F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

不摂生。

不摂生をすると身体にはテキメンに影響する。半世紀生きていたら尚更である。流石にかぜ症候群に陥る前兆は分かるようになっている。基本的に鼻がグズグズするようになれば大抵は風邪の前兆である。小青竜湯を服用して様子見をする。それで回復するならそれで良し。それで回復しないと、小青竜湯というより葛根湯の出番である。まあこの辺りで済めば良い方。それでも無理だとかなり危機で、かかりつけのクリニックに行かないといけない。昔は無理をして仕事に行くことも多かったけど、コロナ禍が続いて職場でクシャミをするようでは職場で怪訝に思われるしお客様の前でするのは問題だろう。コロナ禍ではマスク着用などをしないことも不摂生の内容に入るようになっている。

Windows11へのversion upの話。

Windows11がリリースreleaseされた(それからiOSもバージョンアップversion upしているけれど)。準備ができ次第PCに通知が来る筈であるが、果たしてWindows11にした方が良いか悩むところである。使用しているアプリケーションapplicationが対応していないことには無闇にversion upできないのは言うまでも無いし、かなり時間を要するかもしれない。そしてPCが動作しなくなる可能性も皆無では無い。何しろWindowsなのだから念には念を入れるべきだろう。差し当たり外付けのHDDにバックアップbackupをしておくのが無難であろう。なお20年ほど前に、私はWindows95(更に厳密に書くとファイルシステムfile systemがOSR2と呼ばれる代物であった)からWindowsMEにversion upしたことかあるが、半日くらいかかった記憶がある。若かったなあ(何を今更)。ううみゅ。

症状をめぐる精神分析的“力動”の理解(精神分析とユング心理学第6回)

自分の心の中を知りたくもあるけれど怖いとも感じてしまう。

 

