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学生文化と教養の変容(教育文化の社会学第8回)

私は88年に京大に入学したのだが、教養主義の残滓はまだ残っていたように思われる。今でも京都大学なら残っていると思うが、法学部は望み薄かもしれない。

 

稲垣恭子。学生文化と教養の変容。書籍を読んで哲学などに詳しく。イカ京。知的であることが評価されない時代。京大でもイカ京が絶滅危惧種。マサ京。案外かっこいい。学生文化はイカ京からマサ京に。イカ京はキャンパスでも少数派だが。輝いていた時代。大正から70年代まで。文学青年や哲学青年。百万遍の安い居酒屋。百万遍界隈の会話が朝まで。大学生一般の文化。今はInternetがあるが、かつては書籍が。新しい世界を知ることとつながる。日常では出会えない広い世界に。特に学問の世界は大学外で伺えない。教養書を介してしか。高校の世界史のビデオ。堀米先生が中世の秋について説明。暗黒の時代のimageしかなかったが。中世の世界の豊かさに感動を。大学の学問が楽しみに。フリューゲル。様々な遊びが面白く。日常生活の細部まで。フランドル派。他の作品も見るように。数年前にオランダのライデン大学を。知ったからと言って何かの役には立たないが、別の世界に接するのが読書の楽しみ。世界を知る手ほどきになる。読んでしまっても捨てられない。踏み台にするのは躊躇する。旅行ガイドで破るのとは違う。
大学でも専門の勉強とは別に幅広い読書で、学生文化として共有。教養主義。大正期の旧制高校から。今の大学の1回生2回生。男子の場合は高等教育は二段階に。旧制高校や大学予科に。それから大学に進学。高等教育の第一段階。専門学校では職業生活に入るのが前提。職業と結びついた教育。旧制高校や大学予科。大学進学が前提で教養教育を。ナンバースクールから39の高等学校が。進学率は10%ほど。独自の雰囲気や学生文化。大学からは専門になるが旧制高校は現実から切り離される特権的な。哲学や思想など人文書の読書が中心。拠点になったのは一高。新渡戸稲造の赴任で哲学など広い読書を通じて内面を形成して人生の糧に。デカンショ節。デカルトカント。現実離れした生活を揶揄。共通の学生文化。夏目漱石のこころ。ちょうどこの時代の学生文化を背景に。帝大の学生。旧制高校を出て進学。最高水準の学校。東京帝大。大学の授業は面白くないときに先生と会い足繁く通う。先生も実はもっと前に東京帝大を出ているがブラブラと暮らしている。書籍を読んでいて考えることや言うことが面白い。官僚で良いのか?先生の生き方に興味を持つ。この頃既に大学を出ても出世できるわけではない。高学歴ニート。高等遊民が現れてきた。出世だけが人生ではない。では?煩悶青年。助けになったのが読書。専門のことだけではなく広く色んな書籍を読んで議論。旧制高校の教師には体現した人間が。岩元禎など。岩元禎はいわばエリート予備軍だったが、ドイツ語教師として兎に角読む。書き込みは冒涜だと。厳しさを持つ。和辻哲郎。訳が違うと減点。一冊の本も書かなかった。偏屈だが学問への探究心や真摯さには一目置かれていた。廣田先生に似ている。三四郎。英文学の先生だが哲学にも詳しく本ばかり読んでいる。偉大なる暗闇。功利主義とは一線を画した教師として新鮮に。三太郎の日記など。岩波書店からの出版物で西洋古典などの教養書。読書を通して人生について思索し社会を構想する。西田幾多郎。立ち見が出るほど。特異な出で立ちで自分の理論を話すのが印象的。分からないところは多いけど態度にオーラがあった。哲学を専攻していない人間も出席。学生の必読書。旧制高校を中心とする規範文化。読みたい本を読むだけでなく、読書へ向かわせる。善の研究など読まなければならない書籍。岩波書店の書籍は正統な読書。自分にも他者にも権威を示す象徴的暴力。