F-nameのブログ

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阪急淡路駅。

通勤途上で最寄駅に着くと、出発する筈の電車が動かない。放送では淡路駅で人身事故があったと。無事なら良いけれど。差し当たり最寄駅は淡路駅から遠いせいか、少し待つと出発した。なので私にとり大過はなかった。ただ、もっと長い距離を乗車する人間は大変だったのではないだろうか。

淡路駅というのは阪急にとり要衝である。梅田河原町間の京都線と千里線が交わり、千里線は堺筋線に乗り入れる。故に乗換客も多い。けれどホームの幅は広くないので結構危ない。そして線路が平面交差しているので到着に待たされることがあり、すっかりボトルネックbottleneckになってしまっている。現在は淡路駅周辺を高架にして、方向別に上下を分けることになっている。まだ完成までには日時を要するだろうけど。

美術(美学・芸術学研究第5回)

絵画のジャンルに序列があった(というか教授にとっては今でもある模様)のは意外に思ったが、肯けるところはあった。

 

一般理論の上に立って各論。Leonardo da Vinci。絵画を軽蔑する者。創意工夫を軽蔑すること。絵画という自然の正統な娘。自然が目に見えるあらゆるものを生み出し、それから絵画が。自然の孫娘。神の血筋をひく。絵画という芸術はミーミーシス。正統的なヨーロッパ美学の本領。絵画は学問。哲学的で創意工夫に満ちた。レオナルドだけの思想ではない。プラトン以来18世紀まで。万能の天才であることは事実だが、レオナルドだから芸術が学問だと言ったのではない。画家であるが故に芸術は学問だと言っている。レオナルド以外の画家も、他の種類の芸術家も。自然こそが学を産み、画家が孫娘。芸術は学である。芸術は世界の本質を。芸術以外の他の学問。世界に対するアプローチ。知的な用語を使いながら。芸術は物を用いて迫っていく。迫っていく先の向かう先は芸術と学問は同じ、世界。
レオナルドが非常に力を込めた絵画について。ジャンルに序列が。現代人にとって訳のわからないもの?18世紀までの古典主義。序列。一番は歴史的主題を用いたもの、歴史画。2番目は肖像画。3番目に風俗画。4番目に風景画。最下位に静物画。無生物を。価値の序列。何故?学であることの結果。絵画が描く主体が教養のある者でないと描けないのかどうか。ギリシア神話や聖書の記述を知らないと書けない。知性がないと分からないという前提。世界についての理性と知識が無いと分からない。学問。不当にも思える序列は、学問であることの自然な産物。「芸術は世界の力である」。から。第5章。風俗画について。美術の用語について誤解をされがち。現代の日本ではともかく、風俗画は、ジャンルの絵画、という意味。歴史画ではないすべてのジャンルの。現在では権力者ではない無名の市民の姿を描く絵として。歴史画。肖像画。かつては王侯貴族などの権力者たちを。風俗画は無名の庶民の姿を。風景画。静物画。序列を為している。それにも意味がある。世界の本質。多様な在り方を。知的能力を駆使しなければならない世界もあればそうでない世界も。ホメーロスとイーリアス。キリスト教の物語。歴史上偉大な人物を。難しい世界を描くが上に。肖像画。成功を収めた者を描く。市民であっても人間であるが故に悩み複雑な人生を。風俗画。風景画や静物画は目の前を描けば良い。5つの序列に全面的に賛同している訳ではないが。18世紀までのヨーロッパの美学理論においては厳然と序列が存在。学であることの結果。
彫刻。絵画が世界の本質を表す学であることは彫刻にも妥当。彫刻も学。ギリシア彫刻。ミロのビーナス。美術史学において最も高名なのはラオコーンという作品。バチカン市国に。ラオコーンの物語。トロイ戦争。ギリシア軍のトロイの木馬の計略。負ける方の側も見抜いていた者も。神官ラオコーン。正しい指摘をしたが、ギリシアの神々はギリシア側を応援した者も。ラオコーンを殺しにかかる。定型詩。韻を踏んだ。日本語の韻に訳している。トロイアの人々は撤退したと思った。トロイア城の壁は神が作った。10年も戦争していて疲れていた。祝いであの木馬も入れようとした。神官ラオコーン。七五調。ギリシアの兵士が入っていると。蛇が。2匹の大蛇。陸上に上がってラオコーンを殺す。息子を殺して父も締め上げる。彫刻したのがラオコーンの彫刻。文明性を余すこと無く伝えている。理性的とは全く異なる?親子3人がぐるぐる巻きになって。ヘレニズム美術。激しい感情表現。彫刻されているラオコーンの感情表現。ミロのビーナスも。永遠化することに成功している。都市国家の滅亡を防ごうとする。神の怒りをかって。人間が生きていく上でぶつかる文明的なもの。劇的に物化されている。ギリシア悲劇を市民全員で見ていた市民主義的なポリスの世界とは全く違う。共同体が消え去ってしまった後に生々流転する只中に個人として生きていかざるを得ない。個人の力で生きていく世界に相応しい。クラシック期に作られたのではなくて。ヘレニズム期に。激動の劇的な表現。彫刻作品、あの時代の劇的な世界の本質をミーミーシス。ミロのビーナスもヘレニズム期に。身体が正面を向いているのではなく捻っている。かなり強く。ヘレニズム期の特徴。劇的な表現はないが。その度合は少ない。ラオコーンに比べればクラシック期に近い。クラシックとヘレニズム両方の特徴を持っているのは、メディチのヴィーナス。18世紀までは素晴らしい古典の典型例とされた。小さい模型が販売されていてそれを見て勉強していた。ギリシア古典の典型。エロティックな。ローマでは非常に評判になったのでフィレンツェに。非常にエロティック。低俗なわけでも卑猥なわけでもない。エロティックは人間の生き様の重要な部分。何もいかがわしいものではない。低俗でも卑猥でもなく充分正統に、真正面から扱う。古代ギリシアからずっと存在。連綿と続くエロティズム。18世紀におけるまで重要。女性の身体の美の一原型。来世ではなくて現世における降伏の一源泉としての。ロココ美術の特徴。ヘレニズムのロココ。現世的なエロティックな女性像。古典的彫刻作品は様々な本質を。彫刻と言っている場合に。彫る彫刻と流し込む彫刻。流し込む彫刻も本質を表現していることに変わりはないが、殆どが大理石しか残らなかった。金属は溶かされて武器となった。ポセイドン。ブロンズ作品。海の中に沈んでずっと海底にあった。青銅器。彫刻も世界の本質を表現。芸術は、広く言って美術においては、学である。世界を表現。古典であろうが現代であろうが。現代的な彫刻も現代的な絵画も同じ。Leonardo da Vinciが万能の天才であるが故にではない。レオナルド以外の他の人間も世界の本質に迫るもの。ルネサンスに限らない。美学理論の歴史でも18世紀まで。芸術は世界の表現、世界の学。美術作品は視覚という点で、物という面において感覚的な道を通りながら、理性を通して世界の真を表現。文学や詩においても。世界は本当に多様。その様々な本質を。芸術も多様。多様極まりない様々な芸術。それもすべて学。

