福沢諭吉と丸山眞男は、日本の自由民主主義を支える一員として読んでおかなければと感じる。
「日本」。ポリティクスの訳語としての「政治」。欧米の政治学を紹介する学者が。明治大正昭和の政治学の歴史。45年の太平洋戦争の終戦の際に、何を課題として政治学の再出発を図ったか?政治について議論する習慣を社会に定着させたが、抑圧的な政治体制に陥ったのは何故なのか?が課題に。丸山眞男や日本の民主化を支えようとした知識人はどう考えたか?終戦直後の再出発は?新しい政治学の試み。日本の政治学と「日本」。その前に日本人が西洋の政治に触れた時は?「西洋事情」。自由の確立で政治が政治として成り立つ。その規範性が政治を支えている。徳川までの日本社会。西洋と対照的。活発な議論。文明化した社会。政治の営み。前近代の日本社会は、集団が存在していても真剣な議論が無かった。75年「文明論之概略」。日本の気風を批判。半開の状態からの分厚い壁が存在。日本社会の特質。権力の偏重。小さい仲間内から大きな官僚組織に至るまで見られる。「圧せられ」の繰り返し。社会における現実のCondition。個人の間には様々な違い。権力の偏重という特質は、知恵や富や力の上下関係によって権利までもが違ってきてしまう。自分の思うままに命令し、他方で従属する社会。集団が上下に積み重ねる。現実の上下関係による権力の偏重。近代政治は権利の平等。自分の命や財産を守り、思うままに意見を。誰もが平等に。権利の平等が政治を支える。right。いわゆる権利の意味としての他に、正しさ、という意味もある。権利の尊重が普遍的に正しいということ。普遍的な正しさを現す。上下の階層が積み重なって身分秩序が。抑圧的態度が蔓延。権力の偏重の浸透。下からの服従が何重にも。男女親子兄弟貧富など社会の関係を支配。文明の状態には遠い。21世紀の日本でも、グローバルスタンダードと対比して、ガラパゴス化した日本の組織は批判される。福沢諭吉の日本批判は現代に通じる。近代西洋のミル「自由論」。多数派による専制。19世紀の西洋社会が直面した自由の問題。近代化の過程では暴力で言論を封じ込めるのに対し、自由が保障される。別の種類の自由の抑圧が。人々自身の社会で多数派が少数派を抑圧。社会における自由。社会における抑圧だけを指摘したのではない。政治における自由の抑圧。明治時代の日本では生々しい問題だった。新政府。天子の神秘的な力。新政府への深刻な警戒。明治維新の直後に全国で廃仏毀釈運動。神道中心が強まる。明治政府による神道の国教化は頓挫する。国学者の勢力は無視できなかったが。政府による統制を警戒。自由は古代ギリシアからの伝統で価値の中心を為す。近代の政治思想が第一に重視したのは個人の内心の自由。ピューリタン革命。ホッブス。人工の制度としての政府。ロック。様々な信仰への寛容を。国家と宗教との分離。法秩序の中心に。近代の政治原理の中核を活かす。新政府への批判。国体論を攻撃。徳川末期からの尊王思想。元々は中国古典。水戸学や国学。天皇が永遠に日本を統治。その美称。新政府も国体の連続性を権力の基礎に。国体概念を転換することで批判。ナショナリティ。歴史を共有して集まり独立を保つこと。文明への歩みを。君主制を選択するか否かは二の次。38年。国体論批判に感動して政治思想に深く取り込む。丸山眞男。戦後日本の政治学に大きな影響。38年当時。日中戦争の2年目。美濃部達吉の天皇機関説が政府の否定。4月の国家総動員法。国民生活の。戦後の回想。昭和10年代の日本。愛国行進曲が響き渡る。臣民の権利が認められる。信教の自由も。世俗的な国家制度に。祭祀神道。神々に由来する国体の批判を封じ込める。30年代後半になると反体制的と言われた宗教が弾圧を受ける。戦後に言論活動を。「世界」。「超国家主義の論理と心理」。近代日本の政治の病理。教育勅語に見られる、天皇として決めるということ。命令と絶対的服従。上下関係の貫徹。権力の偏重。国体論批判。個人の責任意識が育たない。国家の方も宗教や道徳から独立しなかった。自由なる主体を。戦後初期の丸山眞男の仕事は一般国民にも衝撃を。社会科学に大きな影響を。戦後政治学の出発。抑圧の移譲。封建社会から受け継いだ遺産の一部と皮肉。近代以前の世界。半開の世界。日本的な特性とも考えられる。日本の特殊性を協調。「軍国支配者の精神形態」。指導した政治家や軍人。責任転嫁。自分自身の良心に基づいた責任を取らない無責任の体系。内面に基づいて決定する個人の理想。ナチスの権力者が開き直る強さ。強さが成立し難い。70年代まで政治学の主張に。閉塞した日本社会に対するグローバルスタンダード。戦後政治学とは「日本」を問題にする日本の政治学。日本人にしか妥当しない?理性的な人間の限界。早い時期から指摘。シュミットの「政治化」。ファシズムや政治的無関心の問題。ナチズムに見られたマスコミによる全体主義社会に。娯楽にばかり関心を集中させる脱政治化。管理社会論や情報化社会論に重なる。49年。「人間と政治」。政治の働きかけは人間性をいかなる意味でも動員する。全ての物事を自己の目的の為に使用する。外面と内面とが再び区別が出来なくなる。イデオロギーを人民に注ぎ込むのが手段になる。情報操作の手段としてのラジオと映画。今で言うIT技術。理性を働かせながら政治を考えるのが難しくなっている。imageによる精神の支配。imageに取り込まれて生きている。自己累積作用。悪循環に。様々な意匠の中にしか住めない。理性的な判断で政治を判断するのが難しくなる。情報化社会を予見。教会に住むことの意味。内側の人々と共有し、外側の人と接触する。戦後日本の政治学の課題意識は21世紀まで届く。