F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

他の人に感染させないと言うこと。

この前の日曜から私用で忙しく、弊店に出勤したのが土曜日以来のことになる(私用については改めて書く)。ともかく急に休んだのは事実なのでお詫びをする。当然だが仕事も溜まっているので処理するのに忙しい。

私用をしている間に、大阪府でも感染が再び拡大している。4月より感染者が多いのだから、明らかに第2波であろう。前回に懲りたのか、経済活動は基本的に制限しない方向で進んでいる。しかしながら、東京都と同じstepを踏むようなら危ない。まあ個人としては、自分が感染していても他の人には感染させないことが大事。小売業に従事する者としては、マスクをしない方には弊店には入って欲しくはないのだけれど。まあ弊店の場合は未着用のお客様は殆ど見かけないのは良いことと言える。

 

言語コミュニケーション(1) -表現形としての言語(コミュニケーション学入門第5回)

Communicationでコンテキストを語らない傾向が日本にあるらしいけれど、私のようにコンテキストが分からなくなりがちな人間にとってはシンドイ社会なのかも。

 

大橋理枝、根橋玲子。非言語コミュニケーション。言語コミュニケーション。言語の一番便利な点は?記録に残す。情報を保存できる伝える。言語を音声として。昔は文字を残すことしか。音声が本質。文字を持っている言語の方が少ない。過去の情報や未来に。発信する側。過去の記録や未来の予定。言語の本質。時間と空間を超えることが出来る。超越性。言語は必ずしも時間や空間を共有しなくても。文字で記された言語。有効な表現性。手紙。言語の便利な点。生産性。様々な部品を入れ替えて無限に表現できる。単語や形態素。単語の前や後ろ。パーツを入れ替えることで現実でありえないことも表現できる。文として正しい。言語が持っている性質で最も重要な。文化的伝承性。言語は文化の一部として伝承される。あらゆる言語は人々が作り上げた文化の中で使用される。人間は周りの人のやりとりを通して言語を学ぶ。間違えたりして修正させたりして。給食はむしろ美味しかった。むしろと言う意味が違うけれど、使ってみて指摘されて正しいものに。言語の学習性。言語の恣意性。ある対象を指し示す言葉と対象を必然的に示す理由はない。言語は記号の一種であるという考え方。記号というエントリ。知覚の対象物。言語体系は特定の言葉が特定の対象を指し示すと言う決まりに基づいている。座っているものは日本語では椅子。しかし必然的な理由はなく、決まりでそうなっているだけ。関係は必然的なものではない、恣意的なもの。透明な液体を水としなければならない理由はない。日本語の言語体系としてのルールで決まっているだけ。言葉を使う時には特定の言葉が何を指し示しているのか脳で判断して。すみませんという言葉。ごめんなさいやありがとう。エクスキューズミー。その場の状況で判断。言葉そのものに意味がついているというより、Communicationの中で。人の脳の中で。言語は学習しなければならない。判断を積み重ねる。対象と言葉の関係は各個人が学習しなければならない。文化的枠組みの中で。それも学習の対象だけど。文化的な共通の面と個人で学んだ面。海とは?スパルタ的な。トラウマ。悪い思い出、嫌なイメージ。家族旅行で毎年夏休みに。8月15日の花火。海と花火はワンセットで楽しい思い出に。広辞苑で海。地球上の陸地以外の部分、塩水をたたえる。平均深度3800メートル。文化的伝承性。一人ひとり独自の学習成果を。大泣きした場所など。辞書には絶対に書いてないが、イメージを思い浮かべながら。学習性からの内容。日本ではレジャーの形。海と夏休みがセットで。専らプール、という文化では異なる。人間にとって文化自体が学習すべきもの。言葉の意味の中に、ある程度他人に共有されているものと個別に捉えているもの。外延的意味、明示的意味。内包的意味、暗示的意味。コミュニケーションの中で全部伝わることは有り得ない。言語の限界。内包的意味が個人でずれる。許容しながらCommunicationを。それで問題なく動いている。完全ではないが。人間の言語能力のすごいところ。
20年以上お世話になっている。英語では?助けてもらう、恩に着る?英語圏ではそういう発想をしない。対人関係をSmoothに。メールの冒頭の文でお世話になっています。何の話?日本語圏では挨拶に近いように使われる。世話っていうのはどういうもの?広辞苑。相手に対して常に面倒をかけているという意味。言葉の機能として言語体系の中に言語が存在することで対象が存在することを意識させる。世話という言葉、相手に面倒をかけているという現象を。セクハラやパワハラ。出来るまでは性的アプローチを表現する言葉がなかったし、嫌がらせとも思われなかった。名付けることでその対象の認識させる。名付けの機能。社会の中で存在が認識。マタハラなど。逆に存在しないことを指し示す言葉は存在しない。権力を持っている者は自由にできる世界、パワハラという言葉は存在しない。権力を持っている人が全く強要をしない、そこでもパワハラはない。パワハラという言葉が存在すること自体が、すべきでない行為を、問題視される姿勢を。マタハラ、妊婦さんがハラスメントを受けるという概念が無かったが、論じられるようになり問題だと感じるようになる。言葉には身の回りの問題を整理する。自分の気持などを言葉にすることでより自覚できる。中学生の頃、勉強も運動もかわいい女の子、面白くない、羨ましいというか嫉妬というか。そんな感情。名前を与えるとスッキリした。自分の気持を整理。昨日の夜友達と夕飯を食べた。誰とどんなところに?小洒落たレストラン。友達というのは男性か女性か、何人と?人数を言わないから1人?自由に選べる面と自由には選べない面。日本語では言い方の中に、性別も人数も含まれない。Europaの一部の言語では曖昧に出来ない。綴が違うなど。食事に行くという表現、人数により変わる。無視して話せない。聞く方も注意を払わずにいられない。プライバシーの範囲でない?次の詩を。物悲しい感じ?どちらも極端、1人、というのが共通。ハイネの詩の一部。恋愛対象を唄った。自分の感情。松の木が男性でヤシの木が女性。ドイツ語話者が接した時も同様のイメージを持つ可能性が高い。松、は男性名詞。ヤシ、は女性名詞。言語がものの認識の仕方に影響を。英語でheやsheを。違和感を受けると。物に対して違和感を。日本語では恋愛としての性格になる。かなり味わいが変わる。ニュアンス。詩にとって命。駅から家までの道順を説明。今の道順を右左を使わないで。車が進むのと反対方向に。大通りから反対の方向。東西南北の方位を使って。どのやり方が?最初が。大通りが分かりやすい。東西に走っているから良かった。言語が認識に影響を。言語の規則としての要素。方角の認識の仕方が認識に影響を。自由に選ぶことが出来る側面。夜自宅にお邪魔したい、緊急性がある?考えていること全てを言語メッセージにしているのではない。考えていることをどのように表現するのは造り手の自由。完全に自由に決められない?慣習にある程度影響を。そのまま言葉にはしない。聞き返し。時間帯によっては都合が悪い。受け手が意図を把握する必要がある。相手がこう思っているだろうということは言わないという慣習。根拠となるのはコンテキストとして。多くを表現しないでコンテキストへの依存度が高い、高コンテキスト文化。低コンテキストコミュニケーション。日本やドイツ。2つの概念は二者択一でなくグラデーションがある。日本語の文化圏の中でも低コンテキストな人もいる。考えていることが同じだから言わなくても分かる。考えていることが違うので言わないと分からない。何を言葉で表現して控えるか。
コミュニケーション学からみた言語。言葉の意味。外延的意味など。言語という表現型。多かれ少なかれコンテキストに依存。文化により違う。

