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学校教育の法化現象と教育訴訟の構造転換(学校と法第1回)

権利義務という発想は今でも拒否感が強いのではないかと考えていたのだけれど、私の現状把握が古いのかもしれない。

 

坂田仰。学校教育の法化現象と教育訴訟の構造転換。
一昔の学校の現場。保護者と教師は信頼関係。法的関係で破壊されると。信頼関係論。現場は話せばわかり合えるという牧歌的な学校運営。楽観論的な教育実践に覆われる。80年代を境に。教育紛争が司法の場に持ち込まれることが急激に増える。信頼関係の崩壊。学校教育の法化現象。構造転換について概説。法的視点からの分析。法的分析の重要性。金太郎飴。欧米諸国と均一な価値観を多くの国民が共有。しかし価値観の多様性が進展。96年の中教審の答申。国民は多様な価値観や自己実現を求める。日本人の多くが当たり前と考えていたことがそうではなくなり、当然とされた様々な神話が音を立てて崩壊。学校神話も。通うべきもの、先生の指導に従うもの。大きく揺らぐ。学校のことだからと受け入れられてきた指導が通用しなくなる。校則などの理由の説明を、法的根拠は?児童の権利条約を無視するのか?自己決定権は?80年代初めまでは学校の現場は権利義務と言った法的思考はそぐわないというのが教員にも保護者にも地域住民も多数派。現在では教育と法のイメージ。教育では人間的情緒的な言葉が。法については冷酷機械的理屈っぽいという対照的。自由記述欄。愛情熱信頼に尽きる。法が入ってくると教育実践は死んでしまう。教育法規無用論。法と教育は独立したものとして。話し合えばわかってもらえる、信頼関係を基礎として教育関係を。保護者や地域の人々の中に、学校との関係を権利義務、法というプリズムを元に見ようとする人が。在学するという法的関係を基礎として、消費者として権利主張の場として。学校教育の法化現象の進展。顕著なのが学校事故訴訟。80年代以降、顕著に増加。90年代以降に学校側が敗訴する例が多数に。賠償額も高額化。経験に根ざした従来型の学校経営は機能不全に陥りつつある。イジメについて。かつてであればクラスの中で多くの情報が担任に集まってきた。吟味してイジメている子どもなどの。色々な関係者と相談して、双方のインフォーマルな指導方針を。ボトムアップ型の問題解決。法化現象の進展。インフォーマルな問題解決システムが機能不全に。校長教育委員会などにいきなり苦情が。権利の主張が繰り返される。トップダウンで対応が協議。双方の将来を考慮したインフォーマルな対応をするのは難しい。権利義務の関係で白黒をつけなければならない。それでも権利の保全が為されないと考えると、訴訟の提起を。50年代までのアメリカでは、学校は例外的存在だった。生徒の自由の関心は薄かった。古き良きアメリカの消滅。訴訟爆発。日本においても教育訴訟の増加が。傍証するものとして、教員の間での訴訟保険の認識の増加。教職員賠償責任共済への加入。07年には東京都で7年間に16倍以上。多くの人は教職員を信頼しているが質的変化が。かつてのように学校の決定や教職員の指導に無条件の信頼を寄せるのではなく、自己の価値観に照らして是々非々で指示不支持を決定する人が。極端な場合は権利義務の法化現象として噴出。批判の対象ともなりうる存在に。問題の所在は、イメージ調査からも、今も少なくない教員が幻想を有していること。良いことをしているのだから少々の脱法行為が許される?学校教育法上禁止されているが、体罰が典型。変わらない教員の意識とのgap。法を嫌い関係性を重視するのとは対照的に、裁判所は教員に強いコンプライアンス意識を求める。教員については教育指導する立場にあるから、より強い規範意識を。福岡高裁平成18年11月9日。義務教育諸学校の生活は生涯に及ぶ影響が。あらゆる場面で指導を。教員自らがロールモデルして法の遵守意識を。裁判所の意識と教員の意識には大きな隔たりが。学校は法を無視するという呪縛が。教員の判断が法規に照らして妥当なのかは分からない。教育理論に対する閉塞感。さまよえる学校経営や生徒指導。リスクが潜む。
