F-nameのブログ

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昨日の献血ルームの状況。

昨日は所用で茨木市に。4年前から住居も職場も高槻市になったので、茨木市はそもそも通りさえしないことに。出身高校の同窓会の役員はしているので時々は同窓会館を訪れるがその程度。それで所要が終わり阪急茨木市駅まで戻り、ふと思いついて献血ルームを訪れることに。

このコロナ禍で基本的に予約制になっているが、空きがあれば飛び込みでも献血が出来る。今日は400ml献血に(基本的に200mlは推奨されていない)。問診のタッチパネルを操作して、医師の面談と血圧測定を。その後は検査として指先から少量の血液を(2年前くらいから指先からの採取になった)。無事に検査が通りベッドに案内され400mlの血液を採取する。終了して15分ほど休んで引き上げる。献血の後に身体がフラフラすることがあるのだが、昨日はそういうことも無かった。

250回ということで記念品をもらったことは書いたが、私の友人にはそれを上回る人間が居るのでうかうかしていられない(何故?)。

 

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新興国企業の台頭と日本企業の対応(国際経営第12回)

日本は新しい分野を開拓し続ける必要がある。もはや韓国だけでなく世界全体がキャッチアップをしていくのだから。

 

吉岡英美。新興国企業の台頭と日本企業の台頭。キャッチアップの要因。裏を返せば先進国企業が苦境に。なぜキャッチアップを許したかの問題が。キャッチアップされる側の問題を。試練を乗り越えるためにどのような対応策を?同じ製品市場で価格やコストを引き下げて対抗する。戦略の変更など。技術革新。先進国企業が成し遂げられなければ地位は相対的に低下する。90年代以降、様々な商品でキャッチアップされる。打開策を。代表的な例に半導体産業を。この事例に着目して背景や対応をサムソンと比較しながら。
世界市場でのシェア。半導体市場。90年時点で46%。15年で11%に。特にメモリでキャッチアップされる。特に08年のリーマン・ショック後、生産活動が縮小。90年代以降の日本の半導体企業。大半は90年代後半以降にDRAMから撤退して新たな商品を。産業全体ではLogicを中心に落ち込んでいる。新たな製品開拓に遅れを。結果としてシェアの低下が。半導体産業の問題。
そもそもDRAM分野の対応が遅れたか。製品コストを下げる必要。規模の経済性を。設備投資に消極的に。長期不況の原因など。統合型企業のジレンマ。組織内部の問題。垂直統合型企業が困難な問題を抱える。半導体産業では日本企業が後発で、アメリカに追いつくことを目標にして80年代にキャッチアップに成功。伊丹敬之。当時のアメリカの半導体事業と違い総合電機メーカー。電子機器の優位性を。半導体産業の強化を。半導体部門の継続的な設備投資を。垂直統合という強みが。部門間の調整の問題を抱える。個々の製品の開発はそれぞれの事業部が。設備投資は全社レベルでの調整で思うようにならない。権限が一致しない問題。全社的に右肩上がりなのと異なり、事業環境が厳しくなり調整が難しくなる。半導体事業のトップにInterview。90年代なかば当時に説得しようとしたが時間がかかる。資金も充分でなかった。ある一定の投資がないと意味がないが、本社が納得しない。エネルギーを消費する。総合型事業のジレンマ。設備投資の遅れに。メモリ離れを。DRAM事業は切り離されることに。サムスン電子も複数の事業を。だが半導体が中核の事業に。社内カンパニー制。製品開発と設備投資の双方の責任を。日本と韓国の組織の違いが。設備投資行動だけではなく。組織能力は組織づくり。なぜ問題か。イノベーターのジレンマ。クリステンセンの提唱。ローエンド商品が破壊的イノベーションを。トップ企業が成功体験の足かせになって。製造技術が製品に埋め込まれる。パソコンに交代。DRAM事業では高品質より如何にコストを下げるのかが鍵を。にも関わらずうまく適応できなかった。80年代の成功経験が足かせに。改革に取り組むことが難しく。80年代は汎用コンピューター。供給者が絞り込まれる。野中郁次郎。要因の1つはオーバースペック的な商品開発。90年代にはパソコンが主に。半導体企業の競争力として機能しなかった。品質管理部門が力を持ち転換が難しい。製品コストを下げるには加工条件を見直したり。高い品質のノウハウが蓄積している状態での不安があり慎重になる。必要最小限のDRAMを生産すべきところを、10年以上の持ちの高い品質を追求することに。最高の加工精度を。コストの引き上げに。品質競争からコスト競争になったにもかかわらず。製品コストが高くなり劣勢に。
