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市民自治とは何か(市民自治の知識と実践第1回)

確かに概念を突っ込んで考えるのも面白いけれど、政治学は実践で活かさないと意味はないのかもしれない。

 

自己紹介。山岡龍一。政治思想史や政治理論。岡﨑晴輝。比較政治学。選挙制度論、市民自治。後3人。
ガイダンス。基礎科目。市民自治の知識と実践。入門の前?重要性の理解。動機づけを与える。学問という世間から離れたものと現実との関係性をはっきりさせる。入門の前、基礎の基礎。言葉や考え方や心構えを習得。ある意味で社会科学入門が隠れたテーマ。政治学でも偏り?社会科学への導き。何を準備?在る1つのテーマに沿った話をして重要性を理解してもらい探求するのにより深く学んでもらう。法学や社会学。facilitator。会議の司会者。単なる司会進行役ではなく発言を引き出して的確にまとめる役割を。社会で人々が集合的に何かをやるのに重要。技術も覚える。市民自治をテーマ。社会の中で積極的に生きる。1つのイメージ。1つの理想像は学んだ理解を活かす人。理論と実践のブリッジ。社会科学入門の役割。社会の中で積極的に生きる。探求し学ぶことで必要性を感じて欲しい。知識と技術。全ては教えられないので、全体像に力を。細かいことにこだらず全体として何を言いたいかを掴む。試験をするなら細かいことも必要だが。全体像を。予習と復習。印刷教材を読む。何を言いたいかを掴む。技術はどんどん古びるので。
市民自治とは何か。印刷教材を前提に。問題を掘り下げて。松下圭一。政治学者の。1人で理論体系を築く。非常に壮大な理論体系で難解。重要な核心部分を補足。松下政治学の核心は国家というガイネを使わないこと。農村型社会から都市型社会というのは認めるが、何時までも国家の概念を使うと関係が掴めない。国家は歴史的な概念。3要素説。国民と領土と主権。そう捉えてしまうと国民は国家の要素に過ぎなくなる。市民、市民社会というのを。それから政府。その2つで考えていく。国家と一括にしない。関係を掴むために。繰り返し強調している。市民が社会契約により市民社会を作る。市民社会が権力の一部を政府に信託する。取り戻すことが出来る。横に社会を作るのが先。政府と言っても一枚岩ではない。まずは地方自治体に。広域的な問題は国に信託する。更に広域的なのは国際機関に信託する。上から下に委譲するのではなく下から上へ。国家から出発するのではなく市民から出発し発送する。松下政治学の核心。大学院時代。リベラル派。戦後民主主義の潮流と距離を。大論争を何回もしている。最も論理的に構成。ただ松下政治学にかなりの疑問を。基本的には市民と政府で捉えて良いけれど、問題は市民を国境なき市民と捉える性格が。国民という概念は非常に重要ではないか。言語を共有しているのは重要。深い討議には不可欠。一歩間違えると新自由主義的に。戦後民主主義の中で育つ政治学は今とは異質。ヒトと人が繋がる資源が必要。国民や言語。何故統治を重視するか。現実問題として国家権力や国家政治と直面して市民自治をする必要がある。歴史の状況でどのような自治が必要かを。現実的な自治という概念が重要。阪神淡路大震災のときに助けることは出来たのはローカルなアソシエーション。現実的な問題に対する対応。自治のイメージ。グローバル化に対応するのに国家は効率性が低い。スピードの問題。昨日起こったことを今日に対応。対応できているのは企業。国家的なものだけでは対応できない。国家抜きの現実的な自治。もともと松下先生と違うvisionが。汚染されている?唯一の解釈ではなくて各自の解釈が。統治と自治。
