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困難を抱えた保護者たち(スクールカウンセリング第6回)

貧困の連鎖は取り上げられることが多くなったのは良い変化だと思う。

 

香川克。スクールカウンセリング。困難を抱えた保護者たち。保護者の対応。難しさを感じる。学校への理解が無い?突然に強い怒りが。保護者に問題がある?事態に丁寧に耳を傾けると、保護者が問題を抱えていることが多い。
ある物語から。学校の事例のような形で。いろいろな体験から創作。小学校の先生から。30代の女性。保護者と同じ世代。不登校の女の子が。毎日母親と登校。その後に仕事に行く。仕事をやりくりして学校で一緒に暮らす。なんとか繋がって踏みとどまっている。母子での登校。担任の先生は丁寧に対応している。それに応える形で深く信頼する。ところがある日に学校行事の都合でほったらかしに。やむを得ないのは充分に伝わっていたような感じ。申し訳なかったと済むような状況。それでもほったらかしに。仕方が無かった?こんな寂しい中で放っておくなんてと親が怒る。全く違う様子が。担任の先生も落ち込む。スクールカウンセラーのところに。少し困惑しながら話を聞く。分かっていたことを少しずつ訪ねていく内に。家庭は離婚した結果母1人子1人。経済的にも苦しい状態。心を砕いていた。かなりしんどい背景。かなり争いになり暴力のようなものが無かったわけではない感じが。母自身の母が近所に住んでいて時々訪ねてきて。祖母があたたかみを感じない。世間体を意識している。祖母が責めているような感じも伺える。スクールカウンセラーから少しつぶやいてみる。母は小さい頃から寂しい気持ちで過ごすことが多かったのでは?あたたかみのない関係が難しかった。夫との間も上手く行かずに争いになり別れる。たまたま行事が忙しく放っておかれたことで思い出が蘇り怒りとなって先生に?先生は腑に落ちたような感じ。間違ったという形で自分を責める方からは解放される。怒りもあたっている。担任である自分に全責任があるわけでもないと落ち着く。コンサルテーション。このような起きた事態への解釈があるが。保護者自身が育っていく体験で辛い経験が子育てで蘇ることはしばしばある。母自身が体験した辛さが今の人間関係で怒りなどで向けられることがある。過去の体験が表現される時に怒りの形式を取ることが。娘時代の体験などの様々なことが蘇り人間関係に現れる。小さい頃の経験が背景として。本来は担任の先生に向けられるような感情ではないのでしんどいと拝察される。自分に向けられるものではないエネルギーが。勿論一方で心の動きを批判するのはあまり役に立たない。関係がこじれてしまう。間違ってはいないと。双方が。どちらが正しいわけでもない事態がよくあるが難しい場面。過去の経験を現在の人間関係にはんえいするのは誰でもやっていること。特に辛い傷つき体験を持つ人の場合には自分でも意識しない形で強く反映される。保護者の方がもう一度体験することはしばしばある。全ての子育てが。傷ついた経験を抱えていると反映してしまう悲しいことが。自分と親との体験が。学校での体験の傷つきが尾を引いている事例の背景が。比較的多いのは友人関係。中学校時代にイジメに近い状態があったり、グループでの体験。外す外されるの緊張体験を。様々な痛みを伴うストーリーが。30代になり親の立場に。娘が同じ年代になったときに辛い経験が蘇り現在の人間関係に現れる。学校や教師との体験も今のやり取りの背景に存在していることも。校内暴力が華やかに繰り広げられた時代に強く先生から叱られたり体罰を受けたり。どうしても蘇り身構える。辛い過去が。保護者の難しさに。持ち出すのは間違っている。と批判するのは簡単だが、それは上手く繋がれないことになる。様々な形で親以前の経験が言動に影響を。保護者の現実の辛さが忍び寄る。現実の中で。離婚を始めとする夫婦関係の問題で苦労を重ねる事例は多い。