それに代わる新たな商品の開発は?何故遅れをとったか。90年代後半から柱の育成を。日本企業と相性の良い商品を。1枚のチップに。緊密な連携が。幅広い商品を。デジタル家電部門を持つ。組織的な強みが。システムLSI事業。設計が複雑に。製造には最先端の加工技術が。開発費も膨らむ。回収するのに規模の経済を働かせることが必要。中核的な技術部分にはスペックを共通化する手法を。同じ種類のシステムLSIを。まとまった生産量を確保。開発時には技術情報をデジタル家電部門から入手を。自分の技術情報を伝えると販売を通じてライバル企業に漏れることに。技術情報の保護のために外部への販売を控えて欲しい、でないと最新の技術は出せない。販売先に限界が。需要者が社内に限られ、採算が取れなくなるジレンマに。サムスン電子も統合型企業のジレンマを抱えている?半導体部門では社内に顧客が居ても。常に競争力のある部品を。サムスン電子の幹部は製品は世界的に競争力を持つので、敢えて社内を優先させない。個々の事業の独立採算制を。
新興国企業と先進国企業は競争関係だけではない。協調関係も。日本の半導体材料の企業との協調関係。後発性の利益を得るのに日本の技術や材料を利用。DRAM事業では技術開発を。日本の半導体向けの企業への影響。主な材料企業が韓国向けの直接投資を。韓国に生産拠点や開発拠点を。素材や化学製品。比較的大掛かりな資本集約的事業。日本で生産してもコストはそれほど上がらない。日本でまとめて生産しても不都合はないように見えるが。なぜ韓国での現地生産や現地開発を?韓国国内での需要の拡大。取り込みのために。世界の半導体産業の投資額。00年代初め頃までは韓国は日本の2分の1。10年代では2倍に。巨額の設備投資を続ける。07年から17年まで、毎年サムスン電子がトップに。10年代には毎年1兆円もの設備投資を。韓国国内の需要の拡大を。日本の材料企業は韓国の事業を拡大。複数の日系材料企業の。現地生産の状態を聞き取り。サムスン電子やLGを。現地で生産や開発を。リスクはあるが成長を掴むのが大事。日本ではビジネスに乗り遅れる。カスタマーとして市場が大きくなるという判断。韓国の半導体事業が先行者利益を得るために短縮を。ある日系企業。韓国に開発拠点を。顧客の要求に時間がかかるとクレームが。日本に開発拠点があると何ヶ月かかかる。検証作業やトラブルの解決などをサプライヤーに求める。危機感を抱かせる。製造装置企業にとっても開発段階から緊密な関係を築くにはメリットが。顧客の近くに工場や研究所を。韓国の半導体企業は大口の需要先であり製品開発のパートナーに。他の要因。外資誘致政策。韓国の対日貿易赤字は半導体絡み。誘致活動を積極的に。土地の賃借料が50年間無料になったり。税金の面で圧縮されるのは非情に助かる。別の要因として韓国のライバル企業の存在。円高の時期では価格競争力が落ちるのでその対策としても。韓国企業のキャッチアップも。半導体関連分野では限られた分野に留まっているが。
日系企業はどのように活動を。現地化の実態。生産活動。生産を始めた当時は全て日本から持ち込んでいた。半導体事業の特有の。工場の規模を拡大するたびに現地生産が進む。生産品目によっては現地調達が進んでる。同じ性能の製品であれば価格が安くトラブルの対応も早い。現地調達に取り組むのはコスト削減が生き残りの条件に。引き下げ圧力が。韓国現地での開発活動。特に現地での活動では複数の日系企業で韓国人エンジニアが。強い要望もある。言葉の壁は大きいので韓国語で対応して欲しいと。スピーディーな対応を。韓国人エンジニアの採用には技術情報を顧客からいち早く入手するのに人脈が。先輩後輩が居ると情報が取れる、韓国人でやるのが力になる。韓国社会では学縁や地縁関係が重視され企業社会でも大きな力に。人材の現地化の背景に。今後さらに加速すると中間財や資本財の面でも無視は出来ない。産業の空洞化を避けるには新しい技術や産業を起こすことが不可欠。