教育訴訟の構造転換。教育紛争には3つのpatternが。教員と任命権者の争い。私立学校の場合は雇用主と。学校事故体罰などの。保護者と教員の間に。地域住民と学校教員。学校の情報公開や騒音問題など。学校教員に対して絶対的信頼があった時代。昭和51年5月22日の最高裁判決。現代版。11年から12年にかけて最高裁の判決。国歌斉唱の問題。教育公務員特例法。指導改善研修の問題。児童生徒保護者と学校教員。80年代以降増加。形態や内容にも変化。停学退学などの古典的な。指導への異議申し立て。履修における価値観。イジメなどの管理責任。かつての丸刈り。83年に訴訟。熊本県下のある高等学校。表現の自由を侵害。熊本地裁昭和60年11月13日。合理的区別とする。表現とは見られない。パーマや脱色を禁じる校則は少なくない。11年には奈良県下の公立中学校。パーマなどをしないという規則。大阪地裁平成23年3月28日。問題行動に発展するので指導に合理性。指導の目的は正当なもの。校則、日常的指導に対し訴訟が。従来であれば自由裁量が認められてきたが。退学処分などだけではなく日常の指導について異議申し立てが。法化現象。地域住民と学校教職員。新しい傾向。万民に不可欠なものから公害施設としての学校。京都の学校が室外機の撤去や慰謝料の。京都地裁平成20年9月18日。騒音については慰謝料。騒音規制法。条例が規定する基準を超えるのが不法行為。衝撃は大きい。11年10月には大阪でゴールネットに油を。校庭で遊ぶ子供の声がウルサイ。騒音異臭振動ばい煙などの近隣トラブル。逮捕された住民は以前から要望していた。誰も問題にしていなかったという感覚。法化現象の中で迷惑施設とされる。ゆくゆくはグラウンドの使用差し止めに行き着くかもしれない。噴水の音がウルサイと仮処分。八王子支部平成19年10月1日決定。50デシベルを越えてはならない。説明責任を果たすことが必要。価値観の多様化で教育訴訟の構造転換が。児童生徒保護者と学校教員の対立、地域住民と学校教員の対立。訴訟保険への加入が推奨。訴訟危機マネジメントが重要。モンスターペアレントなどの権利主張至上主義。消費者的な。授業料の支払いなどで授業などのサービスを。消費者として当然の権利?ある角度から消費者主権の貫徹。予定調和的に捉える牧歌主義的な学校経営には限界が。価値観が違うので話し合えば分かるわけではない。権利義務的学校経営が。学校教育の公理にも問題が。地域の子供から我が子へ。日本社会において大学受験にのみ通用する知識。進学や就職を最優先にそれへの特化を求める。地域社会にはそれよりも全ての子供が元気に挨拶するなど規範面の塩津を。子供のためにという言葉は意味が異なるマジックワードに。現実の学校運営については連携は容易ではない。無批判に説き続ける学校経営は牧歌的。多様な価値観を持つ権利義務的問題。アクター間の権利義務を背景に学校経営を。予定調和的にのみ見るのではなく法的根拠を吟味して。教育基本法6条1項。学校は公的存在。教育実践全てが法に根拠を。無視した学校経営はありえない。活動根拠の否定に他ならないと意識を。法令遵守はコンプライアンスの基本。多くは慣習に沿ってきた。民主主義的学校経営。校長の権利を棚上げにして職員会議が最高意思決定機関に。98年の答申。運営等を巡る校長と教職員が対立。校長が職責を充分に果たせない。第二の夏休みの自宅研修。慣習へ転化。06年に未履修問題。平成2年1月18日。指導要領が法的規制を。外圧が勢いを増す。最高裁は慣習にメスを。名古屋地裁14年5月28日。校長が研修の吟味を。学校長の一定の裁量を持つ。学校教育の法化現象。牧歌主義的な学校経営に疑問が。時には教育訴訟として。関係が権利義務という観点から。法規に基づく学校経営という原点に立ち戻ることが必要。条文を知ることは基本でコンプライアンス上重要だが、法的視点から日常を分析し問題を解決すること。リーガルマインドを身につけることが原動力になる。

 

学校と法―「権利」と「公共性」の衝突 (放送大学教材)

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