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思春期・青年期と非行(思春期・青年期の心理臨床第7回)

思うに少年犯罪なるものが問題視されなかった時代は、少なくとも日本の戦後にはなかった。まあ大人には理解できない要素があるのだろう。世代が違うのだから。身も蓋もないけれど。

 

大山泰宏。思春期青年期と非行。もう少し拡張して逸脱というキーワードで。逸脱。思春期青年期では?どんな意味を持つか。心の成長について。
逸脱する。はみ出す。逸脱することにどんなイメージを。何からどんなふうに。それまでの自分からはみ出す。身体や心の変化。自分自身がこれまでの自分から逸脱することに戸惑う。子供時代からの。大人の社会に入っていけないので大人から逸脱。大人社会への反抗としての逸脱。尾崎豊。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」。ホールデン。大人社会への反発。大人社会への反発としての逸脱。思春期青年期で新たな自分のあり方を。例えば小学校4年5年の前思春期。下品な言葉を言って喜ぶ。大人社会への可愛らしい逸脱の始まり。顔をしかめるようなことを。奇抜や服装をしたり。若者につきもの。単に大人に直接的に反抗するだけでなく慣習への反抗にも。若者らしい威勢の良さが社会の法や掟に背くとなると非行になる。逸脱行為としてだけでなく小さいものからの連続体として把握することで。
逸脱。思春期青年期の必然。全くなにもないとしたら心の調子を崩す。原因不明の腹痛や頭痛。無気力に。子どもたちは親にできるだけ合わせていこうと。反抗しないように良い子でいようとしたために心身の調子を崩す。身体の方が逸脱する。自己主張ができるようになると受け入れることができるようになると症状が治まる。逸脱が必然的なものであるならば人類の知恵として社会的制度として逸脱の場を用意することが文化の営みの中で。お祭り。宗教的な意味合いと同時に非日常的な空間として逸脱が制度化された場所。荒々しくはみ出しそうな若者を中心に。逸脱を支える文化装置として。イニシエーション。子供としての存在から大人としての存在に移行する為の儀式。中途半端な青年期がなかった頃の社会。冷たい社会と呼ばれた伝統的な社会。イニシエーションの儀式はとても重要な意味を持った。多くの儀式では若者たちは隔離されて森の中の小屋などで何日も生活する。精霊に攫われたりする。その空間で大人になるための儀式が。様々な試練があったりしきたりを教えられたり。逸脱した習慣に。子供としては取り上げられて死ぬということ。大人として生まれ変わる。変化や移行、死と再生のための。ターナー。通過儀礼の概念。リミナリティ。あるものとあるものの境界。別の状態への移行する状態。どっちつかずの位置にあり危険であり価値が反転したり新たな意味が。不確実性と可能性。コムニタス。共同体。リミナリティの。不確実性や反転可能性を含む。しっかりとした構造を持たない。構造化された社会から逸脱。コムニタスは序列地位財産や性別や階級組織を越えた視点。自由で平等な人間のあり方。茶の湯の世界も。コムニタスを目指す。狭い入り口を潜る。将軍も頭を垂れる。階級や序列がなく自由で基本的な人間のつながりが大切にされる。茶の湯の精神。ハロウィーンの渋谷。コムニタスの場所。祝祭の境界的な世界。仮装姿の若者が構造化されていない世界に。序列や地位などを越えてこだわらない次元を求めている。イニシエーションについて。ずっとそこに居続けるわけにはいかない。構造化された社会に。重要なのはイニシエーションでの体験と切れるのではなく時間との結びつきを保ち続けることが必要。通過したことで新たなものを得て本質的な支えになることが大切。宮崎駿「千と千尋の神隠し」。人間の世界に戻り一回り成長して。イニシエーションをくぐり抜けてた印。英雄物語。印として傷跡の場合もあれば。その後の自分のあり方の本質と結びつく。単に逸脱して戻る単純なものではなく新たな自分になりイニシエーションで得たものと結びつく。自分の本質に関わる。
