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影響力の武器(社会心理学第5回)

読もうとして読めていない著書の1つ。重層的に理解をすることも出来そうなのは新発見だった。

 

チャルディーニ「影響力の武器」。大学の実験室、現実とかけ離れたものだけではない。様々な現実の事例をふんだんに。ビジネスマンにとっても有用。原書は13年11月までに5版が。日本でも07年に原書の第4版を翻訳したものが出版。
他者からどのような影響を?怪しげな団体への勧誘。売りつけられる。避けたい経験。説得という言葉に否定的に思う人も。TVでコマーシャルを、などの経験も含む。説得の場面。受け手や送り手。説得を受け入れてしまうメカニズム。どうしたら顧客に理解してもらえるか。一般読者にも広く読まれている。チャルディーニ自身も他者から説得されてしまうことが多かった。セールスの現場で。現場での参与観察で6つの方略。心理的原理。
返報性の原理。与えられたものにお返しを。何か貰ったらお返しを。強い力を持つ。他の地域から援助を受けたら、災害の際にはお返しを。東日本大震災のニューオリンズ。無料の試供品や試食を。商品の良さを潜在顧客に。返報性の原理を利用。受け手にお返しをしなければと思わせる。拒絶させてバーの低い提案を。Give and Take。6週間に1回の献血。要求を拒否される。1回だけの提案が肯定される。posterを貼る。フット・イン・ザ・ドア・テクニック。実験では。ドア・イン・ザ・フェイス条件。同意の割合が多かった。次の要求を承諾しやすくさせる。譲歩して受け入れる可能性が高まる。返報性の原理が証明。連続性の要請。特定負荷法。相手が譲歩してくれたからこちらも譲歩する。PCに特別で周辺機器も。
一貫性の原理。承諾すると次も承諾しやすくなる。一貫性を保つ。ステッカーを貼る。その次に献血の依頼を受け入れられやすくなる。最初の要請を利用してフット・イン・ザ・ドア・テクニック。戸別訪問して安全運転や環境美化についての依頼を。最初に何らかの小さい依頼をした後に。統制条件。いきなり大きな要求をするより、小さいものから。1回目と2回目の要求が同じの場合だけでなく、別の内容であった場合にも。道徳に則った方法だと、一貫した行動を取りやすくなる。続きはwebで。web連動型広告。検索することが最初の要求を受け入れたことになる。嘆願書への署名を。その次に寄付を。複数回の段階的な要請。受け手に何らかの特典を与えて承諾させ、特典を除外する。変えたことを表明し辛い。
社会的表明の原理。録音された笑い声。予め紙幣を入れておく。他の人が笑うから面白いのだろう。硬貨でなく紙幣を入れるのが正しそう。平積みの山が低い本を。沢山人が並んでいるから列についてみる。他の人が良いと思うものは自分にも良さそう。傍観者効果。援助行動の抑制。他の人が大騒ぎをしていないから緊急性がないだろう。集合的無知。寝ている人を見ていても、酔っ払って寝込んでいるだろうと思う。状況が不確かな時や自分の行為に確信を持てない時。
好意の原理。好意を持つ相手から受け入れやすい。身体的魅力。何故?ハロー効果。ある側面で望ましい側面を持っていると、他の側面も良さそうと考える。人となりを良く知らなくてもタレントのファンとなることがあるけれど。類似性。関心や趣味など、類似した他者を好む。趣味に合わせた話をするのは基本的テクニック。称賛もまた。好意に返報しようとする。返報性の原理で説明可能。接触と協働。心理学において単純接触効果。生じた親近性。協働。フィールド実験。2つのグループ間にライバル意識を。ある対象への好意。化粧品広告のタレント。人気女優が着用した衣装やアクセサリ。商品に連合。
権威の原理。専門家の意見に従いやすい。良い選択が出来たりすることが多い。処方された薬。ソムリエのアドバイス。権威者の指示が不適切でも従ってしまうこと。権威者のフリをする人でも従ってしまいやすい。服従実験。実験参加者が強い電気ショックを。盲目的な服従。医師の投薬指示が間違っている場合も。歯ブラシのCMに出てくる俳優が医者の白衣を。シンボルを抱いているだけで人を誘導することが可能。
希少性。限定品や残り少ない品物。不確実な状況では意思決定に大きな影響を。対象を買おうとしても手に入れることができないと、自由が制限されることが。自由を回復させようとして。制約を受けたり禁止されたりするもの。
6つの原理。想定を超えた影響力を。影響力に抵抗する為には?必ずしも限定品に取り付くわけではない。二重過程モデル。自動的処理。対象の希少性などで引き起こされる。認知的容量がある場合。自動的処理と統制的処理。実験参加者にはメッセージを聞かせる。試験の導入時期は来年、10年以内。試験導入に対する態度。よく考える動機づけが高い場合にはともかく、低いと権威に従いやすい。大切であり考える時間があるのならよく考える事ができる。自動的処理が全て悪いわけではないが。意識していない判断過程が適当なこともある。
「影響力の武器」の面白さ。社会心理学のテキストで在ると同時にビジネスパーソンにも有益。各章の最初に導入された広告。6つの原理が利用されている。読者自身が考える。レポートとチャルディーニの一言。心理的原理に関する記述を。人間の行動を。6つは独立したもの?どれもが心理的働きを表している。社会的証明の原理。援助行動の問題と絡む。説得コミュニケーションに有用だけでなく。社会によるコミュニケーションは組み合わせて利用されることがある。状況によっては1つの原理が他の原理より強いことがある。好意の原理や返報性の原理の衝突。自動的な反応。七面鳥のひな鳥の世話を。母鳥は抱き込んでしまう。母鳥の行動パターンは自然の理に沿っている。自動的な反応はそれなりに適応的。6つの原理については?情報の1つの特徴に自動的に反応する。情報の量は多く、効率的に処理するために自動的反応が。多くの場合に正しい判断。問題は送り手が騙している場合。仕掛けが暴かれなければ誤った反応であることも分からない。望ましくないということが表面化しない。一旦考えてから行動を。