 

国際経営〔改訂新版〕 (放送大学教材)

国際経営〔改訂新版〕 (放送大学教材)

  • 作者:原田 順子,洞口 治夫
  • 出版社/メーカー: 放送大学教育振興会
  • 発売日: 2019/03/20
  • メディア: 単行本
 

 

 

韓国の工業化と半導体産業 --世界市場におけるサムスン電子の発展

韓国の工業化と半導体産業 --世界市場におけるサムスン電子の発展

  • 作者:吉岡 英美
  • 出版社/メーカー: 有斐閣
  • 発売日: 2010/04/03
  • メディア: 単行本
 

 

優しさ。

1989年にアン・ルイスが出した曲に「WOMAN」という題名の曲がある。


www.youtube.com

 

聞いて分かると思うが、女性の失恋の曲である。それでありながら長調のPOSITIVEなメロディーでもある。サビの部分の歌詞の中に「悲しみを身ごもって優しさに育てるの」というところがあり、失恋してもまた次の相手が居るはずとも思えるような印象である。この曲は1989年に頻繁にラジオから聞いた。しかし32年も前なので、アン・ルイスって誰?と言われそうな話ではあるけど。

茨木高校の旧校舎の幻影。

今日は所用で忙しかったが、ふと茨木高校(iOSで入力すると「茨城高校」と出るけどそんなにmajorだろうか)の北門の前を通りがかったので校舎の写真を。

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左側の建物が体育館で、右側がD館(今は芸術科目の部屋がある)。その前にグラウンドがある。私が在学していた1980年代には、そこにA館とB館という戦前からあるボロい校舎があった。趣のあると言えばそうなのだけれど。90年代に校舎が全面的に建て替えられ、80年代にグラウンドだった場所に真新しい校舎が造られた。映画「葬式の名人」も新しい方の校舎を使っている。写真のアングルで、私は旧校舎が見えてしまう。もちろん幻影なのだけど、高校3年間の記憶はなかなか消えない。

日本仏教の深層2 -葬式仏教(日本仏教を捉え直す第12回)

一口に仏教と言っても国により形態が違う。私は創価学会員だが他の宗教と葬式の形式はかなり違う。何しろ僧がいない。進歩と言ってよいのかどうかはわからないが。

 