思春期青年期の逸脱の一つである非行について。小さな逸脱から大きな逸脱まで様々な形の。非行は大きな深刻な。線引は社会により異なる。喫煙や飲酒の年齢。日本では寛容な行為が他国で深刻だったり。思春期青年期の若者にどのようにあって欲しいか欲しくないかの思いが反映。思春期青年期の若者が大人や社会の何に反発するか。社会の何にattackするか攻撃するか。時代や社会的状況で定義やあり方が異なる。18年時点の少年法は触法少年虞犯少年などに分けられる。犯罪少年。14歳以上20年未満。刑罰法令に触れる。13歳未満であれば触法少年に。刑法では14際に満たない者の行為は罰しないと。まだ充分に判断能力責任能力があるわけではないと。同じ行為でも処遇が異なる。犯罪少年が検挙されれば検察官に送致され審判の対象に。虞犯少年は児童相談所に送られる。こうした制度の中にも未熟であるとみなすのか。教育が必要か、判断能力責任能力があるとして処罰の対象とするか。子どもから大人の間でどのように区切るか。イメージや思いが反映。非行少年、虞犯少年。罪を犯す恐れがある。刑罰法令に触れる行為を。まだ刑罰法令に触れる行為はしていないが性癖や環境からしてその可能性が高いと考えられる少年。犯罪性のある者と交際したり。虞犯少年が触法行為を行う前に適切な介入と教育を。早期発見早期治療を。何を虞犯とみなすのかは曖昧。この定義の中にも何が相応しいのかのイメージが反映。少年非行に関するものは戦後ずっと関心の的。世の中を映し出す。世相からの影響。子どもたちの変化。こうあってはならない、こうあるべきだという願いが反映。戦後の非行の変化。少年非行が話題になるのはとりわけ非行の件数が多くなったとき。その基準。補導されたり検挙されたり。制度の変化もある。本当に何が生じているかより歴史的に取り扱われてきた現象を。18年時点まで少年非行には4つの波が。戦後まもなく。混乱と貧しさに関連した非行が。戦災孤児。生活のための盗みや恐喝、売春などが。生きるための非行。生活型非行、貧困型非行。東京オリンピックの辺り。経済的に豊かに。高校の進学率の上昇。学校を出て働くよりモラトリアムの期間が。遊びかね欲しさの窃盗。管理社会への反抗。カミナリ族。暴走族。学生運動。昭和の終わりから平成の初め。校内暴力がピークを。街ではバイクや自転車の窃盗。万引がスリルを求めて。非行の低年齢化も言われていた。負の要因がない初発型非行が。尾崎豊に共感。大人社会への反発。何かを求めて既存のものを否定した勢い。ミレニアム。21世紀に入る辺り。大人たちにとり不可解なものに。神戸の連続殺人事件。バスジャック事件。子どもたちが分からなくなってきている印象を与える。少年犯罪の凶悪化が叫ばれる。実は少年犯罪が凶悪化している証拠があるわけではなく、戦後減ってきたので元々少なかった犯罪が目立つように。数が少ないが一定程度はあった猟奇的な犯罪が目立つように。非行のとらえどころがなくなった。人々が余裕ある繋がりを無くした。閉塞感。
現在様々な統計が示すところでは18年時点まで少年犯罪の減少。自殺者も全体としては減少。若者の自殺率は増加しつつある。事故死よりも自殺が多い日本の現状は国際的にも特徴的。絶望の国。逸脱が少なくなった分、死によってしか逸脱を表現できない。平成28年のこども若者白書。より良い子になっている。両親を気持ちをわかってくれるという回答が増えている。家庭でも学校でも80%以上が楽しいと。人の役に立ちたい子どもも増えている。逸脱しない良い子に。暴走族やシンナーの吸引も殆ど姿を消している。家庭内暴力の認知件数は12年辺りから増加。学校内の暴力発生件数も小学校では増加。単発的暴力が中学年高学年で。青年期では危険ドラッグや大麻が問題に。シンナーの場合は1人で行うことは殆どなかった。多くの場合は仲間たちと。危険ドラッグや大麻はInternetで手に入れて1人で。今の若者たちの逸脱には繋がりが失われている。逸脱というものが成長に意味があるのではなく単発的なものになってしまっている。社会から自分からはみ出て探求できなくなっている?逸脱を一緒に行う仲間が居ない?何をしても社会に絡め取られる。

