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なぜ領土問題が起こるのか?(国際理解のために第10回)

領土問題は民族絡みでは解決しないのかもしれない。

 

子守唄。04年、悪の枢軸の子守唄。ブッシュ大統領。イラン、イラク、北朝鮮。03年にイラクで戦争。どの国であっても母も子も居る。
2つの理由。民族の分布、生活空間、国境線とは一致していない。多民族国家がある場合、その国家が崩壊すると、それぞれの民族の境界線の問題が起こる。各民族が混ざって住んでいる。
アフガニスタン。パシュトゥーン人。〇〇スターン。何々人が住んでいる土地、の意。パキスタンとアフガニスタンに住んでいる。国境線、デューランドライン。ナポレオンが中央アジアをヨーロッパ人に意識させる。何故イギリスがナンバーワンなのか?イギリスに加えて植民地。インドを支配しているから。インドをイギリスから奪えば良い。地中海から中東を通って?ロシアの皇帝と一緒にインドまで南下する?夢は潰える。ロシアが引き継ぐ。ナポレオン没落後のヨーロッパ。ロシアはフランスまで攻め込む。イギリスは強い海軍力で寄せ付けず。イギリスとロシアの対立。陸伝いに南へ膨張しようとする。中央アジアへ。インドへ。イギリスはインドから北へ。ユーラシア大陸の綱引き。グレート・ゲーム。アフガニスタンでぶつかる。イギリスもロシアも征服出来ない。山岳地域。緩衝国。クッション。バッファーステイツ。事故による戦争を防ぐ。国境を接しない方が良い。パシュトゥーン人が国境線で分けられてしまう。ワハン。イギリスは補助金?を出してアフガニスタンの領土にしてもらう。イギリスとロシアの事情。現地で住む人の営みを無視。パキスタンの一部をアフガニスタンにしたい。国境線をパシュトゥーン人は尊重している訳ではない。
剣の舞。ハチャトゥリアン作曲、アルメニア人。ミグ戦闘機。ミコヤンが設計者だったから?コーカサス地方の民族音楽を聞いて育つ。クルド人。イランとイラクとシリアとトルコ、ソ連の国境地帯、アルメニア、アゼルバイジャン。総人口は推測3000万人は越えている。自らの国を持たない最大の民族。民族主義を抱く頃には第一次世界大戦が終わって国際政治でイギリスとフランスが国境線を引っ張ってしまう。どの国でも少数派になってしまう。文化的な権利、自治を。中東の地図。定規で引っ張ったような真っ直ぐの国境線。外交官が定規を引っ張る。アフリカの国境線も。ヨーロッパの列強が引っ張る。国境線の両側に一つの民族が。領土問題が起こりやすい。
多民族国家が崩壊。ユーゴスラビアとソビエト連邦。一つの都市に混じって住んでいる場合は国境線を引くのが難しくなる。ユーゴスラビアの内戦。ソ連の崩壊時も問題が起こる。グルジアとロシアの関係。往々にして戦争が起こるが、領土問題の解決には繋がらない。勝つ国が領土を取るが、負けた国は奪おうとする。異民族が住んでいる土地を占領したとしても、その住民が納得せず、独立運動が起こる。民族浄化をする?帰国運動をする。アルザス・ロレーヌ。ドイツとフランスが取り合う。戦争では解決せず、経済共同体への和解の努力があって初めて過去の問題になる。

 

国際理解のために (放送大学教材)

国際理解のために (放送大学教材)

 

 

恵み

私の通っていた幼稚園は、めぐみ幼稚園という。キリスト教で言うところの「神の恵み」をバックボーンにしているのだろう。少し離れた所にあったのでバスで通った。お遊戯会などに参加したことを微かに記憶に留めている。義務教育は小学校からなのだから、そこから通えば良いという考え。それは戦後暫くはあったかもしれないが、前に保育所か幼稚園に通わせるのが多数派になって久しい。いきなり小学校から集団生活をスタートさせるのは、ギャップが大きいということがコンセンサスになっているのだろう。教育費が嵩むのが問題だけど。最近は無償化する自治体もあるようだ。