プルデュー。教育的働きかけ。教師の内容が正しいから権威があるのではなく社会で役立つから。権威主義的暴力的側面を伴う。旧制高校生はある程度見通しがあり余裕があったから現実と切り離して楽しむことが出来た。まだ旧制高校や大学の特権的エリート文化。大正期に生まれた教養主義的な学習文化は昭和に。マルクス主義の思想や社会科学も。河合栄治郎の学生叢書。学生の愛読書の1つ。中央公論や改造という総合雑誌も。研究会を組織して読書会も。人文書の古典だけではなく社会科学の書籍も。知識人の仲間入りが出来ない。広い意味での教養主義的な読書。徐々に地方や会社員女学生に裾野を広げる。出版メディアが広がりを。文庫や新書が流通。教養主義的読者層の広がり。読書会や講演会が各地で。裾野を広げることに。旧制の高等女学校を卒業した人にインタビューを。昭和17年に卒業した女学生が女学校時代の読書について。家に岩波から出ていた世界文学全集を貪り食うように読んでいた。大学生の兄やその友達から勧められて教養書を。少し大人のような。
教養主義的読書。70年代辺りまで続いていた。竹内洋。読書傾向の変化について分析。70年代までは中堅大学ランクの読書に差はなかった。平均読書時間は2時間3時間。総合雑誌は20%が読む。生協連合会。108分から27分に減少。70年あたりを堺に読書離れの進行。00年の東大の実態調査。読書時間は平均で43分。8冊。勉強以外の書籍に限っても3.6冊。読書が規範文化としての権威を持たない。永嶺重敏。70年代から。古典的作家が少なくなり現代作家が圧倒的に。人文学から幅広くなっている。最近読んだ本のうちで感銘を受けたもの。分散化の傾向が。共通の読まなければならない本は無くなっている。70年代までは教養主義が。全体的に読書が減退して一部の大学に。好きなものを。個別化や分断化。80年代頃にはイカ京。両方のimageが。読書文化はまだ空気が残存。00年頃では勉強オタクと言うimageだけに。もう教養主義がマイナーなものに。消失していく00年頃から学生の真面目化が指摘。授業に出席してノートを取り試験勉強も真面目に。大学の学校化。学生の生徒化。かつての勉強文化は基底に読書文化があった。読書量が減少して中身も変容。東大の調査でも教養書だけでなく分散化。雑誌でも世界や中央公論など総合雑誌が中核だったのが。漫画雑誌や週刊誌が。京大生の読書調査。70年ころからの変化。思想書文学書から趣味娯楽書に。80年代からはビジネス書に。教養主義的なものから内実が変化。岩田弘三。勉強文化がかつてとは異なり教養主義を削ぎ落としたもの。大学進学率がユニバーサル化に。18歳人口の減少で進学率は増加。50%が在学。大学進学が当たり前になり競争が弛緩。バブル経済の崩壊後の長期不況とも重なる。無業状態や非正規雇用で不安定。ニートが社会現象に。新卒の採用を控えるように。大学のユニバーサル化や終身雇用制度の崩壊。見通しが不明確。安定的地位を保障しない。学制の生活や文化もより実務志向に。大学と専門学校で揺れ動く。中3の成績。大学でも専門学校でも必要な資格を。卒業資格と結びついた実学を。競合関係に。機能分化ではなく実務的ニーズに対応。一部の難関大学は別にして学生文化が真面目勉強文化が主流に。学制文化と教養の変化は高等教育にどのような意味が?教養主義的な読書。読むべき本を詰め込み的に。人格形成としての教養。短期的で意識的に獲得された教養。文化資本。高等教育機関が役割を。フランスの文化エリート。学校の生徒の出身階層と文化。家庭の階層分化と結びつく。日本のエリート。大学に入ってから習得。学校が文化資本形成機能を。しかし現代に於いては教養主義的な文化は消えていき大学は実学志向に。一方で格差社会が顕在化。吟味しながら文化形成機能を考えていくことが重要。男子の教養。合わせ鏡として女学生の文化と教養を。

