F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

消費生活用製品とリスク(生活リスクマネジメント第11回)

パソコンもリスクの塊なのだろうか。まあソフトウェア的なものが多いだろうけど。

 

奈良由美子。消費生活用製品とリスク。日常生活で使用する消費生活用製品につき。被害実態と消費者の認識。対処を。
リスクの様相の局面。事故の実態。製品評価技術基盤機構。NITEの調査結果。独立行政法人。事故。人的被害の可能性が高い物損被害や製品不具合。製品事故の件数。13年度ではおよそ3000件以上。家庭電気製品が4割。乳児用製品など様々。かなりの数の製品事故が。どの程度の被害に繋がる?大きく2つ。人的被害とそれ以外。人的被害。600件。死亡が36件。最も多いのは家庭用電気用品。燃焼器具など。死亡事故としては電気ストーブなどの家庭用電気用品。燃焼器具。石油ストーブなど。日頃使用している製品に関して。日常生活で製品を使用するのはリスクを伴う。製品事故の発生原因。消費者側に原因があり製品事故に繋がるケースがかなりある。注意により防げる。製品自体の欠陥を思い浮かべることもあるが、事故情報によると製品そのものだけではなく誤使用や不注意による事故がかなり多く。事故原因をカテゴリーに。製品起因。製品に起因しない。原因不明。製品起因。設計製造表示等に問題。使い方に問題。経年劣化。製品起因であるが不明。製品に起因しない事故。施行修理輸送等に問題。誤使用や不注意。製品に起因する事故や起因しない事故の割合。11年度から3年度。7700件について。製品に起因する事故は3800件。全体の5割。製品に起因しない事故。1470件。およそ2割。特に誤使用不注意の事故の割合が多くその中の6割。ユーザー側の起因する事故。
リスクの認識の局面。生活者は安全性を求める姿勢が強い。三菱総合研究所の08年の調査結果。購入する際に安全性についてどの程度重視?電化製品では9割弱。石油ガス器具も9割強。安全性を強く。一方で誤使用不注意の事故が。発信されるリスク情報が警告表示。誤使用不注意の事故を防ぐ対策。製品仕様のリスクを伝えるリスク情報。接したときどのように認知する?警告表示とリスク認知の研究が。特に製造物責任法。PLから一般にPL法の制定とともに盛んに。アメリカでは80年代から製品警告が安全行動に導けるかの研究が。日本でもPL法が95年に。代表的研究。警告表示の基本要素。シグナルワード。警告であることが分かる。危険警告注意。危険内容。被害が何であるかを。成り行き情報。従わないときの。指示事項。何をして何をしてはいけないが。行動変容に繋げるには警告表示そのものが効果的であることが。能動態、明確に断言。曖昧な表現を下げる。活字の大きさやフォントやレイアウトで見やすくする。警告表示そのものが別のところでも消費者を左右。受容されないことがあるが3つの理由が。そもそも消費者が見ない。内容を理解できない。無視する。3つを整理してそもそもの理由にも検討が。主な知見。人はその製品を危険と感じていれば読むが安全と感じていれば読まない。製品を使い慣れていると読まない。被害が重大だと感じることから読む。警報や避難勧告避難指示と同じことが言える。生活用製品についてもそのまま受け取らない。ベテランバイアスや正常性バイアスが。外れることが起こる。
リスク対処。公的対処。事業者の。消費者の。公的対処。製品の安全性の消費生活用製品安全法。消費者庁の創設で。消費者安全法が。消費者庁は関係機関から情報を一元的に。具体的な施策。製品評価技術基盤機構の業務の内容。製造物責任法、PL法。消費生活用製品につき重要な法令。製品の欠陥により生命などに損害を被ったことを証明した場合に損害賠償責任を。追及する時に民法に因ると加害者に故意過失があったことの証明責任が。被告の過失を原告が立証。しかし一般的に難しい。円滑適切な被害救済を。関連事故における適切な救済を。欠陥責任に転換することで立証負担を低減。95年に施行。被害者は3つの事実を。製造物に欠陥が存在。損害が発生したこと。因果関係があること。PL法の対象となる製造物。製造加工された動産。一般的には大量生産される工業生産などの動産。不動産や農産物やソフトウェアは該当しない。欠陥とは?予想される使用形態など通常有すべき安全性を欠いていたこと。判断要素を総合的に。製品の調子が悪い性能が悪いと言った安全性には関わらないことは欠陥に該当しない。PL法の欠陥。設計上の欠陥。製造上の欠陥。指示警告上の欠陥。危険に関する適切な情報を与えない。PL法でいう欠陥に当たらない場合は民法上の問題。瑕疵担保責任などの要件を満たせば損害賠償責任を追及できる。