 

 

コミュニケーション学入門 (放送大学教材)

コミュニケーション学入門 (放送大学教材)

 

 

法則。

英語で言う「law」。ところが日本語でいう「法律」も同じ「law」である。法則と法律は、どう考えても似て非なる概念である。法則は不変のものとされるが、法律はいかようにも変えることが可能である。勿論、変えるべきでは無い原則も法律の規範内容には含まれる。そしてその規範内容を探究するのも法律学で展開されている。しかしながら現実の法律の条文を無視して議論を展開するのも無理がある。法律学は社会科学であり得るのかの疑問は、この分野の研究者が共通して持つものであると言える。

早朝から鬼岩城へ。

この前の日曜日から私用でバタバタしている。勤め人としては勤務時間外ですべきなのが原則だが、例外もある。差し当たり月曜火曜は休む。先に事情を上司に話しておいたのが功を奏して、話がスムーズに進む。まあ今後も色々とありそうだが、淡々と進めるしかない。

そんな私用の合間を縫い、早朝からいつものクリニックに。始発から2本目の電車に乗ったが、やたらと京都駅での乗降客が多い。6時にもなっていないにも関わらず。東京の地下鉄の東西線(千葉県の奥から列車が来るので乗客が多い)ではあるまいしと思う。

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診療時間までStarbucksで過ごす。流石に観光客が居ないので混んでいない。そもそも京都の夏は暑いのだから(今日は二十四節気の大暑でもある)、わざわざ来なくてもと感じるが、ここ数年はたくさん来るのが通常。これからはどうなるだろう?