 

教育文化の社会学 (放送大学大学院教材)

教育文化の社会学 (放送大学大学院教材)

 

 

 

 

純粋さ。#アラン定義集未定義語

私の出身大学にも理系学部が色々とあり、時々理系の議論を聞いたこともある。その際に知ったのは、数学と言っても純粋数学と応用数学に区分することがあるということである。応用数学は数学的知識を他の分野に適用することを主眼とした分野を指す。コンピュータの分野であったり金融の分野であったりと様々である。これに対して純粋数学は数学のための数学と把握することが出来る。ただ他の分野に応用されないとは言えない。例えば19世紀に複素解析学(高校で微分積分を習うがそこでの実数を複素数に置き換えたもの)が数学者により開拓されたが、20世紀になり物理学に於いて量子力学の基礎となり、更に量子力学は半導体を通して現代社会を支えている。今で言う純粋数学も1世紀後には他の分野に応用されるのだろう。人類が生きていれば、だけど。それともAIが?

遅れて書く大相撲についてのentry。

わ、わ、わ、17時のentryを描き忘れていた。大相撲を観ながらiPhoneで大急ぎで。

ここ半年程は大相撲を観ることが増えた。と言っても大抵は最後の方しか見られないけど、結びの横綱の相撲は何とか観ることが出来る。今場所も一人横綱の照ノ富士はなかなか負けない。これまでは二つ星を落としているのが意外な感じもする。たったいま御嶽海が勝ったので、千秋楽に横綱との取組が組まれることになるのだろう。何方かが優勝するのだろうけど楽しみである。

それで結びの前は原則として大関が出て来る。今場所は大関も一人になったので特定の力士が出て来るのだけど元気が無い様子。今場所は横綱との対戦も組まれないことがほぼ確定している有様。頑張って欲しいところだけど。

司法・矯正・保護における法と倫理(心理臨床における法と倫理第8回)

刑事手続とそれに類する過程では心理的な問題も数多く発生する。自覚的でなければならない。

 