 

美学・芸術学研究 (放送大学大学院教材)

美学・芸術学研究 (放送大学大学院教材)

 

 

隷属。

「隷属への道」を書いたのはハイエクという経済学者である。ただ、経済学というより政治の議論で取り上げられることが少なくない。社会主義が最先端の政治理論とされていた時代に書かれ、異端の考えとされている。要は社会主義という中央集権の政府は、自らの権力で人々に隷属を強いるようになる、という論理展開をしている。今にしては当たり前の話だけれど。社会主義を標榜する国家も資本主義の要素を取り入れている。ただ社会主義が復権しないと断言することも出来ないので、「隷属への道」の意義は失われることはないだろう。

下手な宣伝。

昼休みにコンビニに居ると、脂肪と糖に働くとか言う健康食品(と言って良いのかは分からないが)の宣伝が流れている。それも頻繁に。店内放送で流すのは一向に構わないのだけれど、ある女性タレントがやたらと商品名に節をつけてというか、メロディmelodyに乗せて歌っている。俗に言う音痴ではないのだろうが、あまりにも下手に聞こえる。CMの最初にわざわざ名前を名乗っているが、私が担当なら、それだけで起用を疑うレベル。宣伝をするなら、もう少し洗練された形で流して欲しい。アメニティamenityの発想はないのだろうか?ううみゅ。差し当たり当該商品は買う気になれない。この点でCMを流した効果はないであろう。

