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気高さ。

実は気高さを感じる人に出会ったことはこれまでなかった。朝に開かれていたオフ会で、ある人に出会った。翻訳を生業にしていて、大学の通信制に通っているそうだった。年頃は私とあまり変わりない。日頃から勉強を続けていらっしゃることが感じられ、初めて気高さを感じた。やはり向上心を持ち続けてはるところが理由だろうと思う。私も一応は勉強の真似事はしているが、何処かの大学に通い直した方が良いのかもしれない。学位それ自体に価値は見出せないかもだけど。

イジメ。

昨日は私立中学について書いたけれど、陰湿なイジメがあるところもあると教えられる。所謂良い所の中学である。それで思い出したのだが、首都圏の誰でも知っているような有名中学でイジメをしていた某国会議員が居るらしい。ウェブ魚拓が取られていたので見ることが出来た。反省は一応しているらしいけれど、嬉々として話す内容ではないだろうと感じる。共感能力に絶望的に欠けている。最近のTogetterでは、イジメをしていたが親に怒られて改心した、と就職面接で話す学生がいたらしい。ネタかもしれないけれど。私が面接官なら恐らく無条件で落とす。虐めた人間と一緒に働きたくはない。武勇伝のようにイジメをしたと自慢げに言う人間には、人間性のカケラも見出し難い。虐められた側はトラウマになっているというのに。

革新自治体から新自由主義へ(日本の近現代第15回)

何故に革新自治体が機能不全になったのかは把握しないと。

 

地域社会に焦点を。日本人の人生。
現代日本社会。55年から73年の高度成長時代。バブル経済時代と崩壊、失われた20年。13年頃まで。実感を持ってimage出来る筈。この60年間は社会構造的に山あり谷あり。
政治的には55年に日本社会党と自由民主党。93年に自民党は野党に。55年体制。一党優位政党制。冷戦構造。米国と同盟。日本社会党と日本共産党、自由民主党の対立。政権は変わらず。冷戦構造の他に。農業共同体などの地域共同体が支える。支持基盤に。巨大な社会構造の変化。少子高齢化。社会構造の変動は安定政権の要因はならない。現在も一党優位。革新自治体。大都市圏を中心に。高度成長時代が終わると低調に。
55年から12年の衆議院の議席獲得数。殆どが自民党の第一党。55年体制。二大政党制になるという観測。現実は自民党も社会党も減少。76年以降。自民党が殆ど過半数。社会党以外は議席を伸ばす。76年まで。大都市圏で他の政党の伸長。首長選挙。知事レベルでは首都圏関西圏。市長レベルでは衛星都市が。一次は日本人の過半数が革新自治体に。東京。50年には人口減少。しかし70年までは増加。60年頃の政治状況。人口が増加する地域で革新系が。急速に多党化。73年。社会党は第4党に。自民党は町内会など支持基盤を築き、その後も同様。会長は中小商工業。あくまで自主的に活動するのが原則。街灯や衛生活動。町内会は行政と提携。災害などの募金活動や相互援助、運動会など。地域の人的関係を。他の自治体とも提携。23区レベルでの連合会。同業者団体や商店街団体。人的ネットワークが末端まで浸透。しかし急増する住民には問題。新中間層に反発。異なる文化。町内会に反発。社会党の支持基盤。労働組合が中心。講和条約時に全面講和を主張。左派と右派。総評や総同盟。イデオロギー色を強める。労働者階級の組織化を。しかし失敗。労働者の数はあまり増加せず。第三次産業の増加。労働者階級への帰属意識は強くなかった。会社共同体の意識。自らの利益と会社の利益を同一視。階級政党以外の意識はあまりなかった。イデオロギー色が薄い。個々人の生活への意識。賃上げも需要だが、他にも様々な生活環境の問題。共産党や公明党が意識。64年の東京オリンピック。近代都市へ。様々な歪みが。生活環境問題。67年に美濃部都知事に。社会党や共産党の合計数を上回る。男性の管理職などは松下。20歳代や30歳代は美濃部。選挙の帰趨は、無党派層。社会福祉政策。高齢者医療費の無料化など。公害対策。69年の公害防止条例。生活環境を優先。物価対策。ごみ戦争。処分場の建設へ。
神奈川県の藤沢市。保守党市長が続く。60年代に人口が倍増。衛星都市。大型団地の建設。マイホームを求める。大型の工場の誘致も。首都圏近郊の中での人口増加。新規の在住者。政治意識の変化。66年と71年の支持政党調査。自民党や社会党は減少。民社党公明党共産党は変化なし。無党派層も。特に決めていないが保守系革新系、というのが増加。熱心な支持では無かった。保守系も減少。しかし革新系は増加。60年代の市議会議員選挙では保守党が多い。公団住宅に移り住んだホワイトカラー、工場で働く労働者。積極的に活動しようという意識は少ない。新規団地を求めない人と求める人。要求にギャップ。市議選では従来からの市民が活躍。72年に革新系市長に。藤沢市民連合が支持層。環境問題は文化問題に取り組む。マニフェスト。生活重視。自然環境保護など。徹底した直接民主制。具体的な要求に対応する。テーマ別の集会を繰り返す。市民の実感の中から。新しい国政の展開を。社会党内部の構造改革論。江田三郎。しかし主流派とはならず。福祉環境政策。
新自由主義の登場。55年体制の後半期。地方では革新自治体の減少。新中間層を中心とした住民団体は成長せず。既存組織を凌駕出来たわけではなかった。財政問題で福祉は困難に。中央政府も同じだったが。80年代から小さな政府にしようという新自由主義。国鉄民営化や規制緩和。革新自治体は経済政策については即効性が無い。保守政党は支持層の再編を。国民の声に耳を。高度な組織制。官庁とタッグを。町内会はその自主性を強調、要求に前向きに。環境福祉政策にも積極的に。自民党システム。80年代に明確に。財政支出の拡大。国債発行残高の増加。国家財政を圧迫。90年代では公共事業が、後では社会保障支出が。貧困の予防や生活保護費など。急激に進む少子高齢化。輸入自由化に対抗する為、政治との関係を深める。市場原理の新自由主義。保守層を拡大して盛り返す。90年台には凝集力の低下。中道政党が55年体制を倒す。
大衆社会の到来。背景となった日本社会の変動。地域と家の変動。戦後民主主義の浸透。基本的人権などの強調。地域共同体の問題。産業化都市化。人々の意識が大きく変わる。跡取りは親が決めるべき、の割合の低下。夫婦単位で別々に暮らす傾向。生産の場と消費の場が分離。都会に人口が流入。過疎化の進行。家業的要素から工場へ。大企業による大量消費。親の職業を継承せず、廃業が増える。地域の共同体の維持は困難に。新中間層は職業を残すことが出来ない。自らキャリアの形成を。本格的な大衆社会へ。学歴の高まり。大量生産大量消費。情報の画一化。総中流化。第三次産業への集中、社会の平準化。個人主義の発達。価値観の多様化。自己実現。少子化の傾向。個人の自立の進行。長引く経済不調。環境は厳しく。個人だけでは生活困難に?様々な試みが。
73年までの高度経済成長時代。生活環境問題が。革新自治体。80年代まで。

