F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

誕生日。

Facebookでお祝いのmessageをもらったので返信をする。イチローの背番号と同じになった(歳がバレる?)。内面的に成熟したようには思えない。どうも我々の世代的には似たような傾向がありそう。上の年齢の方々からはそう見られないのは当然だけど、下の年齢の方々にも歳が上には見られていない兆候はありそう。年功序列は崩壊しているのかもしれない。ううみゅ。まあこれから1年も頑張らないといけない。

散髪をしてスタバで読書をした。自宅で出来ないのはあまり良い傾向とは言えない。

基本的社会経済状況(ロシアの政治と外交第1回)

80年代までのロシアが社会主義体制だったことは、近頃の状況を見ていると忘れがちだけど、理解しておかないと認識を誤ると思う。

 

ロシアは謎だ。何故?とっつきにくい。中身も外交も分かりづらい。よく調べれば謎などない?隣なので謎で済ませる訳にはいかない。現状の理解を。他の国の政治や外交と何処が違うのか。ロシアにも特色がある。ソ連の一部だった。社会主義経済。外交でも西洋諸国と真っ向から対立。ソ連からロシアに変わる。特色は無くなった?ソ連共産党が権力を独占していた。選挙で負けることがないシステム。経済でも計画経済というシステム。失業が無くなった。ロシアに変わるとそうした特色は消えた。政治の仕組みなどを大幅に変える。経済の仕組みまで変える。幕末日本より変化は大きかった?議会選挙で政党間の競争。大統領も選挙で。ソ連時代は商品が非常に少なかったが、今はそんなことはない。現在のロシアの政治と外交の特色は?簡単な理解は誤解を生み出す。ソ連という国からロシアという国への変化。変化が起こる前。跡形も無くなる訳ではない。連続している面が目立つようになる。変換を図った人の意図。意図通りになることはめったにないが。転換の過程で生じる社会の。革命家の意図とは異なる変化が起こるのが普通。革命で社会が混乱すると、治安の強化を図る必要があり、警察国家に。財政の立て直しを目指していたのに、上手くいかないことも。政策への社会が示す反応。転換が起こる社会の前の状況を把握すること。
ソ連からロシアに変わった時の社会的変化は?重大な変化。何処から始めたら良いか?経済的な面。80年代後半から。市場経済メカニズムの導入。品物を手に入れることが出来るようになった。家具も自由に変える。車やハンバーガー。物価は1年で10倍に。92年1月からの小売価格と卸売価格の自由化。外国貿易の自由化。国有財産の大胆な私有化。国鉄民営化をもっと大規模に。殆どは協同組合など。経営に責任を持ったりすることが出来ない。私有化して。国民に平等に分ける。小切手を配布。国営事業の株式化で、株式会社に。企業は市場原理に基づいて行動。ソ連時代では計画に沿って必要なものしか作らなかった。私有化のプロセスはその後も続いた。安値で国有財産を売り渡すことも。貧富の差や失業者も。人々の受け止め方は色々。
経済システムの転換は政治にも大きな影響が。多くの人はもらった小切手をすぐに商品に変えた。失業や給料の遅配。不公平感が。50年代以降のソ連は、国家から便宜を受けており、政治権力に忠誠心が。便宜が与えられないと抗議の姿勢。双方が利害を交換する。暗黙の社会契約。国家による情報の管理が厳しかったので、抗議活動を見ることが出来なかった。国家権力に従順?問題は無かった?ヘドミックスミス「ロシア人」。ロシアの内情を。諦めこそ特権階級への姿勢。宿命として受け入れられてきた。諦めが定着。しかし抗議活動をしていた場合もあった。分からなかっただけど。国家の側からの国民への便宜。完全雇用。企業は市場競争に晒されなかったので。初等中等教育は無料に。大学でも奨学金があった。生活一般を支えるサービスの提供。食料品や交通機関。住宅もある程度真面目だと住めるアパートが。歴代の政権が安価な住宅を提供。医療も基本的に無料。利益の一部を国民に還元。国民の面倒を。パターナリズム。選択の自由を制限。提供される便宜を受ける為に、国家権力に従順。国家に対する反抗。便宜を与えないという制裁。住宅を取り上げて移住させる。犯行を考えなくなる。国家のサービスは素晴らしいと考えた。ソ連経済の成長テンポが遅くなり、段々と困難になる。80年代の半ば。ゴルバチョフが改革を。市場経済のメカニズムを少し与え、経済に活気を。しかしなかなか上手くいかなかった。政治改革に。財政難で価格を引き上がる。契約を守れない?従順に服従する必要はなくなった。89年の炭鉱ストライキ。衝撃的。社会に混乱を。経済状態が悪化。91年にソ連の崩壊。民族問題などの問題もあったが。社会的混乱で社会主義経済への信頼が無くなる。経済システムの変更でパターナリズムを維持出来なくなった。特権階級が足を引っ張った?暗黙の社会契約。国民は90年代になっても強い不満を表明。90年代は混乱の時代。00年代は経済が安定する。暗黙の社会契約説は現在に至るまでの国家と国民の関係も説明できる。
経済中心から離れて、都市部と農村部の変化。改革は支持されない状況が?現在への変化はもっと複雑。元に戻すかそうでないか?経済の安定。経済システムの変化が一定の成果?石油の値段が高騰して国民へのサービスの給付が一部復活した?それと異なる社会の変化。生活スタイルの変化。都市部。都市の生活に触れる。マクドナルドのようなファーストフード。外国企業。街の景観は大きく変わった。社会主義経済を目指すよう言われてきた。お説教を聴く必要がなくなった。個人の生活を優先できる。ソ連時代は外国人をアパートに招けば、管理人に注意された。後でとばっちりを。この種の制限は殆ど感じられなくなった。喫茶店でロシア人と話を聴くのは簡単になった。若者などに受け入れられる。欧米の大衆文化に同調。ハリウッドのアクション映画も見られる。外国の最先端の音楽やファッションも。25年前には当たり前でなかった。ソ連時代と全く異なる社会。外国へ大きく開く。満足感。生活スタイルの変化は決定的で急速的。都市部の住民の意識は後戻りしない。社会の後戻りも選択しない。政治で無視は出来ない。生活スタイルの変化で、価値観が欧米人と同じ?歴史観などで形作られる。同じではないと考えるべき。別の変化。ロシア社会が外国に開かれた、経済が安定した。非ロシア人がモスクワに流入。ロシア語を話せるので良き労働者になれる。ロシア社会も人口が減り続けているので、需要が。多くの人がロシアに入国。非合法的にロシアに入国する人が、400万人から600万人。安い労働力でロシア人が失業。社会対立。ロシアの民族問題や外交問題に影響を。ソ連の辺境部に住んでいた人が都市部に。シベリア鉄道の沿線部に集まり、都市部へ。辺境地域に住む人に様々な便宜を与えていたが、実行されなくなった。辺境の過疎化。大きな社会関係に。地域間の経済格差。農村部の変化。90年代の農村部の経済の停滞。都市部の住民には伝えられなかった。制度の変更。コルホーズ。株式会社などとして再変化。個人化の規模は主要なものではない。21世紀になると農民に財政支援策を。国際競争力の維持を。穀物の輸出国になる。財政支援を頼りにする姿勢は続いている。
80年代からの変化は多様で複雑なので全体像は掴めない。社会の底流で流れているものも重要。

