F-nameのブログ

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JRの駅のホーム。

京都駅近くのクリニックに通院して薬を貰う為に、昨日はやたら早くに床に入り3時に目覚める。家事や準備をして出掛ける。JR島本駅で電車を待つ。

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ホームが2つあるので1番2番とついている。しかし、わざわざ名付ける意味はあるのだろうか。電車が来るアナウンスannounceも1番ホームに何とか、などと語る。考えてみれば、目の不自由な方にはその方が分かりやすいからかもしれない。ちなみに通常は阪急を使っているが、最寄り駅には、ホームに番号は付されていない。比較的大きな駅にはつけられているけれど。

その点、京都駅は巨大である。

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30番台があるが、当然だがホームが30個もある訳ではない。それでもかなり多い部類には入るだろう。入らなかったが奈良に向かう電車用のホームや新幹線のホームもある。月に1回は通るけど、いつも大きさに驚かされる。

ソーシャルワーク関係(社会福祉実践の理論と実際第6回)

上下関係から離れることが必要なのかもしれないと自戒している。

 

クライエントとソーシャルワーカーの関係性。ラポール、信頼関係。誰が誰の何を頼ることなのか?共有もされていない。ワーカークライエント関係が、概念の変遷。信頼関係とパートナーシップについて。どのように関係を構築するか?
ワーカークライエント関係。信頼関係。医者と患者、先生と生徒、上下関係が。伝統的なケースワークの考えと近い。日本ではケースワーク関係を、介入調査診断の流れと。ワーカー側からクライエントへの一方向。個人の変容や適応の道具。治療を届けるための管。味気ない。人間味がない。感謝や信頼の気持とは関係ない?誠実さ、共感、受容、非審判的態度など。今でも勿論重要だが。あくまでワーカーの態度だけ。援助の関係。クライエントの立場は考慮されない。クライエントから提供されるもの。サービスの受け手、弱者のポジション。ワーカークライエント関係の唯一の要因ではないことが明らかに。ソーシャルワークとは関係ない、二人の人間関係。恋人同士であれば価値観の一致が。治療同盟、作業関係。ものさしが開発。関係性は共有する達成されるべき課題などで構成。対人関係の側面も。ソーシャルワークの目的はクライエント個人を中心にする場合と、グループワークの場合。関係性は異なる。課題の中身と相互作用の質を同時に理解すること。クライエントは協力する相手であるという考え方。相互作用に参加を。支援プロセスを形成する。関係性も相互作用の質が重要に。
関係性の中身は?信頼関係は何を信頼すること?何を信じて頼る?情報に対する信頼?人柄の面も?専門職とクライエントの関係。クライエントが専門家を信頼する。専門職。仕事を通して支援に対して信頼を。職業人としての情報への信頼。相手の人生に関わるので、人としての信頼感を。誠実さなど。専門職として実践能力や人間性が。一方的に信頼を受けることを信頼関係と呼んで良い?ワーカー側がアセスメントを、一生懸命に話を聞く。社会的資源を。クライエントのストレングスを。未来を期待して応援する。一方的な間隔だけではなく、互いに信頼する相互関係。あまりにもワーカーが信頼を集めると、力関係が不均衡に。対等でありたいけれど、弱い人というポジションに。頼り頼られる関係だと、任せますなどと依存することも。クライエントを重要な担い手の人。エンパワーメントアプローチ。同じ信頼関係でも、何を目的にしているかで異なる。就労支援。クライエントのためにという要素が残る。クライエントにしては人生がかかっている。ワーカーは業務として。地域社会の創出。共通の目的の場合。ソーシャルワーカーとして同じ目的を。互いに信頼していないとならない。相互信頼が。個別的支援だけではない。ワーカーとクライエントの間に信頼感が出来る?ワーカーには力がある。精神科病院の鍵を。閉鎖病棟を閉める鍵。閉じ込める側に回る。どうしても上限関係が。深くて越えられない溝がある。本当に信頼関係が築けるか?周りからの見え方もある。クライエントにしても決定権はスタッフに。年金受給の手続など、弱みを握られている?しかし諦めるわけにはいかない。専門職の地位を放棄する必要がある。専門性を活かしながら。わきまえることが大事。他人のことを全面的に理解することは不可能。分からなさに耐えて相手にアプローチを。
パートナーシップ。性的マイノリティ。対等と相互性を。専門家同士の協力。当事者しか分からない情報が。双方が相手にはない情報を。互いに相手が必要。双方向のコミュニケーションを。重要な参加者としてクライエントが存在。自分がエキスパートと考えるのは難しい?ワーカーがどれだけ意識していても、存在するだけで力があると感じてしまう。ワーカーも対等な力がある、パートナーシップを。両者が無力を共有することでパートナーになれる。立ちすくむしか無いときも。当事者の前で無力感に。にもかかわらず留まり続ける。お互いにどうしようもなくそこにいる、それが共生。相手の立場を尊重するだけではなく、徹底的に突っ込む。双方の考えを持ち寄って新しいものを作る。専門家の知識を手放して。お互いに認め合う相互依存関係。役割と立場が異なる、それが双方を刺激しあう。当事者から多くのものを学ぶ。特に生きる意味を。差別と偏見の根強い精神障害。意味を深く問う。ちゃんと見ていない色んな現実、間違いに気づくことなど。専門職である前に一人の人間。パートナーシップの延長線上に。パートナーシップにも限界が。情報提供だけを望むクライエントも。応答能力が不充分な人も。共生レベルになるとジレンマが。相談援助の枠組みを超える。何処まで関わることが出来るのか?単一の答えはない。生き様として障害を背負って生きる。クライエントにはワーカーの覚悟が伝わっている。行為には責任が伴う。自分の言動に対して説明責任を。パートナーシップの意味は多様。
関係性をワーカーはどのように作るのか。ワークルームかもめ。インタビュー。作業所から地域活動支援センターに。作業を中心にから、フリースペースだったり料理を作ったり、色んな行事も。外にお出かけに行ったり体育館でスポーツをしたり。メンバーとソーシャルワークの関係。一人の人間としての。PSWとして関わる自分。困ったり相談したりする。人間同士の関係にプラスして困った時に持っていくところ。精神保健福祉士。生活の営みの場。背中を押してくれる。自然に仲間同士がいい関係に。メンバーの中に溶け込みながら、一人ひとりを見ている。助け舟。上から目線というところがない。メンバー同士の信頼関係。精神障害者はPSWより下か?精神病の人の発達。上から目線にもなるし教える人でもあるし。対等でないと関係性が発展しない。やってくれるというのはおかしい。PSWが用意するのでなく自分が切り開かないと。応援団のような。自分たちの障害を乗り越える。自己開示をして教えてあげている?それがなければPSWも動きが取れない。PSWと障害者の関係性。
信頼関係とパートナーシップ。関係性は時々の環境などで左右。誰に対しても単一の理想形もない。その時の文脈に合わせて関係性を想像する。ソーシャルワーカーは関係性が複雑であること。何が相応しいのか判断すること。自問自答を。目的を示すことが出来ると良い。啓発活動など、専門家の立場を脇に置いて。クライエントも援助関係から出る可能性がある。もう一方のエキスパート。望まないクライエントや状況もある。文脈と目的に照らして。関係性は柔軟に変化する。よく現場を分析して。

