F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

妄想。

最近は鉄道ファンもすっかり市民権を得たような印象がある。撮り鉄を見るのも珍しいことではなくなった。鉄道ファンと言っても、「撮り鉄」のように撮影をメインにする人間だけではなく多彩である。時刻表マニアというものは毎日飽かずに市販の時刻表を眺めて机上で旅行を楽しむ人種である。実際に旅行に行く人間も居るが、殆ど乗車しないで妄想して楽しむ人間も多く、私もその一人である(最近になり再発した)。松本清張先生の「点と線」に出てくる病気療養をしている女性は、恐らく時刻表マニアでも最古参の方であろうと思われる。敢えて表現をぼやかしているのは、推理小説なのでネタバレするのが無粋だからである。

 

点と線

点と線

  • 作者:松本 清張
  • 発売日: 2012/09/20
  • メディア: Kindle版
 

 

自治体の合併とビラ配布。

来月には隣の自治体で長と議員の選挙が行なわれる(さすがにコロナ禍でも延期は出来ないらしい)。私が日常的に使っている駅でもビラが巻かれたりしている(ネットの活動にも限界はある)。隣の自治体も財政が厳しい模様で、或る政党は高槻市と合併をするよう主張している。しかしそれを住民が望んでいるかはよく分からない。なんでも昔は上水道の水源が地下水だったそうだ(今はどうなのだろう)。なので合併すると水が不味くなるとかの話をよく聞いた。高槻市の住民としては、水道水が清浄でないとも考えないが。ミネラルウォータなんて買ったことも無いし。かえって住民サービスが低下することもあり得る。もちろん、隣の自治体の方々が希望するなら、高槻市も検討しなければならないだろうけど。

契約(法学入門第11回)

私法の根本を為しているのは契約だと考えるけれど、それは普遍的なものではないことは重要である。

 

