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信頼社会の可能性 -産業社会の第3段階「信頼」(2)-(経済社会を考える第14回)

信頼という観点で何処まで説明できるかが鍵になるかも。

 

間々田孝夫。坂井素思。信頼社会の可能性。産業社会の第3段階。大規模化の限界。信頼に注目。ソーシャル・キャピタルということに注目。何故信頼性が重視されるのか。信頼を中心とする社会が如何にして可能なのか。第1段階第2段階第3段階の問題設定の方法。複合的かつ重層的である。段階があると仮定して。産業社会において段階とはどのような意味で使われているか。段階づけの意味。推論、推理をして論じていく。推論の中には演繹法と帰納法がある。理論の中で推測をしておいて現実の動きを説明しようとする。信頼の在り方が社会の人間の関係の中の在り方として一様ではない。幾つかのものが複合したり重なったり。どのような信頼の在り方が適しているかを。
ソーシャル・キャピタル。産業社会との関連。使用例。フランシス・フクヤマ。信頼という本。高い信頼性を得ている社会にはネットワークが。社会関係資本が。社会を動かす上での潤滑油。歯車だけでなく油を注せばSmoothに。良好な関係性。ソーシャル・キャピタル。例えば契約。信頼性が高いと強制などのコストが安くなる。60年代辺りから総当たりでやるボウリングが衰退。重要な影響を。経済活動はコミュニティなどの社会環境との相互関係の中に。市場での取引が表に出てくる。政府に税金を納めて公共サービスを。近代以前のコミュニティ活動が潜在的なことに沈殿。コミュニティが重要ではないかというのがソーシャル・キャピタルの動機。潜在的部分が作用すると経済や政治も上手く動くように。60年代からアメリカのコミュニティの市民性に変化が。ソーシャル・キャピタルの減少という説明。資本という言葉。経済学とは少し異なる。パットナム。物的資本と人的資本。アメリカ社会の中でソーシャル・キャピタルの衰退が。ソーシャル・キャピタルは人々の考え方。人々が持つ道徳観?初期にはそう考えられていた。市民的美徳が。人々が善意や共感を持つ。社会的交流がたくさんあると。道徳の問題として。近代になって、道徳観に溢れただけではソーシャル・キャピタルにならないと分かってきた。一人ひとりが孤立していては社会がうまくいかない。道徳観だけでは駄目。パットナムの定義。一人ひとりの良心ではなくて、関係性としての。社会的ネットワーク。互酬性。社会をぐるぐると物が巡っているようなシステム。信頼性。3つの定義。いずれも人と人とが何かを媒体として繋がっている。ネットワーク、互酬性、信頼性。人々を媒介。それぞれの特性。社会的ネットワーク。ネットワーキング。ヒトと人とを結びつける。物的資本と人的資本。対価の支払い、交換行為があると完結してしまう。媒介をして持続するという特徴。互酬的なルール。寄付。外部性。社会全体が上手くいく。あくまで関係性という視点が重要。
信頼という視点に注目。何故重要に?フランシス・フクヤマの議論で。リーダーシップの信頼。企業の中で重役たちのリーダーシップが問われる。企業の中で必要になるのは将来を見通す先見性で人々を先導することが期待される。シュンペーターの企業家。生き残るために。企業家には個人への信頼が。人々の。カリスマ的企業家。沢山の人が挙げられる。個人的魅力が。アリストテレスの弁論術の。個人の人柄が重要。思慮深く徳があったり行為を持たれたり。企業の中の社長、顔となる人の信頼性。リーダーと社員であるmemberとの関係、人格的関係で信頼性を。