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日本人の死生観(死生学のフィールド第3回)

私の子どもの時代は死について語られることは殆どなかったのは奇妙なことだったのだと改めて感じた。

 

石丸昌彦。日本人の死生観。人の生死を、特に死について何時頃から意識するか。意外に早い時期から。死は子供には難しいわけではない。小学校2年生で父方の祖父を亡くす。死後の世界はあるのかなどと。母方の叔父が昭和19年にサイパン島に23歳で戦死。そのことを聞かされて、死ぬとはどういうことかを考える。23になった時には叔父はこんな若さで死んだのかと暗澹と。友人がサイパン島に。どうして楽しい旅行に行けるのか。死生観の問題には個人的なものが。集団や社会との関係も。家族の共通体験や戦争などの民族共通の。極めて個人的なものとともに社会的歴史的広がりを。死生観は宗教の影響を様々に。日本人は無宗教ではない。死生観の特徴や歴史的流れを。
日本人の死生観を。自然条件。宗教的背景。武士道や文学的伝統など。自然条件。国土はモンスーン地帯。自然は太陽の光と降水量で豊かな実りがある一方で大きな自然災害が。世界中にあるが、突然巨大な災害に。地震や台風。人間は天災に対し基本的に無力。気まぐれで強大な自然災害に絶えず晒されることが。受け身の忍耐や水に流す諦めの良さ。一夜明ければ再び前向きに、楽天的勤勉さが鍛えられる。お雇い外国人のベルツ。医学教育の設立に。明治9年に来日の直後の東京での大きな火災の後。仲谷かおり。驚嘆すべき国民。現場では火災直後に1000戸以降の家屋が。三々五々座り喋っている。顔には悲しみの跡形もない。まるで何事もなかったかのように。切り替えの良さ。楽天的な勤勉。災害や死は避けがたいものとして甘んじて受け。くよくよせず復興に精を出す。阪神淡路大震災や東日本大震災。宗教。死生観の形成に仏教の役割。大悪を鎮め国家の宗教。徐々に精神生活に根を下ろす。藤原道長。摂関政治の最高権力者。晩年には死後についての不安に囚われる。阿弥陀様の手と自分の手をを結んで臨終に。死後の安寧を。平清盛の一族の、平家物語。諸行無常。全てのものは流転する。現世での幸不幸は前世の行いで。因果応報説。これも仏教に由来。平家物語の全体を貫く。歴史的現象を理解。不条理の克服。仏教の教えが次第に日本人の拠り所に。宗教観を考える上での神仏習合、神仏混交。仏が仮の姿として日本の神々に。本地垂迹説。生活実感の中で経験。家庭で神棚と仏壇が共にある。神社とお寺がセットに。神前結婚式と仏式葬式。かつてはよく見られた。キリスト教も習合の中に?祖先のお祭り。武士道。武士という存在。日本の歴史を特徴づける。人気と関心は根強い。武士という存在は鎌倉時代から幕末まで800年以上。かなりの変遷を。江戸時代の厳しい主従関係で練り上げられる。バックボーンは中国からの儒教。死を恐れない勇敢さ。その勇気のどのように用いるかの指針を。世界への紹介者としての新渡戸稲造。孔子と孟子の言葉。儒教が永遠のすみかを。名誉や忠義のために自己犠牲を厭わない。そんな死生観を。元々は身分道徳だったが日本人一般に影響を。百姓たちは武蔵坊弁慶などの話を飽きること無く繰り返す。都会では番頭や丁稚が仕事を終えて一部屋に集まり夜が更けるまで信長や秀吉の話を。美しい理想となる。花は桜木人は武士。日本の道徳は武士道の所産。ドラマや小説やゲームで武士道を学び続ける。文学。記紀万葉から始まる日本文学の豊かな伝統。死生観に関するデータバンク。平家物語。多くの人々が世を捨てて生き延び、ある者は生を捨てる。抽象的観念に収まらない。個別的な豊かさ。文学は死生観の形成に常に参与。漫画などのサブカルチャーなども大きな役割を。死生観を支える裾野の広さが。
近代以降について。近代化は日本人の精神生活に大きな変化を。解放された門戸から欧米の様々な思想が。死生観の影響。異なる世界観を持つキリスト教や自然科学などの近代合理主義。戦国末期から一度接触が。カトリックはほぼ根絶されたが、明治維新以降はプロテスタントの諸教派が活発に伝道を。目覚ましいものが。神の前に1人の人間として立つ。いかにも新鮮。一方では近代科学と共に合理的ものの見方が。人権思想や無神論的なものまで。従来の考え方を根本から。伝統的な思想の再評価も。文化が大きく変わる過渡期。アイデンティティに対する問いが。死生観の問題は核心をなすものとして。「日本人の死生観」。過渡期としての近現代を6人を取り上げて。77年に上梓。しかし古びていない。死生観という言葉が使われるようになったのは日露戦争前夜。武士道に共鳴。来世をあてにする死生観ではなく泰然自若として死に向かうのが。言わば打算的ではなく宇宙的な実在とともに。死を恐れないのが。武士道の影響。20世紀初頭に死生観が何故盛んに?対外戦争の恒常化。兵士や家族。新しい国民道徳を作り出す修養主義。固有の宗教や道徳が欠けているという危機感。武士道的道徳。多くの者の死生観の確立へ。じっくりと育てる時間を持てなかった。昭和になり暗雲に。経済が苦しくなる。全体主義と戦争体制。治安維持法の適用範囲の拡大。内心の自由の制約。国家のために一身を捧げるべきと。宇宙的な実在と一体化して死に向かう。個人の自由意志ではなく兵士などを激励する文脈で。国策遂行が大義。内心の自由の弾圧。死生観も外部から押し付けられる。学徒出陣式。聞けわだつみのこえ。昭和20年で終わりに。国土の荒廃や大きな傷。死生観にも影響を。GHQの戦後改革で軍国主義につながるものは排除。死生観で優勢になったのは死について考えること自体を回避する傾向。戦艦大和の生還者としての吉田満。占領軍の検閲に触れてしまい。自分を密かな反戦歌にしたてて。戦争の一切を否定する心の動きが。戦争中は死ぬことばかり考えた。戦後は生きることに。死を考えない珍しい時代に。河合隼雄。人間として自然ではないが、長期間にわたり続く。いわゆる高度経済成長時代になると否認の傾向は一層強くなる。ひたすら経済的成長を。死とは無であり生の充実を図るのが全て。死生観はタブーに近い。躁的防衛。強い喪失体験に続いて逆に高揚し過剰に活動的に。心の代償作用。現実の認識を誤らせ破綻に。集団レベルの躁的防衛。個人のレベルでは改めて地に足をつけた死生観が。しかし広く語られるには半世紀近くが必要に。日本人全体の傷は深かった。
「千の風になって」。アメリカで元々は作られた。06年から大変にヒットする。人は死んだ後もこの世界に生き続ける。スピリチュアルな。高度経済成長には考えられない。00年代からの変化。死を持って生の終わりとするのではなく、大きな展望の中で生を捉える。背景には様々。癌告知やホスピスケア。職場環境の変化。バブルの崩壊。打ち続く災害。日本人の精神性が本来の形に戻る。死生観の構築が残される。
ある人の手記を。親しい友人の父親。今から20年ほど前に死生観について。大正11年の産まれ。投資関係を。職業に対する文章をまとめていて死生観についての素朴な感情を表明したいと。2万字の文章に。宗教との関わりや主に仏教の疑問点。死に対する構えを。自身の日常生活での宗教との関わり。朝晩就寝時にお線香などを備えて。日曜には米などを備えて。

 

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