はてな村の文化は建設的なものにならなかった、というのが結論になるのだろうか?それは悲しいように感じる。
稲垣恭子。大澤聡。メディアと教養文化。メディアの変容と教養の関係。教養というと教養科目の程度だが、読書を中心とした教養主義が。教養と出版メディアの関係。大正期の旧制高校。規範的文化。古典を。読書が学生文化に。出版メディアと高等教育の拡大。進学率の増加。マス化の第一次。教養書の読者が増える。17年に三木清が京大に入学。西田幾多郎の影響力。哲学書や文学書を読んで志す。岩波書店から「三太郎の日記」。低価格で円本ブームが。総合雑誌も相次いで。学問世界だけでなく教養読者層が広がる。メディアと大学の境界の中間文化界が。知的中間層としての教養層は拡大。戦後も70年代までは互いに補完しながら。出版メディアと教養が結びつく。大衆化は拡大すると同時に性質を変容させる。テレビの広がり。テレビ文化人が。大衆メディアとの境界も払われる。更に近年では古典的意味の教養層を大きく変えている。戦前から現代までのメディアと教養の変化。大澤聡。メディア史やメディア文化。メディアとジャーナリズムの展開で教養文化の変化を。
雑誌の研究を主に。20年代から30年代の戦前の雑誌を。現在の論壇や言論の場がネットに以降。機能が期待していたものと違う。何が足りないか。日本の論壇。社会的な意見を発表する場。遡って考えないといけないと。論壇の起源は10年代20年代あたり。文壇。文学者たちがサークルを作り議論しながら文学を作る。そのアナロジーで論壇が言われるように。20年代あたり。雑誌が盛り上がっていく時代。主な場所は雑誌や新聞の文化欄。出版大衆化状況。明治期や大正期には知の状況は限られていた。関東大震災があり東京中の出版社が燃えたり。色んな出版社が円本や全集を。誰も彼もが読む。雑誌も盛り上がる。連動しながら読者を開拓。知的中間層が。高等教育も広い層に。一時期に比べれば読者予備軍が増える。知の大衆化を。中央公論や文藝春秋など。論壇の形成。ついていけない。教養主義。雑誌や全集が昭和初期にも。読者たちの知への欲望。円本ブームを境にして知的読者の大衆化を。どのような層がそれにあたるか。教養主義がどのように。例えば教養主義は知の強迫観念が。ブックガイドや必読書。戦前にも。普通に使っている書評が起こったのも戦前。20年くらいにブックレビューと書評が見え隠れするように。出版大衆化、出版洪水。沢山発刊されて追いつかない。それは戦前にも。交通整理や事前のセレクト。大学生は読む本を選ぶ。時評。00年から文芸時評。文壇が広がる。30年代くらいに論壇時評が。論文が増えすぎるが追いつかなければならないという強迫感。利活用しながら若い人は書き手になるべく準備を。それ以外も知識への獲得を。大正期と昭和期。大正期は文化方面に偏る。和辻哲郎。昭和期になると日中戦争も近くなり時局と絡む教養が。三木清。政治的な教養が大事と。政治的教養は日常の中で次へ進む知識。政治家になる人が。政治的センスを。どんどん広がっていく。文学哲学からもっと政治や思想や生活に。論壇の占める位置も大きくなる。論壇に憧れる人。次の書き手に。具体的にどういう人が書き手に?私淑。三木清に影響を受けた人は沢山いる。アカデミックなものとジャーナリズム。アカデミックなものが強かったが。ジャーナリズムの生え抜きが。三木清など。最初は西田幾多郎の弟子になり哲学的素養を。一高から京都帝国大学に。紆余曲折あって大学から外れる。東京帝国大学の経済学部では経済学者たちもマルクス主義経済学を。大学からパージ。ジャーナリズムに居場所を。大学から離れることができた。原稿料が上がっていた。出版バブル。生計を立てられる。影響を受けた人が次々と。舟山真一。大学にほとんど見をおかず在野で。