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教育と社会(心理と教育へのいざない第2回)

結局は社会学の方法論が必要になると感じた。社会学は社会科学なので法律解釈学とは毛色が違ってくるだろう。

 

岩永雅也。教育と社会。教育という事象を社会学的に。教育についての印象は?教育の充実や無償の教育。それ自体はポジティブなもの。ほぼ全員の印象として。教育よりも何とか、というスローガンは聞かない。無前提として良いものとして。聖職の一種として。アプリオリ。眼差しに特別のものが。教育もやはり社会の中で役割を期待されるシステムとしての。医療や司法などと同様の社会システム。全体のシステムの中で目的を持ちそれに伴い施設を。サブシステムの一種。特別視するのは妥当ではない。他の事象と同様に社会事象として考察する。教育を社会との関わりで理解しようとするのが教育社会学。
社会事象として考察する。教育は複数の人間が関わる行為。関係性により形成される。人間の集合体たる社会事象。ただ単に複数の人間が関わるだけではない。形が決まっている定形性。反復して行われ様式やルールが。旅の恥はかき捨て。旅という反復性のない場合にはルールが弱くなりがち。他の社会事象との関係性。どんな社会事象でも独立してではなく、因果関係を持って。原因の無いものは無いし影響も。医療や司法。重大な関係を持つ。教えるものと学ぶものを。教材や学校。関係性を様々に持つ。社会事象と見る。大きく3つの関わり方。教育に関わる人々。既に一定の機能を果たす社会的存在。他の社会事象を要因として成立。性別役割文化。親の収入など。現在の日本では同じように履修している家庭科。昭和の時代までは主に女子だけが履修していた。教育に関する社会事象が原因となり他の事象を。中退率が上がり不良行動が。教育は社会的存在としての人が関わる社会事象。社会的なもの。とかく教育事象は教育自体の論理で。原理的な図式の延長線上だったが。聖職の。アウグスティヌスの教師論。教師は本質的に神であると。中国でも日本でも聖なる営みとされた。学校教育は現実に隔絶されたものではない。社会の必要に応じて新たな社会構成員を。社会事象。デュルケム。教育は社会を模倣する。否定し難い性格。
教育事象を社会事象として分析するのが教育社会学。スザロが最初の講義を。教育社会学は社会学や教育学の一分野。複合的な性格。特殊社会学。教育を対象にする。教育学の一分野。教育科学として。教育における社会関係を研究。どちらでも実際の研究に違いはない?社会学としての規定。研究の方法は社会学的。教育学としての。領域や対象を教育の場に限定することが多い。異なった視点をともに持つ多面性。実際に教育社会学の領域の広がりは大きい。教育社会学の守備範囲の広さは比較的新しい学問であることに。1907年に誕生した。概括的な性格から。教育と社会の双方に関係すれば教育社会学であるという乱暴な。今でもなお解消した訳ではない。前世紀末の内省の時期を経て次第に本来的アイデンティティが。教育社会学の成立の初期。領域の重なった部分や境界線に。近代社会。対象そのものが教育だけの観点から理解しがたかった。境界的な部分。教育的社会には複合的な研究対象が。すぐにそれを社会学の領域で考察するか、教育学の領域で社会学の方法を取るか、その違いが。位置づけの違いの要因。より統一的に。近代社会では人の関係性や相互連関を通して。対象は教育内部の事象でも要因を理解するには社会的ものの見方が。学校教育以外の家庭教育などのテーマでも考察できる。
教育社会学の研究対象。大きく見るとミクロとマクロに。ミクロな事象。1人の社会化に関わる。自我形成など。マクロな事象。制度的教育など。産業化の進展による高度化など。ミクロな事象とマクロな事象。規模が違うだけではなくアプローチなども。社会化や他者とからなる二者関係から。マクロな事象。構造と機能の量的な把握。ある側面を定数として捉える。社会化。社会学では社会が知識や価値観、規範を伝達するプロセス。親が子どもの生活態度を注意することも広い意味での教育。生涯教育。期間の制約も外してより一般化された対象を。社会化と同一。ある社会に適合した価値観などを相互交流を通して身につける過程。教育社会学が分析の対象とするのは教育事象。より広範な社会事象の。