市民という概念は重要。市民社会という言葉。日本の政治学にとり厚みのある概念。市民社会の概念。自治の概念。市民社会の概念の歴史については西洋における概念の歴史が中心に。自治の概念の歴史。主として近代日本の歴史が中心的に説明。市民社会については西洋。自治については日本。このコントラストには深い意味がある?市民社会については世代もあるが西洋から由来した翻訳語。概念史は歴史を読むのに参考になる。何故市民社会という概念が重要になったか。戦後民主主義の問題。戦後の日本社会をどうするかを社会科学者は考えたのか?マルクス主義も入る。21世紀に社会科学をしている。市民社会論の遺産を相対化してどのように引き継ぐか。客観視するのに。自治については西洋的でもあるが。マキアヴェリ。問題意識においては日本における落とし穴が。石田先生。自治の自動詞的な。極めて日本的自治概念。概念上の注意事項。自治に関してはもう少し長い伝統が日本にあるのでは?中世。宮本常一「忘れられた日本人」岩波文庫。その冒頭に村の寄り合いのシーン。村の自治が長らくあった。明治時代はその自治の延長上にある。これに対して市民概念は主として出てきたのは60年代。2つの概念のタイムスパンの違い。戦後民主主義に近くて伝統的自治を乗り越える市民概念。学生と教授が同時に考えること。ゲマインシャフトとゲゼルシャフト。利己心や個人から出発してアソシエーションを。古典古代の戦争に行く兵士のような公共心と結びつく。まず個があってそれから全体を。全体があって個が?どうしても個の方向に目が向くけれど。自治の可能性を実践と照らし合わせて。西洋のようにやってよいのでもない。21世紀の我々が市民社会や自治を考える難しさを。簡単に結びつきそうだが簡単ではない。概念史から判明してくる。
自治と統治。2つを並べて考える。松下圭一は国家の概念を使わない。同様に統治という概念も使わない。統治ではなく自治。理由としては統治という概念は伝統的使われ方の中で下のものを統べるというニュアンスが入り込む。市民自治にマイナス。自治一本でいけるのでは?敢えて統治と自治という捉え方をしたのは?ガバメント。統治。自治の中に統治が入っている。日本における自治の自動詞的な問題。何となく治まるのが危険。自発性は本当に自発的なのか?動員。戦争やナショナリズムへの動員?誰かや状況に操られる。下からの権力であっても誰かにとっては上からの権力に。ミル、多数者の暴政。影響力を持てない人を抑え込むだけではないか。自治による権力も権力。斎藤他の「政治」。人々の統合が重要。強制力が必要でありそれは犠牲を要求する。それが政治であり統治。自治であっても統治を生む。それをどうやってbalanceを取るのか。自治をする人間が自治であることで満足していてはいけない。何を実現し何を手段にしているかを。自治を学ぶ子音が社会科学を必要とする理由。強制力の存在。構成員の犠牲。そういう要素を自治の概念に組み込むことが出来るしそうすべき。自治と統治の捉え方をすると、統治の問題であるから自治が口を挟まむことが出来ないのでは?自治一本でいったほうが良いのでは?統治ではなく間接的な自治と捉えたほうが良いのでは?受講生にはどちらの捉え方が望ましいのかを考えて欲しい。何処まで違いがあり何処まで重なるのかが分からないのが社会科学。100%同じかもしれないし100%違うかも。責任、アカウンタビリティ。自治をする危険性は自治による正当化の問題。統治をどのように正当化するのかの長い歴史。選挙が1つのアカウンタビリティ。政府が責任を。政権交代を。よく出来た制度。万能ではないが。アカウンタビリティを自治の概念と。公共的正当化。どのように繋がっているかを自分で発見するということ。
細かいことは印刷教材を読んでじっくり考えて全体像を。学生へのMessage。かなりチャレンジング。社会科学の視座を転換。三人称より一人称。理論知からも実践知からも多くのことを学ぶ。非常に多くの不充分な点もあるだろうが、社会科学の転換が時代の要請。自分自身の経験を踏まえつつ批判的に考える。間違いがある可能性がある。これまでの色んな経験が参考になる。批判的に取り組んだ後は討議をして更に改善点をどんどん発信して欲しい。放送大学全体に共通している。働くことと学ぶことの繰り返し。人間の中で理想と実践が。丸山眞男。民主主義は永久革命。永久革命としての社会科学。

 

市民自治の知識と実践 (放送大学教材)

市民自治の知識と実践 (放送大学教材)