沖佑太郎。契約。ただ、例えば日本の民法の説明をするわけではない。どういう約束や合意が守るべきものとされているか。
「合意は拘束する」。何時どのように形成されているか。約束合意にはどのようなものがあるか?分類。ローマ法上保護される。近代になってから。
約束合意にはどのようなものがあるか。約束や合意、契約の概念の違い。約束や合意はほぼ同じ意味で用いる。約束合意は1番広い意味。契約・特殊な債務関係・単なる約束。契約は法的に保護される、裁判所で強制される。保護されるが強制されない。法的な保護を受けない。違法な約束ではない。民法90条で無効。約束の内容は適法だが。友達との待ち合わせの約束など。大村敦志。そもそも社会において日常生活では様々な約束を。特別なことが無い限り守るべきという道徳規範が。しかし約束と契約は異なる面が。法的に保護されるものか否か、法的拘束力を持つか?当事者が法律で縛られる。約束の当事者が履行を裁判で強制できる。中古車を引き渡してくれない場合など。強制的履行を。合意の不履行につき損害賠償を請求できる。車を引き渡してくれない、得られたであろう利益も加算して。契約が法的に保護される、国家が裁判所を通して契約内容の実現を約束。国家の何らかの関与が。デートの約束を破る。待ちぼうけに。しかし裁判所に請求するのは認められない。不可能でもある。法的な約束。単なる約束。約束の中には単なる約束か契約がはっきりしない。昭和初期。現在のクラブに近い。女性の気を引くために金銭の贈与を。果たされないので履行を女性の側が求めた。口約束は単なる約束か契約か。大審院は自発的に履行すれば有効だが強制はできないとして下級審を破棄。特殊な債務関係。履行の強制は出来ないが任意の履行は有効。女性が受け取った場合は不当利得にはならない。約束合意が一番広い。3つの概念が含まれる。契約は法的に保護される。カフェ丸玉事件。契約という法概念は17世紀のヨーロッパから徐々に形成。
ローマ法上保護される約束合意は?契約法の根本はローマ法から。そもそもは合意の種類は限定されていた。歴史的背景。合意は拘束するという原則。法的に保護、裁判による実現の保証。契約法や国際法の教科書では当然の公理のようになっている。ラテン語も共に。古代ローマでは存在していない。裸の合意から訴権は生じない。裸の合意、決まった要式を満たさない。訴権とは裁判に訴え出る権利。あらゆる合意に法的保護が与えられている訳ではない。裸ではない合意が必要。一定の衣や要式を満たす。要式を満たす契約は?4つ。この類型に属するもの。援護契約。典型例として問答契約など。成約するか、成約する、一言1語間違いなくラテン語で。間違うと認められない。問答契約はローマ人のみ。売買でも別個に。誤りがあると成立していないことに。うかつに合意をしないように。何でもかんでも訴訟に成ると対応が出来ない。過度な訴訟の発生を防止。一定の約束事でなければ介入するのは望ましくないと価値判断。諾成契約は当事者の合意のみで成立。裸の合意から訴権は生じない、の例外。4つの場合のみ。売買組合委任。金銭などの有償契約に限られる。代金の対価を。当事者には合意を守る経済的対価がある。当事者の合意のみといっても関係が前提に。厳格な要式性の要求は不便なので緩和される。ラテン語だけでなくギリシア語を加えたり文言を簡単にしたり。合意は拘束する、という原則にはならなかった。どんな合意でも法的に保護される訳ではない。
ローマの時代以降近代になって、どのような合意が保護されるようになったか?中世ヨーロッパ。教会法による保護。協会の組織や活動。キリスト教徒の権利義務。ゲルマン法の影響を受けて。教会の役割は圧倒的に重要。司祭の任命を巡って争いがあったが、教会の方が決めるのも頻繁にあった。教会法裁判所。世俗的な裁判所と別個に。教会法裁判所の扱う事項は重なることも。世俗の裁判所では裸の合意は保護されなかったが、教会法裁判所では裸でも法的拘束はあるとする理論もあった。教会法学者により。罪を犯したキリスト教徒は最悪の場合は破門。極めて重要な意味を持つ。教会法は裸の合意でも保護することに一定の役割を。教会法における合意の保護の根拠。キリスト教徒でないと、破門は意味がない。教会法の保護はない。近代ヨーロッパの契約の保護。古典的契約。ホッブズやロックなど啓蒙思想家の影響で個人自らの。国家などの命じられたからでなく、自分が合意したから。ギルドなど中間団体に属する。個人に対し強制力を働かせるのを中間団体とするが、個人はそれから自由であると。個人は自由であり平等。自らそれを望んだ場合にのみ拘束される。ローマ法以来の一定の要式を満たさなくても、個人の意思の尊重を。意思の産物の合意も保護されるべき。私的自治の原則。民法の条文にも。1804年のフランス民法。法律と同様、事後的に自由に変更できない。合意は拘束するということ。日本の旧民法編にも。現行民法典も前提。ローマの時代から一定の要式が全く不要になった訳ではない。違法な原因による債務は効力を有しない。合意が一定の正当な原因を。公序に反しないなど。英米法も特徴的。英米法は大陸法と異なる。英米法においては契約を分解して。ものを引き渡す行為と代金を払う行為。自分の約束に拘束。約束に約因が必要。英米法においては約束は合意だけでは法的保護にならない。約因とは?学説上意見が分かれる。ある人が約束をする場合に対価を負わなければならないことが。約因の役割。贈与。無償で他者に与える。合意したといっても法的拘束力はない。いかなる対価も負っていないから。捺印証書という特別な形式の契約を。日本法でも無償契約の場合。契約の一方の当事者が経済的対価を負わない。無償契約の場合、贈与の場合は相手側の受託が必要だから意思のみで?書面によらない贈与は双方が撤回することが出来ると。事実上一定の要式を必要とする。有償契約と異なり対価が無いので客観的基盤が必要。啓蒙主義的思想からあ合意は拘束するという考えが広がる。そうは言っても要式性の名残がある。
現在の契約の問題点。自らの判断力に基づいて。この想定はあくまで理念的。契約条件をそのまま受け入れる場合が殆ど。賃貸契約や水道の契約など。個人による交渉は出来ない。附合契約。約款。約款を用いた契約の問題点。条項について把握していない。合意が希薄。大量の処理が必要。必要に応じて法律による規制がある。

 

法学入門 (放送大学教材)

法学入門 (放送大学教材)

  • 作者:柳原 正治
  • 出版社/メーカー: 放送大学教育振興会
  • 発売日: 2018/03/01
  • メディア: 単行本
 

 

