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自死遺族の社会的支援(臨床家族社会学第12回)

自分の周囲の人間の死を受け入れられない自分が居る。人間として自然なことだけど、きちんと死について語る必要もあると感じる。

 

死因による死の序列化。封印された死。マクロ臨床の観点から。封印を解放する為には?どのような社会的取り組みが必要なのか?
自死は受け入れられない人の死。問いかけて根源的不安を?死を忘れる社会。メメント・モリ。
自死の歴史。多くの国で。昔のカトリック社会では人間の勝手な判断で死ぬのは許されないとした。自死者の遺体は埋葬されないなどがあった。社会一般が自死に厳しい。「ライムライト」。14年のロンドン。過去の栄光にすがる道化師。自殺すると刑務所行きだよ。自死は刑事事件として扱われた。53年に至ってロンドンで「いのちの電話」。自死の制裁が社会にあった。死にたいほどの悩みを。現代の日本でも。自死するのは弱い人間?個人の性格などに帰する傾向。オープンに語られるのが憚られる。望ましくない死。ゴシップとして語られる。様々な思いを口外するのが憚られる。腫れ物に触るような。先回りして考慮して、自死を伏せたりする。嘘で固めた人生。遺族のEpisodeが。きちんと周囲の人と悲しむという情緒的活動が出来ない。カミングアウトの魁。02年の「自殺って言えなかった」。自責感を一人で背負う、個人の心理的問題では済まされない。社会問題と考え支援が必要。
昨今では死に方が問われる時代に。超高齢化社会やターミナルケアの問題。卑近な例ではエンディングノートの書き方。事務手続きに比重が偏る。死という問題時代を遠ざけてきた。日常生活では死は縁遠いと考えることが出来る。死は見えづらいものに。20世紀の100年間で乳幼児死亡率は劇的に下がった。30年代から急速に低下。公衆衛生の向上などが要因。15歳になるまでの15才児生存率。現代では99%に。昭和期では4人に1人死んでいた。死というものを考えなくて済む社会に。最後は畳の上で、という願望。色々な思いが詰まった自宅で。畳死願望。最近では12%。ほとんどが施設死。自宅で看取ることは難しい。あたかも死は縁遠いものとして済ませられる。死は生命のおまけ程度として貶められている。恐山の住職。降霊行為、イタコ。口寄せの降霊信仰。現在の社会では死者の居所が無くなっているから。自死と遺族の問題。死者との間が、この世とあの世の距離が遠くなってしまったのでは?東北の農村調査。田んぼに土盛りした墓が。生き変わり死に変りしてうつ田かな。連続性を感じさせる。漁村でもご先祖様が見守っている。生者と死者の交わりは日常的だった。お盆。感謝と供養。彼岸に送り返す。初盆。生者と死者の濃密な交わり。死は単に生の終わりという感覚になってしまった。「千の風になって」。多くの人に鮮烈なインパクトに。死者の私は一緒に居るのだから。総じて現代社会では、死は黙殺されている。しかし脳死判定やターミナルケアなどの問題も。しかし専門的なもの。死を巡る物理的なもの。メメント・モリとは次元の違う話。ラテン語。生は死を通してよく見えてくる。私たちは死から逃れ得ない。医学医療の発達などで、健康の恩恵を受けてきた。しかし健康に関してこれほど怯えている世界も珍しい。逆説的な。自死については好意的に扱われない社会。
マクロな対策的臨床。自死問題は社会問題である。プロセス理解。死にたいは生きたいの声。自死は個人的なもの?しかし社会によって変動しうる。ストレス脆弱性モデルだけでは無理。鬱病と自死の間に因果関係はあるが、鬱病対策だけでは不充分。自死念慮を対象にした自死介入政策。十数年ほど前からの第三の局面。自死の発生後。ポストヴェンション。関係者を対象としての事後対応。社会的な関心は平成10年以降。少しずつ風向きが変わり始めている。若い遺族が語り始めている。徐々にしかし確実にカミングアウトが。シンポジウムなどで体験談を話すのも珍しくなくなった。死者への向き合い方も変わっていく。少数例とはいえ明るい社会に送ろうとしている霊安室も。浄土。在宅物理介護。死者の尊厳の問題。死者への敬意。御遺体。根源的な死を巡る問いも。自死の事実をありのまま語り、周囲と共有する。どのように考えたら社会の壁を破壊出来るのか?自殺対策のベースに。あらゆることが自死対策に。社会システムの改革でさえも。

 

臨床家族社会学 (放送大学教材)

臨床家族社会学 (放送大学教材)