川畑直人。司法・矯正・保護における法と倫理。非行や犯罪に対する社会制度や臨床心理。司法判断を下し処遇する。司法裁判や処遇。基本的人権の制約が伴う。法令に基づく司法手続きの処遇。実際に対象は生きた人間。調査をするなど人間に関与することを生きた人間が。臨床心理学が絡む。知見を活用。寄与することも。多くの臨床心理士も仕事をしている。職場の目的は法律による。職場の目的を規定する法律について知識を持つ必要あり。時間の制約があるので理念の理解を。犯罪の定義と刑事訴訟の手続、成人犯罪者の処遇制度。未成年の犯罪者、非行少年の処遇制度。犯罪被害者への対応。全体を通して心理の専門性を求めるところも一部ある。
犯罪の定義。刑事訴訟の手続。法治国家である日本では刑罰も法の定めるところによる。憲法31条。法の手続による。生命自由を奪われることはない。犯罪と認定され刑罰が課されるのは。犯罪や刑罰の法的ルール。まとめて刑事法と。刑法、刑事訴訟法、犯罪者処遇法。刑法と刑事訴訟法。捜査公判処遇。刑法、何が犯罪であるかを規定し罰を規定。基本的参照枠。総則と罪の2篇。総則では範囲など犯罪に共通する一般原則。各犯罪類型。処遇のあり方が規定。窃盗。235条。摂取した者は。1つの犯罪はかなり広く定義されている。個々の事件毎に刑は具体的には裁判のプロセスで。実際に起きた事件の処理。犯人を特定するなど。刑事訴訟を規定するのが刑事訴訟法。刑事訴訟法の1条。公共の福祉と基本的人権を。警察等の捜査機関。刑事施設への収容など。捜査と公判の段階の過程。犯罪者の捜査。犯罪が起こり操作がされ被疑者の特定。公訴を行う為に被疑者や証拠について調べるのが捜査。取り調べなど。取り調べは情報を求める。犯罪行為が疑いに足る場合に逮捕。検証などの手法。裁判所の令状が必要。逮捕されてから48時間の留置。その48時間の間に証拠物などと一緒に検察官に送致する必要がある。送致を受けた検察官は勾留を裁判所に請求。勾留してから10日以内に公訴を提起する必要がある。操作権限は検察官、検察事務官、司法警察職員。189条で警察官が司法警察職員として。証拠などを捜査。警察官は組織の種類、警察官職務執行法で規定。警察法。54年に改定。目的条文。警察の責務。個人の生命などの保護。犯罪の鎮圧など。4条以下。警察編成。国の機関としての警察庁。管区警察局。都道府県警察。警視庁と道府県警察本部。生活安全、刑事、交通、情報通信。警備などの役割。質問保護犯罪防止などを。通常犯罪が起きた場合、第一次的には司法警察職員が。起訴後の流れ。検察官は起訴状を提出して公判請求する。裁判官は公判前整理手続をした後に冒頭手続、証拠調べ手続、弁論手続など。起訴事実の認否。証拠調べて続きでは証拠の取調を請求して採用すると決めた証拠を調べる。弁論手続き。論告と求刑、弁護士の弁論。被告人の最終陳述の後に判決。通常の事件は地方裁判所に。軽犯罪は簡易裁判所に。第一審。納得出来ない場合は高裁に控訴する。高裁の第二審。法律上明らかに問題となる場合。判例と異なる場合などには最高裁に上告をする。裁判が続く限り拘置所に勾留。被告人の精神状態や責任能力を判断するため精神医が鑑定をする。専門的な知識による評価や判断の公告。学識経験者に。刑法39条。心神喪失者の行為は罰しないなど。犯行時の精神状態が問題になる。量刑判断の為に情状鑑定がなされることも。最近では起訴された者に更生支援を検討する入り口支援が始まっている。認知機能のアセスメントを。司法と心理学の接点は増えつつ在る。