ヘルスリサーチにおける質的研究(ヘルスリサーチの方法論第5回)

質的研究については、理論につき突っ込んで理解する必要がある。研究論文を読むのにも有益。

 

領域形成。歴史的展開。当事者と医療従事者などを含めた。広く健康に関する。深い関連性。質的研究は横断アプローチ。80年代以前から社会学や文化人類学が。様々な下位領域が形成。「質的研究ハンドブック」「質的研究入門」。歴史的系譜。人類学社会学の古典的研究を。歴史について。知識として押さえる程度で。領域論について深入りの必要なし。多様な個別的方法がある。個別の研究法から。質的研究は固有の研究領域。横断的に。様々な認識論や研究法。明らかにそれ固有の理論、パラダイムがない。使用法や意味は分散。フィールドの基本定義についても合意は難しい。カルチュラル・スタディーズなど。定義をしなければ議論できない。多元的なパラダイム思考。マルチメソッドアプローチ。元来政治的であり、倫理的政治的立場に。2つの緊張。解釈的脱実験主義的など。同一の研究においても。何でもあり?多様にして多義的。定義の難しさ。網羅的ではあるが質的研究の可能性。何らかの社会現象を。人間を理解しようとする。人間が解釈の主体として自分にコミット。まずは研究の在り方が問われる。社会的存在として客観的中立的立場は取れない。独自の存在基盤。
背景。社会学や文化人類学。ヒューマンサービス領域。2つの流れ。関係や構造まで数的分析が成果に繋がらない。複雑さを理解する為に。越境して培われた質的研究を摂取。調査研究の在り方について問い直す。調査における関係が問い直される。実証科学研究に対立。知識の共同生成性。言語が基本。構築主義とナラティブ・アプローチ。個々の人間の理解に留まらず、社会の制約に晒された声を。制約の複合化。グラウンデッド・セオリー・アプローチ。質的研究の領域化において。独自の軌跡を描く。慢性疾患やケアなどを対象に、看護や医療について。GTA。60年代。データに密着した分析から。有機的関連を強調。個人とその人達の社会的相互作用。GTAの可能性の大きさ。質的一般を論じることにも。異質性と多様性を含めた視点を。伝統的科学の影響を排除する。全体を俯瞰することは重要。
質的研究とは?作業的定義から。領域として規定するのは生産的ではない。データの視点から位置づける。質的データを用いて意味の解釈を目的。多様性を表現したもの。面接や観察など、日常をそのまま表現。自然な状況の中でひとまず解釈可能に。研究対象の現実を資料の形に置き換えている。観察的研究。仮説の生成を目的とする場合。研究テーマにより質的研究の必要性が。分析法との関係。質的データの分析。ディテールの大きさ。説明力のある概念の形成。GTA型。ディテールの豊富さを描写に活かす。リアリティ感を伝える。疾患という現実と病という概念。社会階層的にマージナル化された。十分理解されていない場合に読者に強い影響力。対象者が自ら語る。ナラティブの根幹。ライフヒストリー。共同生成的性格。当たり前を問い直すという視点。誰にとっても日常化した世界は自明性が強い。限定性には気づきづらい。構造的理由。専門性の高い領域では身近な他者が一面的に理解されやすい。膨大な自明性の世界。限界を知るにはもう一つのリアリティに直面。会話分析。一定の解釈枠組が有効。支配的言説。ドミナントストーリー。オルタナティブ。フィールドの日常世界の理解。最初の課題。ルーティーンの世界を記述。労力と時間が必要。80年代初めに13ヶ月間計画主導型の集団でフィールドワーク。日常世界に参加。高齢者のルーティーンの世界の理解。GTA型。ディテールの豊富さはバックヤードで。複数の概念のまとまりのカテゴリー。概念を通しての理解。GTA型はモデル。予測性。ヒューマンサービス領域において意識化しながら相互作用を。
合意科学と実践科学。質的研究と科学の関係。近代科学を自明とするか否定するか。パラダイムと密接な関係で。科学とは何か、作業的定義。社会全体の中に。どういう知を扱うか、どのように共有するか。合意科学。専門的研究者集団の合意を前提とする近代的科学。当該結果がどのように得られたか詳細に説明。再現性が担保される。知の。仮説検証型。正解は1つ。実践科学。現実の問を再重視。常に作業仮説的。有効性で評価。正解は1つではない。現実的対応が必要。疾患であるか患者であるか。実践科学は普遍的知識の獲得を目的としない。専門家だけがするものではない。相互排他的な関係ではないが、前者が圧倒的優位性を。質的研究が領域形成した現代でも。合意科学が実践科学的要素を取り込む。中範囲理論。アメリカ、重要などうかは分からないが、ヨーロッパ、少なくとも真実。真実ではないかもしれないが重要である。両者の比重は一致していない。知の普遍性と重要性。近代科学や合意科学は一致するという前提。疾病の治療法は患者を助ける。方法論は一体性を担保。将来的には一体化するという土壌。社会的価値を吸収。深刻化するのは社会科学、社会学において。理論の構築にも至らず、重要性も問題なのはどうか?具体的可能性が。データとの密着性の問題。共有可能な知の生成。厚い記述。ウェーバー。集団が織りなす意味の世界から逃れられない。解釈が解釈を生み出す。その中に入り深い解釈を。重層的なダイナミズム。理論構成。厚い記述を可能とすること。事例の中で一般化。事例の中で一般化するとは?医学や深層心理学では深層推理と。一連の推理上の意味するものから出発して解釈出来る枠の中に置く。臨床という表現から示唆。何が問題であるのかをたどる。解釈する人間が自分をツールに。臨床推理。経験的知識と参照される。自分の解釈の確からしさの観察。自分自身の中での解釈。理解した内容が評価されるのは他者による。法則定立的で普遍的知。質的研究で混乱。合意科学と名前が同じでも使い方は異なる。合意科学の圧倒的影響。基礎作業が不可欠。
解釈共同体。多様な研究方法から何を選択するか。研究者個人は内側から研究過程に入る。歴史的伝統。解釈共同体のパースペクティブ。どの解釈共同体に入るか?個人史。一定の経験的学習のプロセス。属する1つの解釈共同体に参加。どのような考え方を基礎にするか。

