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大学の危機と哲学(現代の危機と哲学第7回)

ギリシア哲学が前提になっている?そもそも哲学に誰から入っていくのかも問題に。

 

森一郎。鈴木優花。ハイデガーとナチズム。微妙な問題。文化人と学者が政界進出を。そっちの方向に行くか?止めておけば良いのに。哲学と政治の関係。昔から厄介だが興味津々。
アドルフ・ヒトラー。ナチス。33年に政権掌握。同じ年に大学学長に。ナチズムに加担。ハイデガー問題。フライブルク大学学長として大学刷新。大学行政に向いていたかは疑問で翌年には辞任。45年に厳しい措置。教授活動禁止に。戦後ドイツにつき常に非難される立場に。現実の政治力学。色気は無に等しい。多少なりとも影響力はあった。学長ハイデガー。学長職とは?脚光を浴びる身分。「存在と時間」。それにしても一大学の学長として何が出来る?内部から刷新するくらい。哲学者の学長としては大学全般の理念を再提起。改革大綱。大学改革の理念に。掛け声倒れに終わったが、学長の就任演説。大学改革の偉大な前例。確固なる理念はないし哲学もない。学問と政治。安直な改革に飛びつくのが日本の現状。自説に基づき改革。核心部分を。33年の学長演説「ドイツの大学の自己主張」。シュピーゲル対談。33年当時を回顧。学問の意味への問い。大学の使命を規定することを視野に。演説を論難する人の誰が根本的に読んで解釈したのか。ニーチェにより問題とされる。学問の危機にあたって哲学の可能性を。大学の教員として。大学の使命を。原点。積年の思い。演説を撤回せず。人々が根本的に考えることを願う。学長時代に政治と結びつける政治的学問。ナチ学生団に抵抗を。政治的学問という題目。学問の価値は民族的なもの?民族の高揚に?学問の政治化に対抗。政治的なもの。大学人のマニフェスト。学問の価値とは民族の高揚に評価されるのがハイデガーの標的。自己弁明。奮闘したという一点に。学問の政治尺度、民族。戦う哲学者。どこに求めたか。人文系の学部の縮小は現代も。大学の危機。歴史的広い視野で。
就任演説。抱負。基本姿勢を。学長を引き受けることは精神的指導の義務を負う。ドイツの大学の本質に真実を。本質が明晰になり力を帯びるに至るのは、指導者自らが指導される者となる。精神的任務の呵責なさに導かれることに。自分の指導の正統性。ドイツの大学の本質に求める。指導者自らがドイツ民族の歴史的運命に指導されることで初めて。指導力の源泉を指導されることで。大学の本質は民族の為にある?学問の政治化でなくてなんなのか?弁明の正当性の疑義が。民族の為の事実上の高揚に大学の存在価値を置くナチスへの警戒。産官学連携。社会的弱者救済や災害復興といった口実。軽薄な風潮。民族、フォルク。近代ドイツ国民にとり本来の政治体。政治への学問の従属。学問の政治化。民族のための崇高な使命を持つ学問。急進派になってしまう。哲学者が正面から。事実上の高揚を越えた学問の民族主義化?民族の学問主義化?逆向きの補完的な。専ら学問によって位置づけられる。ハイデガー自身は政治への学問の従属に手を染めたとは思っていない。学問への政治の従属を目指していた。どう見ても正反対。明白極まりない矛盾は民族学問共同体で消滅する。政治と学問の合体。相互依存こそ内実。ドイツの大学の大学の本質への根源的意志。ドイツの大学とは学問に基づき学問を通してドイツ民族の指導者を教育するところ。本質的意義とは、ドイツ民族の学問の意志。運命は力を帯びるに至る。大学は民族と一体となる。一丸となり危機に立ち向かう。学問の政治化。民族共同体に喰い込む。本質的部分を自分の養分に。現在のような迎合的態度。実社会に自らを位置づける程度の妥協策に走らない。国家大学運命共同体。内部からの。運命からの一体化。大学と国家のその双方を一体化する。学問の可能性として。正面突破。あまりにラディカル。社会貢献という名の事実上の高揚にすがろうとする堕落ではない。学問への意味の問い。ハイデガーの古典の学び方に潜む。古代ギリシアからの。あらゆる学問は哲学の原理から。古代ギリシア哲学。哲学の原初から汲み取る。ギリシア的本質。アイスキュロスの悲劇。主人公のセリフ。知は無力である。知の本質の二面性。己の無力さを。真理へと奪還しようとする。真理を探求する者は誰でも心打たれる。しかしそれだけでは何も始まらない。プロメテウス。心理を探求する者。心構えだけではなく。パトス。
