裁判の理念。それぞれについて課題が。
最近の司法に関する大改革。平成11年。事後救済制度の拡充。審議会。意見書。改革の柱。利用しやすい司法。法曹人口の大幅拡大と法科大学院。裁判員制度などの国民参加。推進本部。11の検討会。労働紛争。労働審判制度の創設。司法アクセス検討会。司法制度改革審議会。ADR検討会。仲裁検討会。行政裁判。裁判員制度。検察審査会の機能。公的弁護制度。国際化検討会。法整備支援。法曹養成検討会。非常勤裁判官。知的財産訴訟検討会。様々な制度の構築が。実施については試行錯誤している。司法制度改革。法科大学院。志願者の減少。役割が果たされないまま半数が廃止。検察のスキャンダルでより一層の改革が。刑事訴訟法の改正が16年に。大部分が達成された?しかし道半ば。
裁判の登場人物。法曹三者。司法と裁判官の独立。ジェンダーバランス。民事裁判手続。民事訴訟の流れや原則。訴訟と非訟、現代型訴訟。多数人の権利に関わる。多くの人を。家族についての法と裁判。迅速な権利実現を。少額裁判や仮処分。ADRや仲裁。メディエーション。強制執行手続。倒産処理手続。企業再建。刑事訴訟。取り調べの可視化。行政訴訟と憲法訴訟。現代の裁判の在り方。司法のIT化。研究課題。発展的課題。
民事裁判で2年を超えたら審議を中断とする法律の問題点は?裁判の理念の問題。
刑事裁判における適正さ。拷問が許されない実質的理由。精神的圧迫。

 

現代訴訟法―液状化する司法 (放送大学大学院教材)

現代訴訟法―液状化する司法 (放送大学大学院教材)

 

 

服従。

何者にも服従していない人間は現代社会には居ない。会社員や公務員などは組織に服従しなければならないし、自営業でも顧客に服従する必要がある。働いていない人間は、生活費を出してくれるスポンサーに服従を求められる。そして自分が服従しているものの指示には従わなければならない。勿論それに従わない自由もあるけれど、それは難しいことである。まあ日本社会の場合は、服従しているものの正体が不明確なことがままある。山本七平先生が「空気」と呼ぶものではないかと思う。問題は服従することで、服従する本人だけでなく、部下などの数多くの人間が死ぬことである。戦艦大和の沖縄出撃が「空気」で決まってしまったことは、日本人の記憶に留めるべきだろう。

京都駅へ。

4時前に起床して京都駅近くのクリニックに通院する。乗車した京都終着の普通列車は、折り返しの為に大阪方面行きホームに着く。早朝の時間帯は山科駅以東には行かない。ふらりと遠くに行きたいと思わないこともないけれど。

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時間を潰すのにファミマに。アイスコーヒーを淹れる。因みにセルフレジは無くなっていた。需要が無いのかもしれない。

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暑さはまだマシな方だが、早朝にもかかわらず異様に汗をかく。まあ発汗作用が無ければ、体内の温度調節が出来ずに死ぬので致し方が無いのだが。

京都タワーの下にあるビルのスタバに移動して読書を。スタバ以外にもテナントは多く入っているが、3階の100円ショップは無くなって淋しい。

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教育を科学する ~教育とは何か~(教育学入門第1回)

教育の本質はきちんと把握すべき。結構哲学的だけど。勿論エビデンスに基づいて考察することも必要。

 