 

ロシアの政治と外交 (放送大学教材)

ロシアの政治と外交 (放送大学教材)

 

 

不器用さ。

性格的なものにも使う言葉だけど、手先の不器用さについて。小学校の授業で工作をしたことが何度もあったけれど、ハサミなどを使うのが覚束なかった。得意不得意が顕著に現れ、私以外にも不得意な児童が何人もいた。必然的に時間がかかり、出来た人間はブーブー言ったりもする。肩身が狭い思いを。自閉症との診断をされたこともあるが、関連性はよく分からない。そもそも大昔の診断にエビデンスがあるのかも不明だが。反面、ピアノは練習をすれば弾けたので、種類にも因るのかもしれない。

関係者氏名の公表。

京アニの事件の死亡者氏名を京都府警が公表した。警察が公表する判断をするのは間違いではと思う。公表するにしても京アニサイドから行うのが筋だと考える。遺族にしてみれば、まだ死を受け入れられる段階にはないのでは。そして警察の情報を嬉々として垂れ流すマスコミにも問題があると思う。他の事件でも、公共性があるから云々と言って関係者の氏名を発表し、それを受けてマスコミが増幅する。遺族の心情を無視することは止めるべきではないのだろうか?こういうことからマスコミ不信は市民の間で拡大する。墓穴を掘っていると思えてならない。

公共哲学とは何か(公共哲学第1回)

公共性を突っ込んで考えてみる必要性はあると思う。国家が肥大化しているのだから、公共性を無視しては暮らせない。

 

一般的なイントロダクション。ガイダンス。公共哲学の捉え方。イメージ。比較的学問でも新しい。80年代半ば頃から。公共性への新たな注目。公共や公共性。全体として多様性、豊かさを総合的に捉える。真の公共と言うものはない?ファミリー。決定的に言える定義はない。重要であると仮定して、アプローチ。多様性を保持しつつ一貫性のある理解を。前にあった講義との関係。10という科目の後継。2人の新たな講師を招く。大きな事件が。東日本大震災。公共の問題として捉えるのは当然なこと。それを活かしたい。公共的危機についてどう対応するか。科学技術の民主的統制。あたかも突然だけど。理性的な言葉で捉えて実践と繋げる。学際性。機会があれば10を読み直す。
暫定的な出発点。80年代から。リップマンが55年に著作を出したか。80年代。リオリベラリズム。新自由主義。国家が統制構成。福祉国家。アンチが強く出る。国家政府的なものを減らして、民間に。いわゆる市民社会というものが重要性を増してきた。古い公共性への批判という形で理解。公共性そのものを削減?新たな公共性。市民的公共性。反国家的公共性。ユートピア性がある。権力がある。相克がある。外部に対する権力関係。強制力の問題は常にある。国家というものは定義上強制力を独占。正統性が必要。でなければただの暴力。非国家的公共性。自発性と強制の曖昧さ。ネオリベラリズムの自発性は、本当に自発的なものか?何故公共的な価値が実現されるのか?自発性。私的な利益と公的利益の関係は?私的な利益の集合が公的利益として、何故そうなのか?
公共哲学の哲学の理解。人生上の一貫した考え、世界観?むしろ宗教。専門的な哲学とは違う。専門化が進んで、一部の訓練された者の為の。学問的でありながら専門的ではない。19世紀の学問の以前の総合的学問に復帰しようとする。18世紀イギリスの。日常生活と乖離していない。バーリン。常識、コモンセンスと乖離しないけれど、そのものではない。