 

思春期・青年期の心理臨床〔新訂〕 (放送大学教材)

思春期・青年期の心理臨床〔新訂〕 (放送大学教材)

 

 

 

 

 

人格心理学 (放送大学教材)

人格心理学 (放送大学教材)

  • 作者:大山 泰宏
  • 発売日: 2015/03/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

判断。

南雲忠一中将率いる第一航空艦隊はミッドウェー海戦で空母4隻全てを喪失する敗北を喫した。太平洋戦争において日本海軍の最初の大きな敗北であり、これ以降において日本は敗北続きのまま敗戦に至る。ミッドウェー海戦での敗北には様々な原因が挙げられているが、山本五十六連合艦隊司令長官が作戦の意図を南雲中将に徹底させられなかったのもその1つとされる。山本司令長官はあくまでアメリカ海軍空母部隊の撃滅が作戦意図であったが、南雲中将はミッドウェー島の攻略に固執することになり、空母攻撃用の装備を地上攻撃用の装備に転換させるなど時間のロスを生じさせた。こういう判断をしたのは、山本司令長官の意図が理解されていなかった証左だろう。まあ仮にミッドウェー海戦で勝利しても最終的にアメリカに勝利出来たかは怪しいかもしれないけど。

大阪10区の今の空模様。

今月の31日の日曜日に投票日が設定されたので、早々に候補者のポスターの掲示板が立てられている。

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私の住んでいる高槻市は大阪10区であり激戦区とされている。少なくとも無風ではないのは確かなことである。今回は現職2名(比例で復活された方も含む)に新規1名(府議会議員からの鞍替え)が立候補される予定である。かなり賑々しく選挙戦が展開されるのではないかと思われる。なお創価学会を支持母体とする某政党からも以前は立候補者が出ていたのだが、00年代半ばに落選されてからは出馬していない。過去に大阪10区からは4名の議員を輩出したことがあるけど、今回はどういう結末になるのだろうか。

なお今日は未明に雨が降っていたが昼には写真の通り天候が良かった。

幼児期の教育の基本(2) -『幼稚園教育要領』と保育内容(幼児教育の指導法第2回)

具体的な保育内容を考えていくのは創意工夫が必要だと思う。まあ書物はあるけれど、幼児の実態にも合わせないといけないから。

 