デリカシー。

My Little Lover という音楽ユニットがデビューしたのは1995年であるからもう26年も前のことになる(なお95年には阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件も起こった)。12月にはファーストアルバムとして「evergreen」が出されたが、「Delicacy」も収録されている。今になり聞き直してみると、「デリカシー」が「ある」とか「いる」とか歌われているのが不思議な感じがする。如何にもポップスという色彩が濃くて今の音楽にはないものかもしれないけれど、最近の音楽界には疎いので単なる勘違いなのだろう。差し当たりYou Tubeを貼っておくけど、「evergreen」は一聴の価値があると思うので中古でもあれば聞いてみられてもいいかも。(なお「re」がついたものも10年代に出たけど私は聞いていない)


Delicacy/my little lover

 

 

evergreen

evergreen

  • アーティスト:MY LITTLE LOVER
  • 発売日: 1995/12/05
  • メディア: CD
 

 

河合塾と猫のオッサン。

桜が満開になり、もうじき新年度ということで、予備校や塾の宣伝が派手に行なわれている。写真は河合塾の宣伝。現役のうちに通ってもらうよう仕向けている。

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今春に初めて見たのは「あいにゃん」(某有名ミュージシャンに名前が似ている)という猫のキャラ。それは良いのだけど、ハッキリ言って何処かの中年のおっさんにしか見えない。髭を生やしているからかもしれないが、現役の高校生とはとても思えない。まあ高等学校に入るのに年齢制限はない筈だから、中年でも差し障りはないけれど。それにしても来年が大学受験に該当する人間は大変な思いをするのだろう。コロナ禍がいつ収束するのかも見通せないし。

患者とともに生きる医療(放送大学特別講義)

自身とともに生きてもらうことが出来る医師にかかっている時は、病状も安定していたように思う。勿論、こちらから努力することも必要。チーム医療なのだから全員が協力し合うことが大事。

 