犯罪者の処遇。裁判所で有罪の後の刑の執行。私法の手から行政機関の処遇に。刑事施設での処遇。社会内での処遇。刑の種類。死刑、懲役と禁固、罰金、拘留など。刑事施設に拘置される。刑務作業が。執行する施設。1908年に監獄法が。施設の運用を。戦後の法制度の変革などで改正が議論される。05年頃に大きな改革が。刑事収容施設法に。被収容者の処遇の原則や様態など。時間帯や物品の貸与、書籍の閲覧、収容時の生活処遇など。恣意的な運用を禁じる。06年の改正の特徴。受刑者の更生改善に向けて様々な取り組みを推奨。自覚に訴え喚起を。受刑者には作業、改善指導、などの矯正処遇を。刑務作業は勤労意欲を高め技能の習得を。免許資格を取得させ知識や技能を。改善指導。犯罪の責任を自覚させ社会生活に適応させるために。全員を対象とする一般改善指導。改善更生に支障がある者。特別改善指導。性犯罪者処遇プログラムなど。調査専門官などが。教科指導。学力の向上を図る。司法の判断に基づき、仮釈放や釈放で。執行猶予。社会に戻った人に対する手当て。更生保護。国の事業として制度化。歴史を辿ると民間の篤志家の。民間団体との連携。近代的な更生保護。金原明善らが静岡県で。監獄から出て職につけない人が。契機にして各地で保護団体が。直接保護指導など。日本の更生保護事業は次第に国の刑事政策に取り込まれる。戦後は07年に更生保護法と。犯罪者非行少年に対し。法律の特徴は官民連携。民間団体の活動を促進する。国民の一人ひとりが寄与することを。更生保護の内容。仮釈放など。法務省保護局。保護観察所。指導監督など。保護司が共同で。一般遵守事項を定め保護司が定期的面接を。保護観察官。医学心理学などの更生保護に関する専門知識に基づき更生保護犯罪予防の業務に従事。更生保護法と密接なのが更生保護事業法。保護観察所が担うこと。医療観察。刑法38条の心神喪失者の社会復帰を。03年の医療観察法。入院決定を受けた人は指定医療機関で。保護観察所は退院後の生活の管理を。通院決定者には原則として3年間の医療提供。必要な医療と援助が。
成人に達しない者の。少年法。20際にみたない者。犯罪行為に対し成人の司法システムと別に保護観察を。少年裁判所運動。犯罪を行う少年の。パターナリズム。22年に旧少年法が。戦後に全面的見直す。現行の少年法に。第1条では少年の健全な育成を。性格の矯正などの保護処分を。少年の健全育成。非行とは?刑罰法令に触れる行為。虞犯。犯罪行為は刑法など法律違反。刑事責任年齢の14歳以降。14歳未満は触法行為。現時点では犯罪をしていないが将来は罪を。虞犯。保護者の正当な理由がなく家庭に寄り付かないなど。虞犯という概念を含めることで準備段階で介入が。少年法では原則として全件送致主義。要保護性の観点が重視。家庭裁判所に装置されると調査を。家庭裁判所調査官が行う。家庭裁判所は審判を行うため監護の措置を。少年鑑別所に。法務省矯正局。改善の指針を。観護措置の期間は原則2週間だが更新できる。審判を開始しない審判不開始。審理を経た上で不処分の決定。死刑などの罪に当たる事件で成人の刑事手続きに乗せることも。検察官送致が。家庭裁判所は保護処分の決定を。保護観察に付す。児童養護施設などへの装置。少年院への送致。保護観察官や保護司が面接して様子を。児童福祉法。児童自立支援施設。生活指導が。児童養護施設。少年院。少年の矯正教育を。少年院法。保護処分の執行を。第4種。刑の執行を。成年者と異なる。理念は少年法などに。少年鑑別所などの処遇。専門的知識技術に基づく。法務技官の配置。人間的理解を。15年には少年院法の改正など。適切な処遇を実現。外部委員による委員会の設置など。
制度は非行や犯罪を行う人をどのように扱うか加害者側の。被害者の扱い。犯罪の捜査は殆どが被害者の申告から。捜査が始まると関心を向けるのは加害者の側で。被害者は圧倒的に小さい。刑事司法機関では被害者への感情や示談の成立を反映させる。犯罪被害において給付金を支給するのは80年に。犯罪被害者等基本法。犯罪被害者等の施策を推進。犯罪に準じる行為や家族。個人の尊厳が保障される。適切な支援を。司法矯正保護の世界でも取り組みが。警察では心理学的立場からのケアを。職員の配置や民間カウンセラーとの連携を。被害者の視点を取り入れた教育も。被害者支援施策。心情伝達などの制度が。被害者の直接支援の局面は。被害者の訴えに耳を。加害者の心理と被害者の心理の間で。

