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擬人化とパレイドリア現象を通じて、私たちが物に感情や意志を見出す理由を探ります。孤独感や愛着が擬人化を促し、道徳的配慮につながることも解説します。#放送大学講義録(心理と教育へのいざない第9回)

-----講義録始め------

 

予測不能という意味では、自然災害や非常に稀な事件や事故が起こった時に「神の怒りによるものだ」と説明するのも一種の擬人化と言えます。アメリカの9.11同時多発テロでは、ワールドトレードセンタービルの火災の様子を写した写真を見た人が、立ち上る黒煙の中に人の顔が見えると主張したことをきっかけに、テロは悪魔の仕業だと大騒ぎになりました。神や悪魔は厳密には人とは言えないかもしれませんが、本来は意思を持った存在が引き起こしたものではない事象をそのように認識してしまうのも擬人化と考えられます。

最後に、擬人化は心のつながりがある、あるいはつながりを持ちたいという対象に対して起こりやすいという指摘もあります。ペットがその典型で、愛情を持って育てている飼い主にとっては、ペットは猫でも魚でも人間と同じように感情や意志を持った存在です。先ほど挙げたパソコンや自動車なども、それに愛着がある人ほど擬人化が起きやすい傾向が見られます。

また、孤独を感じ、他者とつながりを持ちたいと思っている人ほど、物に対して擬人化が起きやすいことを指摘する研究もあります。孤独はただ寂しいというだけでなく、心身の健康に悪影響を及ぼすことが知られており、日本でも国を挙げてさまざまな対策がとられています。したがって、孤独な人が身の回りのものを擬人化するのは、ある種の防衛手段なのかもしれません。

フィクションではありますが、映画「キャスト・アウェイ」では、飛行機の墜落により無人島に漂着した主人公のチャックが、島を脱出するまでの4年間、たった一人で島で生活することになりますが、その孤独を紛らわすため、顔のような血の跡がついたバレーボールを「ウィルソン」と名付け、心の支えとする様子が描かれます。いよいよ無人島から脱出する時、突然このバレーボールのウィルソンとの別れの時が訪れますが、その時の主人公チャックの様子は、まるで無二の親友と生き別れになるかのようです。

皆さんが愛着を持っているものは何でしょうか。それを手放さざるを得ない時、単に物を手放すのとは違う気持ちが起きたりしないでしょうか。

さて、ある研究者は、擬人化の最も重要な意味として、その対象が道徳的な配慮を受ける存在として認識されることを挙げています。人間のように表現することにより、その対象を人間のように扱うようになるということです。ペットは擬人化されることで大切に扱われますし、環境に配慮した行動を促すために地球を「母なる大地」と擬人化するのも意味があることかもしれません。