森さち子。症状を巡る精神分析的「力動」の理解。様々な症状や訴えの背景には心の葛藤が。無意識的な葛藤も。心の奥には様々な衝動が。名前をつけられない曖昧な衝動。どれとも言い切れない。幾つかが混ざり合う。そこはなとない衝動など。言葉に言い表せない衝動が。絶えず流れている。日常で誰かに思いがけない言葉を。新しい状況に置かれる。衝動がどのような?瞬間瞬間にそれほど考えずに対応することも。もしかしたら自分の行動に驚くことも。普段は様々な動きを感じながら生活している。深刻に捉えすぎないようにしたり後回しにしたりしてその人の対処を。もし上手に対処できないと心のほころびが。失敗して落ち込んだり挫折感を。そこから抜け出せなかったり。達成感でタガが外れる。普段とは異なる心の状態。しばらく経てば戻ることも、戻らないことも。躁状態。心に深刻に。フラッシュバック。不安状態から抜け出せない。傷が深いことを示す。その状態を心的外傷後ストレス障害と診断されるかも。気分の低下が慢性化して鬱状態に。内容や程度にもよるが、その人が柔軟性を持って対処できるか、資質や臨機応変さなども絡んで、何らかの病理が引き起こされることも。どれほどの打撃を与えるか、どの程度回復できるか、再起不能になるかは個体差が顕著に。1人1人に違う。心の中の動きは様々な形で外に。言動は見えるが心の動きを。精神力動。様々な感情や衝動が錯綜しながら現実の行動を支配する。全体を力動と呼ぶ。専門家に援助を求めて相談に。心の衝動に対応できない。中核的な心のテーマ。何が起こっているか分からない。症状をどのように消すか分からない。留意する点。漠然として恐怖や悩みを。心のテーマと理解して臨床家は迷わない。クライエントが頭痛などの身体症状を訴える時に心の問題とするのは危険。呼吸困難のカテリーナ。ヒステリー症状は身体の症状に置き換えられる。原因となる身体疾患を疑いドクターによる治療を優先する。異常がないと初めて心と関わると。問診や検査で疾病が否定されるのが必要。除外診断。最後に残るのが心の問題。最終的に医学的原因がないなら心の問題。心の臨床家は最後に心に。深刻な身体的病理を見逃さない。クライエントの身体症状は悪化してしまう。脳の腫瘍は血流の異変が引き起こすことも。なんでも心の問題と考えがちだが。心身の状態に目を向けて専門家へのルートを。
心の中のこと。力動はクライエントだけに見られるものではない。適応力の高い人の中にも。精神力動がどのように動いていると良い適応が出来ていると言えるか。困ったことになるといえるか。その違いを。自分を理解する、心の動きを理解する鍵に。自分の心の動きを知ると予防的に対処もできる。力動的に心を解釈していく。様々な概念が。代表的なもの。基本概念を押さえておくと臨床を身近に。自己の洞察の手がかりにも。精神分析について。臨床家は難しい言葉を鎧みたいに。知的防衛が強すぎる。専門用語として用いると内部では早く通じる。便利な言葉が沢山ある。本来フロイトが使用した用語はドイツ語の具体的な用語。訳される過程で専門語らしくなる。経緯も念頭に置いて用語の理解を。意識と無意識。フロイトは意識で説明することが出来ない世界を無意識の世界と。意識が優勢になっている私たちにとり遥かに遠いが抽象的なものではない。精神力動。願望がうずまき様々な防衛機制が。臨床家フロイトの功績。とりわけ強調したいのはダイナミックに捉えること。無意識の世界が影響を。前意識と3つの領域。局所。心を捉える局所論。前意識は意図すれば理解しうる。心的構造論。エス超自我自我から。エスは体の内部からの本能的なこと。英語のIt。快感原則の支配する領域。現実原則を無視して快を求める。即時的満足を。欲動のエス。超自我。英語でスーパーエゴ。罪悪感と結びつく。禁止や処罰をする親の内在化。超自我も無意識の領域に。なになにをしなければしてはならない。コントロールする力。快感原則のエスと真っ向から対立。自我。様々な対立葛藤にバランスを取る。エスによりかきたてられるものに現実検討を。現実的適応を。妥協的。エゴ。どうしても日常的実感から遠い。フロイトは自然に用いられるドイツ語に。英語から日本語になり自我に。自我が上手にやりくりしているので処し方が安定する。制御するし厳しい超自我にも対応して調整。自分の心の中のこと、自分の言動について理解が進む。葛藤が捉えやすくなる。葛藤を自覚するようになる、観察自我が働く。上手く働くと自分を吟味して適応力も高まる。その人独自の個性、心の癖も。自我の働き方。様々な心の処し方。自分の守り方。心の安定を図るために自我の対処。精神力動を。防衛機制。原型は抑圧。超自我から厳しく押し込められる。意識したり行動したりすることで不安感や罪悪感を。特に激しい攻撃性や憎しみによるものを閉じ込める。内的安定を。抑圧は無意識的に作動する。程よく働いて現実適応が。あまりに抑圧が強いと。超自我が強くと神経症になったりもする。エリザベートの症例。無意識の内に封じ込めようとして足の痛みに。抑圧という防衛機制は他の防衛機制とセットに。様々な防衛機制が作動する。代表的なものを。否認、回避、逃避。否認は都合の悪い現実を認めないということ。大変楽。実際にはそういうわけにはいかない。しかしある程度に否認しないと生きられない。心配性のお母さん。一人息子を大切に。片時も離さずに。郵便ポストに行くときでさえ抱いて連れて行く。小学校になっても。外の世界は考えると際限がない。学校でイジメにあったら可哀想。登校中に車にぶつかったら大変。地震が起きれば、誘拐に会えば?最悪の事態が怒りうるのを知っていながら否認しているから外に出れる。年齢についての否認。30代や40代になり。実年齢よりも10歳から15歳若く捉えている。もちろん実年齢は知っているが年甲斐のないことをしたり。否認が働いているから。極端にあると無理をして病気になったりする。若く捉えていると健康にもなる。否認の例として最愛のママを交通事故で亡くした小学生の女の子。現実には居ないと知っていたが敢えて無いことにしていた。否認していた。夢の中の世界を大事に。隔離。アイスレーション。ある体験的事実と強い感情を切り離す。事実と情緒体験を切り離せば。他人事のように淡々と語る時に隔離が働いている。防衛規制があるから冷静に話せる。問いかけは禁物。心を破壊するほどの激烈な体験であるからこそ隔離が。情緒を安易に結びつけるようにすると大変な情緒的危機を。矛盾を感じたとしても考慮が必要。土足で内的世界に入っていくのは危険。酷く情緒が揺さぶられる体験を無表情に語っている時に直面化の介入を。それも充分に心の準備が出来ているか充分な配慮が必要。隔離の防衛が。お母さんのことを。不慮の事故で娘を失くす。事実を淡々と話す。妙な感覚を後に語る。壮絶な悲しみを体験できないでいた。隔離という防衛機制が。逆転を基本としたやり直しの防衛機制。美化。不快なことを感じないように内的な安定を図る。良い世界と考えると幸せ。現実の直視ができず自己内省が弱まり人間関係が表面的に。嘘っぽい関係に。反動形成。感じているのとは正反対に。相手に心を知られないように。慇懃無礼。強すぎると、わざとらしく不自然。3歳4歳の男の子。赤ちゃんの弟が気に入らないにも関わらず良き兄として。まさに反動形成。ところが無理を続けて夜泣きが癇癪が。それから20代の女性。幼い頃に慣れない外国の地で母が頼りにならないので幻滅を。それから弱い気持ちを感じそうになると強がりを。強気、反動形成を目一杯発動させる。思ったり考えたり言及したりしたことを否定する打ち消しややり直し。心の安寧を。他のものに、抽象的なものに。抽象化、昇華。置き換え、象徴化。自我の形成とともに社会的適応に。自己と外界の境界に。投影。一方で精神病や境界例の人間に。分裂。投影性同一視。原始的位相化。原始的防衛機制が働くと周囲を翻弄する。泥沼化する可能性が。
概念を知り無意識的領域に。自身の防衛機制のあり方を。心の力動を自覚できるようになると豊かに広がる。

