F-nameのブログ

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運命。#アラン定義集

「運命共同体」とは、運命や将来の行く末が同じであることを指す。例えば家族は運命共同体であることが多いだろう。よりマクロ的には、国民と国家とも運命共同体とも言える。戦争(起こっていないものも含め)になると、運命共同体の側面はより強くなる。ウクライナやロシアを思い浮かべてもらえれば分かると思う。過去には日本も戦争続きの時期があった。マスコミの報道の大半は戦争賛美で占められ、国債を買った人間も数あまた居る。ただ運命共同体であると言っても、上手くいくかどうかはまた別の問題である。大東亜戦争は敗北に終わり、国債は紙屑と化した。ああ。

動乱期の大相撲。

今現在、大相撲が行われている。先月から勤務の終了時間が早まり、最後の方だけだが本番の取組を見るのが可能になった。今場所は相当に荒れていて、成績上位に横綱も大関も居ない。言い換えれば群雄割拠であり、どの力士が優勝するかは見通せない。見る方はともかく、実際には力士も大変である。本場所は年に6回あり、全て15日なので年間60戦になる。ご覧になれば分かると思うが、力士が力の限り立ち合いでぶつかるのは迫力がある。今場所も無事に終わるよう祈っている。

なお、見られない方用なのか、NHKでは未明に前日の取組のダイジェストが放映されている。ただ3時台や4時台なので、起きるのが大変。

是。#類語新辞典

大日本帝国から日本国への政府組織には、内閣総理大臣のポストが置かれていて、中枢を担う。ただ職掌上でも違いはある(差し当たり憲法も変わった)。他にも色々な政治や行政のポストもあるから、現実としては総理は何もかもを決定出来る訳ではない。最も政策実現に拘る目標も総理により違う。その目標が上手く実現すれば良いが、上手くいかないと最悪の場合は総理の座を追われる。00年代の小泉純一郎は郵政民営化を達成したので上手くいったと考えられる。今の総理はどうだろうか?

何を是にするかは総理の考えによるのだろう。優先順位も違うのは言うまでもない。

専制主義。#アラン定義集

君主や独裁者などの個人、或いは一定の階級や政党や軍部などの集団が、自分たちの意志に基づいて政治を行なう方式。理念的には議会主義や法の支配などと対立する概念である。ただ、国民の信任があるから議会主義の方が望ましい、とは現実として言いがたいものがある。田中芳樹先生の「銀河英雄伝説」(「銀英伝」とも略される)というSFでは、臣民の為になっている専制主義と、政府首脳が腐っている民主主義とを対比してストーリーを展開している。何方かを選べと言われればどうしようか。悩むところである。

気象衛星の恩恵。

昨日は兎にも角にも台風14号の昼間であった。敗戦後の日本列島では、伊勢湾台風や洞爺丸台風などが襲来して、多数の犠牲者を出した。当時は気象衛星もなかったので、地上の観測地のデータしか頼るものはない。台風が予想外の進路を取るとなす術もないことがあった。洞爺丸の遭難は、台風の目だろうと誤判断したとの説がある。

ただ、今は違うのは書くまでも無い。気象衛星があるから、現在の台風の位置は分かる(台風の目の位置も分かる)。後はデータと照らし合わせて台風の進路はある程度は予測可能である。予想が出来れば天気予報で広く知らせることが出来る。最近では台風襲来を見込んで、鉄道の運行取り止めや店舗の休業など(私の勤務地の百貨店でも午後4時で営業を中止した)も行なわれるようになっている。もちろん被害はゼロにはならない。犠牲者の御冥福を祈るしかない。しかしながら、台風をハンドリングする方向に進んでいるとは言えるだろう。気象関係者の方々に感謝したい。

図。#類語新辞典

私は京都大学の学部の4月入学者の内で、昭和時代の最後に潜り込んだ者の1人である(法学部は1学年で400人になる)。吉田キャンバス内にある教養部という所で一般教養の科目を取るのだが、自然科学の科目の中で図学と呼ばれる科目を履修した。内容はほぼ覚えていないが、祇園祭の山鉾をレポートの題材にしたのは覚えている。

それで自然科学の場合は理系向けと文系向けがあり、私は後者を学んだ。図学というのは単に図形の面白さを追究するだけでは無いが、私には様々な図の話に映った。

混乱。#アラン定義集

1941年12月8日未明(これはあくまでも日本時間であるが)に、大日本帝国の主に空母艦隊の艦載機により、ハワイオアフ島の米軍基地や艦隊に対する攻撃が断行された。いわゆる真珠湾攻撃である。旧軍の中には、半ば投機的な作戦であるという意見も強く、シミュレーションでも芳しい結果にはなっていない。旧日本軍でも米軍でも、誰しも最初に真珠湾を攻撃するとは考えていなかった模様で、それが故に成功したとも言える。米軍のレーダーには日本側の艦載機が認められたのだが、友軍のものだと考えてしまった。いきなり艦載機が来襲したので、真珠湾はかなりの混乱ぶりであった。

なお「真珠湾攻撃」というのは、高度成長期の大阪でも比喩で用いられていた。山崎豊子先生の「白い巨塔」で出て来る。