企業組織のリーダーとしての企業家はどのような経済機能、役割で信頼性を?企業家が専門的な機能を持っているということ。専門信頼。人柄に加えて専門的能力を持つ。どういう専門性を持つか、技能や技術を駆使。事実に対する信仰、科学に対する信仰。事実。企業家は革新、イノベーションを。生産技術に秀でていて専門知識を。産業革命で蒸気機関の技術革新。紡績業などの発明など。革新という専門機能を持つから。企業家の持つ信頼性が革新的な専門能力だけと割り切れる?現代だと人々は信用しなくなってくる。将来の不確実性、ルーマンの主張。複雑な要因を減らすという面で信頼を。情報を偏って得たりしていて率いるだけでは信用されない。組織全体を見て不確実性を減らす。memberなどとの間でのコミュニケーション。相手の動向を見てのコミュニケーション。同意を得て信頼する。同意信頼。相手の同意を得ての信頼性。コミュニケーション信頼。専門信頼に疑問符が。幾つかの裁判で明らかになったことだが。医療分野で信頼性が考えられる。インフォームド・コンセントが社会に浸透。充分な説明を経て同意する。確実性を高める。手術を勧める、患者の同意を。かつては専門能力をもって同意を求めること無く手術していたが、情報を開示して同意を求めるのが必須とされるように。知っていることが重要。更に提供者情報に同意する。受け手の側からの積極的同意が信頼の中核に。一般の産業社会では?一般の職場でも同意信頼が。ロビン。「最高の職場」。リーダーが優秀である、コミュニケーションが重要。職場には他者が居る。他者を支えて共に働くという配慮が必要であると分かる。コミュニケーションの種類。情報の受け手が、情報提供型。受け手が積極的に参加、近づきやすいようなコミュニケーションがより重要に。組織の内と外とのCommunication。間接的で周りから補完的に信頼性を高める機能が。他にも信頼はある?行動信頼。第3者委員会。お互いのCommunicationだけでなく、第三者が外から見ることで信頼性を確保。誠実さだけでなく、機能的な信頼だけでなくCommunicationの同意だけでなく。主観に基づく同意だと偏りが出てしまう。第三者による除去。専門家の狭い考えから抜け出してバランスの取れた判断が。多面的影響が重要。信頼により一般的な構造が。多面的に不確実性が起こってくる。そういう環境では変化させる構造が重要に。変化への対応。いろんな人のネットワークが。ネットワーク信頼。1つの組織でその構造を重視。ネットワークの上で信頼性が醸成。リーダーとmemberを上手く結合する。中間あたりで信頼性を発生。ミッツバーグ。人々の自発性を促す。リーダーシップとシティズンシップを。自発的行動という働き方。コミュニティシップという信頼性。実現された例。60年代。日本のホンダ。アメリカの輸入オートバイで3分の2を。小型バイクの売り込みが成功。通常であればアメリカでは大型バイクがそれまであった。当初は大型バイクの売り込みを。試行錯誤がなされていろんな学習を。コミュニティシップの発揮。現場における学習によって協力関係を勧めて信頼感が醸成された。今日のリーダーシップには変化に対応した多機能な関係を。外部の視点が重要に。内部の視点と結合しなければ。リーダーが協力関係を。自発的に参加するという環境を。
ソーシャル・キャピタルを始めとする信頼が重要。他者と一緒に仕事をする。不確実性を低める。専門的な技術が。専門信頼。それだけでなく相手との間でCommunicationをとるという信頼性。人々のつながりの中でのネットワーク信頼を保つ。信頼社会の可能性。

