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現代日本の教育文化 -まとめと課題-(教育文化の社会学第15回)

科目の総まとめ的な回だった。大衆受験社会には肯けることが多かったように思う。

 

教育文化の現在と将来。受験生の文化。竹内洋。大衆受験社会。試験の研究のみならず、受験生はそういう物語、文化を生きる。当事者の問題。受験生の生きられる世界。受験雑誌、予備校。セットになっての受験文化。戦争に行ってきたかの話をする。まさしく受験戦争だから。戦争に行ってきた人と行かない人。受験の戦争化。皆が巻き込まれたのはイレギュラー?少子化、大学サバイバル。先祖返りは歴史につきもの?一筋縄ではいかない。学者という理念型。知の象徴。歴史と人間。政党と異端。和辻哲郎、日本をベースに。中世の秋。文化史と文化社会学の違い。歴史学の英雄史観。文化史は持続的なもの。時代の空気を読む。文化社会学は、現代にどうつながっているかを重視。現代をベースに。記述的よりも理論的、命題を見出す。歴史は終わったもの、とは捉えない。社会的枠組?社会史ブーム。学歴詐称。
感情共同体としての学校。同窓会。集合的記憶。過去と現代の話が繋がる。過去は必ずしも良いものではないけれど、美化してしまう。同窓会コードに違反するのは不味い?人生物語の交換。肯定化。順風満帆だけの者ではないけれど。学校が終わってからも学校がある。社会化。学校は同窓会の中に生きている。学校が終わってからも社会化はある。遅延的社会化。
現代の教育文化を覆っている、文化のフラット化。文化の上下関係が昔はあったけれど、文化の階層性が無くなってきた。岩波と早川。芥川賞と本屋大賞。教養という面でも、かつてのようには考えられなくなっている。アカデミズムとジャーナリズム、エンタメ系。文化のレベルでフラット化。相互浸透。文化の雑食性、偏食はダメ。昔の教養と反知性主義。教養や知。見えない権力。日本では教養や知がチヤホヤされ過ぎた?反知性主義にも知や教養はある筈。予定調和的なものではなく。多様性。ハイブリッドなものが出てくる。強靭になる。意味という病。読書も同様。レイ・ブラッドベリの「華氏451度」。読書しないと思考力もない、焚書。だんだん読書に興味が出てくる。読まないほど強い存在では人間はない。
教育文化学の可能性。教育学者というのは蛸壺?教育から見た日本社会論は無い?文化というものも教育作用がある。学ばれてしまうこと、教えてしまうこと。
教育文化の中で生きている。現代のように液状化している時代で、共通のテーマになりうる。

 

教育文化の社会学 (放送大学大学院教材)

教育文化の社会学 (放送大学大学院教材)

 

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