次々とフォロワーが。アカデミズムと拮抗する。それが戦後にも。戦後になってからの状況。戦後になるとテレビが出てくる。過去に戻るとラジオというメディアが。雑誌と均衡。テレビや出版が拮抗する。テレビの成功で地を乗せる媒体として。討論番組。大宅壮一。戦後にテレビのコメンテーターに。言論人がテレビを無視できない。発言してプレゼンスを。同じ場所に居ることを可視化する。同じ場所に臨席しているのが目に見える。関係性も。架空の存在が可視化。言論人が一般人にもイメージ出来る。50年代のテレビの登場から80年代になると討論番組が一般的に。出版との関係性が逆転したものに。テレビで出てくる人が本を出す。論壇の黄金時代。60年代後半の。丸山真男や吉本隆明など。理想視している。しかし罠がある。現在を悪く言う時に昔を理想視。相互交流や論争がショーになっていた。現在は減っているが。ネットの時代になると加速。ある時代からテレビに代わる形でネットメディアが。誰も彼もが発言できるので喧嘩がショーになりにくく。即時にレスポンスすると喧嘩がすぐに収拾する。出版物の場合は寄稿の順番を待つタメの時間が。即レスにより往復は沢山あるが短時間で終わる。仲違いしたり論争の体を為さない。華々しい論争が無くなるのは必然。netに移ることでアカデミズムとジャーナリズムの関係も変わる。教養の変化。テレビ的教養やネット的教養は言えなくもないが、文字を自分の速度で読み取ることが教養を支える。それは変わらない。文字を介するものとは違う。ネットの文字は喋り言葉と似ている。留保を付ける必要がある。反知性主義。反知性。ごく簡単には分かりやすいことに飛びつく心性。咀嚼するには時間がかかるが、それに耐えられないとワンフレーズや感情に飛びつく。反知性主義の代表。ネットはそれに近い。自分の都合の良いように解釈する。自分に都合のいいものだけを取り入れる。教養や論争は成立しづらい。ある時期にはネットに置いて紙の論壇にパラレルにネット論壇が。blogが04年あたりがブームに。はてなダイアリー。出版物に代替する。ブロゴスフィアが日本でも出来る?それは上手く根付かなかった。はてな村。仮の名前。日本ではムラ。公共性とそぐわない。日本は何処までも共同体的な。言わなくても分かるよね、という。趣味の共同体。意見の対立がない。対立があれば抜ける。00年代後半になると限界もはっきりしてきてオールドメティアに移行する。ネットを相対化して両輪にして並行させる。有機的に噛み合わせるのが10年代。かつての雑誌中心の論壇は男性中心の傾向は強かったが最近は女性も。女性が論壇進出したのにはネットも。注目を浴びて雑誌にピックアップ。テーマの複数化多様化が進んだ。これまでは政治や外交などマッチョな。育児や介護や家族など身近な話、等身大のテーマが増える。女性論客の存在は重要。ネットとテレビ雑誌の両輪を活かしながら。大正期は文化的教養が。昭和期は政治的な。平成期は生活的な教養が。知の世界に遊離したものではなく身近なものとして。古い古典を読み替えていく新しいスタイルが10年代。日常生活に根ざした教養。メディアや論壇の変容。メディアを通した教養の変容。
20年代から現代まで広い射程で。20年代から30年代の出版ジャーナリズムの勃興で中間層が。アカデミズムからジャーナリズムへ。中間文化界が形成。戦後の出版メディアの大衆化。かつての教養層が解体。変化をどうみるかは立場にも因る。教養の周縁か新しい教養か。選択肢が多くなり文化を摂取する可能性が。新しい知性を。多様な意見から都合よく摂取。憧れの人間に私淑することから安全地帯からの。女性の参加による教養の変容。大文字で語られてきた教養の風通しを良くする。重層的かつ流動的。往復しながら新しい教養の形成が。