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アクティブ・ラーニングが求める授業改善(カリキュラム・マネジメントと学校第3回)

一口に学びと言っても深く考えることは大事なのだと感じる。

 

田村学。アクティブ・ラーニング。授業改善。社会に開かれた教育過程。教育課程の基準の改定。中教審。議論を公開。16年の12月には答申が。17年3月には幼稚園教育要領、小学校と中学校の学習指導要領が改定。18年3月末には高等学校の学習指導要領も改定。アクティブ・ラーニングと言うキーワード。大きな改革の流れ。能動的学習。学習者主体の学び。実際の社会で活用できる資質能力。学びてが本気で真剣になって学んでこそ。主体的で対話的で深い学び。授業のイノベーションとカリキュラム・マネジメントが重要。人工知能の情報から、近未来の社会においては想像以上の大きな変化が。現在の小学生は長生きすればドラえもんに会える?日常の生活の中に人工知能などが普及。一方的な教育では難しい。知識の習得は重要だが、身の回りの問題に自ら立ち向かい、異なる他者と力を合わせて解決策を探り出すのが必要。様々な知識を活用発揮しながら自分の考えを形成し新しいideaを。何が出来るようになるか、が重要。何を学ぶかに加え、どのように学ぶかが重要に。日々の教育活動、授業が大きくクローズアップ。現在の日本の子どもの学力。大きな成果。PISA調査では近年好ましく、世界的に見て高水準。全国学力学習状況。各都道府県の格差が縮まる、測定できる学力については一定の効果が。授業が楽しくない、役に立たないという割合が高い。近隣諸国に比べ自己肯定感が低い。学力が上がっているにも関わらず。自分で考え判断して行動する力も不充分。実態からも、どのように学ぶか、が重要。中央教育審議会。育成を目指す資質能力を3つの柱として。何を理解しているか、何が出来るか、を。理解していること、出来ることをどう使うか、未知の状況にも対応できる思考力判断力の形成。どのように社会世界と関わるか、よりよい人生に。学びに向かう力、人間性の涵養。どのように学ぶか。一方的なチョークアンドトークの授業、受け身の授業から改善を。受動的な学びでは実際の社会での資質能力が養えるとは思えない。学習者中心での学びが。
生きて働く知識技能。学びを人生社会に活かす。学びの力を一人ひとりに。学びの過程において実社会や実生活と関わりのあるリアリティの在る学びに主体的に。他者との会話で考えを広げ深める学びを。単に知識の記憶にとどまらず、身につけた資質能力が様々な課題の解決に。学びの深まり。主体的対話的で深い学びの実現。学習過程を質的に高める必要が。アクティブ・ラーニングの観点による授業改善が求められる。資質能力を育成する主体的対話的深い学び。資質能力の3つの柱を育成するためには、アクティブ・ラーニングの観点からの授業のInnovationが必要。教師が一方的に教え込む暗記再生型の授業から、子供が自ら学ぶ思考発信型の授業に。アクティブ・ラーニングの視点。主体的な学び、対話的な学び、深い学び。具体的イメージを。主体的な学び。学習者としての子供自身が学びをControl出来る。自分ごとの課題を解決し過程と成果を自覚。繰り返しで自分自身の力で学びのControlを。授業の導入における課題設定と見通し、終末における振り返りに意識を。実生活や実社会と繋がりのある具体的活動体験を。意欲的で前向きの姿勢に。リアリティのあるqualityの高い課題設定により課題を解決するプロセス自体が充実したものに。どのような課題を設定し、オーセンティックな文脈のある学び。繋がりのある学びを。加えて学習活動の見通しのある学習過程を。2つの見通し。解決に向けて進めるプロセスイメージ。ゴールイメージを明らかに。学びが連続して情報としての知識技能が関連付けられる。振り返り。意味づけたり他者と共有したり。振り返りの意味。学習内容を確認。現在や過去の学習内容と関連付けたり一般化したり。学習内容を繋げ自己変容を。学びの価値を実感することが。学びの手応えを。実感や手応えなどのPositiveな。次へと繋げる。自ら学び続ける子どもの育成に繋がる。対話的な学び。異なる多様な他者との。学習のプロセスを高める。協働による新たなideaの創造が。PIZAの調査。問題の解決場面に置いては自分ひとりでなく多くの人の参加の協働で取り組むことが大切。