事業者と消費者。その前に製品事故の責任。3つの要素。製品。使用者。使用環境。製品の安全性の確保には3つの要素の状態を高める。製品の要素。事業者は製造不具合などの。使用者と使用環境。事業者だけの努力に限界が。製品事故の責任は誰にあるのかと同じ意義を持つ。消費者が誤った使い方をしたり不適切な環境で使う。消費者も責任を。安全性確保の責任が。責任主体が。事故防止のための分担がどうであるか。概念図として。オカトライアングル。責任主体についての概念図。考案者は岡修一郎。東芝に入社。70年代に現社団法人電子情報技術産業協会の安全委員会で。シンプルに可視化。様々な製品に活用。使用状況が正常か正常でないかで層が分かれる。正常使用。予見可能な誤使用、非常識な使用。正常使用の層。使用者が正常に使用しているから製造者側が責任を。非常識な使用の層。消費者に使用上の注意を守る義務が。一般常識のある誰もが誤使用と認識する使用方法。非常識な使用の具体例。猫を電子レンジで乾かす。耐震消火装置のストーブを蹴飛ばしで消す。洗濯物を家で干すのはどうか?極端例はあるが難しいものも。環境や時代背景にもよる。子どもが使うものは大人に思いも寄らないことが。明確な境界は難しい。予見可能な誤使用。事業者が安全確保を。範囲を全ての製品消費者を想定して一義的に定めるのは困難。使用者の責任が問われることも。範囲内の紛争が多くなる。トライアングルには事業者の確保する安全基準と消費者が注意する範囲が重複する部分がある。それが予見可能な誤使用に。注意を知らせる義務。
次に事業者消費者には。事業者。一般消費者の生命などの被害の防止の事故管理の必要性。欠陥のない製品。製造上の欠陥を失くす。指示警告上の欠陥を失くす。取扱説明書や警告表示。消費者は使用方法や危険性を理解しないと事故に。PL法に準拠すると情報を提供しないことは安全性を有しないことに。設計上の欠陥や製造上の欠陥は専門知識が必要だが。警告や説明表示は製品の一部として。事前管理を行いそれでも事故の発生を想定して事故的な管理局面。情報の収集やリコール。紛争処理。調停や訴訟。その準備や対応。
消費者側の対処。安全確保のための。情報収集。そもそも消費者側にとり製品は不確実性が高い。製品の仕組みが分かりづらい。どのような仕組みかなど。製品は結果評価において分かりづらい。利点や欠点はどうなのか、など。何もしなければ不確実性が高いまま。消費者は製品に関する情報を集め不確実性が小さくして購入を決定する。購入へのプロセスは不確実性を減少させるための情報の収集加工。不確実性が大きくなっているのが現在。多様な原材料が用いられ流通も多様。事業者側の情報が大きく情報量の格差が。取引主体の情報の非対称性。不利な結果をもたらす。消費者の対処としては製品情報を探索するなど。製品の事故情報など。ホームページ。購入後には取説や警告表示を。ベテランバイアスや正常性バイアスなどを弱めて。誤使用をしない。かなりの事故を低減できる。リコール。回収修理。ガス製品など様々な製品がリコールされる。メディアを介して。ポータルサイトを。このような情報源から能動的にチェックする。新聞などの社告を。放置せずにフィードバックを。それでも事故が発生したら交渉やADR、調停訴訟などの対応を。紛争の場合にはPL法や民法に基づく瑕疵担保責任などの損害賠償責任を。ADR。当事者間の処理と訴訟の中間。第三者に。
情報を収集を怠ると責任が。消費者がそれぞれの責任を理解しながら努力することが求められる。