 

社会福祉実践の理論と実際 (放送大学教材)

社会福祉実践の理論と実際 (放送大学教材)

 

 

伝統。

私は茨木高校を卒業している。OB会の役員にもなっている。創立が1895年だから、歴史が長いのは最低限は言える。なので伝統がやたらと強調される。まあ伝統があるから、学外から大目に見てもらえるのはあるのだろう。妙見夜行登山という、冬の深夜に高校から妙見山頂を往復するという行事が続いているのも、伝統があればこそ。休憩の為にあちこちの施設を借りたり、救急体制の確保をしたりすることが出来るのだから。川端康成先生がノーベル文学賞を受賞されたことも頻繁に語られる。しかし膨大な量を聞かされているので嫌気がさしているのが正直な感想。川端作品をモチーフにした映画「葬式の名人」は面白かったが、その功績は脚本を書かれた方に帰するべきだろう。脚本が駄目な映画は誰も見続けることが出来ないだろうから。ちなみにそろそろDVDがリリースされている筈。

昨日と今日と明日の天気。

Twitterにも書いたけれど、昨日の未明に大阪では初雪があったらしい。らしいというのは、寝ていて確認が出来ていないから、路面が濡れていたのは分かったが、雪なのか雨なのかは判断出来ない。寒かったのは確かだけど。