多様な他者との対話。3つの価値。他者への説明に因る構造化。身につけた知識技能を話すことで構造化されたものへと変容。他者からの多様な情報収集。構造化は一層質的に高まる。他者とともに新たな知を想像する。学び合う相互作用。子供がどのような知識や情報を持っているか、子供がどのように処理するか、どのような成果物を期待しているか。自分自身のもつ知識や情報、他者の持つ知識や情報、外部リソースを比べたり再構成したり。新しい考えを生成する。相互作用の場面を情報を入力する処理する出力する。豊かに広がる対話の場面を構成。情報の質と量に配慮。学習内容の用意を。深い学び。学習のプロセスの意識を。解決するプロセス。創造するプロセスなど。それまでに学んだことなどを活用する場面が頻繁にあるものと期待。身につけた知識や技能を活用して関連付けるのが大事。明確な課題意識を持った文脈的な学びで繋がりを。処理場面の活性化も重要。学習活動を振り返り知識を関連させ自分の考えとして整理し共有することも重要。主体的な学びや対話的な学び。それ自体を目指す。深い学びに向かうような確かなことが重要。大切な視点であり、3つの視点は連動している。とりわけ深い学びの視点を。
3つの学びの姿。一体となって。どの視点も欠かすことのできない重要なもの。実現を目指すべき。深い学びについては主体的対話的に比べて分かりづらい。深い学びにフォーカス。学習過程としてのプロセスが大事。生活科において資質能力を育成する学習過程。対象への興味などからくる出来るようになりたいという願いを持ち、そのために行為したり表現したり。総合的な学習の時間。課題の設定。整理分析。まとめ表現。自己の生き方を問い続けるものとしてイメージ。各教科により異なる。国語の解釈形成。社会科の問題解決など。深い学びの子供の姿。大きく2つのタイプ。知識技能が繋がる。知識技能が場面と繋がる。知識技能が繋がる。構造化するイメージ。異なる夏野菜を。世話を繰り返すうちに。つるが伸びるのはきゅうりだけ。それぞれの野菜の特徴を関連付け多様性に気づく。栽培活動を通して、ミニトマトに花がつくことに。個別的知識を。様々な野菜の成長を観察。ナスの成長過程などにも花が。花が咲いたところに実が。栽培活動での出来事。大いに驚きうなずき、より高次な概念の理解を言葉に。町探検で図書館に。とっても静か。朝も昼も休日も。私も静かに本を読みたい。公共施設のルール、自分の行動に関心を。時間経過の中での変化や変わらないこと。市民の利用する雰囲気。新鮮で神聖な感覚。子供は周りの利用者のことを考えて使うという高次な知識に。対象に固有な事実を繋げる。知識が新たな場面と繋がる。多くの個別的事実はそれぞれに特別な場面や状況で学ぶ。面積の学習。正方形や長方形の整った図形をイメージして公式を導き、練習で公式を確かに。面接公式を使う場面と。それを自覚し自らのものとして。三角形も同様に獲得できる。四角形の面積の求め方を応用。台形の面積の求め方。分けて求める、足して求める、移動したり切ったりして知っている図形に構成して表現する。台形の面積を求める場面では、繰り返しを。既に持っている知識を新たな場面で使う。様々な場面で活用されることにより何時でも何処でも自由自在に使える汎用性の在る知識に。中3の理科。エネルギー効率の。あの時にも学んだ、今回も同じだ、知識が場面と繋がる。知識は何時でも使えそうだと汎用的に自由に使える知識。駆動的な知識として。どの場面でも活用できる知識を。能力が身についたとされる。その問題の解決に適切と思う知識を選択して場面に適合させ組み合わせて考え行為する。思考力判断力表現力とは、特別に存在するのではなく、知識が相互に繋がり構造化し高度化する。学びに向かう力、人間性など。知識の構造化に向けて繋がるものとして整理。人間性。目的や価値と繋がる。構造化して高度化する知識が、学びに向かう人間性等。相手に正対して会釈しつつ挨拶。打算的なものでは好ましくない。ただ知識を持っていて行為に表せるだけでは適切な挨拶とは言えない。相手に心を寄せつつ挨拶として行為するのが適切。構造化された知識の状態が手応えと繋がる事が大事。わかったという思う達成感。自己効力感。一体感などのPositiveな感情が知識と繋がる。学びに向かう力、人間性等と期待できる。
深い学びの姿。繋ぐ、繋がる、繋げる。知識をつなぎ、関連付けることが深い学びを。3つの柱の達成に。