 

社会心理学 (放送大学教授)

社会心理学 (放送大学教授)

 

 

地味。

ある職業訓練校に通っていたことがある。機械を使用する実習があったのだが、とにかく手先が不器用で覚束ない。自分でも嫌になるほどクラスの皆の足を引っ張る有様。とにかく目立たないで地味に居ようとすることしか頭に浮かばなかった。様々な学校や職場でも、雰囲気的に地味な人間は出来ない人であることが多いように思う。まあレクリエーションrecreationになると本領を発揮する人種も少数ながら居るのだが、生憎と私はそういう範疇には入れそうにない。目立つ人間が評価されがちな現在の社会は生きづらい。ううみゅ。

長生きすること。

昨日は友人から電話があった。誰々は死んだとか精神を病んで入院したとか、ろくでもないことばかりが話題に登る。いい加減に嫌になったので、用事があるとか伝えて電話を切った。憂鬱になる(鬱病にはならないと思うけど)。そう言えば、癌になった人間も居ることを思い出す。そう話してもどうにもならないけれど。人生100年時代とかが喧伝されていても、半ばを越えると死ぬ人間も入院する人間もいくらでも居る。まあ癌が多発するように思えるのは、他の疾病が少なくなったせいだと思うけど。私は出身大学で親しくしていた者を3人失ったので、耐性はその時についたのかもしれない。中曽根元総理は101歳まで生きられたけれど、殆どの人間に先を行かれて寂しさの内に最晩年は生きていたのではと思う。

高校の多様化と教師(現代日本の教師第5回)

出身高校の絡みで、かなりの偏見が自分にあるのが理解できた。同窓会の役員をしているので、出身高校がどうなるのかは重要な問題ではあるのだけれど。

 