末木文美士。葬式仏教。日本仏教の深層。しばしば葬式仏教と軽蔑される。僧侶の役割はお墓を守ることなどに。寺の収入になっている。明治時代から生者の生きるためのものに。近代の仏教学は仏教の解明で理論を裏付けようとする。釈尊の生き方は生者のものと。葬式仏教は通俗に妥協したもの。広めるための方便と。輪廻の説でさえバラモンを導入したものと、葬式仏教の形態が習俗と言えるか?本来の仏教に合わない?死者供養は早くから日本で。葬式仏教は新しい形態?近代的な様態とも言えるが。今日の儀礼的形態は中世の禅宗の影響が。一人前の層は宣下と呼ばれる。修行中の僧は手助けしないと迷ったままに。葬儀の方法が形成。他の宗派もそれぞれの方式が。近世の地壇制度で定着、キリスト教の弾圧。宗門改帳、寺に登録を。基本的に家単位。菩提寺や檀家。寺院を支えるパトロンが原義。寺院への登録を。幕府の民衆支配が、寺院が葬式を担当して儒教式は禁止される。儒教は倫理や教育に限られる。神道には葬式の形式は元々無かった。仏教は葬式も担当したが、死者の問題は中心ではなかった。葬式は生活の一部。家単位といっても厳格では無かった。そもそも庶民には姓が認められていないので家の継続にも限界が。家単位で墓を築くのは近代以降。
近代の葬式仏教の意味。天皇を中心とする国家体制。家父長的な家制度。個人を越えて継続し長男が継承。家督相続として家自体を相続して絶大な権限と重い責任。近世には武士や中流にも広がっていたが、近代になり義務化。近代日本の家父長体制を。皇室典範や民法など。大日本帝国憲法。万世一系の天皇の統治。天皇中心、天皇家という家が家父長的に維持。勿論フィクションだが、皇室典範。それを手本にして法体系として民法が。大論争の挙げ句、家制度を中心に。しかし法制度だけでは定着に充分でない、道徳的な教育勅語。家族倫理と国家倫理の統合、家を基盤に。日本社会の基盤を為す家のシンボルがが先祖の位牌と墓。日本では葬送儀礼を仏教が担当したので祀るのが伝統になった。寺院が葬式を担当する中で、寺に墓を。仏教式を否定する動きもあったが。墓地の規制もうまくいかず寺院が担当。地壇制度を生かして新しい関係を。近代は仏教が政治から切り離される。廃仏毀釈で危機的状況になったが乗り切り大きな勢力を保つ。家制度を支える役割を。生者の管理は行政に。死者への対応が主に。神道が葬儀に関われなかったので仏教が。法律上には規定されていないし意図的でもなかったが巧妙に。寺院の境内を支えそれなりの安定を。
第二次大戦後。天皇的国家体制は解体。葬式仏教はそのまま。核家族化、家の意識が薄れる。葬式仏教が成り立たなくなる。家族葬が増えて宗教的儀式をしない直葬も増加、継承が望めないので墓にも変化が。従来の檀家制度が維持できなくなり寺院経済が成り立たなくなり後継者不足にも成る。兼務も。大きな転換点に。社会参加仏教への関心。死者と関わる伝統的な仏教も意義が。過渡的状態であり新しい方向を見出すのが課題。
葬式仏教が本来の仏教の考え方と合わない?最初期の仏教は輪廻を前提?かなり早い時期から輪廻が、カルマの説と深く結びつく。業。潜在的影響力。行為をなした人に働く。自業自得。自分で受ける。良い行為をすれば幸福が。悪い行為だと苦が。現世で完結しないで来世に関わる。業の原則が輪廻と結びつく。現世の行為の結果は来世に。繰り返される、それが輪廻。六道。悪い行為をすれば悪い領域に。同じ人に生まれても境遇に差がある。現世の差別を合理化。輪廻の連続は果がない。輪廻の連続自体が苦しみに。離脱を求める。仏教だけでなくインドの宗教でも、解脱した状態を涅槃と。ブッダは悟りに到達した人と。法則を理解し煩悩を断つ。無我。実態があることを否定。主流の仏教にはアートマンがあるが、仏教は否定しているとされる。アートマン説を取るとアートマンが輪廻すると分かりやすいが。仏教では五運からなると。身体的な要素。精神的な要素。死んだらそれらが解体する?輪廻は仏教と矛盾する?困難な修行の必要もない。仏教では輪廻の主体は?煩悩により五運の塊が死によっても解体されない。それから離脱することが修行の必要性を。輪廻は自業自得で個人として完成。個人の自律性が中核に。ところが大乗仏教に成ると転換。菩薩が、他者とともにある、利他。そのために他者に振り向ける。結果を他者も享受するように。回向。相手が死者であれば回向の原理によることが不可欠。回向を認めると根本的問題が。あくまで自業自得であり他者に関われないはず。大乗仏教では自業自得を崩してまでも回向を認める。自他の区別が曖昧に。可能にしたのが空。空の考えは二項対立は実態性を持たない。それを越えるところに。生と死は対立する?実際は分けられない。脳死の問題。線引が必要。自他の区別も決定的ではなく、死者供養が可能に。功徳を死者に振り向ける。背景にして死者供養が大きく発展するのは東アジアで。比丘たちを供養してその功徳で母親を救う。盂蘭盆経。死者のために功徳を回向するのは中国でも広く。四十九日から一回忌三回忌。中国の仏教を受けて新たな発展が日本で。
日本の場合を詳しく。日本で葬式仏教が発達したのは社会の変化に適応。思想は古くから展開。空海の即身成仏。六大要素は根本の原理。修行者の原理。初めから悟りの中に。それを自覚することで現世で悟りが。インドでは基本的に悟りに達するには修行が。東アジアでは悟りが現実的に。日本では密教の即身成仏が基盤に。禅に比べて密教は理論体系が。悟りが身近に。最澄は即身成仏と。10世紀の後半に浄土教が。極楽浄土に。思想的基礎。阿彌陀佛への。浄土は六郷輪廻を、死後その世界に行くための念仏。元々は仏の姿を観想すること。称名念仏も認められる。来世観が明確な形で。往生を目指す実践的な。遺体の処理も含めて。浄土往生の思想は即身成仏の思想と結びつく。五輪塔。5つの図形を。石で作られた塔。各要素に該当、5つの梵字。人間の五臓と対応。東西南北中央の5つの方向とも対応。身体とも結び付けられ世界とも結び付けられる。塔というのは全てが統合された場。五臓との対応は身体を観相する対象に。即身成仏が実現できないとしても来世には実現することを目指す。死者の身体のシンボル。それにより死者の即身成仏が。仏塔。ブッダの遺骨を祀った場所。日本の五重塔もそれの展開したもの。普通の人のお墓にも用いられるように。死者供養の根拠に。遺体の処理は難しい問題。湿度が高いので死体の処理に困る。放置するか浅く埋葬するか。遺体は汚れたものとされ避けられた。平安中期に浄土教が進展して、死者を鎮めて。密教的な要素は大きい。真言も用いられる。密教的力で成仏させる方法は中世に様々な方法で展開。授戒することで罪が滅せられ悟りの世界へと。汚れを克服して死者供養を進展。念仏も死者供養に大きな力を、禅の力も強力。悟りが目指されたが業法の力は救済することで現世の秩序を保つことで強力な力を。中世には現世の越えるものを。仏教の力が葬式仏教の源流に。威力を基に形式化して儀礼と成る。葬式仏教の進展は日本の大きな特徴。