 

「深い学び」を実現するカリキュラム・マネジメント (hito*yume book)

「深い学び」を実現するカリキュラム・マネジメント (hito*yume book)

 

 

嘘。

虚言癖を持っていると思われる人間に会ったことがある。平成初めの司法試験の受験資格には大学の教養課程の単位を相当数取る必要があったが、別に一般教養の試験を受ければ代替にすることが出来た。彼とはその試験で出会ったのだが、一方的に捲し立てられアチコチに話が飛ぶ。後から思い返すと、どう考えても本当の話とは言えない。彼も話を聞いてくれる人間が殆ど居ないようで、1ヶ月に1回くらい電話がかかる。適当に応対していると、流石にかからなくなったけど。今にして思えば、カウンセリングに連れていった方が、被害者は少なくなったかもしれない。

Too hot !

暑い。ただただ暑い。思えば梅雨明けが遅かったので早く来て欲しいと感じていたが、ずっと梅雨の方がまだ良かった。朝はまだ空調を入れなくても何とか過ごせるが、真昼ではとても過ごせない。よほど外のcafeで過ごそうかとも思うが、着くまでがあまりに暑いので嫌。弊店では空調がかかっている(そりゃあ暑いとお客様が誰も来ないだろう)ので幸運である。今日の昼休みはとあるcafeで過ごしたのだが、冷房の効きが悪い。長袖のワイシャツをまくり上げる有様。今年の猛暑はいつまで続くのだろう。そうでなくてもマスクが邪魔なのに。ううみゅ。

子どもにとって貧困とは何か(人間にとって貧困とは何か第8回)

70年代から80年代に子供時代を過ごしたのだけれど、貧困という点では今日の方が酷いように思えてならない。経済的に衰退していることの反映だろうか。

 