常識と乖離しない哲学。ソクラテスに帰れ。吟味なき生は生きるに値しない。批判的になれ。公共哲学には批判性が必要。批判って?2人の思想家。ジェームスパリー。ハバーマスやロールズのような積極的提言を認めるが、否定的なものも重要。ウィトゲンシュタインやフーコー、スキナー。日常生活を哲学的に反省し、歴史を辿る重要性。人間と人間歴史の関係、ガバナンス。権力の生成と背景としての実践。客体のみならず権力の主体ともなっている。どのような力関係を生み出すかの分析が必要。様々にある権力間のぶつかり合い。表している言語を批判的に。ウィトゲンシュタイン的。実際の実践を反省。深く理解する為に歴史学的系譜学的方法を採用する。過去の選択や偶然の結果としてニーチェやフーコー。他にもありうべきなのに今の状態になっているという意識を。可能性の理解を。選択肢の可能性に繋がる。考えが及ばないと、選択肢が無いと思いこんでしまう。批判的な公共哲学。他の可能性を探す。一般市民も出来る。実践理性。デモクラティックな考え方。マイケル・サンデル。公共哲学を流行りにした。アメリカにおける公共哲学。社会の実践に暗黙理に含まれている。公的な生を特徴づける市民としての生き方。シティズンシップ。政治理解が前提。理論的な対象としての一般性と、実践の中にある特殊性。2つが問題。文脈性。20世紀アメリカ社会が抱える深刻な問題を理解。公的な生活が直面する不安とフラストレーション。代替案を出そうとする。父の喪失とコミュニティの衰退。運命に責任を持つ。それが失われている。批判対象としての公共哲学。ジョン・ロールズの理論。批判対象を同定し代替案を。共和主義。伝統の中にある、リベラリズムを代替。ロールズとマッキンタイヤー。伝統の再評価。ロールズ的なリベラリズムは、コミットメントを弱めてしまう。市民的な生。経済的不平等に対する代替案。応答。理想を与える。単なる否定でなく、肯定的なビジョン。偶然性と他の在り方の可能性を求める。一つの手がかりが伝統。伝統主義者の伝統だけではない。様々なポテンシャルが。公共という言葉はプライベートというのとセットになる。公と私の関係の揺らぎ。理想の追求は批判性と両立しなければならない。独断的な理想に冷めた目で。
全体の構成。最初の5回。政治理論の立場に強く依拠。リベラリズム。6回から9回。政治理論の立場だが、伝統的な公共性から離れた新たな理論。現代の公共性。アーレントとハーバーマス。10回から12回。公共経済学から。より伝統的な。資源や伝統を無視は出来ない。政治理論の影響で変わってきている。相互関係。13回14回。科学技術社会論。それにおける公共性。不可避な問題。15回。国際的なグローバルな公共性。実際の生活はネーションを超えている。公共哲学や公共性という言葉を何時頃から意識し始めた?90年代後半から。幾つかの問題が。公私の境界線についての問い直し。国家による公共性の定義の仕方に批判が。松下圭一。政府の行う事業だから公共性があるのではない。問い返す必要が。政府事業と呼ぶべき。フェミニズム騒動。家の中のことは非政治的な。ドメスティックバイオレンスは公共的不正義。男性社会の問題。介護、ケア。自己完結的なものから介護保険で社会化に。社会がまとまっていない、分断化し始めている。3分の2社会、3分の1社会。勝ち組負け組。社会の分断は進んできている。居住空間を囲い込む。社会の分断化に対して社会の統合を取り戻そう。ナショナルなものはパブリックなもの?「公共性」を00年に出した。公共性と言う概念があった。アーレントとハーバーマス。90年代より前は?オープンネス。公共圏。意見交換の開かれたネットワーク。融通無碍な議論空間。公共的な価値を。法や政策の評価基準としての公共性。国家の強制力で実現させなければ。私的な価値はそうではない。20世紀前半、公共的なものについて否定的。リップマンの「世論」。公衆というものは存在しない。判断能力を期待することが出来ない。否定的な見方を書き換える。アレントやハーバーマス。意見と意見との交換で形成。そうやって判断を行った方がまとも。90年代に。自己責任論が広まる中で、問題をどのように扱うことが出来るか。自分の考えを育む。批判的を噛みしめる。