 

 

 

心理臨床家アイデンティティの育成

心理臨床家アイデンティティの育成

  • 発売日: 2005/04/01
  • メディア: 単行本
 

 

処罰。#アラン定義集未定義語

知人の娘さんの通う中学校で、或る教諭と生徒が性関係を持ったことが判明した。当然だがお母さん方が中学校に抗議したけれど、学校側も教育委員会側も揉み消してその教諭は他の中学校に転任となった。どうも或るスポーツの指導者として評価が高いのも背景にあったらしい。それで処罰されないだけのことで済むならまだしも、その他の中学校でも同じように生徒と性関係を持ってしまい逮捕される事態になった。結局は教育委員会も責任を認めざるを得なかった。処罰をしないことが是とされることもあるだろうけど、この場合は揉み消すのは適当ではなかったということである。そもそも生徒と性行為をするような人間を教諭にするべきではないと考える。

凍れることについての考察。

近頃はここ高槻でもかなり冷える。高槻は大阪府に属するが、距離的にも大阪市より京都市の方が近いのでより寒くなる。オマケに私は高槻市内でも東部に住んでいるのだが、市の中心部と気温が1℃違うと言うのがまことしやかに語られていた。要するに田舎だと言いたいのか、とも感じるけど。

それで朝に自宅を出ると、降っていた粉雪がシャーベット状になっていて道が滑る。厳密には道ではなくて自分が足をすべらせるのだけど。高槻市では雪が積もる程にはならなかったが、京都在住の方のSNSでは積雪の写真が掲載されていた。要するに京の冬は寒いということである。通勤をしていたら、いつもの場所に居るホームレスの方も居ない。寒いので何処か温かい場所に居るのかもしれない。世紀が変わる頃に、大阪市内でホームレスの方が凍死されたのがNEWSになっていたのを思い出す。文明の国の中でも、寒さは時に人を殺す。

東アジアの戦後処理(現代東アジアの政治と社会第8回)

戦争が終わっても戦後処理で混乱が続いたのは何処でもそうだったなあと感じた。

 