西澤晃彦。子供にとって貧困とは何か。社会問題として。自由や平等という価値を優先するなら。14%と言う子どもの貧困は緊急の課題。個々の子供に留まらない社会問題。安倍彩。貧困の連鎖。貧困率の増大。階級に分断される。子どもの貧困は階層的に偏っているので。希薄化。安価なおしゃれ。不可視化。統計的数値により何とか議論が成立。冷水を浴びせる論理や勢力も。権利者としての子供を否定する。最大の障壁は家族主義。基本的数値を。15年時点での貧困率は13.9%。高い水準。準要保護世帯。就学援助を受けるのは15%。経済的理由により就学困難と公認。子育てと教育に金銭が。あくまで私的負担で。子どもの居る世帯の給付が薄い。再分配で貧困が削減されることが期待されるが、むしろ圧迫されている。共稼ぎ世帯の貧困率をあげている。ひとり親世帯では50%以上。非正規雇用の賃金の低さ。母子世帯。OECD諸国中で貧困率が一番高い。平均収入は181万円に留まる。「子どもの貧困」。投資論。将来には子どもの不利に。モデル論。ストレス論。親にストレスを。良好な。遺伝論。能力の無さが。文化論。離れることの助けにならない。実際に検証して貧困がどのような影響を与えるかその経路を。アメリカの社会実験。所得の効果はシンプルだが大きい。所得の上昇は経済的不利を取り除き、ストレスが低減出来る。学習にも。対策の中心は経済的援助と教育政策。目的が貧しい子どもたちを学歴社会の中へと。敗者のラベルのついた多くの人を。学歴競争は簡単なものではない。
桜井信一。「下剋上受験」。中卒の夫婦の子供が名門女子中学校を目指す。塾無しで。どのような壁に?教育にかける金が足りない。ノウハウと情報の蓄積。アクセスできない。情報知識が乏しい。そもそも何をどうすればよいかが分からない。勉強を動機づける文化的背景が弱い。将来像がイメージできず動機を維持できない。進学とそのための受験勉強を支えるネットワークに欠ける。成功者は環境に恵まれている。親子双方に将来イメージや動機が。励まし会えるネットワークが。大学のゼミ。同級生に生活歴にインタビュー。何故ここに居るのか?ここ、が問題。東京の私立大学。なんとなくと言う人も。東京の場合、進学をきっかけに上京する。人によって説明は多様。両親が大卒で。周り。大学に行くのが当然という空気。地理的に近接している。社会は分け隔てられている。親には誇れる学歴がない人も。履歴を洗い出すと特異な年長者が。小学校の塾の先生など印象の残る者を。無視は出来ない。生じにくい社会をどうするか。父と娘。逆境に抗ってもがく。最大の敵は二人を諦めさせる宿命論。無料の小学校統一テスト。後方に。頑張り屋でも後方集団。狼狽させる。やっぱり。妻は遺伝だよね。否定したがっていたけれど。親の責任と認めたくない卑怯な。個々で言う遺伝とは?学歴は遺伝しない。受験は遺伝的能力には易しすぎる。イデオロギーは自己のアイデンティティを正当化。宿命論として立ち現れる。往々にして。諦めない者は嘲笑される。遺伝論への抵抗。情熱の由来はよくわからないが。最終的に打ち勝ったということも出来ない。宿命論の効果。勉強ができないことも。烙印。親の遺伝論がラベリング。意欲格差。苅谷剛彦。11の高校で親子両方に、20年後に調査を。学校以外での学習時間が短くなり親の意欲の低下を。親の階層により低下が異なる。階層の上層では学習意欲の低下はなかった。下層にはあった。不利が意欲を生むのは特別な環境。不利は諦めへと。宿命論。囚われていたとしても感情を沈殿化させる。諦めきれなさを抱える力が子供に。子供を社会的存在と見ない傾向がある。貧しい親と突出したものと。子供が今の私では無い私を。家族や地域や学校という小さい世界から解放して自己を生きるという力が内包されている。多様なものを。モデルの設定による選択肢を増やす。親しかモデルが無いというのは問題。閉鎖された家族は近代家族の特徴。閉鎖と収容は社会という広がりの接点が無いという点で社会化には不充分。親方や師匠。ストリート。大人になる方法も。今は居ない。職業的社会化が不充分。高学歴のメリットは少数で、独立自営には現実味が。しかし83年をピークに。廃業率が上回ったりしている。今の社会は社会化の力は衰弱している。清水晃一。かつては学力格差は地域間の問題。消滅したわけではないが見えにくくなった。大阪府のように下位になるところも。繋がりの度合いが学力と関連している。学校とのつながりなど。逆に揺らいでいるところは下位に。生きる意欲や伸びやかさ、全てについての議論に。社会関係資本。ソーシャル・キャピタル。学力などと関連。在る国会議員。節約すれば中古のパソコンは買える。貧者と認識されれば烙印が。stigmaからの離脱が拒絶される。ニュース7。可愛そうで健気な女子生徒。netでは逆に。湯浅誠。ハートネットTVなら良い、0.1%しか見ていない。ピアスしたり液晶テレビが写ったりしていたらアウト。不可分であるから、貧者たたきでサディストが。消費財。stigmaを通して、貧困以外の自己表現を許さない。貧者の自己呈示。それこそサディストは黒く塗ろうとする。子供の貧困率は14%。単なる誤解には留まらない。社会に潜在する貧困のstigmaを露呈。若者は自分でない自分を。サディストの標的に。若年層の求める消費財。今の私ではない私を未来に。将来アニメイラスト関係の。スマホ、ランチなどは自己を承認してくれる友人たちの品目。出来る範囲で手にしたい。今日ではアイデンティティと消費の多様性。贅沢にしか見えないことも。アイデンティティ構築の理解は容易なはず。貧困の現場で、そんなことにお金を使うなと言う助言が不必要なのではない。機会的な否定は頑ななものにする。理解という行為を伴いながらのものは対話を。社会を繋ぐ回路そのもの。

 

人間にとって貧困とは何か (放送大学教材)

人間にとって貧困とは何か (放送大学教材)

 

 