 

 

無頓着。

これを読んでいる大半の方は日本国にいらっしゃるだろう、日本語を読めているのだから(しかし日本に居なくても日本語を読める方も当然だがいらっしゃるが)。そして日本にいらっしゃる方のまた大半は日本民族に属するだろう。しかしそうでない人間も当然だが居る。朝鮮民族だったりベトナム民族だったりもするだろう(もちろん他の国から来られた方も)。私が子供の頃は、日本は単一民族国家であるとされた(もちろん他の国ではそんな国は少ない)。しかしそのような頃でも、朝鮮民族の方々は数多く居て(特に大阪府では多かった)、小中学校では朝鮮人差別の問題について学んだりもした。今現在では日本には日本民族しか居ないと考えるのは無頓着に過ぎることであろう。まあ無意識のうちにそう考えている人間は少なくないとは思うけど。

昨夜の地震と帰宅難民。

昨日の夜遅くに首都圏で地震が起こったことを、今日の早朝に起床して聞く(読者の皆様はご無事だろうか)。これを書いている昼の時点では死者が出たとの報道は無いが、鉄道網にはかなりの影響が出ているとのこと。それで帰宅難民も出てきているとも。首都圏では関西圏と比較しても通勤距離が長いので、歩いて帰るのが大変だろう(こういう時はタクシーも捕まらないだろうし)。ホテルなどに泊まるのもカネがかかるし首尾よく確保出来るかも分からない。

私は10年以上前に神戸の通信工事の会社に勤務していたことがある。高槻まで歩いて帰るのは大変だと感じたのを記憶している。幸いそのような羽目にはならなかったが。ちなみに神戸から高槻まで徒歩で行くなら、国道171号線を使うのがほぼ最短距離になる。大阪市を経由すると回り道になる。これは自動車でも同じことが言えそうだけど、高速道路を使った方が早いだろう(なお私は高速道路についてはよく知らない)。

ユング心理学:コンプレックスと元型(精神分析とユング心理学第9回)

赤の書を紐解くのも貴重な体験になるかもしれない。覚悟は当然必要になるけど。

 