師岡章。幼児期の教育の基本。幼稚園教育要領と保育内容。幼児教育の指導法。幼児期の教育の目標や保育内容。方法。前提には目標や内容がある。実践以前に何を育てるかを、それに相応しい内容を。其上で展開として方向を。幼児期の目標に加え特に保育内容を。
幼稚園教育要領。国の基準。学校教育法の幼稚園の教育課程など。文部科学大臣が。施行規則。教育課程や保育内容の基準を。64年、89年、99年、08年の4回改定。今の幼稚園教育要領は08年のもの。64年の改定から、文部科学大臣により規範性を有する。法的拘束力を。教員免許状を取得して、読んでいないのはあってはならない。指導法を学ぶにはマスターする必要。幼児期の教育のあり方については文部科学省が。其上で保育所の指針が。改定された08年には同時に告示。保育の基本や内容については全く同じもの。幼保連携型認定こども園教育保育要領も同様。幼稚園教育に限定されない。
幼稚園教育要領。保育の内容。第2章。展開するための狙いや内容。指導内容。5つの領域。健康、人間関係、環境、言葉、表現。5領域。保育士として保育を担う人にも。幼児期の教育を展開する際に保育教育に。5領域とは?趣旨や性格について。初めて示された89年にまで。5領域は89年の2回めの改定時から変更無く。89年の改定時の経緯。それ以前の6領域が関連。56年に示されて64年でも維持。健康社会自然言語など。6領域。89年まで30年以上幼稚園や保育園を規定。園長や主任クラスでも6領域を。当時の文部省は領域は科目とは性格を異にすると。しかし一部では次第に教科的に取り扱うように。体育と同じ趣旨のものに。高度経済成長。核家族化など。幼児教育へのニーズが。幼稚園数は飛躍的に増加。就園率も終戦直後は6%だったが、70年代に入ると50%を越える。新たに設立された幼稚園の一部では小学校出身の人間を。小学校教育の内容が持ち込まれる。80年代になると通園バスや長時間保育などが。当時の文部省内の幼稚園教育要領に関連する会議。適切でない取り組みがあると。誤解を取り除き幼児期の教育の目的に沿ったものへと。89年の幼稚園教育要領の5領域。取り扱いについて指導書。幼稚園教育要領第2章の内容。総合的教育の視点。構成する際の視点。領域はそれぞれが独立したものではない。特定の活動と結びつけることの無いように。総合的な視点。視点としての5領域。当時の文部省の「改定幼稚園教育要領の展開」。育てるものを総括。各領域の関係。幼児の育ちはまるごと。諸側面を分析する視点も必要でその最小の仕分け。発達の側面からまとめたもの。好む遊びとしての砂場遊び。5歳にもなれば高い山を。冬場でも水を使い。じょうろをつかい水を濡らし手で固める。分担も見られるように。他の子供達も参加する。イメージした高さが達成されるとよろこびあう。砂場での山づくり。5領域。たくましく遊ぶ。健康。他の姿も。数人の子どもたちが分担して。人間関係。役割分担の際に入れて、いいよ。言葉に関わる体験も。砂場や砂、シャベルなど。環境。残りは表現だが。室内で絵を描くだけではない。より幅広い内容を含む。山が完成して喜ぶ。身体表現。山そのものが表現作品。つまり砂場での山づくりは5領域全てが関わる。総合的指導の際の視点。5領域は発達の視点。他にも食事場面など全ての園生活にわたって関わり発達も捉える。望ましい経験として設定され6領域とは全く異なるコンセプトで。教科とは違う。教育課程も領域ごとではない。実態に即して独自に展開する?具体的保育内容は自分で作り出す。告示化されているがその内容は大綱化されていて具体的に示されていない。法的な文章として作成されているとき具体化せず大まかに留める。敢えて具体的なものを示さず根本だけに。各幼稚園や教師が実態に即して保育を生み出すことを。なにかの手がかりが必要。一例として東京の桐朋幼稚園の取り組みを。教師からの働きかけに着目して。構造。教師が子どもたちに指導援助していく行為を様々な要素を踏まえて関係を構造として整理。おはようからサヨナラまでの園生活全てで活動を考え大きく3つの層から整理。園生活の主体的分野と設定されている箇所の総合的経験や活動などの層。主体的生活に。子どもたちが互いに興味関心を持った事柄を協力しながら活動を進めていく。様々な体験が。運動会など行事に取り組むなど。遊び。大切な保育内容として。いわゆる自由遊び。誰とどのように遊ぶかの体験。様々な経験が込められている。そのまま大切に視点として位置づけ重視する。題材に因る。教師の方から課題として投げかけたい、絵を描いたり歌を歌ったりリズムで踊ったり。それらも教師からとは言え実際にするのは子ども自身で、自己課題化して取り組む。これらの3つの層が相互に関連しながら。育ちの諸側面、育ちへの視点では5領域が活用。丁寧にまとめて育ちへの視点を。方向性を示す。5領域の態度などが。育ちの諸側面としての観点が。題材に因る総合的な経験や活動など。クラス全体での行事や自由遊び、絵画や音楽的な活動などを貫く視点として。幼児の主体性と集団性。貫く土台で高めていく。各幼稚園や教師は具体的保育内容を設定して。
各幼稚園や教師が設定する留意点。狙いについて。幼稚園終了までの育つことが期待される生きる力。基礎の育成を。心情意欲態度。基礎は3つの観点から構成。心情。心のなかで感じていること。楽しい気分になるなど内面の動きを。意欲。ある物事を積極易な気持ちで。身振りや言葉に。心身の構え。態度とは興味関心を持ったものに触れるなど内面が外に。狙いとは心情意欲と態度により構成。教科学習で数値で測定できるものではない。狙いの説明に続き。内容は指導事項。解説では内容について。教師が指導して幼児が身につけることが望ましい。狙いを達成するために身に着けてほしい姿。幼稚園教育要領解説は幼稚園教育の全体を見通したものなので、幼稚園は具体的なものを。大綱化されていることを物語る。方法論の前に適切な指導内容を具体的に。
各幼稚園や教師が保育内容を設定する際の育ちの観点を。08年の改定時に、近年の育ちの変化に対応して。改定の要点。今日的な保育の課題。領域健康。内容の箇所に食べることを楽しむこと。身体を動かす気持ちよさを。食生活の実情に反映して食物への興味関心を。基本的生活習慣。05年に食育基本法が。食育の重視を。体力や運動能力の低下。基本的生活習慣を。領域人間関係。身近な人と親しみ関わりを。共通の目的を見出し協力して。幼児が自己を発揮し認められる体験を持ち自信を持って。自ら行動する力を。他の幼児と試行錯誤しながら。互いに思いを主張し折り合いをつける体験を。気持ちを調整する力を。決まりを守ること。自信や自己肯定感の欠如に対応。他の幼児と目的を共有して協力して遊ぶ体験を。協同性を。規範意識の芽生えを養う。領域環境。他の幼児の考え方に触れ、自ら考えるのを。知識技能を応用する力を養う。遊ぶ中で新たな考え方を。周囲の環境に進んで関わり思考力などの芽生えを。領域言葉。幼児が自分の思いを言葉で伝え注意して聴くことで内容を理解する。近年のコミュニケーション能力の不足の課題。教師や他の幼児などの話を注意して聞いて考えを言葉に。自らの感動や思いなどが伝われば他の人にも耳を。感動や考えを。思考力の芽生えに。他の人の話を理解する。好奇心なども豊かに。領域表現。用具を整える。他の幼児の表現に。自己表現を楽しめるように。義務教育の基礎を培う。感性を養う。表現するプロセスを。生活の中で絵画や音楽などに触れ感性を養う。作品の出来栄えにこだわらずプロセスに価値を。表現する過程を重視して表現力を。創造力や工夫にこそ。

