F-nameのブログ

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高校野球中止で産まれた空白。

NEWSは聞かれたと思うが、夏の甲子園が中止とのこと。緊急事態宣言は関西では解除される情勢だが、コロナウイルスが蔓延しているだろうから致し方がないのだろう。頭を抱えているのは当の報じるマスコミも同じこと。高校野球ネタが丸々消えたのだから。まあ空いたままにする訳にもいかないから、何か埋めるものを探すのに悩むことだろう。日本では本格的なマスコミュケーションmass Communication は明治初期の新聞が初めてだと考えるけど、発表サイクルが決まっているので、何もない時でも何か埋めないといけない。それが嵩じるとでっち上げという行為に及ぶ。それはどのmediaでも避けられない。慎重深く各自が吟味をするしかない。

終活学 満足して人生を終える(放送大学特別講義)

差し当たり入棺体験はしてみたいなと思う。まだ自分の死を身近には感じられていないから。

 

長尾和宏。がん患者の延命。自宅で穏やかな死を。在宅医療で看取る。幸せな人生の最期とはなにか。終活。死の周辺の出来事を自分で決めておく。亡くなるまでと亡くなった後。長寿の社会。長生きは素晴らしい。しかし多死の時代に。30年代にピークに。年々亡くなる人が増加。医療の進歩でどういう医療を受けるのかは分からない。病院で8割の方が亡くなる。色んな管に繋がれて、そうはなりなくたいと思う人。相続やお墓でトラブルも。死もタブーにせずに準備を。縁起が悪いのであまり話題にならなかったけれど、自己決定を。生き方で色んなことを。死に方も自己決定できないか。兵庫県尼崎市で在宅医療を。現場にいて患者の死に向き合う。老人大学のようなところで終活の講演が増える。そういう人はなかなか死なないけれど。終活をしている人はまだ少ない。考えないまま最期を迎える人が殆ど。何時から終活をすれば良い?何時からでも良い。死ぬ可能性はあるから。自分は例外と思うのは人間。自分の死にだけは楽観的だから生きていける。自分の死のイメージは難しい。別れは突然やってくる。人生の最終章があるのかないのか。95%は最終章を経て死に至る。癌や認知症、臓器不全。残り5%には死は突然来る。事故や天災、心筋梗塞など。予期せず突然に。終末期以降をどう過ごすのかを考えると役に立つ。平穏死。穏やかな最期。尊厳死と同じ意味。人生の最終章以降に過剰な医療を控える。緩和ケアをしっかりと。苦痛を無くす。在宅で看取る。管も一本もない。枯れた姿で最期を。平穏死。病院の方。勤務医。管だらけ。様々な延命治療の為の。むくんだ姿で。延命死。溺れて死ぬ。10日前から食べられない。毎日2リットルの点滴。20キロの水が入るか入らないか。体重差が10キログラム位ある。溺れて死ぬと重い。咳や痰で苦しむ。枯れた方が最期が楽。長生きできる。どうして平穏死が出来ないか。終末期。最終段階以降。それが何処かよくわからないのが現状。色んな可能性を追究するのが現代医療。バイタルサイン。どこまでもそれに対応しようとする。却って粗になってしまう。病因は生きることに真摯に向き合う。患者さんにどう作用するか。一分一秒でも長く生きるのが病院の使命だけど、患者が喜んでいるのかが問われる。祖母の死。長くは持たないと分かっているが、強い薬を投与していて、ストップしてと本人が。しかし本人の決定だけでは決められない。本人の意思表示や家族の意思、医者の意思。一致しない場合が多い。本人が意思表示していても周囲に後押しする力がなかった。医師の意向を断れなかった?それで管だらけに。枯れて死ぬ。食べられなかった時には点滴を200することはある。家族が餓死させたとトラウマになるから。枯れて小さくなるのが自然。待つのは辛い。鷲田清一先生「待つということ」。待って得をすることが多い。本人が望んでいない場合、予め意思表示をしている場合。勤務医の時に癌の末期患者を看取る。管だらけで顔がパンパンに。病気で苦しいと思っていた。末期の食道がん。水が僅かに通るだけ。点滴は要らないと言われる。このままだと長く生きられない。僅かコップの2杯3杯で1ヶ月2ヶ月と元気。2ヶ月目にはボランティアまで。逆に心配するくらいに。3ヶ月目に2日横になって枯れるように亡くなる。これまでは何だったんだろうと。在宅医を開業して20年以上。在宅では過剰な治療が出来ない、それが良いこと。余計なことはしなくなった。それが家族にとっては大丈夫だと思うけれど。「平穏死10の条件」。終末期以降は枯れる方が長生きする。コペルニクス的大転換。転換点は本人の意志と家族の考え方、医師の考え方をまとめる。リビングウィル。命の遺言状。死んでからのことだが、生きていても意思表示出来ない場合。