由布佐和子教授。4981の高校。26%が私立。私立高校を無視は出来ない。多様性がある。宗教法人ではなく無宗教が多い。進学校やスポーツが盛んな学校も。小規模校から規模の大きい高校も。納付金も異なる。ひとまとめにするのは大変むずかしい。私立高校の教諭。出身高校だったり転勤が無かったりなどが理由で希望する者も多い。教員採用試験。公立高校のように一斉ではないが。非常勤講師の採用が多い。正規教員になるには非常勤の経験を経て。毎年採用がある訳ではない。不安定な立場に。
公立高校を中心に。高校教師の実態。高校の状況や課題。高校教師が取り組む課題。高校教師自身の課題。まとめ。
公立高校の教師の状況。公立高校の教師は小中に比べて平均年齢が高い。45.8歳。高齢化には歯止めが。殆どは一般大学を経ている。職業アイデンティティは専門領域にあると考える教諭が多い。中学校は学年毎だが、専門領域ごとの職員室を持つことが普通。大学院出身者の比率が多い。採用試験。授権地域などにより大きく異なる。社会科目は倍率が高い。学部新卒者は30%ほど。なるのは容易ではない。教科の専門性に強いアイデンティティを。
高校の実態。歴史的変遷をたどりながら。アメリカの高等教育。進学率の上昇が性格の変化に。エリート段階、マス段階、ユニバーサル段階。エリート。15%未満。少数者の特権。卒業者がエリートに。教育内容も実生活とは殆ど無関係。アカデミック。50%ほど、マス段階。受けることは多くの人に開かれた権利。教育内容の多様化。ユニバーサル段階。行かない人の方が少数派に。進学動機もねばならないに変化。マイノリティ。教育内容は極度に多様に。高校は後期中等教育だが、学校の性格が大きく異なってゆく。戦後日本の進学率。55年には50%を上回る。74年には90%に達する。高校教育はユニバーサル段階に。高校の性格の変遷。70年代以前。トラッキング構造。陸上のトラック競技。コースを途中で変更できない。普通科と職業科は変更できない。2つの目的。進学準備教育、大学で必要な。卒業後社会に出ていくのが前提。普通科高校と職業科高校。大学に進学するのは難しい。評価体系が異なっていたので職業科も高い評価を。就職が保障。70年代から80年代。弛緩と再編。産業構造の変化。就職が難しくなる。大学人気で普通科高校の新設が。職業高校は大学進学という基準のなかで再編される。底辺に位置づけられる。大学進学を前提としての政策。職業高校のアイデンティティは不明に、専門教育が困難。大学進学競争、教育困難校を多数生み出す。80年代にかけて、大学進学基準の価値体系。逸脱文化。単線型高校体系の行き詰まり。90年代。高校改革のスピードが進む。91年の中教審答申。多様化した生徒の実態に応じて、個性を尊重する教育が必要。改革の内容。93年。単位制高校が全日制に拡大。学年による教育区分が設けられていない。教育課程を自分で編成。苦手な生徒に受け入れられる。95年。総合学科。普通科教育と職業教育双方のカリキュラムを持ち、希望に応じて履修。数多くの普通科高校が新設されたが、大学に進学する生徒が少ないところも。多様な進路に対応出来ない。アカデミックな教科と職業に結びつく教科を。多様な関心に応じて様々な分野のカリキュラムを。産業社会と人間という科目。課題研究が義務に。自己の生き方を探究、自ら課題の解決に。古典的アカデミックカリキュラムと異なる。制度改革を経て階層構造が弛緩している。鏡餅構造。お正月の鏡餅。エリート高と二層に。エリート高。難易度の高い大学に。進学実績を喧伝。大半の高校ではモチベーションが低い。楽な高校、楽しい学校。コンサマトリー化が。有名な大学のため我慢するのではなく、楽しむのを重視する。楽校化。
