-----講義録始め------
「お母様と一緒にバレエ団を創立されたわけですが、これはどうしてでしょうか。」
「実際には、橘秋子バレエ団が存在していました。私はそのバレエ団の一員として踊っていたのですが、母は「牧阿佐美の名前にしないとあなたがバレエをやめてしまうかもしれない」と考え、縛りつける意味で団名を変更し、若手を中心に団を新たに始めました。
自分の名前を冠したバレエ団だから、すごいプレッシャーだったんです。私は、母の名前である橘秋子バレエ団で踊る方が良かったと感じていました。自分の名前が冠されると、まるで主催者のようで、まだ踊り続けたいと思っていたので、嫌でしたが、無理やりさせられました。
こうして日本でバレエ団を運営してきたわけですが、それ以来60年以上にわたってですね、最も大変だったのは資金です。外国ではお金持ちのスポンサーがついたり、国が支援したりすることがありますが、バレエは総合芸術ですから、バレエだけではなくオーケストラも必要で、指揮者、装置、衣装、照明も必要です。そのため、かなりの資金が必要です。
日本には新国立劇場のオペラハウス以外に、オペラやバレエ専用の劇場がほとんどありません。ホールはありますが、ホールと劇場は全く異なります。ホールは多目的に使えるように設計されており、スピーカーなどが多数設置されていますが、劇場のようにはなっていないので、使いにくいのです。特に大掛かりな装置を使用する公演には向いていません。
「新国立劇場の運営にも携わっていましたが、先生がバレエを始められた頃と比べ、今は戦後70年以上経って随分と状況が変わりました。」
「最初は、バレエ団ができた頃には、様々なものを広げて稽古場で装置の一部を作ったり、衣装を作ったりしていましたが、今は専門家がそれぞれの分野で専門的に取り組んでいます。
文化庁を中心に助成金がバレエ団に出されていますが、それだけでは足りないのが現状です。昔は助成金がほとんどなく、母が定期公演を行ったときは80万円を得ただけでしたが、現在は文化庁からのサポートがあるものの、それでも資金が足りないという状況です。」