 

日本仏教を捉え直す (放送大学教材)

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日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

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  • 作者:末木 文美士
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1996/09/02
  • メディア: 文庫
 

 

 

冥顕の哲学1 死者と菩薩の倫理学

冥顕の哲学1 死者と菩薩の倫理学

  • 作者:末木文美士
  • 出版社/メーカー: ぷねうま舎
  • 発売日: 2018/11/23
  • メディア: 単行本
 

 

 

日本宗教史 (岩波新書)

日本宗教史 (岩波新書)

  • 作者:末木 文美士
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2006/04/20
  • メディア: 新書
 

 

 

草木成仏の思想――安然と日本人の自然観 (サンガ文庫)

草木成仏の思想――安然と日本人の自然観 (サンガ文庫)

  • 作者:末木文美士
  • 出版社/メーカー: サンガ
  • 発売日: 2017/11/24
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

鎌倉仏教形成論: 思想史の立場から

鎌倉仏教形成論: 思想史の立場から

  • 作者:末木 文美士
  • 出版社/メーカー: 法蔵館
  • 発売日: 1998/05/10
  • メディア: 単行本
 

 

快さ。

昨年の冬のことだが、入浴をしていても身体が温まらないことが頻繁になった。ドラッグストアを巡回していたら入浴剤のコーナーがあり、ブランドも聞いたことがあるのでバスクリンのゆずの香りを購入した。

【医薬部外品】バスクリン入浴剤 ゆずの香り600g(約30回分) 疲労回復

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  • 発売日: 2018/08/31
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
 

湯に浸かっていると何だかポカポカとする快さを感じる。というわけでこの春までは入浴三昧の日々であった。最近は気温も上昇してシャワーで済ませることもある。これはこれで心地よい。

宣言に伴う休業と要請されないテレワーク。

今日から東京・京都・大阪・兵庫の各都府県で緊急事態宣言が5月11日まで発出される。大阪では医療崩壊の状態にあるからやむを得ないとは考える。しかしながら私自身には影響が甚大である。働いている百貨店は食品フロアを除き休業を受け入れざるを得なくなった。そもそも要請であり強制力はない。その筈である。だが社会に与えるイメージも考慮しなければならないのであろう。そして百貨店が営業休止をするので必然的に弊店も営業が出来ない。まあ昨年の夏にわざわざ百貨店に弊店は移転したのだから会社の責任と言えなくもない。売上も増加しているのでメリットも当然有る。しかし私の会社は全国の彼方此方で営業をしているが、クラスターなんていうものは発生していない。なので不条理さを感じている。それは百貨店にとっても同じことである。人流を減らさなければならないのは分かるが、テレワークを各企業に要請する行動が感じられないのは正直どうかと思う。職場でもクラスターは発生しているし、同僚の間で飲み会に行くこともあるだろう(大阪市役所で多くの人間が飲み会をしていたことが判明したが氷山の一角だと思われる)。メッセージとして総理が経済団体や企業のトップに直接会ってテレワークを要請することを何故やらないのか疑問である。