大場登。コンプレックスと元型。ユング心理学。コンプレックスの紹介。理解した上で。人類のコンプレックスとも言う元型について。ユングを紹介するのにユング自伝を。特異な性格を。幼少期から内面的な経験。イマジネーションに見舞われたのか。方向喪失、内的不確実感に。想像の病に。夢への営み。自分を使った実験。赤の書に詳細に記されている。この時期のユングが連想や考察を赤の表紙の大きな書に書き写し、絵や曼荼羅なども。無意識との対決。生涯をかけて展開する心理学の基本的視点が殆ど見いだされる。非常に内的なものなので強い不安を。出版には躊躇。09年10年にようやく世界同時刊行を。大きな書物でたくさんの絵がカラーで。高額。気軽に購入はしがたい。大型本。手にとって見るのも良いかも。14年には赤の書のテキスト版が。赤の書はユングが方向喪失の時に経験した無意識との取り組みを。人物像たちとの生き生きとした生々しいやり取りが。大変なエネルギーが必要。圧倒されかねない書物。ユングの幾つかの夢やビジョンを。13年12月にみた夢。茶色い皮膚をした見知らぬ若者と岩山に。星星は消えようとしていた。彼を殺害しなければ。待ち伏せて最初の光線の中山の稜線に。走り下りて彼を撃った。倒れて死んだ。日本を含めて多くの国で出版されている原題はドイツ語で、ユングの夢回想。死んだ年の出版に。ヤッセ編纂の。85年版を底本。夢の中のゲルマンの英雄ジークフリートの殺害。自我の意志よりもより高いものが。頭を下げなければ。夢の中でジークフリートを射殺したときに圧倒的な悲しみを。共感は人が自分自身の理想と離れなければならない苦悩。英雄との密かな同一性が。苦悩とともに経験したことは分析心理学が持つ内的世界観の一つに。心の奥の声に耳を傾けるときは自我の意思は犠牲にされねばならない。高次のものに頭を下げねばならない。個性化。人間にとっての意識の重要性。長い年月をかけて意識体系を築く。自分とはどのような人間であるか、家族などとはどのような関わりを。自然への理解。価値観。様々な環境や遺伝子のもとで偶然などと関わりながら固有の体系として。新しく出会った出来事は意識の網の目の中に位置を定められ経験していく。意識の体系の要が自我と理解される。自我という日本語は複雑な背景を。ドイツ語でIch。英語でIやMe。個々人が苦労して築き上げる意識体系の要の人格が自我と表現される。私とも表現できる。実は人間の心には無意識が。渦のようなものが。意識と無意識。渦のような存在、その一つがコンプレックス。築き上げた意識体型に対しコンプレックスなど様々な渦のようなもの。存在主張を。一つのコンプレックスが活性化して意識には大変な仕事。心身の症状に見舞われることも。それまでの意識体系の中に性というものが入っていない場合に性のコンプレックスが活性化することもある。これまでの意識体系は性なしで安定していた。意識体系側も抵抗をして強迫症状などが出現する。性といった汚いものは徹底的に排除。洗浄強迫に苦しむことも。閉めてきたのに性に出てきては困るので無意識的にやたらと戸締まりが気になったり。駅についたら逆に鍵を開けたままに?延々と繰り返されて学校や会社に。確認強迫や戸締まり強迫。バカバカしいと思いながら。性のコンプレックスが活性化していることも古典的には。もちろんもっと複雑なことも。性をめぐるコンプレックスと向き合い意識が変容していくのに人間は症状に見舞われることもあれば何年もかかることも。1人での作業。セラピストとの協力も。変容のプロセス。新しい意識体系が。症状に見舞われることはとても苦しいことだが、意識のあり方の変容が要請されているということ。決して当人にとり否定的なものではない。苦しいプロセスを経過して変容を遂げて、一息ついたかと思えば別のコンプレックスが。またも意識体系の変容を迫られる。このようなプロセスの連続。個性化。意識の主体としての自我。個性化の過程とされるプロセス。心全体の中心とも表現できるものを自己、セルフと。ジークフリート殺害の夢で自我の意思より高いものが。自我の意思より高いものが自己と理解できる。ユングが12年から苦しんだ想像の病。37歳から44歳までの間。フロイトが成人に至るまでの時期に焦点を。