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アメリカの大学におけるキャンパス文化の歴史(2)ユニバーシティの登場以降の時代(子ども・青年の文化と教育第12回)

そもそもアメリカの大学は本当に真面目勉強文化なままなのだろうか?違う面もあるように感じられる。

 

岩田弘三。アメリカの大学におけるキャンパス文化の歴史。ユニバーシティ登場以降。東京理科大学の大島先生と。前回はユニバーシティの登場以前。引き続きユニバーシティ登場以降を。課外活動中心は厄介な存在だった。ユニバーシティの時代を迎えると野外活動は好ましいものと。積極的価値を認めていく。米国においては遊び文化が飛躍的発展を。第一次世界大戦後は勉強文化が取って代わる。ユニバーシティ化のカレッジの回帰や同窓会活動など。社会進化論の影響。アメリカの遊び文化の全盛期。なぜ勉強文化が取って代わったか。
ユニバーシティの時代になると。カレッジの伝統的理念への回帰。大学院の創設という意義があった。カレッジへの影響は?ユニバーシティ運動はカレッジをユニバーシティ化する方向に。大学教員の変化。現在はProfessor。カレッジではTutorだった。研究をすることも要求され牧師は姿を消す。研究を行う専門職集団に。学生の人格形成面、生徒指導を嫌がるように。選択性カリキュラムの浸透。専門に関係のあるもののみを学べば良い。個々の学生はバラバラに授業を。クラス単位の人間関係は薄れる。学生数の増加。なるべく多くの授業科目を設置して魅力を高める。多くの大学は学生数の増加に。担当教員も多く用意する必要が。人件費も嵩む。授業料収入を増やす。ハーバード大学の例。06年には600人にまで。学生の増加は社会化が困難になる。そこで学生への生活指導面の空洞化に対応するために学生組織を公認する。学生自治会や野外活動。学生の管理を学生自身で。課外活動を中心とする学生組織を。キャンパス遊び文化。同窓会パワーの。ユニバーシティの維持に膨大な経費を。教員引き抜きなど。多額の寄付を募る必要がある。政府への財政援助を。発言力が増す。理事の構成。同窓生が増える。ビジネス界から。野外活動で一体感を。ノーベル賞より望ましく。ハインズマントロフィー。カリフォルニア大学でもアメフトや野球に口出し。関心の強さは寄付の面でも。学生会館が。学生監督の空洞化に対処するために学生部長を。多くは同窓生。課外活動を中心とするキャンパス遊び文化。新たな大学進学者層。特に女子学生。指数関数的に増加。70年には0,7%なのが30年には10%に。中流階級が中心。90年代まで職業に就くことを想定していない女子学生が。上流階級の出身者。結婚のみを前提とするので成績を関係せず遊び文化に。ファッションデートに関心。モラトリアムを。20年代に増加。未来への夢のために知的発達をするより遊びを。女子大学では評価基準が勉強中心から変化。キリスト教精神とは別に享楽主義に堕落。世俗化が進む。20世紀初頭までに遊び文化が席巻。
キャンパス遊び文化の飛躍的発展を。社会進化論を元にした優生学思想が。民族的国家的生存競争の中で生き残らなければならない。揺るがしている事態があると支配層に。危機感。アメリカでは19世紀後半になりフロンティア精神の衰退の危機。西部開拓も一段落して失われる。移民。20世紀になると非西洋系に。WASP。白人アングロサクソンプロテスタント。それ以外が流入。アメリカ文化の均一性の維持が大問題に。民族的自殺、という言葉。上流中流に。移民は子沢山なので比率が増してアメリカでなくなると危惧。多くのアメリカ人論者が。西洋系移民に変わり東欧系南欧系。犯罪が増加。都市化が原因だったが、移民が原因とみなした。WASPの民族的差別意識。