軽い政府というのも考えもので、人権の保障が実質的に為されない国家社会を形成することになるのだろう。前近代に逆戻り?
西澤晃彦。責められる家族。貧困の犯罪化。貧困と家族。歴史的に成立した家族主義。今日的な言説を。家族主義の現在。
70年代なかばのオイルショック。新自由主義。小さな政府。90年代後半に遅れて。個人の責任を強調。小さな政府、規制緩和、スタンダード。自己責任。福祉予算や公共事業を削減。不満が広範に鬱積。言葉の力、イデオロギーの力。自由競争を至上のものとする。競争を緩和する為の。それまで保護されていた領域が解除されるので貧困層は拡大。あからさまな攻撃も。全て個人に内在する要因として。現実は個々人が席にを負う。貧困であることが犯罪と。貧困の犯罪化。大きな物語を必要としない。全てが個人に内在。貧困はあくまで自己責任。足を引っ張る害悪。家族主義的レジーム。攻撃対象となるのが家族。新自由主義者。不道徳性を叱りつける。単身者については議論の埒外。やがては関心を持たれなくなる。介護保険の導入が遅れる。親の世話を子供がするという美風が足を引っ張る。子どもの貧困は親が悪いとされる。個人において生じていることを社会問題にしない。懲悪言説を。貧困が犯罪化する。攻撃の対象とされる。主に新自由主義が分かりやすく。不正受給者を非難。年金児童手当雇用保険生活保護。00年以前は概略のみ。発言の分析をしている。国会発言。憲法という建前に束縛されながらも、新自由主義的言説を。国会会議録検索。国会審議の分析の前に。生活保護制度を。50年に施行。保護から漏れる漏給と濫給を防ぐ。50年代は双方が問題。60年代以降、漏給は問題とされず。65年から貧困調査が打ち切られる。25条を政府への命令と。誤魔化されることなく。予算はどうするのかの問題。予算体系が違ったものに。社会民主主義的レジームに。人々は貧困を忘却。家族に依存するという安直な道を。
国会審議。不正受給を巡る。厳格化がメインに。少数政党には危惧した例も。しかし切り替えされる。80年代は財政改革が。日本型福祉社会。福祉見直しが現実化。福祉領域は攻撃対象となる。暴力団員による不正受給。対策の徹底の強調。一定の型を持った物語。悪い貧者。良い貧者。本当に可愛そうで無力。悪い貧者が評判を下げて困らせる。ここで「私達」が。悪い貧者を討たなければならない。一層の厳格化が。このような悪い貧者と良い貧者の物語。佐藤形式。物語形式を逸脱しないように、生活保護制度を守ろうとする体裁が。予算削減が進む。政府と官僚に便利。想像的操作。単純な色分けは出来ない。虐めているというのもフィクション、物語。厳格化が人々を遠ざける。今に至るまで拘束している。長く語られ続けた物語。民主党政権下においても。10年の不正受給と国民のモラルを関係づける。雇用保険や生活保護。生活社会保障で偏見という弊害。徹底的に不正がないように取り締まる。長妻昭。悪い貧者から良い貧者を守るという形式。14年に厳格化を徹底した改正保護法。その余地が無くなってきているので効力は怪しい。00年代になって新自由主義の観点から貧者への攻撃。07年の小泉チルドレン。保守派。福祉の受け手に自立の気概を。世代をまたいでの保護など。公的福祉での担い手。弱い者の依存度。児童扶養手当。事実婚。家庭介護の放棄。それぞれの問題の個別性は失われる。共通するものとして受け手への依存度と言うものが。不正受給言説の大きな変化。国家への依存が悪という認識。悪の兆候は国民に潜在。日本版新自由主義の認識枠組み。感染する人間を想定。ムードを戒めていかなければ。政府以外に有り得ない。愚かな大衆。叱りつける権力者。エリート主義。政治世界では新しいものとして。二分化で戒める側に。不正受給は小さな問題ではない。肥大化したものに。15年衆議院憲法調査会。行き過ぎた個人主義。不正受給。自助の精神が欠如。自己努力する者が報われない。義務の記載を明確に。とにかく国民の権利が疎ましい。憲法改正がその機会に。行き過ぎた個人主義の問題。不正受給は社会領域が限定されている。しかし日本的悪として巨大なものと。伝聞情報によるものが殆ど。80年代の国会審議。マスコミ情報を元に。伝え聞く、という発言。印象や噂を根拠に悪の蔓延を。悪が怪獣並みに巨大化。統計にある数値は小さすぎる。
保守派議員。貧しい家族への疑念を。10年の議員発言。一方でモラルハザードというか、不正受給の問題。事実婚で手当を。臨床医をしていた時に、母子家庭でも父がついてきている。不正受給もレアではなさそう。ムード的。安易に悪に染まるという国民観。事実婚、同棲、偽装離婚。悪の現れ。夫婦以外の関係に苛立ちを。戸籍制度は個人を家の一員に。登録されることで国民に。家と家族を一体に。意味のないものに?家に個人を融合させる。蔑視する感情が広範に。近代化以後の個人化。人間は家族主義に固執し周辺的なものから個人化が。貧困は家族関係を不安定に。外側の定義に過ぎない。生活の維持のために様々な形態が。標準的か否かで区分し差別する。把握の難しい家族の有り様は規範的な問題に。自己責任論を徹底すると子どもの貧困が課題として浮上する。いきなり感情的になって親が悪いと言いだす。子供を個人として認識することを拒絶して家族と一体化させる。家族を攻撃対象として。家族は共同体であるかのように期待される。現実を直視するところから。べき論は必要なことだが、それぞれの事情での個人的なもの。他者に同じものを期待は出来ない。現代を生きる私達自身が、充分に個人化された存在に。親兄弟の借金を背負う。それを美しいことと思えるか。自分の人生を考えろと言うと思う。家族というものは期待や願望はどうあれ、リスクにも転化しうる。現代の家族は小さな子供を除いて考えれば、脅かさされない限りで成立する。誰も彼もがどんな家族であっても自分を犠牲にすべきだ、というのではない。家族に身を捧げることを規範的に要求するのは致命的に。自民党憲法改正草案。家族は尊重される。互いに助け合わなければならない。当たり前のこと?家族は社会の単位。家族主義レジーム。国家による国民の義務に。日本版の新自由主義の言説に沿うもの。義務として課される闇、それに目を背けるわけにはいかない。貧困の責めを家族に負わせる。泥沼化。貧困の連鎖が強化。官僚は親族の扶養義務を強調する。議員たちは貧しい家族を叱り付ける。家族主義を呼び戻す。貧困と社会の諸相は?押し止めるものは?子供にとって貧困とは。子供に関連する。家族や親子関係についても。社会の中への子供として。全てを親と結びつける家族主義は無意味。貧しい子どもたちの考察。脱家族主義的な議論が必要。