ユングは人生の後半を重視。中年期に危機に見舞われることが多く、中年期危機。自己が現れる方向への。13年12月の夢の後、地下、下。無意識をイメージ。宇宙の混沌の端。クレータ。死者の国。白いひげの老人と美しい少女に。声をかける。少女はサロメと。エリアが老人。カトリックプロテスタントの話。エリアは預言者。エリアは預言者を集めて1人で対峙して神が1人であることを示す。明晰な知性を持つ。賢く年老いた預言者。サロメ。聖書に関わる。マルコによる福音書。ガラリアの太守ヘロデ王。兄弟の妻を娶るのは良くない?ヘロディアはヨハネを殺したかったが叶わない。宴会を催す機会が。ヘロデ王に対しヘロディアの娘は母に聴く。今すぐヨハネの首をいただきたいと。ヘロデはやむを得ずヨハネの首を。母に渡す。ヘロディアの娘こそサロメという伝説が。様々な作品のモチーフになる。サロメには悪徳と退廃のイメージが。エリアとともにサロメが現れたことに肝をつぶした。盲目でもあったので、エロティックな要素があり警戒。異教徒的な男性。ある夢の中で翼を持つ老人。1束の4つの鍵を。錠を開けようと。心の指導者となる。ユングのイマジネーションのフィレモンなど。人間の心のイメージ。イマジネーションの中の人物像。自らを作り出す存在があるという認識を。ある力を。想像上の対話をして思ってもみなかったことを。フィレモン。考えはおりの動物や部屋の中の人間と同じように自分の生を持ったもの。私は心の客観性。心の現実性を教わっていった。フィレモンとの対話。いわば客観的な存在として。私の中で私の知らないことを語ることのできる存在があることを。ユングはこのようにして人間の心の中には自分の知らない世界があることを知る。無意識の世界が客観的であると。逆説的な視点。心の深いところに降りていったので主観の世界を決定的に探索する?ところが内界の奥深くに入っていくと自我の預かり知らぬ世界が広大に広がっている。個人的でない内界が。この内的宇宙を客観的であると。人間の心の中の内的宇宙を伝えなければならない。人間一般の心の問題であると認識。無意識との対決の時期に経験したことを蒸留していくのに45年の年月を必要としたと。その後も見据え続けられている心の世界。目のようなものであったとしてもユングが格闘した世界にあると。乱気流が存在しているように。ココロの中にも心理的渦というコンプレックスがあると。ユングは個人的色彩を持つコンプレックスが。個人を超えた無意識の世界。集合的無意識。その中にこそ元型というものが。かつて普遍的無意識と使われたことも。ユングがなぜ敢えて集合的としたか。Collective。Personalに対する。プラスマイナスの両面で。日本社会はCollectiveな社会と批判される。集団安全保障でドイツを繋ぎ止める。ユングもこの意味でCollectiveと。これに対して普遍的という言葉はどちらかというと肯定的。意味合いを可能な限り忠実に訳すと集合的無意識が適切。非常に貴重な世界である外的世界と同じように内的世界を大事にすべきとしたが、過大評価には慎重だった。時々ユング心理学が誤解されるが。超個人性は美化されたり絶対化されたりすることはない。慎重で批判的関わりを。集合的無意識からのイメージへの対決を。ユングの好きな人はイメージに開かれた人が多いが、イメージに自分が如何に取り組むかが死活的に重要であると。今後の各回で神話や昔話が。各回では一つの元型であると。元型という考え方。アニマなどの極限定されたものしかないと誤解されていたことが。人間の心には元型も無数に存在。コンプレックスも無数に。全て元型とつながっている。カインとアベル。兄弟の複雑な葛藤関係。元型とみなした方が良い。モチーフは個人の生活の傷に起因するというより、人類に共通のコンプレックス、元型であると考える方が自然。個人的な兄弟葛藤の傷に由来するカイン・コンプレックスとカインアベル元型は相互につながっている。共に刺激されると理解することができる。個人的無意識や、当該人物とは一義的には無関係に人間であるが故の内的世界での渦があるのだと。様々なイメージがひしめいていると。星の断片と同様に内的世界にコンプレックスや元型がある。