 

経済社会を考える―消費・産業の様式(モード)とアンサンブル (放送大学教材)

経済社会を考える―消費・産業の様式(モード)とアンサンブル (放送大学教材)

 

 

へつらい。

会社や官庁などの部署の中には、大抵は上司にへつらう人間が居る(居ない場合は極めて健全な職場環境だろう)。「忖度」と言う言葉が流行りだけど、へつらいと同じような意味で用いられる。元々は他の人の心情を推し量ると言う意味で、悪い内容は含まれていなかったのだけど。左様にしてへつらいは良いimageを含まないけど、上司にしても煽てられるのは悪い気持ちにはならないので、絶滅することはないであろう。オマケに上司の印象で出世が左右されるとなると、へつらいというか忖度の競争になる。しかし上司たる能力があるかどうかを昇進の基準にしないから、組織自体が劣化する。旧日本軍が自滅した所以である。

技術の塊の不具合。

太古の昔(また同じ表現)の小売業は、問屋から商品が来るので検品して棚入れをして、適宜お客様に御説明して(敢えてやらないことも多かったが)、レジで会計をして現金を頂戴するという流れだった。何しろまだ昭和の時代なので情報システムなどの技術はあまり関係が無かった。もしかしたら今でも同じように考えていらっしゃる方が居るかもしれない。しかし商品管理を全て手作業で行なう店は個人商店ても殆ど無いだろう。POSシステムはあるしネットワークには繋がっていたりする。でないと仕事が過重になり儲けが減る。今の店舗は技術の塊で構成される。

そんな訳で或る精密機械(ぼやかして書いているのは企業秘密の関係)を動作させようとしたら、動かずalarmがピーピー鳴る。manualやhome pageのFAQに載っている対応をしたが事態は進展しない。製造元に電話をしたが要領を得ない。電池周りを訳もなく弄ると、alarmが止む。それから動作させると正常に戻る。差し当たりは業務に支障はない。しかしヤバい話なのは変わらない。結局は相談をするしかない。ううみゅ。

外国における道徳教育(道徳教育の方法第14回)

取り上げられた各国でも、初等中等教育については多様性に対する模索をしている。日本では多様性に目を瞑っていないだろうか?

 