教育課題。学習指導と生徒指導。学習指導。生徒の勉強離れ。学習時間が短くなっているのに加え、学ぶことの意義づけが失われている。「階層化日本と教育危機」。下位の高校で顕著。授業がキッカケでもっと詳しく知りたいとも思わない。誘因にならない。高校全体で勉強することの意味が薄らいでいる。5時間も眠ると受からない、という時代があったが、大学全入時代に。勉強へのモチベーションが難しくなる。知の体系を努力して学ぶことが希薄に。反知性主義が蔓延。餅の部分では悩まされる。グローバリゼーションの中で知識活用形の学習に。意欲や適応力を試すように。これまでの教科型と職業型、生徒はそれに背を向けている。高校階層化が明確、下位の高校の生徒指導。校則や体罰で。ゼロ・トレランス。ルールを決めて破ったものには例外のない罰則規定を。神戸での校門圧死事件。生徒のありのままを尊重することへ。お世話型モードの生徒度指導で。人間関係を演出しソフトな態度を。厳しい指導で反発して逸脱行動をする時代とは異なる。生徒のありのままを尊重する、コンサマトリー型の生徒に教育効果が疑問。アカウンタビリティが問われる。地域社会からの非難が。ユニバーサル段階の高校での不本意入学者などに適切な指導か?在籍するのが難しい生徒も。介入が必要?上級の学校など繋ぐキャリア学習。進路指導。殆ど進学指導と同義と考えられた。大学改革の中で近年様々なカタカナ学部などがバリエーションに。変化に苦慮する。00年ころから全入時代に。経済的問題をクリアーしたら誰もが入れる。AO入試や推薦入試で。センター試験を受ける人間とギャップが大きい。学歴にさほどこだわらない生徒と、そうでない教師の齟齬。進路多様高。各種学校も含まれる。進路説明会でもターゲットを絞り込めない。計画そのものが効果を持たない。何になりたいのか、適性などを測るところから。進路指導の事柄が限りなく増える。就職希望者。信頼関係から大きく変化。従業員の雇用形態。雇用柔軟型など。労働者派遣法の改正。派遣労働の増加。産業構造などの変化。就職もそう簡単ではなくなる。修飾しても多くが3年目までに退職。求人倍率が高いけれど、選択肢がないという状態。希望する企業や職種を選べない生徒も。送り出す学校が出来る指導は何か?出口の指導に対し、長期的なキャリア教育。高校のうちから将来への見通しを。意欲経験を積ませる。生徒の側の自己責任の罠に嵌まることも。企業の側の根源的課題も絡む。社会的な視野を欠くキャリア教育では自分だけを責めることも。
教師の悩みと教師の中の問題。高校の多様化にどのように対応するか。異動。コンサマトリー化した生徒があふれる。学力の多様性のある生徒にどのように対応するか。課題を打開する余裕がないという現実。多忙化。教師の側の態勢も重要。生徒指導に関わる課題には、生徒指導と進路指導に別れる。担当者だけ忙しいということも。学校全体での共有が必要。組織運営上の問題。多くは学校教育の勝者。自らのアイデンティティは教科に。高校生徒の指導に対応できていない。専門領域だけ教えては上手くいかない。ヒアリングで総合商社から三橋伸弥氏の発言。教職しかしらない教員には無理。
高校改革は進む。多様化が進む。みかんの部分でも改革の動きが。グローバル化で新たな能力を養う。特色を持った学校に。スーパーグローバルハイスクールなど。単なる進学校ではなく。高校の質の保障。履修すべき教育過程をどの程度実現できているか。達成度テストの導入の検討。
単線型高校体系だった。進学が前提。指導の結果、成功した生徒が地元に帰ってこない問題。中央に人材が集中し地方は疲弊。有名大学の進学を目指すと地方の空洞化が。仕事がないので更に都会に。正規雇用されるのは簡単ではない。社会状況をどのようにするかが課題に。後期中等教育の意義などのマクロの視点を。少子化の進行の問題も。審議会の報道に留意を。