事故などで意思表示できない場合。元気なときから延命治療を拒否する意思表示を。逆に延命治療をして欲しいということもリビングウィル。15歳から書ける。日本尊厳死協会。12万人。沢山の書式がある。大体1%居る。欧米では41%。一般的。日本では聞いたことがない人が殆ど。3分の2は家族、3分の1は医師が決めている。自分の死が決められていないのが現状。自己決定。自分の最期を決めるのが難しいのは、自分という概念が無いから。西洋は我思う故に我あり。自分と家族が一体となるのが日本文化。相手のことを自分。己なあ、と起こることも。一人称と二人称との区別がない。大事なことは皆で決める。沈黙は金。和をもって尊しとなす。あまり自己主張しない。皆で話し合う。リビングウィルが育ちづらい下地が。決めた人は重いものがある。意思決定を医療者が支援する。意思決定支援。様々なものがあり医療の課題。本人の意思をどのように尊重するか。認知症の患者。どうして欲しいのか聞いてもわからないことが増える。胃ろう、内視鏡でものを入れる。40万人。医師が非難されているが、どうして欲しいのか分からない。何もしなければ家族から訴えられる。患者側がリビングウィルを表明してもらえれば助かる。遠くの長男などがやってきて延命治療をしなければ困るということになるので、家族の同意を。支援指示書。文書1枚で決めるのでなく、友達や医療関係者と話し合う。アドバンス・ケア・プランニング。1000人の中で数人が日本尊厳死協会のリビングウィルを。家族が透析を主張して何度も話し合う。半年して自然な最期を。リビングウィルを持って亡くなったからの家族にアンケートを。数%は本人に反しての。そもそもリビングウィルに法的根拠は?遺言書は法的に効力がある。リビングウィルは日本において法的担保がされていない。障害者団体の反対。16年現在停滞したまま。国民的議論が必要。10年には台湾で。病院の中でリビングウィルを。リビングウィルを表明しても無駄?90数%の人が活かされたと回答。冷蔵庫に大事なことが書いてあることが多い。リビングウィルのコピーもあることが。意思表示をされている。医師としては助かるのが本音。認知症になってもリビングウィルを表明する事ができるか。リビングウィル検討会などを重ねた。認知症になっても在る程度までは自分の意思表示が出来る。それが大勢。そもそもは癌の末期で人工呼吸器を。現在は認知症の人が。胃ろうは嫌だ、という人が。ある程度認知症が始まっている人でもリビングウィルをしてもらい活かすことを。公証役場に行って、オーダーメイドで作成。日本尊厳死協会に入って既成のリビングウィルにサインをして簡単に出来る。遺言状とともに作成する方も。どうやって死を迎えるかを。死んだ後は?考えていられない?亡くなった後は忙しい。葬儀をどうするか。家族には亡くなる前から考える人も。手続きがあって揉めることも増えている。本人が意思表示した方が良い。終活をする人。素晴らしいなと思う。覚悟を持った生き方と尊敬する。医療の現場でも役立つ。やはり死は怖い。言うこと自体が社会のタブー。縁起が悪い。多死社会。だけど死を見たことがない人が多い。昔は地域に死があった、道端にも。和歌。明日ありと思う心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは。世の無常。親鸞さんが9歳の時に。京都のまちには死体が氾濫。動物に食べられて地に帰る。人が死ぬところを一度も見たことがない50代以上も。終活を考えることが。死は他人事。自分ごととして考えづらい。入棺体験。様々なコーナーがある。怖がって入らない人も多いけれど。寂しくなる。お棺を下から見る。閉じられると寂しい。入りたくない、怖い。けど死ぬのはそういうこと。あくまで疑似体験だけど。死は三人称だけど、一人称で考えるのが大事。医療の中での後悔に繋がる。2.5人称。統合するのは難しいが、荒治療としてお棺に入ると変わる。死は考えたくないが、必ずやってくる。毎日考えると困るので、一生懸命生きる。そして時々死を考える。中庸が肝要。執着しないことも大事。

独断論。

医療の世界ではEBMというのがbuzzwordになっている。evidence based medicine の略語で、日本語に訳すと、「根拠のある医療」になる。例によってAmericaから運ばれてきた概念で、日本でも広く標榜されるように。ではEBMが無かった頃の医療は根拠が無く医師などの独断で為されていたのかと言えば、そうでは無かったのではと思う。ただ暗黙知が機能している領域は広かったのではないか。今世紀に入ってからの傾向として、医療訴訟が増えている。訴えられる医療側は過失が無いと証明する為に最善を尽くしたと主張しなければならず、EBMを引き合いに出すのが効果的だと考えられているのではないか。