 

日本の近現代―交差する人々と地域 (放送大学教材)

日本の近現代―交差する人々と地域 (放送大学教材)

 

 

高さ。

大昔にパソコン通信というものを使っていた時、愛用しているのはAirCraftという通信ソフトだった。書籍の1番目に紹介されていたので勇んでインストールした。自動巡回してフォーラムの会議室の発言を時間を忘れて読んだり、レスポンスの投稿をしたり、RTというチャットを真夜中にしたりしていた。まだ若かったので体力もあったのだろう。更にはフォーラムのミーティングの為に大須や秋葉原に行ったりもした。パソコン通信も段々と人が減っていったのは残念なことだった。ちなみにAirCraftの意味は、飛行機。空高くからパソコン通信を楽しめたのは懐かしい思い出。

私立中学。

この前は公立中学について書いた。私の時代には私立中学という選択肢は少なかったけれど、現在は多様な学校がある。学費はかかるけれど、高校入試を受けずに済むのはメリット。長期的な視野にたった教育が受けられるだろう。それに、イジメなどのトラブルがあった時に、相手を追い出すことが出来るのも長所だと思う。公立中学ではそうはいかない。

中学入試の準備は怠り無くしなければならない。塾が必須らしいが、時間と費用は嵩む。スポーツクラブなどに入っていると両立も問題になる。子供の学校生活は、家族のこれからに影響する。事情は様々で正解は無いので、各家庭が考えるしかない。そして私立中学は多様であり、何処に進学するかでも違ってくる。まあ昔と違い、internetや説明会はあるし、各中学に問い合わせれば色々教えてもらえるかもだけど。

学制改革の混乱と教育課程改革(戦後日本教育史第5回)