また経済的困難を抱えることもしばしばある。保護者が鬱やそれ以外のメンタルヘルス上の問題を。家庭内に暴力がある場合もめったに無いわけではない。配偶者間の暴力など。現在の家庭が抱える問題は不登校の背景にも。子どもたちも大変だが保護者も傷を抱える。保護者自身の生育歴、歴史の問題が。離婚や暴力などの家庭内のトラブル。家庭の経済事情やメンタルヘルス。通常の教員と保護者のやり取りではあまり語られない。辛い出来事や背景の家庭内の困難については多くの場合は秘密のままに。正面切って語られることが少ないのが事態を難しく。このような事柄は学校の機能を越えているという議論が。学校という場は子どもたちに学校教育を提供。保護者の問題解決は学校の機能の限界を越える。一体どこまでやればよいかのジレンマが。そもそも秘密にされるので学校現場で話題になりづらい。学校自体の機能を超えるという議論が。保護者の方々の、難しい保護者の場合には保護者自身が難しい環境の中で苦労する状態が。教育的働きかけを建設的にする取り組み。社会全体が問われていると感じることは少なくない。子育てをどうしたらと悩む親は少なくない。問題ないと見える保護者の中にも。子育ての機能が低下している?しかし批判しても何も生まれてこない。親の体験不足も無いわけではないが、社会自身が異なってしまっているということ。スクールカウンセリングを大きく越える。社会自身が育ってきた社会と異なる。確実に右肩上がりの社会だった。そこに貧困の問題はあったが、ゆくゆくは豊かになることが出来るという希望を持つことが出来る貧しさ。今は縮小するかもしれない。人口は増加しない。縮社会。急速な経済成長はない。上手くいかないのは自分自身を責めることに。自分はだめだという気分が育ってしまっている。どのように育てれば良いかは自信がない中で。自身の幼い頃の経験が蘇る時に。実際のスクールカウンセリングの実践では子供の人となりと保護者や担任が。一緒に考えていくプロセスを。保護者を批判しない。全てを批判しないのは現実的ではないが。批判する責めるスタンスはなるべく取らない。理解を関係の中で扱っていく。事態をなめらかに。解決は簡単ではないが。理解しすぎない。深く理解しないのは踏み込みすぎるのを裂けること。批判しない、理解しようと努める。1人にならない。どうしても突然現れた怒りの感情に戸惑う。うろたえてしまい戸惑い混乱する。側に信頼できる人が居ることが重要。同僚の教員や上司に相談する態勢を。スクールカウンセラーに。自分をモニターできるように。校内態勢としてトラブルのカバーを。学校体制全体の。
保護者との対応全般に。なめらかになるように。処方箋にはならないかもしれないが。保護者との間でやり取りに。難しいトラブルになる場面が。悪者探しはしない姿勢は重要。本当の悪者は今この場に居ない。昔の様々な大人が。対立する感情が生まれた時はハッキリさせたいという周囲の動きが。悪者探しを無闇にしないことは事態を柔らかくする。学校が持っている良識はある。「べきだ」。70%が常識と。やり取りの中でえーっと思うことがある。変に思うことは割ける。当たり前と思わない。枠組みを持たないという重要な技法を。出会ったら感情はそのまま抱えながらどうしてそういうことになるかの好奇心を持ちながら理解を深める。常識外れに思えるときは健全な好奇心で。少しばかり体力気力エネルギーが。余裕がないと難しい。当たり前の枠を越えて。あるべき親の姿を伝えるのではなく、現在の姿を大切にしていく。どうしても学校教育の枠組みに居ると、親子の関係はこうあるべきという発想が。今の親子の姿から始まり祈るように関わっていく。価値観の多様化の時代に求められる。異なる常識が存在する。多くの場合は保護者との関係を考えるには多面的な見方を1つに統合。ケース会議などの重要性を。
保護者とのやり取りを難しく思う教員が。保護者自身の困難が背景に。価値観の共有が難しくなった現在社会。最終的に子どもたちに返っていくと。