 

幼児教育の指導法 (放送大学教材)

幼児教育の指導法 (放送大学教材)

  • 作者:師岡 章
  • 発売日: 2015/08/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

 

食育と保育―子どもの姿が見える食育の実践

食育と保育―子どもの姿が見える食育の実践

  • 作者:師岡 章
  • 発売日: 2012/08/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

 

 

うれしい。

セールスで「うれしいプレゼントがついてくる」という類の売り込みは多い。かくいう弊店でもすることがある。弊店の業界では価格で付加価値をつけること(ややこしい言い方だが要するに商品を安く売ること)が出来ないので、自然とプレゼントに目が向いてくる。勿論だが商品そのものが魅力的でないと売れないのは言うまでもないことである。

昭和から平成にかけての生命保険の各社のセールスレディ(勿論セールスジェントルマンも居るだろうが私は見なかった)は、何かとプレゼントを持って各家庭を訪問するのがセールスの常道であった。職場で働いていても、各社の担当をされている女性が訪問してプレゼントを配ることもあった。ただ契約内容が契約者のニーズにマッチしていないと、そもそも生命保険契約は結べない。プレゼントは単なるキッカケに過ぎないと私は感じたものである。令和の時代になったのだが、どのような変化をしているのか、私は生命保険に追加して入る気はないので分からないが。