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2030年の社会と学校の未来-「社会に開かれた教育課程」のマネジメントとリーダーシップ(カリキュラム・マネジメントと学校経営第1回)

一人ひとりが独立的であった学校から変わりつつあるのかもしれない。

 

教員免許更新講習。天笠茂。17年の学指導要領改定。アクティブラーニング。主体的対話的な学び。深い学び。チーム学校。体制の構築。学校経営における健康的な学校づくり。ヘルスプロモーション。働き方改革。学校事務職員。専門スタッフなどの業務の在り方。学校の安全安心と危機管理。いじめ。命をどう守るか。コミュニティ・スクールと地域の連携。全8回。学校という組織の特徴。マネジメントの必要性。スクールリーダー。学校のマネジメントを行う者に。限定された方を対象にしているのではない。管理職であるか否かよりも。教員を初め組織を構成する全ての教職員を意識。学級や教科。影響教諭など。近い将来学校への勤務を予定する人。学校のマネジメントに関心のある人。組織人としての必須の知識を。問題意識の形成を。学校には組織運営は二の次の人が。管理職の問題?暗黙の棲み分けが。過度に進行すると苦しい状態に。マネジメントの現状が学校を苦しいものに。学校という組織がどのようなものかを。カリキュラム・マネジメント。学校という組織でその一員として欠かすことの出来ないものとして。考察対象や問題意識を。
2030年の社会と学校。改定された学習指導要領の方向。学校の果たす役割。求められる学校リーダー。5つの柱。学校とは2030年の社会に向けて。自立性などを巡る環境の変化。学校にマネジメントを。
学校とは?子どもたちを育てる社会的組織。19年の改定の基本方針を。中教審。答申。未来の社会に向けた準備段階の場。毎日の生活を築き上げる。学校そのものが1つの社会。現実の社会と繋がりを。未来の社会とも。未来に向けて成長する潜在的な力を。今と未来の生活を繋ぐ。学校の社会的機能。果たすべき役割。総合的に論じる領域として学校論が。
2030年の社会に向けて。指導要領の改定。30年を見据えて。社会的職業的に自立した人間として、広い視野を持ち高い志を。対話や議論を通じて自分の考えを伝え他者の考えを理解し。変化の激しい社会の中でも試行錯誤しながら問題を発見解決する。実現を目指すべき理念。社会や世界の状況を。よりよい社会を作る。子どもたちが関わり合い。地域の人的物的資源を活用して社会教育との連携を。社会と共有連携して実現する。理念の具体化。教育課程の編成と実施。学びの地図。主体的対話的な深い学び。カリキュラム・マネジメント。アクティブラーニング。学校のグランドデザインに取り込む。30年の社会に向けての予測しがたい変化。そうした変化が全ての子供達の生き方に影響。難しい時代に。新しい未来を構想し実現を図る。知の統合が図られることで新しい価値の創造を。30年に向けて、不安に対し柔軟に受け止める力を。未来の造り手に期待を。枠を超えて4つの資質能力を。物事を多角的に。クリティカルシンキング。統計的な力。情報活用能力。教育活動を実施するのが学校。マネジメントが求められる。
学校の自主性自立性と学校経営。マネジメントに着目を。学校の教育目標。学校経営。方針などを踏まえつつ経営戦略を。一連の営み。人もの金情報などの資源を配分し運営を図る。学校の自主性や自立性。学校経営学の基本概念。何に対して?主体性論。教育委員会と学校との関係。どのように自律的主体的に?保護者などの地域社会との関係。吉本次郎氏。教育行政の意思。学校経営論。教育行政に付与された条件。学習組織と教授組織を。相対的なもの。教職員に創意ある教育活動を。98年に文部省が今後の地方行政についての答申に影響を。教育行政。学校あっての教育活動。学校経営があっての教育委員会。教育委員会の指導の元に?一方で学校経営だけで学校は成り立たず、教育行政あっての学校。教育行政と共に学校のマネジメントが必要。呼応する関係。教育の場としての。教育行政と学校を動かせる?学校経営だけで?どちらも一面的。両者について理解を深めて関係づくりを図ること。政策と行政と経営の符合が。学力調査。全国的な取り組み?学校改善に繋げる。両者の呼応関係を。学力政策と域内の教育改善を。学校改善を。相互の利害を一致させることが要件。関係者間の調整を。政策と経営の呼応関係を。学校の自立性論。堀内勉。学校の自主性自立性。教職の専門性や責任性。学校の自立性の基盤としての組織運営論。カリキュラムを軸にした。学校の自立性論を支える。歴史的に。98年の中教審の答申。理論のレベルから現場における議論へと。答申は自主性自立性の確立を。学校の裁量権限の拡大を。開かれた学校を。説明責任の重要性。情報の提供。人的物的制度面の整備は遅々たるものだった。教育行政のシステムは従来のものだった。
学校にマネジメントを。学校自身も積極的に舵をきることが出来なかった。教職員が分担して日々の職務を。校務分掌組織。整ったからといって上手く対応できるかは別の問題。組織を機能させる観点から。目標の達成に。マネジメントの在り方を。組織特性を理解して。独特の構造と機能を。学級担任制。比較的独立的。指示命令組織が整っているというより、自ら判断する組織を。学級王国を生み出す。プラスの側面も。眼の前の子どもの指導にあたりその場の判断が。専門性が。11年の東日本大震災。個々の教職員がミドルリーダーのもとに。校長が包括する。一人ひとりが動く。指示を待たなければならない教職員では役に立たない。マイナス面の目配りを。学校における営みは個々のものに。集合体。マネジメントで克服。組織へ至る働きかけ。組織の危機、リーダーシップの危機。リーダーの役割に躊躇する。個々の意識や行動が組織に蓄積されている。体質化されたリーダーシップの危機。尊敬や権威を奪う。スクールリーダーへの尊敬が失われると、新たな教育活動へのリーダーシップが阻まれてしまう。マインドの形成が生じづらい学校。フォロワーシップの危機も。リーダーシップの発揮からフォロワーシップを。両方共乏しいと孤立化を。教職員がタコツボに。集合体としての学校が実現。摩擦が産まれない静かな学校に?子供の成長を喜ぶとかいう活気を失っている学校に。教職員相互の関係を問い直す。ミドルの構築。縦のラインと横のラインを。マネジメントとリーダーシップ。世代交代が進展。ミドル層の形成が課題に。ベテランと若手を繋ぐ。リーダーシップの発揮が期待される。
マネジメントとリーダーシップ。組織体としての学校にするには?ビジョンを提示して協働を求めCommunicationを。一連の営みが学校経営。目標。共同意欲、Communication。学校経営学。協働。専門性は協働を通して発揮され支えられる。自らの有する専門性や技術が受容され自らの専門性が担保される。もう一弾のマネジメントが。
養護教諭や事務職員など。専門性を異にする学校へと。連携を基盤にする学校に。Communicationやマネジメントに洗練を。目標を示し協働する意欲を喚起する。8つの力動の備え。如何にしてスクールリーダーを育てるか。