教育を科学する。概要。教育現象を学問的に探求し理論体系化したもの。人間の成長発達。社会の多様な領域に規定。人間をより好ましいものへと。社会の構造や文化。様々な教育理論。諸科学の蓄積してきた教育の理論を概説。教育現象を科学的に捉える為の基本的な知識と方法。誰もがそれなりの体験。学校や子育て。体験に基づくことは基調だけど、個々の体系を超えて主観的に扱うのではなく客観的に考えることも必要。科学的とはどういうことか?体験を離れて考えていく。学校だけでなく家庭や地域社会。自己の体験の対象化。科学的な見方。
教育を科学する。教育とは何か。教育研究の対象。社会諸科学の手法を用いる。社会的側面、社会現象。哲学的側面。心理的側面。社会的側面。教育哲学。教育心理学。社会現象として取り扱う教育社会学。教育哲学。教育の問題を哲学的に。哲学一般が教育の基底。存在論認識論価値論人間観文化。独自な側面を教育が扱い、それを究明。教育心理学。教育過程の心理学的考察。人間関係の心理的側面。経験科学としての教育社会学を取り上げる。社会現象としての教育を客観的実証的に研究。経験に基づいて観察し、その結果について仮説を設け、それを更に検証して一般的な経験法則を見出す。デュルケム。教育現象を社会的事実として捉える。社会学固有の課題は社会的事実を研究すること。個人にとって外在的である。個人の行為に対して拘束性を持つ。個人の外側にあって個人を拘束することで、社会的価値を内面化する。教育をする主体、教育される客体。主体が客体の外側に存在し客体を拘束することで社会的価値を客体に内面化させようとする。社会化。教育は方法的社会化。意図的組織的。清水義弘。社会生活に未熟な世代の上に。全体としての政治的社会に身体的知的道徳的状態を子供に植え付け発達させる。教育は個人に与えられるもの。学習による試行錯誤や精神の模索を解消することにより社会との衝突を避ける。合理的に。国家と家族地域社会の個人の自然環境。要求に応える。教育は社会的行為。現代社会は変動が激しい。子供の問題や教育の問題は大きな問題。どうなっているか。科学的に。元々教育というものは、個人が持っているものについての営みと共に。社会の都合で一定の行為を要求する。デュルケム。主体と客体。意図があるかないか。学ぶ側も教える側も意図を持つ。教育的指導。指導された学習。実際の教育は両者に意図があるとは限らない。指導、模範をしめす、感化されるのも教育。
公教育の意味。公教育としての学校と社会統制。主体が意図を持って客体に対して社会的価値を内面化させる。近代社会、近代学校が作られてから。社会の有する文化と社会的性格。近代の学校は価値態度信念。知識。国家的な価値として認識され社会として共有。制度化された社会装置。近代学校での方法的社会化。公教育。私的なものでなく国家的社会的もの。私立学校も公教育。社会統制の重要な手段。近代的学校の意義。社会統制。秩序が維持されるように社会の成員に逸脱的な動機づけや行動を修正する。前もって予防するあらゆる強制的な作用。個人や集団の外面的内面的動機づけについても。法、道徳、慣習の社会規範。宗教などにも認めることができる。内面的な面にも及ぶ。内面的な部分をどのように指導するかは社会で考えるべき。社会的国家的意図の実現。学校の役割は時代で異なる。国でも異なる。4つの類型。個人の希望や適性を尊重して社会で役立つ職業人を。全ての国民に門戸を開き、国家の要請に基づく人間を。知識などで教養人を。啓発された国民と経済発展に寄与する人材を要請する。国民の各層に門戸を。第二次世界大戦後の日本も。旧ソ連や中国などで。ヨーロッパでは役割別に分化。開発発展の途上国での。明治期の日本。決して固定的なものではない。社会的国家的意図を実現する社会的事実。社会の仕組みとしての教育の仕組み。常識を共有してコミュニケーションが出来るのが。社会が必要な人材の育成。色々と議論は在るが。現代の教育の大前提。教育には私事性もある。自分の子供の才能を開花させたい。仕事の為にそれなりの教育を受けたい。私事性が絡んでいる。デュルケム。政治的社会。個人の特殊的な環境。双方のニーズに応える。
人間の成長発達と社会との関係。発達。何かが前進的に変化。心身の機能の変化の2側面。量的増大。成長。成長を展開的に秩序させるのを発達。遺伝的影響も。生理学的現象。心理学的現象でも在る。人間として発達するための、人間社会人間分化の働きかけが不可欠、社会的影響。野生児の事例。幼児期に人間社会から隔離された世界で生育した子供。数十の事例が。18世紀末のフランスのアベロンの野生児。二人のオオカミ少女。19世紀の南ドイツのニュルンベルクの城の地下牢に閉じ込められていた少年の事例。幼少期には一定、人間の社会で育てられた。一定の社会的活動を。しかし教育指導は非常に大変だった。成長発達。野生児の事例。インドのオオカミ少女。本当にそういう存在だったか議論がある。どの事例も人間の世界との接触を抜きにしては人間的な発達を遂げることが困難なことを示す。社会化を重視。社会や文化との関わり。発達。発達心理学。より心理学的、個人の部分にフォーカス。教育心理学。教育の環境。家庭という環境、学校や地域社会、職場。家族については基礎的だが、価値選択式に。学校は付与されるものだが、選択の自由で流動的になってきている。社会変化の影響も。家族。現代の家族は私事性が強い。プライベートな集団。人間形成の在り方は幅広いものに。かつての社会の社会的拘束からの解放。現代の公教育に期待や苦悩も。学校への不満が強い。学校選択制。これまでの在り方への批判。反省はするべき。自明のものでなく作り変えなければ。どういう価値を選択するか、多様な価値の選択ができる社会。様々な拘束からの解放。新たに共通のものはある。デュルケムの社会化。政治的社会と言っても、国レベルなのか地方自治体レベルなのか。地域性の問題。公的なものを無視しないで折り合う。何故緊張関係が起こるのかを考える共同性を。
学習を進めるにあたって。様々な学問的なアプローチが。どう在るのかを丁寧に調べる。現状認識に基づいて物事を考える。偏っていてはいえない。それだけでなく、最後にはどう在るべきかの問題に。当為の問題に。学際的な理解が求められる。様々な学問の知見を。哲学的心理学的社会学的文化人類学的。人間科学入門の性格を。多様な見方に親しむ。地域社会。学校の組織集団教員。

 

教育学入門―教育を科学するとは (放送大学教材)

教育学入門―教育を科学するとは (放送大学教材)

 

 

高貴さ。

戦前(大平洋戦争の前のこと)の頃は、大学生や高級官僚、高級軍人については高貴さが備わっているとされたようだ。一種の階級社会と言えたかもしれない。そして高貴さ故に、国家社会に自らを捧げるべきだという考えも世間にはあったように思う。ノブリスオブリージュ(高貴さは義務を強制する)と言っても良かったかも。戦後は階級社会では無くなったと考えられ、ノブリスオブリージュの考えも消失した。最近になり日本社会は階級社会化していると言われることがあるが、ノブリスオブリージュは復活するのだろうか?