私が居た頃の高校では体罰があったという話を聞かない。体育会系文化では軟弱な人間ばかりが育っているはずである、然るに硬派な人間も結構いる。人間を育てるのに体罰は必須ではないと少なくとも言えると考える。
冨江英俊。部活動と体罰問題。中学や高校の運動部活動とその中での体罰。運動部活動は達成感がある、友情が芽生えるなどのメリットが。思い出も多い。熱心な指導の顧問の先生を。見ることが好きな人も多い。全国大会に進出する。活動の中での体罰。痛ましい事件が度々。岐阜県の高校で日常的に暴力行為を。遺書を残して自殺。85年。12年12月に桜宮高校。平手打ちの体罰を苦にして自殺。体罰は学校教育法で禁じられているがなくなっていない。
私がなぜ運動部の体罰に関心を。体育大学に。学生と日常的に。大半が体罰を肯定的に。殴るけるにまみれている世界が素晴らしい?理屈では分からないという話を何十回と。学生と共に考えてきたことを。
体罰の定義。学校教育法11条で禁じられている。教員などは文部大臣の定めるところにより懲戒を加えることが出来る。制裁を加える意味。体罰は禁止。体罰と懲戒の違い。文部科学省のホームページ。個々の事案ごとに。主幹のみでなく客観的要素を。身体に対する侵害。特定の姿勢を長時間して苦痛を。定義だけでは分かりづらい。13年3月に懲戒との違いの例を。運動部活動以外にも。体罰の例。平手打ちにする。頬をつねる。教科書に残留してトイレにも行かせない。正座で授業を受けさせ苦痛を認めない。認められる懲戒。起立させる、清掃活動を。試合に出させない。指導に反抗して足を蹴ったので体をキツく押さえるのが正当防衛。調査研究報告書を。体罰と指導の例を。バレーボールでレシーブの指導の位置方法であるのを説明した上であちこちの方向からボールを。受け身を反復させる。野球の試合でスクイズの失敗で翌日はスクイズの練習を中心に。体罰の例。殴る蹴る。絶えられない肉体的精神的負荷。熱中症が発症される状況で水を飲ませない。まいったと意思表示しているにも関わらず攻撃を続ける。懲戒と指導と体罰の境界線は曖昧でグレーゾーンの事例は多い。スクイズの練習は指導?無意味な反復行為と紙一重。教師が圧倒的な権力を持つ状況で正当防衛と言えるか疑わしい場面も。体罰の一応の定義。グレーゾーンが多く主観的な面が大きい。第三者が見れば体罰でも、加害者や被害者が指導という意識を持つことも珍しくない。
運動部活動における体罰の実態。アンケート調査。大学生に運動部活動の体罰について。中学高校に運動部活動を行っている、06年から07年にかけて。講義に出席している500名以上の大学生に。女子体育大学と共学体育大学は9割。総合大学は6割程度。体育大学に入学した生徒が対象。部活動加入者には途中退部者も含まれる。中学では6%高校では3%。同様に分析対象に。何を持って体罰とするか。先行研究での定義や予備調査としてのインタビュー調査の内容から。体を殴ったり蹴られたり正座などを。体罰経験とする。どの程度の生徒が。体罰経験の割合。一つでも。中学で39%、高校で42%。経験で大きく変わる。具体的な内容を自由記述で。10人程度が書いた。違う高校の先生が試合で出来ないと髪の毛を。サッカーの先生が飛び蹴りを。1時間以上正座を。首を絞められた。往復ビンタが当たり前。ボールを顔に。顔を足で蹴られる。竹刀を持っていて答えを間違えると叩かれる。サボっていたことがバレて殴られた。雑誌が見つかり鼻血が出るまで殴られる。自分の学校では経験ない?もっと強烈なことがあった。殴る蹴るで強くなれた、今の子は忍耐力が足りないと。どのような特徴の部活動で?坂本英雄「体罰の研究」。言葉を軽視して体で覚えることを重視。勝利至上主義。根性主義。増本直史。戦前の戦う軍隊の精神性が続いている。年功序列主義などの精神文化。先行研究を参考にして主義や体質を聞く。入賞したい、レギュラーになりたい。練習活動は苦しいを根性主義。先輩後輩関係を民主的な。体罰経験との関連。中学校の部活動で先輩後輩関係が厳しかった。全く当てはまらない場合は26%に。勝利至上主義、根性主義が強い、民主的でないところほど体罰が。先行研究とパラレル。