F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

気がかり。

昨年から幾つかのプロジェクトprojectを同時並行で進めているが、なかなか順調にはいかない。ダメになっては再挑戦をしたりすることもあるけれど。projectには特定の相手があり、その相手の意思決定の如何に成否が左右される。そして意思決定は遅れがちなので、どうなっているのか気がかりに思うことが多い。此方から先方に働きかけるのも難しい。折衝もしなければならないので、その為の準備をすることで気がかりから心を逸らせている。厄介なのはこのblogに詳細を書けないこと。書けるようになったら大々的に展開をしたいけれど。

台風の影響。

世間では3連休で、メインの問屋も一昨日昨日と休み。なので今日は沢山の商品が入っているだろうと、早めに職場に。ところがバックヤードbackyardには2箱と少ししかなくて拍子抜け。首都圏から荷物が来るのだが、台風の影響で物流網に障害があるのかもしれない。メインの問屋の他に、弊社の関係会社の倉庫から商品が回ってくるが、昨日は来なくて今日に2日分やってきた。今回の台風は関西直撃では無かったので何処か他人事だったが、爪跡は大きいのだろう。復旧させる方々は大変だろうと強く感じる。何かが出来るわけでもないのだけれど。

 

高齢期の経済生活(高齢者の生活変動と社会的方策第3回)

自分の高齢期が不安。65歳以上になると格差が拡大しそうなので。ううみゅ。

 