緩い世情。

昨日も今日も仕事に従事。ただ寝不足の兆候が見られる。今日は7時過ぎまでベッドで横になっていたけど、それでも眠気が。風邪が長引いているのかも。体温は36度台。差し当たり37度になれば自制する必要がある。まあ給料は減るし仕事は溜まるしで後がキツいけれど。

感じている方も多いと思うが、世間はゆるゆるのモードになっている。大阪は緊急事態宣言は解除されていないが、自粛要請されている業種は少なくなって、職場近くのパチスロ屋も営業している。ただ、2週間後の数値が問題になってくる。元通りになるのは避けたいけど。

ストレスに向き合いつつ健康に生きる(健康と社会第13回)

全くストレスが無いのは不味いというのは意識するべきかもしれない。

 

戸ケ里泰典。生きるということ。ストレスと上手に向き合う。困ったことや辛いこと。負担に感じ落ち込む。生きていくことはストレスに直面し対応することの繰り返し。どのように付き合うか。
ストレスという言葉。直訳すると圧力、圧迫。モノに対する力。20世紀の初めにセリエ医師。人間は厳しい環境にさらされると病気になってしまう。ストレッサー、ストレス状態。汎適応症候群。20世紀中頃まで、ストレス状態、反応の。20世紀後半になり、人間と環境。相互作用。関係に相当する。人は生きていく中で様々な環境と関わる。判断しながら生きていく。ストレスとの関わりでの決定、認知的評価。決定をしながら様々な処理をする、コーピング、対処。向かって処理をする。ストレスは幾つかに分解できる。ストレッサー、刺激の部分。認知的評価、関係の部分。ストレス反応。ストレッサーに対応できないと変化が。行動的にも。体内の変化。ホルモンのバランスが崩れるなど。行動面では過度の飲酒や過食などでより病気にかかりやすく。ストレス反応。病気になる前にどのように防止する?ストレス反応の前の対処。ストレッサー、認知的評価の意味。
ストレッサー。人生上の出来事。突如として。天災などの危機的出来事。人生上の劇的な出来事。ライフイベント。人生上の出来事。ホームズとライフ。配偶者の死や離婚、借金など。生きている様々な出来事をリストアップ。データと突き合わせて、健康状態の度合いをストレス強度と。配偶者の死を100点として相対的に点数化。クリスマスは12点、など。過去1年間の出来事がストレス関係疾患を。日常の苛立ちごと。デイリーハッスル。日常に頻繁に体験する。ラザルス。経験すると知らない内に悪影響。慢性ストレッサー。毎日遅くまで働いているなど。不安定な就労など。騒音の下での生活。家族の支援がない家事。精神的damage。1日2日ならともかく、毎日毎日長く続くことでジワジワDamageが。慢性ストレッサー。様々なストレッサーを減らすことは大事。状況を整えることなど。ストレスの源を減らす。行政や雇用酒の立場に在る人なら、環境を良くするのに務めなければならない。だが、人生上の出来事は心がけだけでコントロール出来ない。出産など。それだけでは不足。人間関係のこじれなども。ラザルスのストレスのプロセス。ストレスの処理。食い止める。
ストレスに向き合いつつ健康に生きる。ストレスの過程。ストレス状態にならないために。環境から刺激を受けると免疫力の低下などの生物学的影響がすぐに出るわけではない。処理をしようとする。人が周りから刺激を受けた時に負担となるか、ストレスフルなものかを判断する、ストレスの認知的評価。対処、コーピング。認知的状態の3段階。認知的評価。無関係かストレスフルか。自分にとって何の意味もない。朝新聞を、芸能人の情報。関わりないなら無関係。無害肯定的。勉強の甲斐あって難関大学に合格。肯定的な感情を伴う。ストレスフル。自分の信念などが脅かされる。受験に不合格。害、損失。自分の価値や目標、信念が脅かされる。脅威。苦難の浪人生活を。今後に及ぶ。挑戦。新たなチャンスになると、自分の利益や可能性のポジティブな。認知的評価の第2段階。何時何処で何をすればよいか決める。状況を処理したり切り抜けたりするのに何をするか。過去の経験や周囲の資源などに基づき、考えて方針を立てる。浪人の出来事。脅威。苦難を最小限に、予備校の先生に相談して心構えを。慰めてもらったり。出来事に検討を行い対応する。様々な情報を駆使して戦略を立てる。問題焦点型コーピング。ストレスフルな状態を脱する具体的努力。浪人生活に備える行動。情動焦点型コーピング。気晴らしをしたり不快な感情を取り払ったりコントロールしたり。慰めてもらうなど。逃げの姿勢?辛いや悲しいなどのネガティブな気持ちを抑えられないことはよくある。押し込めてしまうのは問題。身の回りの人が大事。第3段階。認知的評価の。振り返りと意味付け。認知してから多くの人は上手く処理し得るかの振り返りを。評価し直した結果ストレスフルではなかった、上手く乗り越えることが出来た、という評価を。上手く乗り切れなかったとの評価も。ストレス反応の方に進み、身体的反応を受ける。見直しの評価。現在に至るまでの繋がりを考え意味付けをする。間違っていなかったと振り返れば自信が付く。資源の大事さに気が付き今後も活かしていけるように。様々な気づきを通してストレス対処をする能力を身につける。その人が持っているストレス対処を推し進める力。対処の流れを振り返ることで身につく。助けられながら乗り切る。力の実態は?どうやって身につけることが出来る?自己効力感。統御の座。首尾一貫感覚。簡単に言えば生きている世界が首尾一貫している、腑に落ちる。3つの概念。周囲の様々な対処資源を上手く使いこなせる。日々の営みに生きる意味を見いだせる。自分の外側の周りの環境と一体化した感覚。ストレスに対処できる。
ストレス対処を推し進める力はどのように身につくのか。成長するという理論。90年代なかば頃から、ストレス関連成長。外傷後成長。逆境後成長。大きな出来事。トラウマティックな出来事。成長というのは出会う前を通り越して更に高みに。家族関係や友人関係などが強まる。精神的に強くなる。次に遭遇しても乗り越えていけるスキルを。様々な面の評価。どのように成長する?その人が持ってる見方の枠組み。スキーマ。一旦破壊される。どうしてこんなことが。考え方の枠組みでは到底理解できない。混乱が生じる。しかし、それが出発点となって、新しい枠組みを築ける。新しい世界観などが再建される。人生の目標などが再設定される。より超越した生き方に再構成。性別を始めとした特性。女性の方が大きい。対処の戦略を持っているか。出来事自体の特徴。どの程度衝撃的でコントロール可能なことか。解決困難なほど成長する。ストレス関連成長。ストレスの経験が必要。痛ましくて解決困難なことはそうそうない。出来る限り避けたいのが人の常。普通に生活しているだけではストレスに強くなれない?良質な人生経験が。出来事がどんなものでも歩んでいく人生が良質なら成長する。首尾一貫感覚を育むために。一貫性の経験。ルールが明確など。小学校の在る先生の学級では忘れたら掃除当番をする罰を。贔屓された女の子は免れた。一貫性がない経験。過小負荷過大負荷。バランスの取れた経験。小学校の夏休みの課題の量。頑張ればこなせる程度のバランスの取れた量の体験が必要。結果形成への参加経験。自分で責任を持って何をするかしないかを決定する。高2の夏休み。予備校の講習を勝手に決めるのではなく、自分も関わって決定をするということ。日常の中にありふれているが、ストレスに強くなる要素が。ストレスフルな出来事は自分自身で認識がしやすい。あえて自分の意識を向けないと些細な出来事の連続にも?良質な人生経験を見出すと、能力を育むことが出来ない。ストレスが無いと良い、というわけではない。ストレッサーが全く無いと質の良い経験をすることが出来ない。適度なストレッサーと付き合うことがストレスに強くなる重要なこと。認知療法。日々の出来事を頭の中で捉え直す。自信を取り戻したり人間関係を改善したりなど効果が。
適度なストレスが大事。決定に参加する経験が大事。資源を駆使して能力を身につける。人生を生きるということ。