バチェラープログラム。当時の大学生は上流中流階層で最優秀に。子孫を残すことをしていない。独身男子学士問題。学士号と独身男性の2つの意味を掛詞的に。大学卒業生の少子化。敵対的態度を変化。何人かの政治家は雄々しさをスポーツに求める。フットボールは野蛮だとみなす考え方が変化。闘争心に満ちた荒々しさが男子学生に相応しいと社会的風潮が。フットボール危機。死者になるまでになりフットボール廃止を検討。時の大統領は弁護して救いの手を。上院議員は世界制覇の犠牲と。心身創建なスポーツ選手。カレッジスポーツの存続に。特に組織的なスポーツは若さの健全な発揮に。大学対抗戦は大きな収入にもなる。巨大なスタジアム建設を。大学側は課外活動施設を。女子大学も。課外活動文化を謳歌。優生学少子化問題の矛先は女性大学でも。既婚者の比率や子供の数は低いことが判明。15年には女子大学への非難の告白。不毛な知性に埋没して血統を絶やす。隔離は大失敗と。女子大学を避ける。存立の危機に。幾つかの女子大学は家政学の導入を。24年に科学的理論的勉強を応用できるように家政学を。優生学的少子化の影響。キャンパス文化にも影響。女性大学に異性とのデート文化を。20年代に花開く。以前は異性が介入することはなかったが大きく変化。前段階がある。19世紀末には隔離政策を取っていた。兄弟でさえ禁じられる。女性同士の。共学大学でも20世紀初頭までは授業以外の接触は禁じられていた。00年代あたりから若い男性との接触が。ダンスパーティー。19世紀末辺りから男子学生を招くように。男女のカップルがダンスをするというより散歩に過ぎなかったと。13年までには規制を緩めてダンスパーティーが定期的に。20年代になると異性とのデート文化に。加えて自動車の普及が促進。後部座席が。隠れられる。学外での男性のデートに関心を。女性教師の評価にも大きな変化。親しみや崇拝の念から、20年までに独身を貫く女性教師を第3の性と。週末の2日間には異性とのデートや旅行で大学は蛻の殻に。女性同士は非婚化の原因になるとされる。勉学ばかりしていたのでは結婚できないとの偏見が。男性とのデートは望ましいと。
大学生活の中心部分に野外活動が。20年代には遊び文化の黄金期に。09年には遊びキャンパス文化の隆盛を嘆く大学副学長が。本業を呑み込む。観客を引きつけようとしても無駄。女子大学でも多くの教員が嘆きを。03年のつぶやき。かつては学問のための学問に。今は衰退した。学生の風潮は今や勉学以外の活動に。部活動、交友、スポーツ、演劇などに。キャンパス内で最も遊行に。バブル前の日本の大学に似る。遊びキャンパス文化は絶頂期を。非常時を経て戦後に沈滞化。真面目勉強文化に転換。復員兵が多数大学に入学。職がないので政府も支援して先延ばしして専門的な。復員兵援護法。大学を職業訓練の場と捉える。多数派は遊びたがる学生だった?公然と侮蔑する傾向があったはず。自分たちのために戦った復員兵に規範を押し付けるのは困難。喧嘩を挑む無謀な学生も居なかった、規範は真面目勉強文化に。専門職を求めての大学院進学の機運。大学院入学共通テストと大学の成績で。日本の大学でも社会人学生が。大学院の進学者も増えている。遊び文化から勉強文化に転換する?社会人学生。面接授業。放送大学での。真面目勉強文化に。重要な原動力に。アメリカの場合は厳つい軍隊体験者が。日本の場合は人数の増加が必要。大学院進学者の増加。文化系では5%を切る。理科系に限られる。理系はよく勉強している。学部時代には真面目に勉強。実験にも多くの時間を。遊び文化は文系限定?文系でも院進学が一般的になると勉強文化が広がる可能性がある。
アメリカの大学がユニバーシティになり遊び文化に。戦後には真面目勉強文化に。

 

子ども・青年の文化と教育 (放送大学教材)