高齢期の経済。リタイヤした後の生活費は?老後のimage。お金を持っている?老いて貧しい?仕送りの問題。年金は少なくても資産がある?既存の統計データ。
高齢者世帯の所得。国民生活調査。年金生活に以降。ひとり暮らしが増加し世帯人数が低下して。介護保険料も加わって所得が減少し続けている。人生全体では?ライフステージの変化は?平均所得金額。29歳以下の若年層。184.6万円。30代になると扶養家族が増えるので減少。40歳代。妻が働きだすことで若干209万円程度に。50歳代。学費の心配はなくなる。就職して家計を助ける。高齢期は?60代。子供も家から離れる。70歳代。200万円を切る。月16万未満に。ライフステージ毎に所得に変化が。浮き沈み。あくまで平均所得の問題だが。高齢期は所得が縮小する時期。所得の内訳。所得の種類の。高齢者世帯が働いて得られる所得は65万円。雇用者としては49万円。年金は約200万円。財産所得は22.9万円。その他は16万円。年金恩給は40%以上。就労意欲が高いが、2割程度。財産所得は他の年代より高い。多額の資産を持っている?あくまで年金。高額の人が一定層いる。退職金でまとまって入る。それを切り崩すので永遠に続く訳ではない。高い人ばかりではない。公的年金恩給の役割は?総所得に占める割合。100%賄っているのは50%以上。7割はそれに準じる。年金が切り下げられたり少額になると、一気に家計は苦しくなる。命綱、生命線。稼働所得はそれを補完する。どのように家計をやりくりしているか。家計調査。実収入は月20万程度。黒字率。赤字が出ている。年金支給前の苦しい家計。年金で赤字が少なくなっている。75歳以上では4万円の赤字。補填は預貯金を切り崩している。70歳に1000万円程度が必要?無職世帯の内訳。10年間の変化。実収入は21万円ほどで明らかに減少している。社会保障給付が減っている?16年には5万円の赤字。06年に比べて1万円増えている。日々の生活を相当倹約して自己防衛している。消費支出。食糧費は27.3%に上がっている。エンゲル係数の上昇。この10年で苦しくなっている。交際費などは抑制されている。生活防衛の為に家計支出を抑えている。交際費が少ないと人付き合いが。近隣の付き合いや結婚式お葬式。家族が帰ってくるのだが、それらを抑えている。保険料も上がっている。利用の際の自己負担も。介護保険があっても介護サービスを受けないなど。生活の基本部分がたちいかなくなる。国民生活基礎調査。高齢者の貯蓄。10年16年に大規模調査。階級別の。10年の調査。貯蓄が無いという世帯は1割程度。16年度では15%に。ある程度年を取って貯蓄が無いのは不安。平均貯蓄金額は上昇している。1000万円以上の世帯が増えている。富裕層がある一定割合いる。平均では上がって見える。社会保障や消費税はどうあるべきかの問題。富裕層がいる前提で制度設計をしてはならない。16年では200万円未満は28%以上に増えている。バラツキでは大きな格差が。はるかに厳しいのは母子世帯。母子世帯の貧困。女性高齢者の貧困に。勤労の意欲は高いが、単純に生活を維持する為ではないか。意識が高い、とは言えない。
高齢者の就労。経済的安定を支えているのだろうか。労働意欲はあるが、労働の実体は厳しい。労働力調査。就労の現状。65歳を過ぎると男性は半数に。完全失業率は低い。女性の就労率は?65歳を過ぎると男性より更に就労者の割合は減少している。3割程度に。75歳以上の非労働力人口は90%以上。働ける内は働きたい?心身の状態は個人差が大きい。働き口の問題も。発揮できるような労働環境が必要。ILO。高齢であるという差別を受けるべきではない。職業紹介などを使用する機会を。きめ細かい配慮を。年齢の壁は確実にある。自己実現を図る為の雇用のチャンスを。終わった人ではない。働いている高齢者の賃金は?学歴ごとの。60歳を過ぎると減少している。学歴による違いが大きい。全世代に亘って男性の7割程度。女性の高校卒。65歳以上は200万円程度。支払われる賃金は学歴により相当の差が。大卒の男性が基準になっているのが日本社会。現役世代の賃金に比例して年金額が決まる。経済格差に反映される。思い通りの職につけない。支出を抑えるとか子供の援助を。最後は生活保護も。非生活保護人数。全体の保護率は15年で1.67%と増加。65歳以上は2.8%以上。体力の限界で自営業を廃業し経済苦に。食堂を経営。地方として経済が冷え込んで客足も無くなる。経済的に困窮。自営業からの収入が途絶えて生活が傾く。子供が多いのでそれぞれから仕送りをして何とかやっている。国民年金だけでは経済困窮に。自営業の人達を支える国民年金の金額ではやっていけない。長生き時代には経済リスクが。老いて貧しいのは決して昔の話ではない。世界を見渡すと?他の国も問題が。他の国の貧困率。OECD。65歳以上の相対的貧困率が高いのは韓国やオーストラリアなど。70歳以上では22.8%。平均は14%。日本の男女の格差が大きい。豊かであるはずのアメリカや日本でも苦しむ人は少なくない。預貯金が底をつけば一気に生活が苦しむ。それが70歳代半ば?75歳以上は年金制度が成熟していなかった。高齢期にある人々が苦しい国も少なくない。制度から漏れることのないシステムを。先行事例を参考にして社会的方策を。自分の高齢期のイメージ。これからどういう問題があるのかが。社会貢献の問題。新しい働き方に目を向けて。

 

高齢期の生活変動と社会的方策 (放送大学教材)

高齢期の生活変動と社会的方策 (放送大学教材)

 

 

不利益。

労働法の分野では、使用者サイドにとり損失になりそうな行為を労働者がした際に、不利益な取扱をしないよう定めた条文があちこちにある。労働基準法や労働組合法には大昔から規定があるし、男女雇用機会均等法や育児介護休業法にも作られている。要はが不利益を被る可能性がそれだけ多いと言うこと。マタハラで退職するよう誘導された話も時々聞く。労働者としては把握をしておいた方が良いのだろう。ある経営者は労働基準法に違反していると問われ、ウチは導入していないから、と答えたそうだ。ううみゅ。経営手法と勘違いしている模様。なお労働基準法は労働法の誰にも適用があるのが大原則。