今日の朝はこの冬一番の冷え込みになった。衣服をたくさん着ても身体は暖まらない。ホットコーヒーhot coffeeを何杯か流し込んで凌ぐ。そのせいか今日は良い天気。ただ明日は悪くなると天気予報が。雪ならともかく、雨だと自転車に乗るにも身体が冷えてしまう。ジャンパーで頭を覆うことは出来るのでまだマシなのかもしれないけれど。

内と外に向かう変化の波 -消費社会の第3段階(1)-(経済社会を考える第5回)

消費社会の外の問題は消費者としてきちんと認識するべきだろう。地球環境問題や南北問題はカタストロフィに繋がるから。

 

消費社会の変化。第2段階。第3段階への変化。中心となる。消費社会の変化。精神的な充足を満たす消費が盛んに。深刻な問題。第3段階についても。第2段階からの変化。精神的充足を満たす消費とは?消費社会の深刻な問題とは?
第2段階は試行錯誤の時期。ずっと緩やかな成長を。第1の消費文化や第2の消費文化が続き、減るということはなかった。魅力的な第1文化の商品が少なくなった。しかし再び魅力を集める商品が。IT商品。オシャレなカフェで。可愛らしい縫いぐるみを。外部へのマイナスの影響が。膨大な量の資源を使い膨大な量の廃棄物を。地球環境問題。発展途上国では貧困のままのところもあって、先進国との矛盾が。消費社会の国での格差社会が。社会に亀裂と緊張が。情報化の問題や所得格差の問題。5つの点全てが第3段階の問題?心理的意味を持つ消費とマイナスの影響、この2つを重視。なんとなくや癒やしの。環境問題などの社会に起こる問題を。消費の拡大、今までの延長線上。量的な変化はあったが。IT消費の拡大。目新しいもの。第1の消費文化、機能的な商品が。消費社会に新たな段階を、とは考えづらい。格差の問題。消費そのものが変わった訳ではない。収入があってこそ消費が可能だが。消費を可能にしている所得の問題。直接的に消費が変わったわけではない。消費が何を目指しているかに大きな変化を与えた。なんとなく消費、癒やしの消費とは?無くても済む消費。基礎的消費財。人々の生活は安定し満たされたはず。人間の身体に影響を与える。身体的安全。食物や衣服や住居。身体の負担を減らす機械類。それ以降の消費は心理的なものを。人間の精神に関わる。無くても済む消費。必需的と贅沢的とは違う?人間の精神に関わる消費。無くても済む消費での位置づけ。精神に関わる消費。レジャーや趣味。旅行やコンサート、TVゲーム。いずれも精神的満足感を求める。書籍、習い事、大学に行くなど。オシャレなカフェで時間を潰す。無くても良さそうな精神的なもの。形の在るものについても精神的満足感を与えることが出来る。食事をするなどするのも精神的満足感に繋がる。消費者の意識の中で精神的満足感に移ってきた?記号的消費や差異を求める消費。そういうものと精神に関わる消費との相違は?第2段階ではゴチャゴチャになっていた。無くても済む消費については、文化的な生活を可能にする肯定的な見方と否定的な見方が。ヨットに乗る。裕福なことを見せびらかす。華やかな洋服。流行に乗るため。多くの消費は精神的意味を持つ消費と肯定的に。しかし批判的に捉える事もできる。第2の消費文化。批判的に捉えられる時に。記号的消費や差異を求める消費。批判的に考えるのか肯定的に考えるのか、両面性が出てくる。どちらの見方が正しい?ハッキリ言い切ることは出来ない。同じ消費をしたとしても、どちらの解釈も出来る。それをハッキリ自覚して、どちらもあると認識するのが重要。どちらの要素が強いかは判断できるが。消費者はテニスやゴルフを回数をこなしていなくて、流行に乗せられやすかったりした。精神的な満足について失敗をしたことが多かった。第2の消費文化的要素はその後の変化でどうなった?決して無くなってはいない。少なくはなったが。精神的満足感を求める消費が多くなったとは言える。ステーキや寿司。現在は一般の人でも無理なく食べられるし、記号的消費が薄まってきたと言える。ビールという記号的消費があまり無かったものもある。嗜好品も沢山ある。カラオケやTVゲームや温泉。記号的消費があまりないようなレジャー消費も盛んに。オタクやマニア、流行に全く乗らない、他人の評価を気にしない。そんな消費を続ける。こだわり消費。精神的充足に敏感。違いに拘る。第2の消費文化では説明的ない要素が。消費は第2の消費文化から独立して、精神的充足感を満たすものに。何が違ってくるのか?精神的な充足と社会がもたらす危機について。
消費社会がもたらす危機。より高度な豊かさを。外部に深刻な問題が。密接に関わる。地球環境問題。世界を揺るがす。地球温暖化の問題。自然災害を増加させ生態系の変化で食糧不足など。主な原因は温室効果ガスの増加、主に二酸化炭素。消費が増えるほど多くなる。人類は消費社会を実現することにより、豊かさの追及が環境問題を産み出す。経済社会と消費社会との関係。消費社会がもたらす危機。キリがない。地球全体で実現されたのではなく、先進諸国が中心。北と南。原材料と労働力を提供。格差が大きくなっている。原材料の価格は低い水準で、交渉力が低い。賃金も低水準。児童労働。少し発展が進むと工業化が。低い賃金や過酷な労働条件。消費者は比較的良質の生活を。しわ寄せを被るのは途上国。豊かさが波及すればよいのだが、そうなっていない。内部では豊かさをある程度実現したが、外の世界では好ましくない影響を。消費者という立場では、一種の加害者。珈琲を安く、コーヒー農園の過酷な労働。南の島を沈没させる。しかし自分自身も被害者に。食糧不足や熱中症。ローカルな環境問題。戦争の原因や難民の出現。アメリカ・ヨーロッパ諸国では難民が大きな問題に。
第2段階から第3段階に。現れてくることは?精神的な充足の問題と消費社会の外部へのマイナスの影響の問題。この2つのことは第2段階でもある程度あって、新たに生じたことではない。レジャーブーム。1番話題になったのは第1段階。公害問題も第1段階から。第2段階は色々な動き、試行錯誤を。2つの傾向はあったが、数多くあった動きの1つだった。識者も深くは考えなかった。20世紀の終わりになると際立ったものに。第3段階の消費社会に。段階は重層化、積み重なっている。第2段階では第1段階の消費文化の継続もあった。消費社会に反対して質素な社会に。消費の方向性が定まらなかった。多くの消費者が無自覚。識者も木を見て森を見ず。気が付き始めた。ますます徹底する。無くす方向に。自覚的な動きが出てくるのが第3段階。消費社会の中心的変化。消費をより精神的なものにしようとする。消費を楽しむ、味わうことを自覚的に。マイナスの影響を抑え込んでゼロに近づける動きが。
第2段階と第3段階への移行。専門家の説明が困難を。ポストモダン。第3段階があまり語られない。精神的充足。社会の深刻な問題。