堺正之。日本の学校における道徳教育。それに対して海外は?イギリス、フランス、韓国。宗教を共通の切り口として。なんのために?現在の自身の立ち位置を知るため。日本の道徳教育の意識されない部分を。
外国の道徳の参照をする意義。道徳教育は人が生きる上で必要なルールを。万人に必須のものとして基盤に据えられるべき。13年の懇談会では早い時期から外国の道徳教育について取り上げられる。人格の基盤となる道徳性を養う、というのは否定はされない。しかし外国の道徳教育を論じるのは簡単ではない。教育課程の構造が異なる。切り取っても相似形にはならない。日本も見習うべきだ、とは一概に言えない。偏った情報を理想化するのは論外としても、問題点を拡大するには問題が。道徳教育の6つの類型。宗教教育。徳目。専制国家的イデオロギー。新教育学に近い道徳性発達論。公民教育。自律的市民を。コスモポリタンシティズンシップ。しかしあくまで類型に過ぎない。
宗教と学校教育。ホーキング博士。89年に「ホーキング宇宙を語る」。数式が殆ど出てこない。興味深いEpisodeが。81年バチカンにおいて宇宙論の会議。ローマ法王に謁見する。ビックバンそのものについて研究してはならない。神がなさったことだから。科学的認識との矛盾。神話的な物語と結付く。自分たちのルーツを語る。戦前は建国神話が。古事記日本書紀の神々が。神道との関わりが深い。信教の自由と政経分離。しかし神道は宗教にあらずと。国家神道。GHQによる打破。アメリカでも進化論の議論がある。生物の変遷と進化。生物を時間的繋がりで捉える見方を。生物の多様性は進化によるもの。天地創造説とは相容れない。幾つかの州で進化論を禁止する法律が。教師に罰金刑が。個人の信教の自由に違反するという最高裁の判決は68年。しかし完全に決着した訳ではない。同じ時間をかけて創造科学も教えるべき。連邦が違憲判決を出したのは87年。インテリジェント・デザイン論として働きかけを。多様で複雑な生命の構造は何らかのdesignに基づくという。神社へのお参りとクリスマス。歴史と伝統を踏まえて宗教との関わりを。宗教の3種類。宗派教育。信仰として教える。公立学校では禁止されている。宗教系の私立学校だけ。宗教知識教育。様々な宗教の知識理解を。地理歴史や公民の範囲で。宗教的情操教育。積極派。もっと宗教的涵養の面で。宗教の教育的役割を。消極派。情操一般は存在しない。特定の価値観の押しつけになる。立場により議論のポイントが異なる。日本の公立学校では特定の宗教を推奨することはない。そのような理解は思い込み?藤原聡子氏。政教分離の思い込み。倫理の教科書には先哲に学ぶということでキリストやブッダが。宗派教育的記述が。宗教そのものの考察がない。
イギリスの宗教教育。4つのカントリーからなる。一括りには出来ない。スコットランドには14年9月に独立への投票が。正確にはイングランドの。5歳から義務教育。2年や3年を1つにしたキーステージ。段階ごとにナショナルカリキュラムが。英国国教会の元に。公立学校では宗教教育が必須。公教育における宗教教育を考える為に学ぶべきものが。バトラー法。必修科目として全ての学校で。親には退出させる自由が。専ら手続き面を詳細に。元々決めないのは伝統。様々な宗派が併存する状況。内容は多様な宗教を取り上げていて非宗派教育を。多文化多民族世界のアプローチ。知識だけでなく異なる信仰を持つ生徒が学ぶ合う。宗教から学ぶ意義を。88年。ナショナルカリキュラムが創設。社会の世俗化と多元化。集団礼拝については改めてキリスト教的であることに。
イギリスのシティズンシップ教育。00年。成人した後の生活の責任。各教科で拘束力在るナショナルカリキュラムが。PSHD。健康が明記。人格社会性健康教育。個人的課題を。シティズンシップ、市民性教育が加わる。柱として社会的道徳的責任など。政治や社会的活動に参加するアクティブシティズンシップ。文化的多様性の進んだ社会での価値。アイデンティティと多様性。多様なアイデンティティとそこに共有されている価値を探究させる。1つの文化宗教に依拠するのではなく。寛容というのは西ヨーロッパの押しつけ?シティズンシップ教育のジレンマ。
フランス。伝統的にカトリック。20世紀初頭には90%。公認宗教の面。81年。非宗教性を規定。聖職者を初等教育から排除。政教分離法での。教会に対し国家は宗教的中立性を。厳格な政教分離原則。学校教育に問題を。宗教的表象。スカーフやヒジャブ。94年9月に服装の着用を禁止。本来、信教の自由と不可分の政教分離原則のジレンマ。強権的措置は不寛容とされる市民の教育が為されない。知育の伝統。学校を生活の場に。教科外活動が。公民科が復活。96年の通達。公民教育の充実を。市民性教育を構成する柱。85年以来の強化としての公民教育。知識の獲得を。学校生活における問題解決型の活動。学級生活の時間。生徒代表が学校の会議に参加するといった、生徒自治の教育。学校そのものが民主主義を習得する場として。生徒自治の力を信用する。89年。生徒の権利と義務の行使。
韓国の道徳教育。背景となる教育課程や国民意識の類似。高等学校での宗教教育。公立学校での特定の宗派による宗教教育の禁止。82年。宗教授業が選択科目として開講可能に。74年からの平準化政策。学群制の採用。無試験による入学。国公私立の区分がない。宗教教育を受けさせられる可能性。宗派中心から一般的な宗教教育に。比較文化学的観点などから。09年から大幅な変更。共通と選択。全人的成長を基盤とし、創意性を発揮。多元的価値を元に。世界と疎通する市民。11年12年と道徳の教育課程が改定。イジメが問題になったことから。対話を通して平和的に解決。到達基準が。実効性を重視。
外国における道徳教育から何を読み解く?江原岳一氏。文化的共同体の中で育っている日本の生徒たちも、画一的な教育では多様性に対応できないでいる。事実としての多様性に直面。自国のアイデンティティの確立を。既に目の前にある多様性を見出す教育が必要。

 

道徳教育の方法 (放送大学教材)

道徳教育の方法 (放送大学教材)

 

 

忠実さ。

人間にとり一番忠実なペットとして犬を思い浮かべる方は多いだろう。確かに良く懐く動物である。どうしても一定の世話は必要で、堤防に散歩に行ったり食事を出したりするのは必要になる。犬が賢いのは、苦手としている人間に気がつくことである。犬を苦手にしていた私のような人間には、なかなか懐いてくれなかった。まあ懐かれても逃げるだけだけど。人類の長い歴史でも、忠実な犬たちにより助けられた人は多い。阪神淡路大震災でも救助犬が活躍した。盲導犬は外出していて時々見かけるだろう。まあ気紛れな猫の方が可愛いという人間も最近は多いけれど。