 

精神分析とユング心理学 (放送大学教材)

精神分析とユング心理学 (放送大学教材)

 

 

 

症例でたどる子どもの心理療法―情緒的通いあいを求めて(オンデマンド版)

症例でたどる子どもの心理療法―情緒的通いあいを求めて(オンデマンド版)

  • 作者:森 さち子
  • 発売日: 2015/12/01
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
 

 

 

 

知性。

「反知性主義」という言葉をお聞きになられた方はいらっしゃるだろうか。今年の8月に放送大学の書きなぐりをしたときにも出てきた言葉である。

 

ここでの「反知性主義」の内容は、「分かりやすいことに飛びつく心性。咀嚼するには時間がかかるが、それに耐えられないとワンフレーズや感情に飛びつく」ということであり、反「知性」とされる。ただ咀嚼しても役に立たない学問なども皆無とは言えないのがややこしいところではある。後は「反知性主義」とレッテル貼りを敵にすることも頻繁に見るところである。それから「はてなダイアリー」という、いま使っている「はてなブログ」の前身のブログサービスが出てきたのにも驚いた記憶がある。そして「はてな村」という言葉にも。「はてな村」については私は新参者(使い出したのは2007年であるがかなり以前からはてなダイアリーというサービスはあった)なのでコメントはしないことにする。

秋眠暁を覚えず。

題名は「春眠暁を覚えず」のパロディparodyである。何故こんな題にしたのかというと、今日の朝はヤケに眠たかったから。半世紀も生きるとアラームalarm無しでも朝は目覚めるようになり今日も4時40分に起きた。朝食を取るなど活動をしていたのだが、急に眠気が走り横に。無事にまた目覚めたけど。1時間ほど眠っていただろうか。睡眠時間が足りていないのかと言うとそうでもなく、昨晩は21時(要するに晩の9時だけど鉄道に則って私は24時間制を基本的に使う)に寝た筈である。疲れが酷いのか栄養素が足りないのか。睡眠環境も考えたほうが良いのかもしれない。ううみゅ。

大学の危機と哲学(現代の危機と哲学第7回)

ギリシア哲学が前提になっている?そもそも哲学に誰から入っていくのかも問題に。

 