少子化。

今日5月5日はこどもの日。新聞報道では38年連続、子供の数が減少しているとのこと。イメージがし辛いかもしれないが、要は平成時代には一貫して減っているということ。少子化が問題だと言われ最近になって様々な対策が実施されているが、平成が始まっていた前後には問題だという認識は既にあった。しかしながら何も手立てを打つことはなかった。性的役割分業の意識が日本社会には確固としてあって、家庭の問題、なかんずく女性の「やる気」の問題だという認識しか無かったのが理由のように思える。戦後しばらくの時期は子供が増える傾向にあったが、それは何も女性が家庭に専念していただけではなく、親族共同体や地域共同体の助けが得られたからである。いくら勤務をするわけじゃなかったとしても、子供を産み育てるのは簡単ではない。祖父母など他の家族や、地域の人たちの協力があってこそ可能である。それで子供の数は増えていった。ところが高度経済成長期になって、人口は都市に移るようになり、核家族化が進んだ。親族共同体や地域共同体も希薄になった。おまけに教育も競争の要素が如実になり、教育費がやたらとかかるようになった。そうなってくると多くの子供を育てるのは無理になる。必然的に子供が減るのも当然だろう。ところが、子供が減っていると認識はしていても、何も手を打たなかった。高齢化も同時に進んで、そちらにリソースも注ぎ込まなければならなかったし、公共事業みたいに経済の波及効果があるとは考えられていなかったのが大きい。そうこうしている内に、経済は停滞し、独りで家族を養える男性は少なくなった。必然的に女性も働くことになり、それが更に少子化を助長した。今更ながら保育所の増設などの対策は取られ出しているが、絶望的に遅い印象しかない。子供が増えないと労働者人口が減るので、「移民」に来てもらえば良いとも考えているようだが、現実問題、日本に来る人間は増えるのだろうか。日本に住んでいる日本人に、アメリカでも韓国でも移民しませんか、と聞いても否定するばかりだろう。おまけに受け入れ環境もお世辞にも良いとは言えない。まあ生産性が上がれば労働人口が減っても何とか経済は回るかもしれないが。

思春期・青年期の精神障害(精神医学特論第10回)

思春期は不安定なものだと自分の経験から思う。

 

思春期青年期の重要性。中学高校大学。大きな変化。身体が大人として完成。性ホルモンの分泌。第二次性徴。自我の確立。内省も。アイデンティティの確立。第二の誕生。前半を思春期、後半を青年期と呼ぶことも。身体的な変化を思春期、精神的な変化を青年期と呼ぶことも。かかる病気のパターンも大人に。統合失調症や双極性障害、うつ病など。児童期は言語でなく身体化に。カウンセリングの限界。箱庭療法や遊戯療法。思春期青年期では言語的なやりとりが出来る。学業が大きな課題だが、同年代と切磋琢磨。様々な課題。精神症状と戦うことに時間をとられがち。仲間と触れ合い人間的に成長出来るように。非定型的な症状になることが多い。思春期の病的でない状態。本来の人格からか病状なのかが見抜けづらい。
パーソナリティ。生まれつきの感情面と特徴。器質。性格。人格、パーソナリティ。変化成長する可能性。ゆっくりと改善する可能性が。以前は人格障害と言われていたが、道徳的な人柄の核心、少し違う。パーソナリティ障害としか思えないことは否定できない。思春期境界例、青年期境界例。社会病理との関係。境界性パーソナリティ障害と名付けられる。昔。器質体制理論。精神疾患の結果としてパーソナリティの変化が。日常行動の偏り自身が問題。パーソナリティ自体が。クレペリンの性格異常。平均から逸脱。シュナイダー。精神病質。パーソナリティ障害に引き継がれる。自分が社会が困難、問題だと思っている。異文化と相対する。国や地域によって当たり前は違う。おとなしい日本の女性は皆依存性パーソナリティ障害?パーソナリティ障害。A群。パラノイア。妄想性パーソナリティ障害。統合失調型パーソナリティ障害。性格に近い。B群。周囲が振り回される。反社会性境界性。自己愛性。境界、精神病と神経症の間。変化の激しい。見捨てられ不安。不安定な対人認知。自分のimageが不安定。万能感と深い自己嫌悪の間を揺れ動く。自傷行為も。金銭の浪費など。行動化の特徴。分裂。原始的な防衛機制。外界が良いことと悪いことに裂けてしまっている。統合に受け入れる成長が出来ていない。幼児期の外傷体験?治療契約。C群。本人の不安や恐怖が強い。回避性依存性強迫性。個人と社会の相互作用。診断は慎重に。パーソナリティは固定的ではない。相互関係の中で現れる。治療者のパーソナリティも大きな影響を与える。全体像の理解を。個々のケースがレッテルを貼れるか、では無理。常に孤立した行動の傾向がある人、もともと欲求が乏しいのか、回避性か。シゾイド的な人には干渉しないのが正しい。真の動機を知るのに活かすべき。
摂食障害。心身症の一つの形から、別のものに。神経性無食欲症、神経性大食症。神経性無食欲症。若い女性が殆ど。運動競技のケースが少なくない。ダイエットが止まらなくなるなど。きっかけがない場合も。食事の頑なな拒否、高度の痩せ。自分のボディイメージが歪んている。食欲は抑え込まれている。隠れて食べていることもある。他人の為には積極的に料理することも。内分泌症状も。制限型とむちゃ食い。否認の強さ。3つのない、痩せていない、お腹が減っていない、疲れていない。病像が類似する。強迫傾向も多い。女性の二次性徴を打ち消す、アイデンティティの問題?親子関係はあまり問題でないケースが多い。治療動機を持ちにくい。内科のリエゾン。認知行動療法的。神経性大食症。過食症。むちゃ食い。女性が多い。過食性障害を分けている。本格的な。むちゃ食いが繰り返す。自分でコントロール出来ない。体型などの過度な注目。進んで助けを求めることも。自己嫌悪や罪悪感。不安耐性の低さ。ストレスの解消法が確立されていないことも。

