F-nameのブログ

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心情。

「心情的には賛成だ」とか、「気持ちは分かる」とかの表現が為されることが時々ある。しかし、その後は否定的な判断が続く。要は自分の心情と反対の決断だが、何とか理解して欲しい、ということなのだろう。私もこの論法を使うのは皆無であるとは言えない。だが話す相手の意向に反することをすることに変わりはない。ある種のレトリックrhetoric。これを使うことで何とか分かって貰えると思い使うのだけど、それで納得するほど人間は簡単な存在ではない。rhetoricは単なる言葉に過ぎないのだから。まあ日本は言霊の国というもっともらしい説が根強くあるが、それが本当ならrhetoricを使うというのも合目的的なのだろう。私はやりたくないけれど。