 

公共哲学 (放送大学大学院教材)

公共哲学 (放送大学大学院教材)

 

 

威厳。

父の威厳というものが、私の子供の頃には存在していたように思う。勿論、子供達に付き合ったり物を買い与えたりすることもあったけれど、無理と思えば厳然と拒否する。言葉無しでも子供を黙らせることが出来る、そんな雰囲気があったように感じる。今の時代の父親には、昔あったような威厳を持つ者は殆ど居ないのではないだろうか。父は黙って威厳を保つべきだとの主張を見かけることはあるけれど、一種のノスタルジーみたいな感覚は否定しようもない。何故に変化したのかは分からないが。

高槻での休日。

昨日は京都駅近くのクリニックに早起きして行ってきたので、診察を受け薬を貰えば帰宅するつもりだった。けどクリニックの窓口で、自立支援医療の更新手続が必要と指摘される。市役所に行かないといけない。勤務前にしようかとも思ったけれど、手続に時間がかかるので早い方が良いと判断し、市役所に行く。道のりは暑かった。

市役所1階は改装され、電光掲示板が真新しい。

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順番待ちのカードを取る機械も新調されている。

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システムを変更して効率が上がったせいか、直ぐに順番が来て手続を済ますことが出来る。差し当たり医療費が一定の額に抑えられるのは有難い。

JR高槻駅に戻り、構内のサブウェイでサンドイッチを注文する。注文のシステムには習熟を要するかも。ヘルシーで美味だったけれど。

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