 

法。

私は昭和の末頃に大学の学部を何処にしようか悩んだ。結局は法学部に決めたのだが、その頃は法学部のように漢字一文字の学部名が大半を占めていた。例えば京大なら文や理、工、医、農、薬のような案配である。如何にも古くからあるような名称と言えるだろう。現在にかけては学部名は長くなる傾向にある。私の浪人時代の88年に、立命館大学に国際関係学部が新設されたのが契機になったように思われる。一期生として進学すれば国際人(笑)になれた可能性もあるが、何も身に付かなかったこともあり得る。まあ法律学一辺倒で無かったのは確かである。

受話器を取るとピーガラガラ。

ある夜更けに固定電話のベルが鳴る(ベルではないと思うが慣習上そう書いている)。20年にわたり私は連絡先を携帯電話(ガラゲーからiPhoneに変遷はあったが)にしていて、固定電話には連絡が入らないはず。何だろうと思いながら受話器を取ると、ピーガラガラとかいう機械音がする。それが10数秒続き不意に切れた。意図が掴めなかったが、ピンときたのはFAXの番号と間違えたからではないかということである。他にも可能性があるだろうけど。職場でもFAXと間違えて電話が鳴ることはある。その場合は幾らコチラから呼びかけてもどうしようもない。そもそも同じような番号を使うべきではないというのは正論だが、現実問題として似たような番号設定になってしまう。FAXなんて使うのは古いとされるのが一般なのだろうけれど。東京都ではFAXを未だに使用しているから云々という議論があるが、恐らくはmailを使おうがslackやzoomを使おうが改善はされないであろう。