 

精神分析とユング心理学 (放送大学教材)

精神分析とユング心理学 (放送大学教材)

 

 

 

 

 

 

 

心理カウンセリング序説 (放送大学教材)

心理カウンセリング序説 (放送大学教材)

  • 作者:大場 登
  • 発売日: 2015/03/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

赤の書 テキスト版

赤の書 テキスト版

 

 

禁止。

前世紀の話になるが、1993年に当時の文部省は「業者テストの禁止」という方針を打ち出した。公立中学校で教育の一環で「業者テスト」とされる民間作成の模擬試験を受けさせて高校受験での進路指導の資料にしていた都道府県があったが、それを禁じるというものであった。私の居た大阪府高槻市では「業者テスト」は使用していなかった(代わりに高槻市の教育委員会が作成した内容の試験を受けた覚えはあるが)。しかし「業者テスト」に進路指導を依存していた中学校の現場はかなり混乱したと聞いた。「業者テストの禁止」はいわゆる「受験戦争」の緩和を目指したものとも言われたが、何処まで実効性があったのかは正直なところ疑問である。

Windowsと一時期使ったLinux。

昨日の夕方のentryで、Windows11へのアップグレードupgradeについて書いた。ちなみに無料で可能であり、それは以前の構想通りWindows10を継続する場合と変わらない。だから反発が少ないという面はある。しかしながら、昨日も書いたがWindowsであるから upgradeに不安があるのは変わりが無い。昨日の晩に私のPCで設定の画面をいじると、少なくともハードウェア面ではupgradeは可能であるそうだ。後は順番がいつ回ってくるかになる。まあ慌ててversion upする必要もないけれど。backupも調べておかないといけないし。ちなみに私は4年ほどUbuntuを使っていてWindowsから離れていたことがある。Linuxの一種だがGUIなので使い心地はWindowsとそれほど変わらなかった。しかし基本的にLinux環境をインストールinstallしないといけない(初めからLinuxが入っているのは稀だろう)。なので万人向けとも言い難い。面白いけど。

高齢期の生活を支える社会的方策 -明治期から現在まで(高齢期の生活変動と社会的方策第6回)

国の財政状態は酷いが社会保障の問題は多い。インフラとして如何に構築するかが鍵になる。

 