PCを購入。

朝にASUSのPCを起動させようとしたが、全く電源が投入されない。ネットのcheckはiPhoneでしたけれど、PCで無いと作業が出来ない。5年使用したけれど、限界なのかなあと思う。おつかれさま。

なので梅田ヨドバシに遠征をする。

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目当ての製品は、軽作業PC、というらしい。店員さんとも相談をする。LAN端子がないものが多いのは意外に思えたが、ノートパソコンnote personal computerならあり得ることだと考え直す。時代の波は無線でinternetへアクセスをするのだろうし。差し当たりフレッツ光なので、LANケーブルには繋ぎたい。DVDなどは後で買い足せば良いと考えたので二の次にする。結局はAcerのPCを購入する。Aspire3シリーズのAspire A315-53に。ポイントを貯めていたのもあって、何とか予算内に。他にも出さなければいけないかもだけど。

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芸術の本質(美学・芸術学研究第3回)

何故19世紀から芸術概念が変貌したのかが不思議に思う。説得的な表現だったから尚更。

 

芸術のimageは?芸術家の自己表現により創造されたもの?創造的想像力を駆使して。個人の内面の表出。ただ芸術自身の為にある。芸術のための芸術。広く流通している考え方。唯一性と自立性。しかし古くからあるものではなく、19世紀になり初めて。200年位の歴史しか無い。新参者のイデオロギー。2000年以上の長きに亘っては違う。18世紀までは?芸術家。ルネサンス時代には職人たちと異なることはなかった。芸術家と職人について区別はなかった。オリジナリティを出そうとは考えていなかった。特別の天才とは考えてなかった。芸術に無理解では全く無い。全員が考えていたのは今日の常識と違う。作品制作は共同制作の形で。複数の芸術家が手分けして。個性の表出は入り込む余地はなかった。他人からの注文で芸術作品は作られる。ミケランジェロ。ローマ法王の注文を受けて仕方がなしに。古典時代の常識。ルネサンス期には芸術家は多くの仕事をこなす。画家たちは色々な物を作っていた。純粋に絵画的なるもの?イデオロギーそれ自体が存在していなかった。レオナルド。絵を描くことと垂れ幕を描くことは上下関係がなかった。純粋美学なるものは妥当しない。就職活動の為に自己推薦状を。軍事技術を持っているところから。本来画家なのに仕方が無く?同情しがちだけどお門違い。価値の上下の差はない。レオナルドだから他のものを作った訳ではない。レオナルド以外の画家も色んなことが出来て当たり前だった。ミケランジェロも絵画やフィレンチェを防衛するために築城長官を務めた。純粋を目指すのは現在のイデオロギー。絵画の中から宗教などを除外して残るのが純粋の画家の仕事?19世紀の人が考えたことに過ぎない。純粋主義イデオロギーは19世紀に初めて出現。模倣。コールマン。オリジナリティは近代のものに過ぎない。オリジナリティという概念が無かった。
近代イデオロギーと全く違う。世界表現。ミーメーシス。アリストテレスの考え。芸術概念を打ち出している。ミーメーシス。ミメーシス。真似、模倣などと訳されるものもある。美学として不味い?マイナスのimage。真似みたいな下らないものではない。美学的な正しい意味を。ミーメーシスは今日で言うクリエイション。模倣と創造とは対立概念に今日ではなっているが、それは近代のイデオロギー。模倣こそ創造の中心だった。まがい物というのもお門違い。芸術創造を天才的人物が、それは19世紀以降。主観が一人で立っている。世界を主観で判断する。近代イデオロギーでは模倣と創造は対立。フランス古典主義文学理論では。2つの模倣理論。古代人の模倣。自然の模倣。古代人の模倣。