 

経済社会を考える―消費・産業の様式(モード)とアンサンブル (放送大学教材)

経済社会を考える―消費・産業の様式(モード)とアンサンブル (放送大学教材)

 

 

行儀。

小学校の遠足で琵琶湖に行ったことがある。水辺沿いだったのを覚えている。恐らく湖西線だろう。何人かが服を着たまま水に浸かり遊んでいた。先生も止めなかったから、かなり放任気味ではある。ただ帰りの電車でも服が濡れていたので、席には座らせてもらえず気の毒。座るとシートが濡れてしまうので致し方が無かったのだけど。小学生の遠足は、学校外で社会の中のマナーmannerを育てる場としても位置付けられているのは後から知った。近頃は靴を履いたまま電車内のシートに乗る子供も見かけなくなった。行儀が良くなったのだろうが、単に子供が少なくなっただけなのかもしれない。

散髪に。

今日の朝は散髪に行く。データを見ると2ヶ月ぶり。12月の分が漏れているかもだけど。開店の少し前から待っていたので1番乗りに。

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初めての理容師さんだったけれど、何時もの店なのでパターンは同じで慣れたものである。最近は近くに割安チェーン店も出来たが、ここでは髪を切るだけでなくシャンプーや顔剃りもしてもらえる。なので気分もスッキリとなる。ニコニコ(^^)。

終わって店を出る。散髪屋がある高槻センター街にも、新年の横幕が垂らされている。朝なので人出はまだ少ない。店も新陳代謝がはげしい。Rakutenの店舗が出来ていたのには驚いた。

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からふねやでフレンチトーストなどモーニングを食す。日経新聞を読みエグゼクティブexecutive気分(笑)。

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