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科学は文化だ---科学技術週間60年の変遷にみる日本の科学と社会(放送大学特別講義)

大阪市立科学館にはリニューアルされてから行っていない。科学を理解する為にも行かなければ。

 

日本科学未来館。東京のお台場。館長が毛利衛。人工衛星からのデータ。地球の姿。多くの人と共有。ジオ・コスモスなども。大人や外国人も。科学技術を文化としてすべての人に。科学を文化に。音楽やスポーツは文化。科学との違いは?自分でデータを収集することはあまりないかも。科学についての議論も。しかし自分でデータを収集する必要が。それが文化。科学コミュニケーション。科学を共有する場に。科学技術週間。科学について理解を深め科学技術の振興を。全国各地で利用して講演会などの催しが。60年に始まった。60回目に。目的や活動内容。
文部科学省の行政の担当者。科学技術週間の制定。どのような背景が?60年の前。科学技術庁は56年に。58年に科学技術白書が。外国依存から抜け出る。日本での技術を活かす。科学の発展が不可欠。59年に科学技術会議。市民の皆さんの科学技術への理解を深める為に。56年には「もはや戦後ではない」。戦後復興から高度経済成長期に。時代背景としては科学の成果を如何に物づくりなどの技術に活かしていくか。4月18日を含む1週間。発明の日を含める。閣議了解。春の花の咲いた頃に。広く国民から標語を一般募集する。第1回の標語。明るいイメージ。鉄腕アトムに未来の夢を重ねる。21世紀の未来を。アニメの放映が63年から66年。マイナスの側面も描いていたが。明るい未来。宇宙開発。当時の中曽根大臣の寄稿。ソ連の科学技術者の大量養成。アポロ計画。宇宙をお茶の間に。自分の目で見ることが関心に繋がる。第1回の科学技術週間。パレードや映画の表彰。研究所の一般公開。科学技術映像祭。科学玩具展。サイエンスバス。動く科学館として各地を巡回。積まれている物。カラーテレビ。太陽電池。星座投影機。無線電話装置。科学博物館は今の3分の1程度だった。科学の身近に。オイルショックで高度経済成長の終焉、バブル景気。定着して発展の時期。80年。800の行事。87年には1200を超える。全国的にも科学館が増える。それぞれの地域に拠点が出来る。科学博物館の数。類似施設の数。87年には109。99年には3倍に。科学技術週間を知ったのは最近という人も。様々な週間がある。無理に言葉が広がる必要はないかもだけど。62年の世論調査で知っているのが14%。18年の調査でも19%。科学を扱った行事に参加した人は、10代20代で4割強。科学技術基本法と科学技術基本計画。96年からが第1期。啓発の取り組みの強化。最初の40年は、まずは国民の関心を高めるのが狙い。さらなる目的が増える。第2期からはコミュニケーションの重視。下地が作られる必要。情報が日常的に分かりやすく提供されるように。相互性の重視。土台としての科学の理解を。科学未来館も開館。01年に。05年にはホームページの解説。1枚のポスター、1家に1枚ポスター。学校の教室や自宅などで機会を増やす。歴代ポスターはダウンロード可能。わからないことについて自分で調べたり他の人に聞いたりするのも良い。行事ではサイエンスカフェを開催。爆発的に広がるキッカケに。日本学術会議と一緒に、全国一斉サイエンスカフェを。文部科学省でも2ヶ月に1回サイエンスカフェを。市民の生活の場である、例えば喫茶店やバーで。参加者が自由に議論する。一方的に説明する講演会ではなく。04年頃から盛り上がったが、03年にヒトゲノムの解明。遺伝子ネタが多かったのでは。老化に関わる遺伝子について。老化の原因は遺伝子なのが生活習慣なのか。科学技術について語る場が増えていっている。情報というかお知らせを伝える。未来館の活動。第2期の開始とともに開館。95年の科学技術基本法と基本計画。国の予算が。研究環境が整備される。一般の人にも情報が伝わるように。第一線の科学者と。これまでは展示業者の人が作ることが多かったけれど、研究者の顔が見えるのは珍しかった。広い視野の中で社会の活動の一環として。研究者の存在は身近になりつつある。なりたい職業ランキングでも科学者が載るようになった。常設展で人気があるのはロボットの展示。解説を一方的にするのではなく、間近でロボットの行動を見てもらう。期待や不安を感じ取ってもらう。基本計画が第3期に入って、科学コミュニケーターの活躍が期待される。研究者側の発信だけでなく、一般の人の声を研究者にも届ける。端末に色んな質問が映し出されて答えてもらう。水素をエネルギー源にしている研究者も、一般の声を聞きたい。来館者からのアンケート結果を研究者にフィードバックする。コミュニケーターが重要な役割を。第4期は11年から。東日本大震災。科学技術と社会との関係を問い直す。原発事故などで科学者が信頼性を失ったのは事実。安全だったことが根底から覆される。100億人でサバイバル。自分のこととして危険に備える。地震の仕組みだけでなく、どんなリスクがあってどのような社会システムが必要なのか。放射線のリスクなどに関心が高まる。誰かと話し合ったりする。科学技術について理解や対話を。科学技術基本計画。負の側面については以前から問題にされていた。公害や交通戦争。科学と社会が共に在るためには、様々なステークホルダーの参加を。対話して共創を。科学技術週間の標語。何故から始まるワクワク感。科学の本質、探究心を。19年からはInstagramの写真公募をしている。徐々に裾野が広がっていく、みんなの視線に。科学と社会の関係性にも厚みが出てきた。理解促進や相互のコミュニケーション。共創という概念。研究室内で研究は完結しない。製品化されて市民にも影響を。そのサイクルが速くなっている。市民の参画が重要に。同じ科学知識を持つというのも無理なので、自分なりの評価が重要。それが出来る人が多いと良い。対話という考え方が重要。子供がサンタクロースを信じるのは小2小3まで。子どもの対話が重要。反論するが徐々に修正する。会話ではなくて対話。互いの立場を理解して考えていく。対話が行なわれることで科学と社会が良い方向に。17年に基礎科学力の強化のタスクフォースを。「科学を文化に」。日常的な理解の対象に。科学が持っているワクワク感を共有できるのが科学の文化。ニュースになるのはノーベル賞のときだけ?色んな対話が交わされると良い。