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教育の構造と機能(教育学入門第11回)

人間科学は自然科学と同列に捉えられないのかもしれない。

 

人間形成における遺伝的要因やその意味。人間形成のプロセスにおける文化の機能。インフォーマルやフォーマル。
人間形成と遺伝的要因。人間の性格や知能など。遺伝の要因か環境の要因か。どちらかではない。シュテルン。内的要因と外的要因の相互作用。遺伝と環境の相互作用といっても均一ではない。身体の面では遺伝が。学習などでは希薄。当然といえば当然だが、今日の人間科学一般において定説となっているが、現代の日本では遺伝的要因を極端に重視する言説も。血液型占いなど。無視できないのは何故だろうか。科学の現状が役に立つ水準にまで到達していないのも一因ではないか。治験が難しい。予言の自己成就。マートン。予言が一定の影響力を。ある子供が音楽的才能が豊かだなどと予言がなされると、周囲の人に影響をあたえ本人にも。自然科学と大きく違うところ。遺伝的要因にも一定の評価をするのは当然だが。星座のブーム。個別的なケースの不足が。文化というもの、どういうものなのか。個別ケースの予測がなかなか出来ない。教育学というものは、人が産まれてからの要因に期待をかける。しかし期待に答えるところまではいっていない。適性審査が心理学にあるが、100%にいかない。子供はどのような才能を伸ばせばよいか分からない。それが現状。自然科学だと明日地震が起こるかもしれないという予言。当たるかどうかが明確。人間科学は予言自体が一定の効果を。ピグマリオン効果。成績の伸び。逆のケースも。人間科学で子どもたちなどに期待していく重要さ。褒めて育てる。否定的な面。ラベリング。教育心理学で。子供が。非行研究で言われる。例えばこういう子供が非行に走ることが多い。科学的体系がなくても人々が信じることで非行に影響を。レッテル貼り。絡み合いのなかで問題が。
文化の問題。人間は生活の中から文化を。継承させ発達させる。蓄積された文化を学習し内面化する。個人の立場としても文化を内面化し獲得することが不可欠。個人のパーソナリティが社会に影響される。20年代から30年代にかけての文化とパーソナリティ研究。マーガレット・ミード。そのまま受け入れるのは難しいが。生まれついてのものの男女差が後天的なもの、文化的なものだと示す。ジェンダー論にも大きな影響を。パーソナリティ形成が社会的文化的要因に規定。多くの野生児の。幼児期に人間社会から切り離されて育つ。アベロンの野生児。1828年のハウザーの事例。1920年のインドの狼少女。本当に野生児だったのか疑問。狼についていけるかという疑問。言語習得の困難。四足の歩行。幼児期の人間が文化剥奪の中では適正な発達を為しえない。多くの野生児は言語習得に失敗。適時性が。野生児の事例は教科書で最初に取り上げられる。人間形成においての文化の重要性。カスパー・ハウザー。幼少期に人間社会の中で育てられる。牢獄に入れられる。後で能力が回復される。アベロンの野生児。発達の障害と言われる。医師の手での適時性の問題。早熟だ奥手だというのはあるが。言語や感覚。狼少女。捨てられてたまたま狼と一緒に居た?長生きはしていないし言語も習得できなかった。人間は社会の中で人間になる。文化という問題。パーソナリティ、人格。人間を対象とする科学、実験が難しい。野生児の事例は、本人により気の毒だが、たまたま現象が起こり観察を。最近でも似たようなケースが。子供を部屋に閉じ込めて育てる。子どもの発達の問題。不幸な事例についての報告。人間形成における文化を理解する手がかりに。ビタール。当時の医師。翻訳も出ている。人間形成における文化の問題。遺伝と環境の問題に関わるが、現実の私達にとっては100%純粋培養された遺伝のみの環境で育つのは無理。厳密に区分することは困難。既にそれ以前に働きかけた環境が溶け込んでいる。個人の性格や知能など。素質。日常的に音楽の素質は在る。では遺伝か?環境の中で素質が形成される。文化的資本。沢山本があったか、など。胎教。母親がゆったりと。産むまでの環境も。固定的に捉えない。素質というもの。もって生まれたものと思われがちだが、遺伝的要素も含まれるが、どのように関わって展開されてきたかを含めて素質が。環境というものには様々な要因が。親を選んで生まれてくることは出来ない。一定の違いが。日本では素質に恵まれた、努力の面と遺伝の面が。メリットクラシー。学歴の問題。努力と実力に裏付けされる。一人ひとりの子供について発達を保障する際の素質。様々な面が。
文化の内在化。無意図的な教育。育児や躾の日本的特質。かつてほどの差はないとはいえ、日本の子供観は欧米と差が。アドバイス。多くの日本には違和感。子供は本来的には善なるもの。性善説的子供観。添い寝を否定しない。自発的なものを促す間接的コントロール。西洋にもルソーのような性善説的な要素があり高く評価されている。しかし日本は性善説に明らかに傾斜。添い寝の害を警告。アメリカの学者。日本もそれを真似して育児書に。直接命令するのではなく、嬉しいな、という促す。学校での意図的な教育にも。これでいいのかな、と自発的同調を促す。間接的な働きかけ。職業社会にも。上司がいちいち言わせるな、間接的コントロール。グローバル化で職場も変化しているが。インフォーマルやフォーマル、職場のコントロールには共通する特徴が。それが無ければ困るという側面。子供は無邪気。良い方向に向かう。そうでなければ大人の側に問題が在る。識者のコメントにも共通。悪いことはたまたまそうなっただけ。育児や教育の基盤。フォーマリティの教育にも。子供は社会の中に生まれ育ち、メディアの機能の様々な影響。広義の教育。フォーマリティのあるのが狭義の教育。大人の言うことを聞くのが良い子か、自分でなんでも判断するのが良い子か?経験を望ましい方向で。デューイによれば教育は経験から。社会なりの望ましい方向に。意図的な教育においてどう改めるか。デューイの生きたアメリカの時代を踏まえて。教育は注入的直接的?コントロールとしての直接性。具体的な経験を通して身につける。知識は必要だがその土台としての経験がなければ。シカゴで初期の頃に実践を。「民主主義と教育」。日本の場合は知識重視や体験重視を揺れ動く。土台として直接体験。急激に変動する社会においては。体験経験を通して。意図的に計画的にプログラムを。必要なことは文化的状況を捉える、しかしそれに留まらない。如何に方向づけていくかが大事な課題。デューイの時代も転換期で実践に。難しかった面もあるが。望ましい傾向に。哲学的に価値的な問題を考える、一方的だと体験経験が生かされない?経験学としての教育。今何が在るかに関心が。それは大事。しかしそれだけで完結させるのは難しい。意図的な教育にはより良い方向へ行く価値的営みが。教育形成に関わる。価値もそれぞれ違うけれど。教育の文化的基礎。素質というものは社会の中で様々な状況を反映。文化的なものも社会で差がある状況で展開。

 

 

教育学入門―教育を科学するとは (放送大学教材)

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