現実の教育事象は多様で学校の枠を越えている。多様な概念を。コミュニケーションの中に。実際の教育事象を社会化の観点から。概念的区分をするなら、社会化は諸類型に整理。何らかの意図的社会化と、結果として達成される社会化に。日常生活のあらゆる場面で、意識せずに結果として伝達。幼児の自我形成。学校で自然に身につく隠れたカリキュラム。意図的社会化。教える側が意識して。教育は3つの形態に。定形教育。一定の社会的基準に適合した。学校教育。無定形教育。組織性を持たないで日常生活の合間に。家庭教育やOJTなど。非定形教育。組織的でありながら。成人学級や教養講座、職務を離れての研修。社会化プロセスや教育事象を対象とする。
教育社会学は社会学を学問的基礎とする。社会学の研究方法について。経験的に実証的に考察する社会科学。社会事象を観察され認識された事実によってのみ。観察された事象で。実証主義。現実の社会の秘密の鍵は社会にしか無い。実証的認識。日常的に社会事象を。文章や命題を対置。子どもが転んたという文章をメール。それが認識。少年の凶悪犯罪が増加など。命題は印象的で価値判断が入っている。個人的には充分な意味がある。価値判断の基準が自明?この認識を他者に伝えると事情が変わる。自分勝手とは?命題は曖昧になる。実証的認識。観察された事象につき疑問の少ない命題を。認識を正確に伝える。伝達可能性を保障。結果を比較可能性。没価値的な認識。価値的とは価値判断の基準を持って認識すること。価値判断を廃した。小学生の外遊びも数値化することで時間を越えた比較ができるように。大都市部と農村部の比較も。服装検査も事実として客観的に捉えることで指標の一つとして中立的に把握できる。認識のためには感覚的な観察を排して。社会学的な現実認識。意味解釈法という潮流。個々の構成員の行為は理由や結果などでその行為の性格が決まる。単なる対応ではなく社会的に意味のある行為。外側からは理解できない。数カ月後の大統領選挙の結果は予測不可能。形の上では同じように見える行為でも、親愛の情を込めているか?行為の意味の理解を中心に据える。社会をもののように見ることが出来ない。ウェーバー。意味を行為者の動機と捉える。目的合理性を。因果的に説明することが社会学固有の方法。主観的認識を前提として、価値自由に強く拘る。意味の社会学などによりより精緻に。現実の社会事象を。一つの学問分野でモデルとなるようなものをパラダイムと。自然科学の理論が段階的革命的に変化。クーン。あらゆる学問分野で用いられる。大きく実態調査と機能主義、実証主義、解釈論的アプローチなどに変化。藤田英典。教育社会学のパラダイムの変遷。50年代。客観的把握の時代。教育に関わる様々な実態調査。アメリカ教育学の。教育の科学性。60年代。学校教育、中等教育や高等教育の拡大。研究の中心は学校教育をシステムを。マクロな分析。教育の経済学。人的資本論。方法的には機能主義理論が中心。現実の社会では大衆化に伴う問題が。逸脱論なども。70年代。社会全体に構造の変容が。社会的病理現象。かえって教育の機能の根本的な。制服の意味、学校行事の意味などが。機能主義的な研究が精緻化。教育の不平等など現実の問題と。80年代から90年代。ポストモダンへの対応の模索。国の内外の社会を変える。ポストフォーディズム。教育に対する強い発信。時々の政治情勢との関わりが強く。教育社会のパラダイムにも影響を。実証的研究に対して。諸集団の葛藤からなる葛藤理論。ネオマルキシズム。解釈論的アプローチ、脱構築論。懐疑と反省が。00年から。社会への発信。近年学力問題や教師の資質などの教育が直面する現実の問題への様々なアプローチを。戦後の蓄積の研究成果が教育状況の批判として発信。パラダイムの転換ではなく蓄積した知見や方法論の適応を。

 

 

 

教育社会学 (放送大学教材)

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  • 作者:岩永 雅也
  • 発売日: 2007/03/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

教育社会学概論 (放送大学教材)

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