家近亮子。東アジアの戦後処理。日本がポツダム宣言を受託するまで。戦後処理。日本は大義名分を大東亜共栄圏の実現として侵攻。第2次近衛文麿内閣で提起。日本軍はマレー半島に上陸してシンガポールを占領。香港を占領。台湾の航空隊が爆撃してフィリピン全土を占領する。アメリカ人軍人が7万人以上捕虜に。日系人の強制収容。財産を没収され収監される。アリゾナ記念館。40年時点でハワイの日系人が30%以上。172人が本国に送られる。戦争は本国ばかりでなく日系人の社会にも。42年5月までにマレー半島やインドネシアミャンマーなどを占領。ミッドウェー海戦で大敗しガダルカナルの激しい攻防。43年2月に撤退。オーストラリア爆撃。42年2月から97回に渡り空爆。ダーウィンの爆撃。オーストラリアが戦後処理で厳しく天皇の戦争責任を。キャンベラの資料館。44年になるとインパール作戦。蒋介石の国民政府にとり生命線。牟田口廉也。7月に中止に。44年7月にサイパン島の陥落。日本への市街地爆撃を。絨毯爆撃。目的はフィリピン奪回。神風特別攻撃隊が攻撃。
戦時下の東アジアの情勢。中国は43年3月に国家の構想を。共産党との合作をどうするか。三民主義。何が必要か。毛沢東は新民主主義論を。共産党は41年12月に帝国主義の妥当のために中国の合作が必要であると。45年4月の連合政府論。第3勢力の人間を糾合。農民の大半を取り込むために連想運動を開始。日本は極端な物資不足に。44年には60.9%に。配給制度や五人組の監視。和服を改良した作業着を。食糧不足の深刻化。召集令状が出された人間は42年には283万人に。45年には700万人以上に。年齢層の拡大。学徒出陣。知覧などから特攻隊が。女子挺身隊。若者が入隊した後の農村。生産性の低下。食糧の供給源となっていた満州でも召集令状が届く。食糧生産が出来ない。悪循環。B29の市街地爆撃。北九州の八幡製鐵所。東京へは106回に及ぶ。東京大空襲。推定で10万人が亡くなる。学童疎開を。集団生活。朝鮮と台湾。44年9月から労務動員が。工場などに。台湾では南方地域で沢山の台湾人が東南アジアに。徴兵制は限定的。日本語普及の問題と恐怖感。参政権や自治権への警戒。
終戦への道。45年1月アメリカ軍はルソン島に上陸。4月に沖縄。1500隻の50万人。学徒隊などが中心。1900機の特攻機が。3ヶ月の陸上戦。約20万人の死者。ポツダム宣言。イギリス・アメリカソ連。ドイツのベルリン郊外のポツダムでトルーマン大統領やチャーチルなど。無条件降伏を勧告するポツダム宣言。内容には中国も同意したがソ連は署名せず。最終的な打撃を与える体制を。降伏の条件。戦争遂行能力の破壊。一切の戦争犯罪人に対する処罰。思想の自由など基本的人権の尊重。鈴木貫太郎内閣。黙殺と話したが、この対応が原爆投下やソ連参戦に。アメリカのマンハッタン・プロジェクト。核実験の成功は45年7月。イギリスやカナダも参加。トルーマン大統領が広島原爆の16時間後の声明。戦争遂行能力の破壊のために。アメリカが20億ドルを費やしたことも。日本の衝撃。参謀本部の有末精三は東京に投下されると噂される。2回目は9日に長崎に。中国国民党は8月7日にトルーマン大統領談話を紹介。対日戦終了を早めると。膠着状態の打開のため。共産党の評価はニュアンスが違う。人類史上の空前の破壊力と殺傷力。ファシスト侵略者の当然の報い。罪のない日本人は別として。アメリカの発言力に警戒。ともにこの時点では自力ではなく他のアクターの影響が大きいと。戦争責任二分論にも。日ソ中立条約。ヤルタ密約で再確認。満州などに武力侵攻。ソ連軍による民衆の虐殺も。日本人だけではなく満州人中国人も。大西洋憲章からカイロ宣言。領土の要求はしないと。しかし覆す。中国とも絡む。
東アジアの終戦の状況。45年8月9日に御前会議を。軍部強硬派との対立。最大の論点は天皇の地位の保障など。日本は天皇制存続のみを条件として無条件降伏を。日本政府は8月14日に連合国に通達。終戦の詔書を。9月2日が正式。中国の終戦。国民政府にも伝えられソ連との交渉が難航。外モンゴル問題。結局独立を認める。外モンゴルへの主張は認められず。モンゴルの独立。45年8月15日正午。ラジオの1時間後。重慶の中央放送局からラジオ放送。日中戦争を定義して正義は勝つと抗日戦争の正当性を強調。キリスト教の教義から。中国人民に対して報復してはならず人民に汚辱を敷いてはならない。軍閥の責任とする。蒋介石は200万人の軍人と民間人を送り返す。以徳報怨。日本人に大きな感銘を。蒋介石は8月15日香港回収に。再占領に。チベット問題も解決できず。棚上げにすることで内戦を有利に。イギリスが中華人民共和国を承認したのは香港問題が。中国は9月3日を勝利記念日に。朝鮮は8月15日に日本からの独立が認められる。独立運動を推進したグループの中でも連合国の中でも合意がなかった。最長5年間の信託統治が。台湾総督が全台湾人に呼びかけたが。既に台湾独立の動きが。10月24日に安藤利吉が変換し台湾省が業務を開始。台湾総督府などの接収。学校も。台湾の経済発展の基礎に。台湾の武装解除は12月に完成。
GHQによる占領。9月2日に降伏文書に調印。GHQは旧軍解体を。39人の戦犯容疑者に逮捕状を。9月22日。初期の対日方針を。基本は軍国主義日本の解体や民主主義の推進。占領政策の最高機関は極東委員会。11カ国から構成。実際はアメリカ軍の占領。覚書メモで通達。8月17日の内閣が戦後処理に。45年10月。幣原喜重郎が首相に。マッカーサーに。秘密警察の廃止など。婦人参政権の実現。11月には財閥の自発的解体を。12月には農地改革指令を。農業における民主化。GHQのもとで民主化。天皇の地位の問題。戦争責任。昭和天皇とマッカーサーの会談。天皇制廃止は混乱に。象徴天皇制に。人間宣言。東京裁判。46年5月から48年11月。ABC戦犯の審議。戦争最高責任者とされた28名。大川周明などを除く25名が有罪に。7名が絞首刑に。靖国神社参拝問題に絡む。憲法の改正。46年2月に起草した草案は主権在民とは程遠かった。マッカーサーノートを。46年2月13日にマッカーサー草案を提示。日本側からの修正が加えられ公布施行される。日本の戦後処理は順調だが他の東アジアの地域では混乱する。

 

現代東アジアの政治と社会〔新訂〕 (放送大学教材)

現代東アジアの政治と社会〔新訂〕 (放送大学教材)

  • 作者:家近 亮子
  • 発売日: 2020/02/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)