森一郎。鈴木優花。ハイデガーとナチズム。微妙な問題。文化人と学者が政界進出を。そっちの方向に行くか?止めておけば良いのに。哲学と政治の関係。昔から厄介だが興味津々。
アドルフ・ヒトラー。ナチス。33年に政権掌握。同じ年に大学学長に。ナチズムに加担。ハイデガー問題。フライブルク大学学長として大学刷新。大学行政に向いていたかは疑問で翌年には辞任。45年に厳しい措置。教授活動禁止に。戦後ドイツにつき常に非難される立場に。現実の政治力学。色気は無に等しい。多少なりとも影響力はあった。学長ハイデガー。学長職とは?脚光を浴びる身分。「存在と時間」。それにしても一大学の学長として何が出来る?内部から刷新するくらい。哲学者の学長としては大学全般の理念を再提起。改革大綱。大学改革の理念に。掛け声倒れに終わったが、学長の就任演説。大学改革の偉大な前例。確固なる理念はないし哲学もない。学問と政治。安直な改革に飛びつくのが日本の現状。自説に基づき改革。核心部分を。33年の学長演説「ドイツの大学の自己主張」。シュピーゲル対談。33年当時を回顧。学問の意味への問い。大学の使命を規定することを視野に。演説を論難する人の誰が根本的に読んで解釈したのか。ニーチェにより問題とされる。学問の危機にあたって哲学の可能性を。大学の教員として。大学の使命を。原点。積年の思い。演説を撤回せず。人々が根本的に考えることを願う。学長時代に政治と結びつける政治的学問。ナチ学生団に抵抗を。政治的学問という題目。学問の価値は民族的なもの?民族の高揚に?学問の政治化に対抗。政治的なもの。大学人のマニフェスト。学問の価値とは民族の高揚に評価されるのがハイデガーの標的。自己弁明。奮闘したという一点に。学問の政治尺度、民族。戦う哲学者。どこに求めたか。人文系の学部の縮小は現代も。大学の危機。歴史的広い視野で。
就任演説。抱負。基本姿勢を。学長を引き受けることは精神的指導の義務を負う。ドイツの大学の本質に真実を。本質が明晰になり力を帯びるに至るのは、指導者自らが指導される者となる。精神的任務の呵責なさに導かれることに。自分の指導の正統性。ドイツの大学の本質に求める。指導者自らがドイツ民族の歴史的運命に指導されることで初めて。指導力の源泉を指導されることで。大学の本質は民族の為にある?学問の政治化でなくてなんなのか?弁明の正当性の疑義が。民族の為の事実上の高揚に大学の存在価値を置くナチスへの警戒。産官学連携。社会的弱者救済や災害復興といった口実。軽薄な風潮。民族、フォルク。近代ドイツ国民にとり本来の政治体。政治への学問の従属。学問の政治化。民族のための崇高な使命を持つ学問。急進派になってしまう。哲学者が正面から。事実上の高揚を越えた学問の民族主義化?民族の学問主義化?逆向きの補完的な。専ら学問によって位置づけられる。ハイデガー自身は政治への学問の従属に手を染めたとは思っていない。学問への政治の従属を目指していた。どう見ても正反対。明白極まりない矛盾は民族学問共同体で消滅する。政治と学問の合体。相互依存こそ内実。ドイツの大学の大学の本質への根源的意志。ドイツの大学とは学問に基づき学問を通してドイツ民族の指導者を教育するところ。本質的意義とは、ドイツ民族の学問の意志。運命は力を帯びるに至る。大学は民族と一体となる。一丸となり危機に立ち向かう。学問の政治化。民族共同体に喰い込む。本質的部分を自分の養分に。現在のような迎合的態度。実社会に自らを位置づける程度の妥協策に走らない。国家大学運命共同体。内部からの。運命からの一体化。大学と国家のその双方を一体化する。学問の可能性として。正面突破。あまりにラディカル。社会貢献という名の事実上の高揚にすがろうとする堕落ではない。学問への意味の問い。ハイデガーの古典の学び方に潜む。古代ギリシアからの。あらゆる学問は哲学の原理から。古代ギリシア哲学。哲学の原初から汲み取る。ギリシア的本質。アイスキュロスの悲劇。主人公のセリフ。知は無力である。知の本質の二面性。己の無力さを。真理へと奪還しようとする。真理を探求する者は誰でも心打たれる。しかしそれだけでは何も始まらない。プロメテウス。心理を探求する者。心構えだけではなく。パトス。
知の純粋な形。テオリア。プラスティスと対をなす。考察するという原理。見ることと為すこと。近代になると、理論という意味に。議論か実践かという対立図式に。分断に悩まされる。ギリシア人にとってテオリアとは何か?語義説明。純粋な観察。だがこの参照は正しくない。理論とはひたすら存在者そのものに存在し続ける。他方、観察しつつ問う営みを働いて存在する最高の形式として。ギリシア人の思いは、理論それ自体を最高の現実として理解する。修正された語義説明は正しい?ハイデガーの立場の曖昧さが露呈。エネルゲイア。アリストテレスのニコマコス倫理学。エネルゲイアとは観照的な行為。観照とは見ることそれ自体の為に見ること。それをハイデガーはなぜ認めない。議論と実践の関係。ギリシア人は理論それ自体を現実として理解する。テオリア第一主義?そうではない。逆に実質的に政治への学問の従属を言ってしまっている。プラクティスはポリスへの行為。テオリアこそ真のプラクティスの最大の現実化。ここでは哲学と政治は一体化。いつから哲学者は最大の政治家になった?プラトンでさえ自らの鉄人王国家論が無謀な議論なのかは自覚していた。哲学と政治の一体化は哲学を政治に従属させるのに等しい。政治への学問の服従。汚名をアリストテレスになすりつける。古典歪曲。無理筋の解釈。エネルゲイア。観照のそれ自体の為の意味を薄める。テオリアの具体的意味を肯定することができなくなっている。知のニヒル。自己否認症候群。あくまでテオリアはプラクシスと一体のもの。アリストテレスとは違う。ハイデガーなりの解釈。暴力的な。哲学史の破壊。現代では逆構築と言われている。それで大丈夫なのかの問題がある。区別することに意味がある?
神の死。就任演説の中頃。最後に情熱的に神を求めたニーチェ。神は死んだということ。情熱的に神を求めていた?感心したくなる。神の死が古代の伝統と近代との決定的な境目。ギリシア人は驚嘆から哲学を。西洋の学問の伝統。神の死後の我々はむき出しになっている状態から、問うことから哲学は始まる。問うに値するもの。ソクラテス的な問い尋ねることというよりもまさに疑うこと。デカルト以来の懐疑の精神が近代哲学の出発点。疑うことは近代以前に無かった?ソクラテスの問答法の知っていると思っていることを問い訪ね、疑問的に吟味。近代は懐疑。眼の前にある椅子や伝統などのことは本当にあるのか?ゼロからやり直す。普遍的懐疑。デカルト以来の流れ。それを引き受けて「神は死んだ」と。近代的な懐疑の精神をハイデガーなりに引き受けて。疑うことが根本的に哲学を。デカルトをよく批判するが、むしろハイデガーはデカルトの延長線上でもある。ニーチェの言葉「神は死んだ」。近代史の全体が神の死に。神を原理にした世界が崩壊して、神なしで済ませる世界観を評価。それほどのスケールの歴史的転換。学問も大学も変わらなければ。大学刷新と学問刷新を。学長として。アリストテレスのテキストを都合よく解釈している?それなりに説明がつく。神の死。アリストテレスにおいて神は原理。全知全能。逆立ちしても人間はなれないが。紙の英知、ソフィア。理想追求的な生き方。知の理想追求。神がなければ有り得ない。神が死んだとなれば、テオリアの理想が崩れる。神の英知の完全無欠性が前提。見ることと在ることがイコール。神は死んだので、ゼロから新しい知を。古代以来の学問の伝統を捨てて。ニーチェもハイデガーも。どのように始めるか。哲学を大学を如何に刷新するか。新しい知のスタイルはいかなるものか?学長の大学改革は?
大学の危機。ニーチェの神の死と繋がる。神の死、テオリアが無くなってしまった。真理への探究の意味は失われた。たまたま言ったのではない。学問の意義は?テオリアの問題。