 

ヘルスリサーチの方法論―研究実践のための基本ガイド (放送大学大学院教材)

ヘルスリサーチの方法論―研究実践のための基本ガイド (放送大学大学院教材)

 

 

説教。

キリスト教で神父が信者を集めて話をすることを指す。一般的な意味とは明らかに違う。近所に小さい教会があり、日曜日に時々、説教をするとの知らせが黒板に書かれるのを目にする。神の言葉をイエスキリストに代わり伝えるという要素があると思う。そうなると、近代市民国家の前みたいに識字率が低くて信者が聖書も読み解けないのならまだしも、今日は誰でも聖書を読めるのだから説教は無くなるのが自然だとも言えないだろうか。まあ信者が集まり連帯感を持てるのは意味があるのかもしれない。先にローマ教皇が来日された際には東京ドームで説教をしたという。スケールが違うなあと実感。

京都駅近くでの2つの人種。

京都駅近くのクリニックに通院した。恐らく令和元年の最後(最期とは死んでも間違えないこと)になる。異様に早く寝て早く起きたのだけれど、京都への社内では眠ってしまう。いつも乗る時間帯では京都が終点のため助かった。野洲やら米原やらに運ばれると悲惨である。まあ観光に気持ちを切り替えるしかないだろう。ううみゅ。

ファミマFamily Martで時間を潰していたら、アジアAsia系の黄色人種の方々が食べながら屯っていた。7時になるのでスタバStarbucksに移動したら、ヨーロッパEuropa系みたいな白色人種の方々が寛いでいた。私は黄色人種なのでStarbucksに違和感を覚える筈だがそうはならない。単に感覚が麻痺しているとも言えるけれど。アパルトヘイトapartheidのもとにあった南アフリカでは、日本人は名誉白人とされていた。その中での感覚に近いものがあるのかもしれない。

診察や処方が終わったので、京都駅ビルのクリスマスツリーChristmas treeを愛でる。

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