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学生文化と教養の変容(教育文化の社会学第8回)

私は88年に京大に入学したのだが、教養主義の残滓はまだ残っていたように思われる。今でも京都大学なら残っていると思うが、法学部は望み薄かもしれない。

 

稲垣恭子。学生文化と教養の変容。書籍を読んで哲学などに詳しく。イカ京。知的であることが評価されない時代。京大でもイカ京が絶滅危惧種。マサ京。案外かっこいい。学生文化はイカ京からマサ京に。イカ京はキャンパスでも少数派だが。輝いていた時代。大正から70年代まで。文学青年や哲学青年。百万遍の安い居酒屋。百万遍界隈の会話が朝まで。大学生一般の文化。今はInternetがあるが、かつては書籍が。新しい世界を知ることとつながる。日常では出会えない広い世界に。特に学問の世界は大学外で伺えない。教養書を介してしか。高校の世界史のビデオ。堀米先生が中世の秋について説明。暗黒の時代のimageしかなかったが。中世の世界の豊かさに感動を。大学の学問が楽しみに。フリューゲル。様々な遊びが面白く。日常生活の細部まで。フランドル派。他の作品も見るように。数年前にオランダのライデン大学を。知ったからと言って何かの役には立たないが、別の世界に接するのが読書の楽しみ。世界を知る手ほどきになる。読んでしまっても捨てられない。踏み台にするのは躊躇する。旅行ガイドで破るのとは違う。
大学でも専門の勉強とは別に幅広い読書で、学生文化として共有。教養主義。大正期の旧制高校から。今の大学の1回生2回生。男子の場合は高等教育は二段階に。旧制高校や大学予科に。それから大学に進学。高等教育の第一段階。専門学校では職業生活に入るのが前提。職業と結びついた教育。旧制高校や大学予科。大学進学が前提で教養教育を。ナンバースクールから39の高等学校が。進学率は10%ほど。独自の雰囲気や学生文化。大学からは専門になるが旧制高校は現実から切り離される特権的な。哲学や思想など人文書の読書が中心。拠点になったのは一高。新渡戸稲造の赴任で哲学など広い読書を通じて内面を形成して人生の糧に。デカンショ節。デカルトカント。現実離れした生活を揶揄。共通の学生文化。夏目漱石のこころ。ちょうどこの時代の学生文化を背景に。帝大の学生。旧制高校を出て進学。最高水準の学校。東京帝大。大学の授業は面白くないときに先生と会い足繁く通う。先生も実はもっと前に東京帝大を出ているがブラブラと暮らしている。書籍を読んでいて考えることや言うことが面白い。官僚で良いのか?先生の生き方に興味を持つ。この頃既に大学を出ても出世できるわけではない。高学歴ニート。高等遊民が現れてきた。出世だけが人生ではない。では?煩悶青年。助けになったのが読書。専門のことだけではなく広く色んな書籍を読んで議論。旧制高校の教師には体現した人間が。岩元禎など。岩元禎はいわばエリート予備軍だったが、ドイツ語教師として兎に角読む。書き込みは冒涜だと。厳しさを持つ。和辻哲郎。訳が違うと減点。一冊の本も書かなかった。偏屈だが学問への探究心や真摯さには一目置かれていた。廣田先生に似ている。三四郎。英文学の先生だが哲学にも詳しく本ばかり読んでいる。偉大なる暗闇。功利主義とは一線を画した教師として新鮮に。三太郎の日記など。岩波書店からの出版物で西洋古典などの教養書。読書を通して人生について思索し社会を構想する。西田幾多郎。立ち見が出るほど。特異な出で立ちで自分の理論を話すのが印象的。分からないところは多いけど態度にオーラがあった。哲学を専攻していない人間も出席。学生の必読書。旧制高校を中心とする規範文化。読みたい本を読むだけでなく、読書へ向かわせる。善の研究など読まなければならない書籍。岩波書店の書籍は正統な読書。自分にも他者にも権威を示す象徴的暴力。プルデュー。教育的働きかけ。