悪口。

ある職場では構成員を2つのグループに分けて相互に勤務する体制になっていた(休みもグループ内で消化する仕組みだった)。両方のグループにヘッドが居て基本的に彼の元に服していた(女性はまた別のシフトに属していた)。たまに別のグループ内で勤務をしていると、私のヘッドについての悪口を色々と言われ、同調するよう促される。意外だが的確な指摘は多かった。しかし上司の悪口を言うと何を言われるか分からないので適当に誤魔化していた。同僚の中には同調してしまいヘッドの逆鱗に触れ左遷された人間も居た。人の悪口は蜜の味とも言われるが、自重するのが吉である。

鵜の目鷹の目で見回す犯罪志望者。

朝に近くのホームセンターに行く。自転車を降りて鍵をかける。すると置き場にウロウロしている中年男性が居る。時々屯する場所を移動しながら周囲を注意深く監視している。当方が動かないでいると、コチラにも視線を移す。どうも自転車を盗もうとしていると分かる。警備をしていた阪急三番街の周辺に自転車が無断で駐輪されている所があり、そこを狙おうとしている人間が居て警戒したのを思い出す。鍵がきちんとかけられていなくて高値で売れそうな自転車を物色して、目を盗み鍵を開けて持ち去るという意図だろう。コチラが警戒していると諦めたのか去っていった。危ないところ。私の自転車は電動アシスト自転車(山奥への通勤で利用していた時がある)なので、盗難されるとかなりな被害になる。もちろん複数の鍵をかけておくのは重要である。要は他の自転車に比べて奪いやすくしないのが鍵なのだから。

責められる家族 ~貧困の犯罪化をめぐって~(人間にとって貧困とは何か第7回)

軽い政府というのも考えもので、人権の保障が実質的に為されない国家社会を形成することになるのだろう。前近代に逆戻り?

 