 

現代日本の教師―仕事と役割 (放送大学教材)

現代日本の教師―仕事と役割 (放送大学教材)

 

 

節度。

節度を弁えて行動をするように頻繁に言われる。ただ、どのようにしたら節度を弁えたことになるのですか、と問うと激怒されることが多い。私も含めて大概の人間は、怒らせたくないので周囲に問うことはせずに、必死に場の空気を読もうとする。そもそも説明が出来ないような言葉というか概念は使用すべきではないのではとも感じる。けれどアドバイスadviceする立場になると、そのような概念を使えば形式は成り立つので多用される。そして何も説明したことにはならない。まあ節度という概念に限った話でもないのだろうけれど。

冷える。

ベッドbedの傍に据置の時計を置いている。電波時計なので時間が正確である。目覚ましアラームalarmの機能もある(朝は起きることが出来るので使っていないが)。オマケに気温を測定する機能も。昨日の就寝時に見ると10度を割っている(Americaでは華氏℉を使わなければならないのでややこしいが)。道理で寒い筈である。震えながら眠る。朝に起床しても身体が冷える。自宅に居ても外出しても寒さは変わらず。まあ12月なのだから当然なのだが、この夏に日本は熱帯になったと叫んでいた某マスコミはどうかしていると思う。確かに台風は有意に多く日本を襲うようになったのは事実だけど。

外出時に松屋のカレーを食べるとビーフカレーになっていた。美味しいけど高い。ううみゅ。

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ゲーテ『若きヴェルターの悩み』(ヨーロッパ文学の読み方近代篇第5回)

歴史を理解する為にこそ文学は読まれるべきかもしれない。

 