古典期の大芸術家の作品の模倣。自然イコール本質の模倣。近代のイデオロギーに染まっている人にとっては剽窃ではないかと考えてしまうが、そうではない。大芸術家を自家薬籠中のものに。素晴らしいエッセンスを取り入れて模倣にし吸収することは、一流の大芸術家もしてきたこと。シェイクスピア。モーツアルト。ピカソ。モーツアルト。一杯色んな音楽をエッセンスを吸収する。その点において天才的。自分より前に作られているもののエッセンスを自分の作品に取り入れる。近代主観主義の問題。自然の模倣、本質の模倣。美学理論の根本を為すもの。自然イコール本質の模倣。プラトン以来考えていた。ミーメーシス。本質的なるものの強化的な再評価。再現。実在論的な概念。反主観主義的な。主観の前に予め存在しているもの。作品として再び出現させる。芸術はこのようなプロセスで創造される。予め目の前に存在しているものを表現する。本質の再表現。反近代的な。芸術作品の創造は強化的に。強めること、エッセンスだけを取り上げることで性格をより強くインパクトのある形で。作品として再定義。芸術家の外にあるものを。世界の本質を。予め世界は存在している。芸術家は自分の周りの世界の中に存在する。世界を芸術家が作るのではない。芸術家は世界内存在。世界の本質を表現。再び。芸術表現としては表現行為。創造。クリエイション。世界表現。模倣と正反対ではない。自己表現だけが表現ではない。近代主観主義的なイデオロギー。芸術を自己表現として。古典的美学は正反対。プラトン以来の美学。到底、真似などというものではない。悪いイメージではない。学者でおいてさえ、芸術は真似模倣でないと言う人が結構いる。アリストテレスはミーメーシスとした。芸術は真似である、だからアリストテレスは間違いである?それは近代イデオロギーに囚われている。芸術は近代からというのは分かっていない変なこと。古典主義的立場では。芸術は19世紀になってから高まった、という見解は間違い。アリストテレスは間違っていない。世界表現という深い哲学的なことを語っている。19世紀のドイツ人。ミーメーシスに悪口を。芸術は真似ではない、自己表現こそ正しい。それを真に受けて芸術は自己表現と思い込んでいる。誇張した作戦に絡め取られている。それは間違い。古典ギリシア以来の正統的な美学の立場では。
芸術は学問と同じ世界を対象にしている。芸術の孤高の素晴らしさ?芸術の正しいimageではない。何かの役に立つという発想が問題という考え自体が間違い。芸術は多くのものに役に立つ。宗教や政治などに役立つ。学問的真理などが含まれる。だからこそ素晴らしい。古典美学的な。様々な物を含み世界の本質に向き合う。崇高と言って良いこと。芸術は素晴らしい。本質に迫るという本質。学問と同じ。抽象的なロゴス的な。芸術は物の感覚的なものにより本質に迫る。向かっていく先の対象は1つ。世界の本質。芸術も学問も差がない。同一の真理を。
オリジナリティが大事?自己表現こそ芸術?18世紀までの古典芸術には妥当しない。近代イデオロギーとは全く違う。世界を表現するのが芸術。ミーメーシス。強化的な世界本質表現。古典的な世界表現。古典芸術。古典美学。

 

美学・芸術学研究 (放送大学大学院教材)

美学・芸術学研究 (放送大学大学院教材)

 

 

実践。

昨日はプラグマティズムpragmatismについて呟いたけれど、それとも絡む話。法学部に入り法律の勉強をする際の最初の難関は、刑法の総論の理論を学ぶことであろう。初心者であるにもかかわらず、構成要件だの行為無価値だのという条文にもない言葉を使えるようにならないと、刑法総論や刑事法全般のマスターmasterは出来ない。他の法領域では、条文を大切になどとも説明があるので余計に混乱する。そして実際の事件を取り扱う実践にはなかなか行き着かない。どの法領域にもあるけれど、理論と実践の乖離は著しい。最近では状況はマシになったのだろうか。法科大学院を見越した教育をしている筈だけど。