 

現代の危機と哲学 (放送大学教材)

現代の危機と哲学 (放送大学教材)

  • 作者:一郎, 森
  • 発売日: 2018/03/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

死と誕生―ハイデガー・九鬼周造・アーレント

死と誕生―ハイデガー・九鬼周造・アーレント

  • 作者:森 一郎
  • 発売日: 2008/02/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

ハイデガーと哲学の可能性: 世界・時間・政治

ハイデガーと哲学の可能性: 世界・時間・政治

  • 作者:一郎, 森
  • 発売日: 2018/08/24
  • メディア: 単行本
 

 

完全さ。

世の中に色々とクリアーしなければならない課題はあるが、差し当たりペーパー試験に通ることを考える。大学などの入学試験や資格試験の類である。合格するための「完全マニュアル」という表題がつけられた講座や書籍は山積みになっているが、これをすれば100%成功するというのは眉唾ものである。大抵の人間はその種のものに手を出してマスターする時間を確保しないままに失敗する。そもそも勉強しないと成功する筈はない。それで試験をクリアーする人間が使う書籍や講座などのツールは千差万別である。なので適当な教材を選んでマスターすれば大抵は通る。しかし一定の時間を費やす必要がある。こう書くと身も蓋もないと思われるだろうが、「完全マニュアル」の類を信奉するよりは真実に近いと思う。このことはペーパー試験に限らない。例えば採用面接なんて面接担当の人間が採用と判断すれば良いわけだから評価基準は千差万別の筈である。もちろんある程度は共通の物差しはあると思うけど。