4月以来の書庫訪問。

今日は図書館に書籍を返却に行く。4月から延々と借りることになったが読めてない。ううみゅ。

市役所横の建物の玄関に催し物の掲示コーナーがあるが、何も無い。何時になれば埋まるのだろうか。

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中央図書館は2階が入口。写真は撮れないので言葉で説明する。先ずは入口で消毒をする。それから身分確認を実施。貸出券を持っているのでscanしてもらい入る。返却も貸出も無人で。基本的に有人窓口は使用させない方向らしい。それから机は取っ払われ、椅子もひっくり返され紐で縛られ利用出来ない。それでも棚の前で吟味は出来るので何とか借りる。読めるかどうかが問題だけど。

午前中に図書館と駅を往復したが暑い。暑気払いに大阪名物のミックスジュースmix juiceが売っているので飲む。バナナの味がする。

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心理療法9:その他のアプローチ(2)(臨床心理学特論第28回)

マインドフルネスは突っ込んで理解する価値があるかもしれない。西洋的なものと東洋的ものは統合して考えた方が理解が深まりそう。

 

倉光修、高野明。心理療法やアプローチは様々。ある程度個性が反映する。マインドフルネスと関連する心理療法を。仏教、禅に期限を持つ瞑想法。様々な学派で部分的に取り上げられる。ACTなど。
マインドフルネス。言語で表現しづらい。現在に焦点を。価値判断をしない。息を吸って、息を吐いて。今ここに生きることが素晴らしいひととき。呼吸に意識を集中して心静かに。自分の行為、思考にはっきりと気づいていること。物事をありのままに。光を当てること。本質を表現できる?概念に作られた世界は違う。言葉で記述することは出来ない。禅の公案。注意深く見なさい。一輪の花そのものは、花の概念では捉えきれない。公案は存在が花しているのだ。犬に佛性はあるのか。目覚めの性質は?相反する答え。精神の状態が違っていた。有も無も概念の世界。相手に合わせて。的確な答えはその人についてのみ真実。無意識の世界。空想に心動かされる時。特定の意識に集中すれば、negativeなものは背景に退く。移ろう心に気づく。
マインドフルネスのtraining。ストレス低減法。呼吸法のエクササイズ。呼吸して腹部に意識を。呼吸の全ての瞬間に意識を集中。注意をそらせたものは何か。体全体が1つに、それを皮膚が包んでいる。心奪われたものを手放す。ポーズをする際には体のいろんな部分に集中を。息を吐く時には腹部などを収縮させる。膨張するのに気づく。リラックス出来る程度に長く。出来ることと出来ないことの境目を。限界を超えない範囲で。意識的呼吸法。清涼感。8週間のプログラム。不眠などの症状の低減が。時間に追われる生活。マインドフルネスにより時間ストレスの緩和も。
ACT。マインドフルネスのアクセプタンス。高野明。コミットメントセラピー。人生に対する姿勢。行動を重視。全体像を示す3つの頭文字。自分の思考や感情を受け入れる。自分により価値のある方法を選択する。ACTの定義。関係フレーム理論に基づく。人間の苦悩は認知的フュージョンに。アクセプタンスなど。体験的に心理的柔軟性を高める。機能的文脈主義的。関係フレーム理論。機能的文脈主義。物事を細分化するのではなく、全体としてどのように機能するか。一部を切り離すのではなく、行為と文脈を考慮して機能を変化させる。関係フレームというネットワーク。関係づける能力を。進化のプロセスの中で。negativeな場合があり苦悩に。全体の文脈の中で機能を。心理的柔軟性を。ACTのアプローチ。六角形の図。ヘキサプレックス。心理的柔軟性を欠く。自分に価値在る方法の。6つの頂点がプロセスに。