ゲーテ、「若きヴェルターの悩み」。自由への憧れ。18世紀末のヨーロッパで人気に。ヴェルターという主人公。恋愛を通して自由への理解を深める。主体としての。
荒事の傑作。歌舞伎の用語。ドイツのある小さな地方都市の若者が様々な騒ぎを。1774年に刊行。ゲーテの出世作。49年に出生、1832年に死亡。森羅万象に関心を持ち膨大な著作を。25歳に刊行して時代の寵児に。スキャンダラス。特に若者たちには熱狂的に支持される。時代の潮の目を。国際的ベストセラー。
個人的体験の昇華。私的な関係を。法学を修めた後、ヴェッスラーに。72年、ロッテに失恋。友人が自死を図る。人妻の恋に敗れる。私的な関係が反映。1つの三角関係に一本化。圧縮。主人公の悲恋物に留まらない。
書簡体小説。ヴェルターが友人に宛てて書かれた。一人称の主人公が赤裸々に書くことが出来る。自分の感情を生々しく描いているので、気恥ずかしくも。当事者性を覚えさせる。日本の近代小説。夏目漱石の「こころ」。先生の手紙は自分に宛てての。当事者化。
第二版における。ヴェルター初版は大きな影響を。疾風怒濤の文学の代表に。完成度を高めた第二版が。言葉や挿話が補われる。第二版が底本とされることが多い。
読書。ヴェルター全編で重要。書き手がありのままに吐露する心情を受け取る、当事者性の錯覚に。読書の作用や影響を考えて主題化。
読む人としてのヴェルター。学識が在る。古典ギリシア語と英語。18世紀後半、ドイツ文学はシェークスピアを模範に。ホメロスさえあれば読むものは要らない。族長たち。将来を暗示。
同一化的読書。ヴェルター効果という社会現象。ヴェルターの服装や抑制を解かれた強い表現。虚構世界の人物に自らを同一化。ヴェルター自身も同一化。
ロッテやヴェルターが同一の書籍を読むことの効果。同じ詩を心に描く。感情の高まり。世界が二人から消えて無くなった。言葉の力に翻弄される。自分自身の姿を投影する。読書という行為が読者を共通の感情で結びつける。作品それ自身が絆に。
自然。自然の記述がよく出てくる。出会う人々よりも周囲の自然に目を向ける。心境の変化と対応。ゲーテは自然科学にも目を向けた。力として自然を捉える。
自然と絵画。ヴェルターは絵心がある。自然の中で分け入る内に、自然を描くことを断念。技能が無いからではない。自然の息吹に感動して、とても絵の中にすることが出来ない。ロッテの肖像画も断念。その代わりに影絵を。
自然の両義性。自然の破壊的な力。呆然と我を忘れる。荒天に家を飛び出す。洪水に立ち会わずに居られない。憧れに身を焦がす。
ロッテへの思慕。社会的逸脱者との接近。
子どもたち。ヴェルターにとって子どもたちは一番近い存在。可能性が凝縮、多様な力が。不充分な人間なのではなく、大人たちが忘れてしまったものを失わずに居る。子どもたちもヴェルターを慕う。子供の心を持つ。小児的性格。時に感情を抑制できず。子供の理想化。人間観の抜本的な変革。他律的に強いられるのでなく、己の生を自律的に。近代の自由を実現するために。
二人の逸脱者。ハインリッヒの挿話。若農夫は恋に破れて殺人を。ハインリッヒは狂気に。陥った境遇はヴェルターと類似。自然の造形に圧倒されたのと同じ体験。欲望の表白。外なる自然と同様に、内なる自然の両義性。ヴェルターの中にも。殺人を犯した若農夫を救出しようとしたが空しいものに。俺たちは救いようがない。ハインリッヒの情熱。内向し自分の精神を崩壊させる。この上なく幸せだったと懐かしむ。魂の重荷を軽減しようとする人間。
自由と言う主体。ヴェルターは不安定な人間。見方や評価が大きく変わる。不安定がそのまま魅力でも在る。悪戦苦闘は自由という理想と結びつく。逸脱不安定などは魅力的欠点。拘束に対極から立ち向かう。
中庸を生きることと限界を生きること。恋敵のアルベルト。有能で善良であると強調。例外的。優れて魅力的な人物であれば恋の掛け金を上げる。対象的な人物彫琢。制約を受けること無く。情熱を酩酊や狂気のものとするアルベルト。情熱にうつつを抜かす人間は自由というものを失う。情熱、狂気。涼しい顔で無関心で。パリサイ人みたいに神様に。情熱はいつでも狂気スレスレ、それに後悔してない。昔から酔っぱらいと思われてきている。在り来たりの暮らしでも、頭がおかしいと陰口を叩かれる。恥知らず。ヴェルターは自死を内なる力の印と。弱い人間の行うこととアルベルト。ヴェルターは自殺は弱さではないとする。答えは自由に生きる力を抑える制約と戦う。自分を押さえつける制約に一矢を報いることになる。古代ギリシアには運命という人間にはどうしようもない力、畏怖がある。抗いながら破滅する。運命というのは古代の考え方。近代文学では比喩的にしか用いられない。同じ人間たちの作り上げた約束事、それを強いる人物たち。近代文学の主人公たちは自由の為に悪戦苦闘する。ヴェルターの激しい口調。限界において生きること。身分の慣習の求める中庸を求めるのではなく、生の限界に突き進むことこそ、自由を得られる。アルベルトはヴェルターにとって自由に生きることの困難と必要性を示す。
生の限界の経験としての恋愛。ロッテを自由への可能性と見る。後には人妻となるが、恋愛対象としては禁じられた存在。けれどそれだけではない。ロッテと死との親和性。ロッテは死にゆく人たちに付きそう存在。母親の死を巡る。踏み越える者を見送る。ロッテは生身の人間ではあるが、限界の在り処を指し示す存在とも。恋愛が私事として自由となる時代に先駆けて、自由な時代を直感。ヴェルター自身の生の限界が踏み越えられる。
北村透谷。恋愛は人生の飛躍。恋愛ありてのみ人生あり。自由に生きるという問い。日本におけるヴェルターの苦闘は120年遅れて。

 

ヨーロッパ文学の読み方―近代篇 (放送大学教材)

ヨーロッパ文学の読み方―近代篇 (放送大学教材)