体罰がなぜ起こるか。体罰の経験と意識との関連性。学校文化で部活動が持つ意味。体罰の経験と意識。絶対許せない、時としてやむを得ない、体を張って教えないといけない。高校時代の体罰経験と体罰意識。傾向として体罰を経験した人ほど肯定的。経験した人の方が体罰が良いと考える人が多い。類似の調査でも同じ傾向が。正の相関になることが体罰を考える上でポイントに。イジメ。30年以前から自殺者が。いじめを受けた人が肯定的に捉えることは殆どない。一方で体罰の方は被害者の方が肯定的に捉える。アンケート調査で体罰に関する意識を自由記述で。10人分くらい。ちょっとしたことは体罰とは思わない。指導の一つ。本当の信頼関係が築けていれば。社会に出ることを考えたら体罰は騒げない。私の時代はそれが普通。全国大会に行けない。先生の愛情が感じられるなら良い。先生の人間性にもよる。言葉の暴力も。どちらかといえば肯定する意見が多い。体罰の実態についても意見が分かれるだろう。とんでもないかも。最初に主義主張有りきで調査をするのではないが、幾つかの大学で講義をしていて良く聞かれる。基本的には体罰はあってはならないと。大体察しはつくだろうが。体罰はいけないと叫ぶだけではいけない。
なぜ体罰が起こるのか。運動部活動は学校活動の一般。学校文化の影響も。学歴獲得競争が基本となる構造は変わっていない。良い高校良い大学への入学が基調。模範的生徒ほどその傾向が強い。競争に勝つために必要なことは学力をつけること。もって生まれた能力は努力すれば報われるという前提で。当事者の生徒もこのような前提は甚だ怪しいと気づいているだろう。能力の差もあるし経済力の差も。学校の指導は努力すれば報われるというMessageしか出来ない。運動部活動にも影響。学校を代表したチームに。団体競技では上手な者が試合に出て勝てば全国大会に。大変な競争の社会。この仕組は当たり前?理屈としては次のような活動も。レクリエーション的なものとしてスポーツの上手い人も下手な人も様々なスポーツを楽しむと。このような形は努力志向と親和的ではないので普及しない。勝つために努力するのは必要だが、競争主義的に偏っている運動部活動が少なくない。更に学歴獲得競争から運動部活動に影響を。入試におけるスポーツ推薦制度。高校入試や大学入試の最近の傾向。推薦入試。スポーツ能力を評価する大学は増えている。インターハイ出場などの競技実績など。場合により保護者の方が積極的。体罰の指導があれば本当に強くなれる?強豪校で体罰が多いことは傾向としてある。体罰をすれば強くなる?中学高校を取り巻く現状から体罰が起こる素地があることが。
これからの体罰をどう考えるか。桜宮高校の事件が起こり、教師は酷い先生だとマスコミが。どうやれば体罰は無くなるかの議論が。重要だが少し疑問。運動部活動の体罰はなくならない、乱暴だが。指導か体罰かのグレーゾーンが。学校全体を覆う文化が。自分のレベルで楽しめるはずのスポーツを競争主義的に。少しのことでは崩れない。其上で誰が見ても体罰だという事例は限りなくゼロに近づけるべき。まどろっこしい?情報量がない?運動部活動の中と外、体罰賛成派と体罰反対派をつなぎ体罰の減少に。そのためには?対話することが重要。無くすにはどうしたら良いか考えるのは理にかなっているが、当事者にとっては体罰をやっていたというだけで業績を否定され、経験者でない人に理屈で言われたくないという経験主義に走ってしまう。対話が閉ざされると何が体罰かという議論はタブー視され地下に潜り続いていくのでは?体育大学での体育会系文化。独特のものがスポーツ界には。言葉には出来ないが。ハッキリとした人間関係。明確な努力志向。可能な限り当事者のリアリティを理解する、肯定することとは違い。ダメなものはダメだと考えることが必要。スポーツ界において規律を正して体罰をなくそうという運動はある。体育大学では効果的な指導を考えているが、本質的には何が変わっているか?体罰ができなくなったので今は我慢していると。このような運動部指導者は無能とは言わない。殴るけるを経て強くなったのだから。誰が見ても体罰だという事例を限りなくゼロにしていく。