この時期の教育課程にについては、時代の前後との比較をして把握しておかなければ。

633制。学制。新制と旧制。学制改革。戦前の学校制度と比較。教育課程改革。子どもたちの世界は?
46年3月の勧告。47年に学校教育法。法体系を改める。単一化。新制の学校として発足。学校系統図。中等教育段階の学校は複数の系統。複線型学校制度。分岐型。フォーク型。高等教育への進路が限定されている。義務教育以降の学校で進路が決定。現在でも諸外国に。戦後。中等教育は中学校と高等学校に。大学に一本化。単線型学校制度。学校系統図はsimpleに。目的は教育の機会均等。学制改革の構想は戦前から議論されてきた。日本側に基盤の形成。中等教育については43年に中等学校令により一本化の議論。教育刷新委員会。天野貞祐。GHQの強制は無かった。633制については委員の全ては賛成だった。GHQと改革の方向性が一致。
新学制の実施。短期間での実現には多くの課題が。新制中学校の教員充足率は81%。新制高等学校はその殆どが旧制中学校の転用。重視されたのが学区制、総合制、男女共学の高校三原則。格差是正を。できるだけ地域の学校に。大規模に。ただ地方では困難。実情を無視したところも。私立の高等学校では三原則は適用されず。多くが男女別に。中学校を併設したところも。
47年4月。文部省は最初の学習指導要領の一般編試案。22年度版。教育の目標や指導要領。各教科編の学習指導要領の刊行も。児童や社会の要求をどのように満たすか。「試案」に注意。法的な拘束力を持たない。教師が自分で研究する手引書。歴史上大きな論点に。戦前とは違い児童中心主義への転換。自由研究などの9教科。国史地理の代わりに社会。家庭が5年から。自分たちの社会に適応。社会生活を理解させる。新教育課程は社会科を中心に。花形教科。中学校の教育課程。選択教科。職業科が必修の一つに。高等学校。国語社会体育を必修。26年度版にも引き継がれる。「試案」。手引書。教育課程と改める。保健体育。児童の生活経験を重視。経験主義的教育論の影響。
社会科。道徳教育との関係が問題。修身科廃止を前提として道徳教育の検討を。公民教育。公民科の設置を検討。46年5月以降、GHQは社会科の設置を求める。主な理由。指導書が類似。社会科はソーシャルスタディーズが基。総合教育。経験主義的教育論。社会科は公民科と性格を異にする。戦前までの道徳教育が教育課程から無くなる。根本的な課題に。道徳教育は全教育課程で。天野貞祐。文部大臣。元々はカント研究者。修身教育は必要。教育の目的として。いわゆる修身科復活問題が。社会科を一つの契機として道徳教育を。50年12月の世論調査。復活に64%が賛成。51年。道徳理念。戦後教育改革の積み残した課題の解決を。問題契機は結局は実現せず。その後の歴史においても度々問題に。道徳の時間の設置。中教審の期待される人間像。
民間でも50年代の初めにかけてカリキュラム論争が。地域社会の実態を踏まえて。48年にはコア・カリキュラム連盟が結成。子供の興味関心を軸に。コアとなる中核過程と周辺とを統合。子供の社会的発展。生活単元学習の方向性。無着成恭。51年に「山びこ学校」。農村の貧困。学級の2割が家の仕事で欠席。自分の名前の字が書けない。現実の生活について討議、綴方教育。理念と趣旨がどれだけ浸透したか?自由を持て余す?
子どもたちの世界は?「東京キッド」。美空ひばりが主演。4000人?の浮浪児。戦災孤児。靴磨き。戦争の爪痕は生々しかった。子どもたちの生命力。右のポッケにゃ夢がある。新しい時代の空気が徐々に浸透する。巨人大鵬卵焼き。力道山。空手チョップ。街頭テレビの人の多さ。時代の熱気と躍動感。廃墟から立ち直る自らの姿を重ねる。赤胴鈴之助。月光仮面。少年マガジンと少年サンデー。手塚治虫。今日の漫画アニメの隆盛を。49年に湯川秀樹がノーベル賞を。多様な文化。戦争の痛手から回復。

 

戦後日本教育史 (放送大学教材)

戦後日本教育史 (放送大学教材)

 

 

偶然。

セレンディピティという概念がある。偶然に良いことに出会う、の意味があるようだ。成功者がセレンディピティで成功のキッカケを掴んだ、というのはよく聞く話になっている。しかしあくまで偶然のことなので、どうやって掴むのかは謎の部分がある。行動すること無しには掴めないとは言われるが、具体的な内容についてはよく分からない。そもそも行動なんて、誰でも何かしらは為しているものだし。結局は懸命にもがくしか無いのかもしれない。そう思うようになって、最近は成功哲学の本も紐解かなくなった。不味いかもだけど。