高本眞一。日頃からどんな患者医師関係が良いかを。ともに生きる、言葉自体は簡単で元気も出る、力強い。農民は土地とともに、漁民は海とともに。文化とともに生きる。根底から支える。しかし医療において患者とともに生きることは?パターナリズムの影響。人間としては医師も患者も同じ。
東日本大震災。脳裏に刻み込まれる。津波が街を飲み込む。多くの人が寒さに耐えていた。非難所で多くの人が物資のリレーを。外国では略奪や放火が起こるが、日本ではともに生きることを。何故日本でこのような共に生きることが見られるか。海に囲まれ諸外国から攻められることは殆どなかった。基本的に農耕民族。日本人の性格を形成。大津波の2週間後のニューヨーク・タイムズ。日本人の特性。苦難を乗り越えて共に生きることを。心と身体に染み込んでいる?何故興味を持つように。中学高校で読書をして。シュバイツァー。アフリカで医療奉仕を。我が生活と思想という著作。命に囲まれて生きようとする命である。岩村昇先生の話を。ネパールで子供から結核を守ろうと。奉仕活動をている。両親を亡くした子供を養子にして。生きるとは分かち合うことである。共に生きるという言葉は心に残る。一冊の本を牧師から勧められる。グーバー。ユダヤ人の虐待も経験。人間関係の在り方。我と汝の関係。尊敬し合いながら。殺伐とした関係。全人格的な関係が心をつなぐ。対話的思考の重要性。日頃の生活は何気なく流れる。2人の間に心が通じ合う経験を。出会い。実存的出会いの中に人間らしさが。受験勉強をしていて、こういう友人関係が築ければ良いと思っていたが、大学で経験したいと。東大医学部。ボート部では合宿所に寝泊まりして訓練を。8年間在学したが後悔はない。共に歩む精神を。身体で表現することを。患者とともに生きることを考える。三井記念病院に。患者を大切にする医師に。医局の教授に意見を行ったら飛ばされた。大学病院でもう少しやれると思っていたが、人格が否定されたような。患者も少ないので患者と話をする経験を。患者は命懸けの心臓手術を。徐々に自信が蘇る。医師は患者を助ける仕事だが、患者から助けられることもある。患者と一緒に生きることの意味を身体で感じる。本物かどうかを確認することが使命だと考えて。
患者とともに生きることを掘り下げて。医学医療の進歩。昔は動脈瘤の手術は亡くなって当たり前だった。遺伝子医療や再生医療、ロボット手術、人工心臓。心臓移植まで2年以上かかったことも。埋込み型の補助人工心臓が。飛躍的に発展したが限界がある。人間の心臓は100年以上も生きる。女性の半分は85年以上。8歳で成長が止まり自然にずっと動き続ける。人工心臓はバッテリーが必要だが。人間の心臓はおいしい食事をしていれば良い。1人の人間をコンピュータに置き換えるとビル一棟でも足りない。限界について語られないことが多い。ニューヨーク・タイムズが報じた。遺伝子の地図が完成したから遺伝子と病気の関係が分かれば良いと投資をしたが、治療法は少ししか編み出せなかったと。人間は幻想を持ちやすい。医師は病気を治すものである。学者の中にはそう考える人も。しかし簡単には行かない。宇宙のことを。69年の月着陸。人類は宇宙を征服できる?宇宙は130億年の光が。宇宙は無限大。到達したのは月だけ。アンドロメダ星雲は200万年先。毛利衛。人類は宇宙に生かされる存在。人間の体は小宇宙。どこまで理解しているか、医師には何が出来るか、メカニズムは少ししかわからないが、大動脈瘤の治療は進歩した。ところが手術をしても、助かるのは患者の命があってこそ。尿を出す血圧を維持するのを超越して患者はどんどん元気になる。医師は提案をするくらい。患者の命の力が。外科医は傷を縫う。1ヶ月すれば抜糸に至る。命の力が無ければ何も出来ない。医師は雨漏りを直すくらいのもの。包帯するくらい。医学が進んでも我包帯すの精神は同じ。出来ることはそれくらい。研究とは何か?無限への挑戦、無限の入り口での挑戦。あまりにも知らないことが多すぎる。ノーベル賞の発見があっても。研究とは謙虚に成る行為。命を前提にして研究を。原爆の研究はすべきでない。命が前提でないから。
医師として心得るべきことは?医師の言うことは聞かなければならない。患者の知識と医師の知識を比べてどうか?大宇宙の真理の中では五十歩百歩。降圧剤でカルシウム拮抗剤がある。グレープフルーツの問題が。結核の患者はまだ発生している。インフルエンザといっても新しいものがどんどん。エボラ出血熱。抗生物質が出来たが、術後肺炎で亡くなる人が。神様への警告。医師が全て知っているわけでも全て救えるわけでもない。知らないことがはるかに多い。命を持った患者と医師とは共同で病気と闘わなければならない。医師は良きガイドでなければならない。エベレストでのシェルパ。ガイドであり荷物持ち。シェルパのように一緒に山に登る。患者とともに生きるとは?自分の心臓。患者には癒やしが必要だが、医療従事者にも必要。癒やしや生きがいを。それがともに生きるということ。手を繋いで仲良く生きる。共に生きる。真剣に生きるならぶつかることもあるが、解決策を見出す。楽しいだけではないがその先に癒やしや生きがいが。クーパーの言う出会い。我と汝の関係。テレビでは神の手などと。自分の力で治すと思ってはいけない。患者も医師任せではいけない。責任は医師の方が大きいが、患者も自らが医療チームの一員として。医師も説明をして。チーム医療には患者も一員。チームワークで。終末期の患者は?ともに生きることが大切。人生の最後で。治癒の原動力の命は神様からの授かりもの。医療チームの一員としてもっと自信を持って欲しい。医師も患者もともに生きることを意識すれば新しい医療が見えてくる。ともに生きることは様々な関係やレベルでも。人間らしくともに生きることができるように。政治や経済などでも。シュバイツァーらの生き方から少しでも多くの人が。医療だけでなくともに生きることが世界平和を。力強く生きられるように。患者と共に生きる。どんな人とも一緒に生きることが出来るように。

 

患者さんに伝えたい医師の本心 (新潮新書)

患者さんに伝えたい医師の本心 (新潮新書)

  • 作者:高本 眞一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/07/17
  • メディア: 新書
 

 

敬意。

日本史の中で「征夷大将軍」という官名が出て来るが、私は「敬意大将軍」と聞き違えたことがある。ううみゅ。鎌倉幕府や室町幕府や江戸幕府の将軍職のことであるのはご存じの方も多いと思うが、「征夷」というのは「蝦夷」(古代では「えみし」と呼んでいた)を「征討」することから名付けられたとされる。当時の「蝦夷」は現在の東北地方にあたる。要は中央政権が勝手に名付けた呼称である。サントリーのオーナー社長が、東北地方は熊襲が住んでいると発言して大騒ぎになったが、「熊襲」は九州地方南部のことであり「蝦夷」と混同している。どちらにしても関西地方を中央政権だという無意識から出たものであるのだろう。今更だが今の中央政権は東京にあるので関西地方は違うのは言うまでもない。