F-nameのブログ

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慈愛。

我が子を愛する気持ちが慈愛を持つものとされることが多い。子どもを持たなければならないのだから、少なくとも生殖年齢に達することが必要で、そのためには自身の親(あるいはその代わりになれる人)から慈愛が注がれることが必要になる。逆に言えば自分に慈愛が注がれることで、自分が慈愛を持つトレーニングになるのはある。稀に慈愛を注がれずに成長した人間には、我が子と言っても愛情を与えることは難しくなるかもしれない。それで大抵の人間は我が子に慈愛を注ぐことになるのだが、子どもを持たない人間は慈愛を注げないのかと言えば、そういうわけでもない。先に亡くなられた宮城まり子氏は子どもを持たなかったが、ねむの木学園を築き多くの園児に慈愛を注がれたことは皆が知るところである。自身に子どもが居ない人は、尚更子どもに慈愛を注ぐことが求められると思う。自分を棚に上げて書くのも何だけど。