F-nameのブログ

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不当な行為。

不法な行為、とは少し意味が異なる。不法は文字通り、法に反すること。明らかになれば法的なsanction、制裁がある。不当な行為と言うのは、必ずしも法に反することを意味しない。即ち、法違反が無くても不当になり得る。法的なsanctionは課すことが出来ないけれど、非難などの行為はすることが出来る。そもそも法律に違反する行為は限られる。法に反する行為というカタログから漏れるものもあるだろう。だからと言って問題にならないとは言わない。まあ法律至上主義者という、法学部の学生に極たまに居たような種類の人間は、不法でなければ良いと嘯くけれど。

赤ちゃんの高熱。

同じビルに勤めている方で、共働きで赤ちゃんを育ててはる夫婦がいる。お仕事の時には保育所に預けてはるのだが、高熱が出たりすると引き取りに行かないといけない。昨日も38度の熱が出たということで、一方の方が早退されて引き取りに行かれた。病院に連れていったのだが、41度の熱が出ない限りは大丈夫だと「御託宣」があったという。かなり不安に聞こえる。大昔の水銀を用いた体温計には、目盛りが42度までしかなかった。それには意味があって、体温が42度になると、脳内がショートを起こして生きていられなくなるからだということだ。私も40度以上になった経験はない。人間が生きているということは、微妙なバランスで成り立っている。差し当たり熱が下がるよう祈るばかりだ。

自死遺族の社会的支援(臨床家族社会学第12回)

自分の周囲の人間の死を受け入れられない自分が居る。人間として自然なことだけど、きちんと死について語る必要もあると感じる。

 

死因による死の序列化。封印された死。マクロ臨床の観点から。封印を解放する為には?どのような社会的取り組みが必要なのか?
自死は受け入れられない人の死。問いかけて根源的不安を?死を忘れる社会。メメント・モリ。
自死の歴史。多くの国で。昔のカトリック社会では人間の勝手な判断で死ぬのは許されないとした。自死者の遺体は埋葬されないなどがあった。社会一般が自死に厳しい。「ライムライト」。14年のロンドン。過去の栄光にすがる道化師。自殺すると刑務所行きだよ。自死は刑事事件として扱われた。53年に至ってロンドンで「いのちの電話」。自死の制裁が社会にあった。死にたいほどの悩みを。現代の日本でも。自死するのは弱い人間?個人の性格などに帰する傾向。オープンに語られるのが憚られる。望ましくない死。ゴシップとして語られる。様々な思いを口外するのが憚られる。腫れ物に触るような。先回りして考慮して、自死を伏せたりする。嘘で固めた人生。遺族のEpisodeが。きちんと周囲の人と悲しむという情緒的活動が出来ない。カミングアウトの魁。02年の「自殺って言えなかった」。自責感を一人で背負う、個人の心理的問題では済まされない。社会問題と考え支援が必要。
昨今では死に方が問われる時代に。超高齢化社会やターミナルケアの問題。卑近な例ではエンディングノートの書き方。事務手続きに比重が偏る。死という問題時代を遠ざけてきた。日常生活では死は縁遠いと考えることが出来る。死は見えづらいものに。20世紀の100年間で乳幼児死亡率は劇的に下がった。30年代から急速に低下。公衆衛生の向上などが要因。15歳になるまでの15才児生存率。現代では99%に。昭和期では4人に1人死んでいた。死というものを考えなくて済む社会に。最後は畳の上で、という願望。色々な思いが詰まった自宅で。畳死願望。最近では12%。ほとんどが施設死。自宅で看取ることは難しい。あたかも死は縁遠いものとして済ませられる。死は生命のおまけ程度として貶められている。恐山の住職。降霊行為、イタコ。口寄せの降霊信仰。現在の社会では死者の居所が無くなっているから。自死と遺族の問題。死者との間が、この世とあの世の距離が遠くなってしまったのでは?東北の農村調査。田んぼに土盛りした墓が。生き変わり死に変りしてうつ田かな。連続性を感じさせる。漁村でもご先祖様が見守っている。生者と死者の交わりは日常的だった。お盆。感謝と供養。彼岸に送り返す。初盆。生者と死者の濃密な交わり。死は単に生の終わりという感覚になってしまった。「千の風になって」。多くの人に鮮烈なインパクトに。死者の私は一緒に居るのだから。総じて現代社会では、死は黙殺されている。しかし脳死判定やターミナルケアなどの問題も。しかし専門的なもの。死を巡る物理的なもの。メメント・モリとは次元の違う話。ラテン語。生は死を通してよく見えてくる。私たちは死から逃れ得ない。医学医療の発達などで、健康の恩恵を受けてきた。しかし健康に関してこれほど怯えている世界も珍しい。逆説的な。自死については好意的に扱われない社会。
マクロな対策的臨床。自死問題は社会問題である。プロセス理解。死にたいは生きたいの声。自死は個人的なもの?しかし社会によって変動しうる。ストレス脆弱性モデルだけでは無理。鬱病と自死の間に因果関係はあるが、鬱病対策だけでは不充分。自死念慮を対象にした自死介入政策。十数年ほど前からの第三の局面。自死の発生後。ポストヴェンション。関係者を対象としての事後対応。社会的な関心は平成10年以降。少しずつ風向きが変わり始めている。若い遺族が語り始めている。徐々にしかし確実にカミングアウトが。シンポジウムなどで体験談を話すのも珍しくなくなった。死者への向き合い方も変わっていく。少数例とはいえ明るい社会に送ろうとしている霊安室も。浄土。在宅物理介護。死者の尊厳の問題。死者への敬意。御遺体。根源的な死を巡る問いも。自死の事実をありのまま語り、周囲と共有する。どのように考えたら社会の壁を破壊出来るのか?自殺対策のベースに。あらゆることが自死対策に。社会システムの改革でさえも。