知の純粋な形。テオリア。プラスティスと対をなす。考察するという原理。見ることと為すこと。近代になると、理論という意味に。議論か実践かという対立図式に。分断に悩まされる。ギリシア人にとってテオリアとは何か?語義説明。純粋な観察。だがこの参照は正しくない。理論とはひたすら存在者そのものに存在し続ける。他方、観察しつつ問う営みを働いて存在する最高の形式として。ギリシア人の思いは、理論それ自体を最高の現実として理解する。修正された語義説明は正しい?ハイデガーの立場の曖昧さが露呈。エネルゲイア。アリストテレスのニコマコス倫理学。エネルゲイアとは観照的な行為。観照とは見ることそれ自体の為に見ること。それをハイデガーはなぜ認めない。議論と実践の関係。ギリシア人は理論それ自体を現実として理解する。テオリア第一主義?そうではない。逆に実質的に政治への学問の従属を言ってしまっている。プラクティスはポリスへの行為。テオリアこそ真のプラクティスの最大の現実化。ここでは哲学と政治は一体化。いつから哲学者は最大の政治家になった?プラトンでさえ自らの鉄人王国家論が無謀な議論なのかは自覚していた。哲学と政治の一体化は哲学を政治に従属させるのに等しい。政治への学問の服従。汚名をアリストテレスになすりつける。古典歪曲。無理筋の解釈。エネルゲイア。観照のそれ自体の為の意味を薄める。テオリアの具体的意味を肯定することができなくなっている。知のニヒル。自己否認症候群。あくまでテオリアはプラクシスと一体のもの。アリストテレスとは違う。ハイデガーなりの解釈。暴力的な。哲学史の破壊。現代では逆構築と言われている。それで大丈夫なのかの問題がある。区別することに意味がある?
神の死。就任演説の中頃。最後に情熱的に神を求めたニーチェ。神は死んだということ。情熱的に神を求めていた?感心したくなる。神の死が古代の伝統と近代との決定的な境目。ギリシア人は驚嘆から哲学を。西洋の学問の伝統。神の死後の我々はむき出しになっている状態から、問うことから哲学は始まる。問うに値するもの。ソクラテス的な問い尋ねることというよりもまさに疑うこと。デカルト以来の懐疑の精神が近代哲学の出発点。疑うことは近代以前に無かった?ソクラテスの問答法の知っていると思っていることを問い訪ね、疑問的に吟味。近代は懐疑。眼の前にある椅子や伝統などのことは本当にあるのか?ゼロからやり直す。普遍的懐疑。デカルト以来の流れ。それを引き受けて「神は死んだ」と。近代的な懐疑の精神をハイデガーなりに引き受けて。疑うことが根本的に哲学を。デカルトをよく批判するが、むしろハイデガーはデカルトの延長線上でもある。ニーチェの言葉「神は死んだ」。近代史の全体が神の死に。神を原理にした世界が崩壊して、神なしで済ませる世界観を評価。それほどのスケールの歴史的転換。学問も大学も変わらなければ。大学刷新と学問刷新を。学長として。アリストテレスのテキストを都合よく解釈している?それなりに説明がつく。神の死。アリストテレスにおいて神は原理。全知全能。逆立ちしても人間はなれないが。紙の英知、ソフィア。理想追求的な生き方。知の理想追求。神がなければ有り得ない。神が死んだとなれば、テオリアの理想が崩れる。神の英知の完全無欠性が前提。見ることと在ることがイコール。神は死んだので、ゼロから新しい知を。古代以来の学問の伝統を捨てて。ニーチェもハイデガーも。どのように始めるか。哲学を大学を如何に刷新するか。新しい知のスタイルはいかなるものか?学長の大学改革は?
大学の危機。ニーチェの神の死と繋がる。神の死、テオリアが無くなってしまった。真理への探究の意味は失われた。たまたま言ったのではない。学問の意義は?テオリアの問題。

 

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ハイデガーと哲学の可能性: 世界・時間・政治

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