 

精神医学特論 (放送大学大学院教材)

精神医学特論 (放送大学大学院教材)

 

 

優雅さ。

私にとってはかなり縁遠いもの。身につけるべきかもしれない。そのことについて弁解すると、私の周囲に優雅さのお手本となるものが無いとも言える。私の家族も程遠いし、現在の職場の状態や商品も縁遠い。まあ優雅さを感じるセンサーが、初めから備わっていないのかもしれない。鶏が先か卵が先かの状態にハマっている模様。ううみゅ。もしかしたら、無意識ではどうでも良いと認識しているのだろうか。自分の学習歴にも無い観念なので、どうしようもないかも。

 

高槻ジャズストリート。

昨日と今日は、高槻ジャズストリートが開催されている。今頃も盛り上がっていると思う。始まった当時は「高槻で何故Jazzを?」と感じていたのだけれど、すっかり年中行事として定着した。あちこちからお客様も来られている。賑やかなのは良い事だ。

高槻は戦中に市制が敷かれたが、はっきり言って田舎だった。高度経済成長期には大阪や京都のベッドタウンになり、人口も急増して都市化が進んだ。今では中心部やロードサイドにはストアが密集しており、殆どの用が足せる。もし無理でも大阪京都にもすぐ足を伸ばせる。それは良いのだが、京都市や大阪市に比べ、観光資源は乏しい、というか殆どない。神社仏閣は多彩にあるが、メジャーなものは無い。観光客の誘致に加え、アイデンティティーの確立という狙いもあって、ジャズストリートという試みは始まったのではと思う。確かにJazzの街というイメージは形成されているのでは。開催費が嵩んで大変だろうけれど。

ちなみに隣の茨木でも、同時期に音楽イベントが展開されている。パンフレットも同じになった。この時期は音楽に触れ合えて良いなあと感じる。まあ茨木は川端康成のイメージが確固で、隣街の住民としては羨ましいと思う。

精神保健福祉政策と権利保障(福祉政策の課題第10回)

人権確保が必要だと思う。進展はしてきたけれど。

 

人権を奪うような形だった。歴史的経緯。
憑依現象とみなされていたこともあった。狐憑き。殴打や火炙りもあった。病として解釈し直す。治療ではなく家族での自宅監置。座敷牢。呉秀三。精神病院法。病のある人の監禁。戦争時には多くの餓死が。自由を奪う形。偏見も生み出す。50年に精神衛生法。社会から隔離する。措置入院。同意入院。病床数の増加。諸外国の削減と対照的。病院から地域へ。私立が中心の病院に。政策的配置が難しい。アメリカでは患者のホームレス化。人権侵害の場所にほかならない病院が。精神障害者の隔離。退院をなかなかさせない。84年の宇都宮病院事件。看護職員が患者を死に至らしめる。違法かつ異常な事態。人権条約違反。自由を奪うことへの無頓着さ。死亡しても誰も気に留めない。人間とみなさない。閉じ込めるべき人。危険が施策によってもたらされる。87年精神保健法。入院は本人の同意が原則。精神医療審査会。社会復帰。人権確保の為の手続の保障。ノーマライゼーション。障害のある人もできるだけ同等の生活が送れるように。脱病院化。脱施設化。地域へ。隔離や画一化。精神保健福祉法。福祉施策。自立と社会参加。生活訓練施設。授産施設。99年。ホームヘルプサービス。地域生活の基盤を。病院から地域へ。社会的入院問題。治療は必要がない。5万3千人。病院にいる故の経験の無さ。ストレスにも弱い。病院が唯一の安心安全な居場所?13年の精神保健福祉法改正。入院時から退院の予定を。退院支援。障害者自立支援法。措置ではなく個別給付化。地域相談支援。新規入院患者の1年以内の退院。薬物療法以外にも様々な精神療法。
精神障害者の病院から地域へ。地盤がないと退院させることが出来ない。地域生活が成り立つために。退院支援や地域定着を。地域移行。障害者のケアマネジャー。地域相談。精神医療だけではなく。地域で暮らすのを当たり前に。都道府県による格差。地域の資源を増やす。マンパワーの確保。病院の経営で働くひとも居る。権利侵害という視点。経営と精神医療とのジレンマ。政策的手立てが必要。共生社会。地域で拠点を作る。障害領域だけでなく高齢者についても。介護支援の制度の中で。地域社会に多様な地域生活支援を横断的に見るように。包括的な制度や支援をする必要性がある。縦割り行政が問題だけど。多機能型診療所。医療が地域で中心になるというよりも、福祉が中心に。地域包括ケアシステム。
障害者権利条約19条。権利を守ること。領域にかかわらず横断的に。

 

福祉政策の課題―人権保障への道 (放送大学大学院教材)

福祉政策の課題―人権保障への道 (放送大学大学院教材)