 

臨床家族社会学 (放送大学教材)

臨床家族社会学 (放送大学教材)

 

 

忘恩。

私が何か恩恵を施したから、恩を感じていて見返りをしてくれる筈だ。そう考えるのはやめた方が良いと、カーネギーCarnegieは「道は開ける」で書いている。恩知らずを予期せよ、と。聖書には、イエスキリストに救われながら、全く彼を助けることがなかった人間がやたらと登場する。なのでイエスキリストで無理なことを、凡人が期待すべきではない、ということ。確かに恩に報いることを為している人間は少ないだろう。自分自身のことを顧みると、他人に期待するべきではない。ただ、そこまで達観できるのは、絶望感を味わうことと同じことかもしれない。ううみゅ。

阪急三番街のバーゲン。

阪急梅田駅下の阪急三番街では、今日からハーゲン、じゃなくバーゲンbargainが行われている。

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私は00年前後に阪急三番街で施設警備の業務に携わっていた。当時は夏のバーゲンとなると気合いが入っていて、開始日の前日はわざわざ休業日にして、商品搬入などを全店でやっていた。警備員も動員して出入管理をするのだが、朝イチには搬入業者が並ぶことも。巡回をしていても従業員の方々は大忙しの様子だった。bargain当日の開店前には、お客様がシャッター前に沢山来館されており、一気に来られても将棋倒しになる恐れがあるので静止するのに必死。当時は今ほど商業施設もなかったので、三番街にも集中していたのだろう。最近は足を運んでないので、どうなっているのかは分からないが。ちなみに阪急三番街は出来てから50年になる。

自死遺族の困惑と苦境(臨床家族社会学第11回)

ある親族を、半ば自死のように私は失っている。忘れることで何とかしてきたけれど、きちんと悲しむことが出来ているのか疑問に思えてしまう。

 