山田知子。光部樹。歴史的展開。高齢期の生活を支える社会的方策。明治期から現在まで。政策的分岐点。
戦前は近隣関係が主。戦後になり支えられなくなる。関東大震災。長男を亡くし家業も傾くなど。そうなると当時は引き受ける高齢者の施設に。養老院。高齢の人たちは老人ホームをこのように。少し前までは寝たきりになれば養老院に。当時の養老院は経済的に困窮した人を。それ以外にも救護法で対応すること。今で言う生活保護法。その前身。極めて限定的に公的救済を。昭和4年成立。今は生存権が。介護保険サービスは何時でも誰でもが理念。戦前は対象は絞り込まれる。費用が重く戦争への動きもあった。大砲かバターか。競合する場合が多い。70才台の老齢夫婦。救護金を受給している。
戦後。混乱期を経て追いつこうと。所得倍増計画。社会保障制度などの社会システムの整備も。追いつくために。60年代に入り。国民健康保険や国民年金。しかし恩恵にあずかるのはほんの僅か。貧窮している高齢者は多かった。生活保護の受給者は少なくなかった。63年の厚生白書、生活保護を受ける高齢者。保護率。1000人あたり35人。全人口に比べて高い比率。経済の波に乗れない人が。とりわけ貧窮している高齢者は少なくなかった。医療にもかかれない。地方からの試み。上田市とその周辺、今で言うホームヘルパー。イギリスで始まったサービスが日本的展開。家庭用語婦。幅広い仕事を。病気で寝たきりの人を選挙に。リアカーに乗せて。マニュアルがないので必要と考えれば実施する。皆非常勤だったが一軒ずつ尋ねて。在宅の訪問の政策支援が重要であり制度化すべきと自身が声を上げる。バイタリティを感じる。現場実践が発展の原動力に。60年に始まった老人医療費の無料化。村の単独事業としての取り組み。沢内村奮戦記。地域包括ケアシステムの先取り。保健師が村の一軒一軒の訪問を。指導などを。乳児死亡率を0にする快挙を。高齢者や乳幼児の医療費無料。医療計画の作成。健やかに。何時でも24時間365日。半世紀以上前に。地域的に個性があるからこそ合った医療を。魁的な。地域に歩いて語り合って問題を聞いて方向性を。その過程で政策が作り出されるのが理想。本物の政策。支持して育てようと感じられる。机に向かっているだけではなく。老人福祉法。福祉の体制が整う。老人福祉施設。養護老人ホーム。特別養護老人ホーム。
70年代。73年。医療制度では70歳以上の窓口負担がゼロに。5万円年金を旗印に年金額の大幅な。73年は福祉元年。経済力を持ち遅れていた福祉を。しかしオイルショックが。低成長時代に見合った福祉の抑制政策が。有料化や自助努力や家庭の支え合い責任、地方の体制を。費用の削減のため。82年に老人保健法が。老人医療費の有料化。臨教審の答申の方向。老人保健施設。老健、86年に。特養と並んで重要に。高齢化や少子化の進行。90年の合計特殊出生率の1.57ショック。予想を超えるSPEEDで進む。特に経済界は衝撃を受ける。労働力不足が予想される。94年の社会保障体制の再構築の勧告。社会保険方式に因る介護保険制度を。介護保険制度に大きく舵を取る。介護保険制度の転換。これまで救貧的な体質を転換して対象を拡大。措置制度だったのが選択の余地があるものに。介護サービスは市町村を基盤に。多様な供給主体の。サービスの開放。選択の自由の保障を。介護保険法は00年4月に施行。保険料は年々高く。負担も増えていることが。利用料の負担感が。自己抑制が。なるべく支出を抑える。自ら利用しない。介護保険制度が何時でも誰でもというわけにはいかない。経済的理由での自粛。
12年2月に税一体改革が閣議決定。8月に3党合意。13年8月の報告書。社会保障制度改革推進法。国民会議のメンバーにインタビュー。宮武剛。毎日新聞から大学教員に。社会保障制度改革国民会議。膨大な費用が必要になるが、本来は税金や保険料が。しかし増税に踏み切れない。赤字国債の発行で賄うことを続けてきた。1000兆円規模に。社会保障と税の一体改革。3党合意の推進法に基づき。特徴。民主自民公明の3党合意で設置し政治的に重みが。20回の開催。政権交代に影響されず。委員は15人。個人としての参加。利害を離れた議論が。合意したことはプログラム法で実施することが。法的な裏付けがあった。13年8月に報告書。どのような思いが?キーワードをたどって。70年代モデルから21世紀日本モデルに。70年代は会社員専業主婦がモデル。非正規雇用が急増して劣悪。共働き夫婦が圧倒的に多く。働きながら子育てを。地域での助け合いが減ってきた。それぞれの世代が支え合う全世代的な社会保障。子どもを育てるのは楽しそう。未来の社会への投資。負担のあり方。年齢別から能力別に。ご高齢の人の中でも収入や資産がある人には応分の負担を。先送りすると将来世代につけを残す。それはやめようと。医療介護には時間を。治す医療から治し支える医療に。慢性の病気を抱えながら晩年を。地域医療を。暮らしながら医療や介護のサービスを。かかりつけ医だけでは支えられないので訪問看護師など様々な種類の人が。プロフェッショナルだけではなくボランタリーを。地域社会コミュニティの再生を。年金制度。原則的には65歳から。男性の場合は平均余命はほぼ20年くらい。女性は25年。長い老後を。個人として働いている期間と引退して暮らす期間。働きたい高齢者。支給開始年齢を引き上げる?そうしても効果がない。生涯現役社会。何歳でも働けるように。個々人が自分の年金の受給時期を選べるように。社会保障制度を21世紀日本モデルに。共働き家庭を前提に。社会保障制度は制度を支える全世代に関わる。強固で安心な制度。党派を超えて。国民会議以後。25年40年の問題。国民会議の報告書。25年を目標に。団塊の世代が皆70歳に。団塊ジュニア世代が65歳になる40年を考えないといけない。高齢化のテンポが緩やかになるが人口減少が迫っている。超高齢化を見据えて。次があるとすれば人口減少が大きな課題に。対応策は今すぐに。非正規雇用が40歳に。低所得のひとり暮らしの高齢者が沢山。結婚できる状態にする。子どもも増やす。次の国民会議を開いて議論することが必要。早急な準備が必要。今の非正規は不安定故に乏しい年金が。経済的基盤が脆弱な。社会不安が蔓延。スタンダードなレベルとは。仕事の創出。医療と介護は避けて通れない。税負担を含め将来像を真剣に考える必要が。地域の再生も重要。近隣関係は希薄に。支え合う関係を作るのは容易ではない。大都市に富は集中して自治体間の格差が。14年に法律が制定。地域包括ケアシステム。絵に描いた餅にならないように。
高齢者の施策の長い歴史。変化。地域に根ざしているので安心して最期まで生きられる。

 

高齢期の生活変動と社会的方策 (放送大学教材)

高齢期の生活変動と社会的方策 (放送大学教材)

 

 

 

 

 

 

高齢期の生活と福祉 (放送大学教材)

高齢期の生活と福祉 (放送大学教材)

  • 作者:山田 知子
  • 発売日: 2015/03/01
  • メディア: 単行本