 

健康と社会 (放送大学教材)

健康と社会 (放送大学教材)

 

 

散漫。

最近の私はどうも集中力に欠けている模様。元から集中力が無い訳ではない。入試では所謂難関に通ったし、資格試験も色々とゲットしている。ある程度は目標が有れば突き進める傾向がある。それに仕事でもある程度は集中している(集中せざるを得ないとも言うが)。問題は自宅での暮らし方。片付けや読書をしていても、つい他の事に気移りしてしまう。結局は何もやれていないことになる。目標設定を上手く活用出来ればかなり違うとは思うのだけど。

自宅での幽閉?生活。

先週の木曜日の午後に調子を崩し、金曜日から日曜日までほぼ閉じ籠りというか幽閉というか、そんな暮らし方をした。自宅で建設的なことが出来たかもいうと、そういう訳ではない。調子が崩れたままだったので半ばベッドで横になっていたのが多かった。まあ体調を戻すのが優先なので致し方ない。問題は体温なのだが、1日数回測って37度台にはならなかった。症状も引いたので、コロナウイルスに感染した可能性はほとんど無さそう。今日の朝に職場の事務室に入ると、金曜日に休んで溜まった仕事がてんこ盛り。今日は一つ一つ処理をする。当分は無理しない方が良いように思える。