今この瞬間に存在。過去や未来ではなく。経験に注意を。アクセプタンス。あるがままに受け止める。体験の回避ではなく苦痛をそのまま受け入れる。評価せずに。脱フュージョン。考えを現実として受け取るのではなく。自分の考えを。文脈としての自己。超越した自己。言葉の関係による自分ではなく。思考そのものを切り離す。アクセプタンスの促進に。価値は選択された人生の方向。自分が何を大事にするのかをはっきりさせる。自ら選択した価値に。充実した有意義な人生を。価値に沿って生きていく。言葉や概念の影響を避ける。概念的理解でなくメタファーや体験によって。ワークショップ。脱フュージョンのために人の写真を踏みつける。行為への判断がなされる。物事の関係付に巻き込まれるのが。足の裏が人間を踏んでいる、というのではなく。感覚と意味付けを切り離す。精神交互作用。第3世代の行動療法は森田療法に通じる。negativeな思考を取り除くのは逆効果。ありのままに受け止める。今ここにある。超越的な自己。神秘的?文脈としての自己。子どもの頃からのときからの自分。ワークショップでのACTのとクライアントにACTを用いる違い。ケースのコメント。手続きよりも苦悩に寄り添う。体験の意味の検討が可能。個別のケースでは個別の苦悩に検討。心理的柔軟性を。事例の個別性に基づき。苦痛に向き合ってアクセプタンスをする。苦行ではない。優しさを育むことを。生き生きとした人生を後押しする。心の回復力、レジリエンス。ポジティブ心理学と通じる。
弁証法的行動療法。DBT。境界性人格障害に苦しむ人のアプローチとして。神経症と精神病の。認知感情対人関係などが所属するのと離れているのを人格障害とするように。見捨てられ感。薬物乱用など衝動的な行為に。環境要因を考える。親が一貫性のない不適切な対応を。子どもの要求や考えを無視する、無効化の頻度が著しい環境。衝動的行為がControlできない。感情や行動を適切にControlし有効化する。全か無か、などの二者択一的なものを弁証法的にバランスの取れたものに。グループスキルtrainingを。様々なスキルを。マインドフルネスな。4つのモジュールからなる。マインドフルネススキル。観察して価値判断せずに。統合して賢い心に。対人関係スキル。人を脅したりしないで訴えるスキル。断ったりするスキルなど。感情調節スキル。感情を同定し反対の行動をとるスキルなど。苦悩耐性スキル。受け入れる。あらゆる時点でハーフスマイルをするなどして。自分が適切に要求すれば世界が与えてくれるべきだと考えている。そうでない世界を受け入れるスキル。受容を強調する。西洋と東洋の禅の教えを統合。
マインドフルネスを精神分析と統合。3部構成。ブッダの心理学。仏教思想が精神分析的に。瞑想。マインドフルネスの本質は平等に漂う注意。セラピー。精神分析の概念が仏教の視座から用いられる。エクスタイン。根源的な空虚感に苦しむ。自己愛が苦しめられた激しい憤り。そのエネルギーを上手く活用する。自己愛的な葛藤が消化されて症状が消失する。マインドフルネスだけでも精神分析だけではなく、統合されてより高いレベルで。平等に漂う注意とマインドフルネスは等価。入れ子構造としてパラレルに。
幾つかの療法の発展に。セラピストが宗教が内包しがちなドグマに自由であること。様々な宗派における崇拝や信仰、生活様式の固執。受け入れがたい。宗教は本来、孤独な個人が超越的なものに触れる。支え合っているという実感で心理的に改善されることがある。宗教の集団療法的効果。超越的存在、生命の根源や真の自己。様々。超越的存在と感じられるものが人々を結ぶ媒体に。根源において繋がっている。極点においては共に内包されていることを自覚。闇に光を。孤独感を克服し危機に適切な対処を。宗教性に関わること。

 

臨床心理学特論 (放送大学大学院教材)

臨床心理学特論 (放送大学大学院教材)