別れの日。それから始まる物語。宙ぶらりんの状態に。感情体験。グリーフと呼ばれる感情体系。喪失体験と悲嘆体験。どのように乗り越えていくのか。
自死は思うより身近。お悔やみの場で話題になることは少ない。僧侶にも伝えないことは少なくない。タブー視。きちんと語り継ぎたくても無理なことも。封印された死。何故自死の場合だけ事実が隠されるのか?自らを殺すこととみなされる社会的非難。格付けや偏見。年間3万人の自死者が出た。国もようやく取り組みを。「自殺って言えなかった」。育英会遺児の中でも言いづらかった。模索中だった。遺児青年はどれほどの不安を抱えてカミングアウトしたのだろうか。死の序列化。劣位に位置づける。強大な社会の壁として。
情緒的苦悩。さよならのない別れ。受け入れるにはあまりに不条理。別れと苦悩は、動機が曖昧なことから。最後にさよならも言えなかった。悲嘆。真正の鬱病になることも。次元が違う。何故、どうして?自分だけが生き続けていいのだろうか、という疑問。自分たちの関係性を整理出来ない。人生の時計が止まってしまう。情緒的に動揺することも。タブー性故に、孤立感、孤独感、無力感が。吐露された相手の反応にも。非難めいたことも。決して人には話せまい。自分の感情を押し殺す。ぎこちない孤立感。怒り。大切な家族の死について自由に語れない。自死への社会の厳しい眼差し。
どのような社会的な取り組みが?長い間放置されてきた。国や自治体の支援は最近になって形作られるようになった。幾つかの民間団体。分かち合い、集い。互いの思いを語る。なんとも得難い砂漠のオアシス。人目を忍んで。大学図書館の地下で。知られずに済むから。封印するよう社会的眼差し。語れない思いを吐き出し、出会いを通じて仲間になっていった。安心して語っていいのだ、という単純な思いもがけない発見。抑えてきた思いを語る意義。情緒的不能は不条理な体験をどう受け止めるのか、という難問に。これからどう生きるのか、生き続けていいのか、という深遠な疑問。インターネットでのホームページ。プロセスの説明。東日本大震災での語り。多くの人がいちばん大事なものを流されたという体験。心理的な喪失感。未だ整理がつかない苦悩。小さな教育的取り組み。綴り方教育の伝統を引き継ぐ。語ることで得体の知れないものが見えてくる。不可解な体験は、ゆっくり言葉にすることによって輪郭が少しずつ現れてくる。自分の中でつぶやくのでなく、他者に発信するということ。双方向性。意味の輪郭が。語り手の体験の意義は聞き手で変わってくる。オーディエンスの存在。語るのを抑止されれば輪郭など望むべくもない。さよならのない別れ。語り手と聞き手の相互作用のプロセス。語り合いや集いの中核に。聞き手の反応の中で。
命の詩人。語りのもう一つの例。「別れてそして」自死遺族を意識したものではないが、遺族に響くものがある。あすもあなたにあいにいく。大阪城公園。全国で弾き語り。背景は?阪神淡路大震災。毎日ボランティアに入っていた。6年後に七回忌展をやってほしいと。元気づける詩が生まれないかと。心の中から。取り戻せない不意の別れ。別れてそして始まる物語。当初は自死遺族に限っていなかった。自死遺族に出会う。家族を2人も自死で無くした方。夫の自死の7年後に息子も自死。失意のどん底にあった人は、心の叫びが書かれていると。保健師さんに誘われて、帯広に自死遺族の集まりに。何か出来ることは無いか?支え続けたとしたら、その人の為にハガキのデザインを。去年9月に北大で個展を。宗教とセラピー。人に対して支えになる。弾き語りや絵葉書が。変わっていく第3の道。詩を生み出した自分も元気を貰える。封印された死の扉を開ける。専門家や行政の人は、なかなか封印の解除が出来ないかもしれない。語っていいんだ、という思いを。書き写してずっと持っている人も。夫の自死の後に9年後に娘も自死を。生きてていいんだ、語り続けていいんだ。悲しみに咲いた小さな花。別れてそしてそこから始まる物語。カウンセラーをしている。絵葉書を届ける。届いた時は娘の翔月命日の死亡推定時刻に。娘の仕業だと笑ってくれた。彼女の新しい扉を。広辞苑で「かなしい」、は、哀しい、悲しい、愛しい。人生を抱きしめるような思い。花咲ばばあと自称。生きるということ、悲しむ哀しむことと愛することとは同じ。「ありがとうとごめんなさい」。「命の四季」。

 

臨床家族社会学 (放送大学教材)

臨床家族社会学 (放送大学教材)

 

 

不誠実。

女性にとり、不誠実な男と交際を始めると困ったことになる。嘘なんてつかれたくないけれど、なかなかそれは分からない。二股三股をかける男もいる。それから金をせびる人間も。気が付いたら泥沼にハマっている、ということになる。そういう男は、男性にとっても敵である。交際の可能性がある女性の範囲が狭まるのかもしれないから。たまに武勇伝として、女性にとり不誠実な行為をして、「遊んでやった」などと自慢する男がいる。差し当たりそういう人間とは距離をとるようにしている。もしかしたら未婚化の一因なのかも。ううみゅ。