教師の内容が正しいから権威があるのではなく社会で役立つから。権威主義的暴力的側面を伴う。旧制高校生はある程度見通しがあり余裕があったから現実と切り離して楽しむことが出来た。まだ旧制高校や大学の特権的エリート文化。大正期に生まれた教養主義的な学習文化は昭和に。マルクス主義の思想や社会科学も。河合栄治郎の学生叢書。学生の愛読書の1つ。中央公論や改造という総合雑誌も。研究会を組織して読書会も。人文書の古典だけではなく社会科学の書籍も。知識人の仲間入りが出来ない。広い意味での教養主義的な読書。徐々に地方や会社員女学生に裾野を広げる。出版メディアが広がりを。文庫や新書が流通。教養主義的読者層の広がり。読書会や講演会が各地で。裾野を広げることに。旧制の高等女学校を卒業した人にインタビューを。昭和17年に卒業した女学生が女学校時代の読書について。家に岩波から出ていた世界文学全集を貪り食うように読んでいた。大学生の兄やその友達から勧められて教養書を。少し大人のような。
教養主義的読書。70年代辺りまで続いていた。竹内洋。読書傾向の変化について分析。70年代までは中堅大学ランクの読書に差はなかった。平均読書時間は2時間3時間。総合雑誌は20%が読む。生協連合会。108分から27分に減少。70年あたりを堺に読書離れの進行。00年の東大の実態調査。読書時間は平均で43分。8冊。勉強以外の書籍に限っても3.6冊。読書が規範文化としての権威を持たない。永嶺重敏。70年代から。古典的作家が少なくなり現代作家が圧倒的に。人文学から幅広くなっている。最近読んだ本のうちで感銘を受けたもの。分散化の傾向が。共通の読まなければならない本は無くなっている。70年代までは教養主義が。全体的に読書が減退して一部の大学に。好きなものを。個別化や分断化。80年代頃にはイカ京。両方のimageが。読書文化はまだ空気が残存。00年頃では勉強オタクと言うimageだけに。もう教養主義がマイナーなものに。消失していく00年頃から学生の真面目化が指摘。授業に出席してノートを取り試験勉強も真面目に。大学の学校化。学生の生徒化。かつての勉強文化は基底に読書文化があった。読書量が減少して中身も変容。東大の調査でも教養書だけでなく分散化。雑誌でも世界や中央公論など総合雑誌が中核だったのが。漫画雑誌や週刊誌が。京大生の読書調査。70年ころからの変化。思想書文学書から趣味娯楽書に。80年代からはビジネス書に。教養主義的なものから内実が変化。岩田弘三。勉強文化がかつてとは異なり教養主義を削ぎ落としたもの。大学進学率がユニバーサル化に。18歳人口の減少で進学率は増加。50%が在学。大学進学が当たり前になり競争が弛緩。バブル経済の崩壊後の長期不況とも重なる。無業状態や非正規雇用で不安定。ニートが社会現象に。新卒の採用を控えるように。大学のユニバーサル化や終身雇用制度の崩壊。見通しが不明確。安定的地位を保障しない。学制の生活や文化もより実務志向に。大学と専門学校で揺れ動く。中3の成績。大学でも専門学校でも必要な資格を。卒業資格と結びついた実学を。競合関係に。機能分化ではなく実務的ニーズに対応。一部の難関大学は別にして学生文化が真面目勉強文化が主流に。学制文化と教養の変化は高等教育にどのような意味が?教養主義的な読書。読むべき本を詰め込み的に。人格形成としての教養。短期的で意識的に獲得された教養。文化資本。高等教育機関が役割を。フランスの文化エリート。学校の生徒の出身階層と文化。家庭の階層分化と結びつく。日本のエリート。大学に入ってから習得。学校が文化資本形成機能を。しかし現代に於いては教養主義的な文化は消えていき大学は実学志向に。一方で格差社会が顕在化。吟味しながら文化形成機能を考えていくことが重要。男子の教養。合わせ鏡として女学生の文化と教養を。

 

教育文化の社会学 (放送大学大学院教材)

教育文化の社会学 (放送大学大学院教材)