西澤晃彦。責められる家族。貧困の犯罪化。貧困と家族。歴史的に成立した家族主義。今日的な言説を。家族主義の現在。
70年代なかばのオイルショック。新自由主義。小さな政府。90年代後半に遅れて。個人の責任を強調。小さな政府、規制緩和、スタンダード。自己責任。福祉予算や公共事業を削減。不満が広範に鬱積。言葉の力、イデオロギーの力。自由競争を至上のものとする。競争を緩和する為の。それまで保護されていた領域が解除されるので貧困層は拡大。あからさまな攻撃も。全て個人に内在する要因として。現実は個々人が席にを負う。貧困であることが犯罪と。貧困の犯罪化。大きな物語を必要としない。全てが個人に内在。貧困はあくまで自己責任。足を引っ張る害悪。家族主義的レジーム。攻撃対象となるのが家族。新自由主義者。不道徳性を叱りつける。単身者については議論の埒外。やがては関心を持たれなくなる。介護保険の導入が遅れる。親の世話を子供がするという美風が足を引っ張る。子どもの貧困は親が悪いとされる。個人において生じていることを社会問題にしない。懲悪言説を。貧困が犯罪化する。攻撃の対象とされる。主に新自由主義が分かりやすく。不正受給者を非難。年金児童手当雇用保険生活保護。00年以前は概略のみ。発言の分析をしている。国会発言。憲法という建前に束縛されながらも、新自由主義的言説を。国会会議録検索。国会審議の分析の前に。生活保護制度を。50年に施行。保護から漏れる漏給と濫給を防ぐ。50年代は双方が問題。60年代以降、漏給は問題とされず。65年から貧困調査が打ち切られる。25条を政府への命令と。誤魔化されることなく。予算はどうするのかの問題。予算体系が違ったものに。社会民主主義的レジームに。人々は貧困を忘却。家族に依存するという安直な道を。
国会審議。不正受給を巡る。厳格化がメインに。少数政党には危惧した例も。しかし切り替えされる。80年代は財政改革が。日本型福祉社会。福祉見直しが現実化。福祉領域は攻撃対象となる。暴力団員による不正受給。対策の徹底の強調。一定の型を持った物語。悪い貧者。良い貧者。本当に可愛そうで無力。悪い貧者が評判を下げて困らせる。ここで「私達」が。悪い貧者を討たなければならない。一層の厳格化が。このような悪い貧者と良い貧者の物語。佐藤形式。物語形式を逸脱しないように、生活保護制度を守ろうとする体裁が。予算削減が進む。政府と官僚に便利。想像的操作。単純な色分けは出来ない。虐めているというのもフィクション、物語。厳格化が人々を遠ざける。今に至るまで拘束している。長く語られ続けた物語。民主党政権下においても。10年の不正受給と国民のモラルを関係づける。雇用保険や生活保護。生活社会保障で偏見という弊害。徹底的に不正がないように取り締まる。長妻昭。悪い貧者から良い貧者を守るという形式。14年に厳格化を徹底した改正保護法。その余地が無くなってきているので効力は怪しい。00年代になって新自由主義の観点から貧者への攻撃。07年の小泉チルドレン。保守派。福祉の受け手に自立の気概を。世代をまたいでの保護など。公的福祉での担い手。弱い者の依存度。児童扶養手当。事実婚。家庭介護の放棄。それぞれの問題の個別性は失われる。共通するものとして受け手への依存度と言うものが。不正受給言説の大きな変化。国家への依存が悪という認識。悪の兆候は国民に潜在。日本版新自由主義の認識枠組み。感染する人間を想定。ムードを戒めていかなければ。政府以外に有り得ない。愚かな大衆。叱りつける権力者。エリート主義。政治世界では新しいものとして。二分化で戒める側に。不正受給は小さな問題ではない。肥大化したものに。15年衆議院憲法調査会。行き過ぎた個人主義。不正受給。自助の精神が欠如。自己努力する者が報われない。義務の記載を明確に。とにかく国民の権利が疎ましい。憲法改正がその機会に。行き過ぎた個人主義の問題。不正受給は社会領域が限定されている。しかし日本的悪として巨大なものと。伝聞情報によるものが殆ど。80年代の国会審議。マスコミ情報を元に。伝え聞く、という発言。印象や噂を根拠に悪の蔓延を。悪が怪獣並みに巨大化。統計にある数値は小さすぎる。
保守派議員。貧しい家族への疑念を。10年の議員発言。一方でモラルハザードというか、不正受給の問題。事実婚で手当を。臨床医をしていた時に、母子家庭でも父がついてきている。不正受給もレアではなさそう。ムード的。安易に悪に染まるという国民観。事実婚、同棲、偽装離婚。悪の現れ。夫婦以外の関係に苛立ちを。戸籍制度は個人を家の一員に。登録されることで国民に。家と家族を一体に。意味のないものに?家に個人を融合させる。蔑視する感情が広範に。近代化以後の個人化。人間は家族主義に固執し周辺的なものから個人化が。貧困は家族関係を不安定に。外側の定義に過ぎない。生活の維持のために様々な形態が。標準的か否かで区分し差別する。把握の難しい家族の有り様は規範的な問題に。自己責任論を徹底すると子どもの貧困が課題として浮上する。いきなり感情的になって親が悪いと言いだす。子供を個人として認識することを拒絶して家族と一体化させる。家族を攻撃対象として。家族は共同体であるかのように期待される。現実を直視するところから。べき論は必要なことだが、それぞれの事情での個人的なもの。他者に同じものを期待は出来ない。現代を生きる私達自身が、充分に個人化された存在に。親兄弟の借金を背負う。それを美しいことと思えるか。自分の人生を考えろと言うと思う。家族というものは期待や願望はどうあれ、リスクにも転化しうる。現代の家族は小さな子供を除いて考えれば、脅かさされない限りで成立する。誰も彼もがどんな家族であっても自分を犠牲にすべきだ、というのではない。家族に身を捧げることを規範的に要求するのは致命的に。自民党憲法改正草案。家族は尊重される。互いに助け合わなければならない。当たり前のこと?家族は社会の単位。家族主義レジーム。国家による国民の義務に。日本版の新自由主義の言説に沿うもの。義務として課される闇、それに目を背けるわけにはいかない。貧困の責めを家族に負わせる。泥沼化。貧困の連鎖が強化。官僚は親族の扶養義務を強調する。議員たちは貧しい家族を叱り付ける。家族主義を呼び戻す。貧困と社会の諸相は?押し止めるものは?子供にとって貧困とは。子供に関連する。家族や親子関係についても。社会の中への子供として。全てを親と結びつける家族主義は無意味。貧しい子どもたちの考察。脱家族主義的な議論が必要。

 

人間にとって貧困とは何か (放送大学教材)

人間にとって貧困とは何か (放送大学教材)