今後のはてなブログ界隈の多発するentryの予想(楽屋落ち含む)。

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」と言うお題がPCでentryを書こうとするとタイトルと本文の間に出てきた。今年の11月7日にはてなブログが10周年を迎えるということであるが、お題が4個も出て来て驚いた。どれでもいいからblog書いてね、ということである。4個のいずれかのお題について書くとレッドスター(そういうはてなスターだそうである)が10個貰えて抽選で万年筆が貰えるという(けど万年筆人口が多いのかと言われると少し疑問)。なので同じようなお題について書かれたentryがはてなブログ界隈で多発するのは間違いない。読者にしてみれば食傷気味になるかもしれないけれど。なお他の3つのお題は、「好きな〇〇10選」「はてなブロガーに10の質問」「私が〇〇にハマる10の理由」。差し当たり運営側はバリエーションを持たせようと考えたのだろうけど上手くいかないかもしれないなあとも思う。それから11月7日には渡辺美里の「10years」が脳内を駆け巡る人間が多いのはほぼ間違いないと考えられる。仮にMyRevolutionが忘れ去られても、何かが起こって10年目へのニーズで残るだろう曲であろう。

臨床心理学と心理療法(心理と教育へのいざない第10回)

やはり河合隼雄先生は様々な影響を多方面に与えられたのだろう。私は京都大学に居たことがあるが、なぜ直接会って話をしなかったのだろうかと後悔は尽きない。

 

大場登。臨床心理学と心理療法。心理と教育コースで今後の勉強へ誘うための。心理療法について一番基礎となる辺りを。ある意味独特の営みでもあるので、色々と質問してもらいPersonalな語りでのInterview形式も。個性も重要な要素。勿論、どんな学問分野でも教員の個性は重要。放送大学のTVでも公的な顔、科目の内容にウエイトが。ラジオ科目では傾向が大きい。講師の顔が見えない。Interviewerに入ってもらい質問をしてもらい受講生に講師の個性が伝わるように。以前のアナウンサーのさじまきこさん。個人的なことは殆ど語られなかった。
大場師がどのような経緯で。大学で臨床心理学に。その背景。自分自身に難しいものを抱えることが多い。心の病との親和性。どんどん惹かれていく。勉強の内容。臨床心理学を学び始め大学院で5年間。クライエントと付属で初めて会う。河合隼雄先生がユング心理学の資格を持ち京都大学に赴任。セラピストの教育を熱心に。心理療法やセラピストの訓練を河合隼雄先生から。京都大学で74年に臨床心理事例研究という雑誌を。京大の大学院で事例研究論文を。学外からも含め色々な専門家が事例に対しコメントを文字の形で。河合隼雄先生自身もコメントを。印象的なコメントが沢山。院生が事例を出して精神科医のコメントが。次の号で河合隼雄先生がコメントを。精神療法の立場からはこうとも見える。不味かった点もあれば良い面も。議論が続く。一つ一つの論文とコメントから多くを学ぶ。若いセラピストは継続的にスーパービジョンを。面接室の中で一定の面接の器の中で。京大の臨床心理事例研究というのは雑誌上のスーパービジョンといって良い。読者が共有する。若い大学院生が。更に指導者の人たちが。コメントに対し再コメントが。生き生きとしたものに。年1回発行する京大の臨床心理事例研究のIMPACTは絶大なものがあった。77年には同じような臨床心理面接事例を自分で発行して。編集もしながら自らの事例研究をしてコメントも出して。バイトもしてお金を。交通費を貯めて河合隼雄先生の指導も。河合先生の指導を受けることでヨーロッパのユング研究所で研修を。3年半と日本での2年間、その後は最後のスイスの2年間。ドイツやスイスの研究の柱は自分自身が分析を受ける、セラピスト候補者自身が心理療法を。教育分析。週に2時間。カウンセリングを受ける形で。大きな柱に。自分が気づいていない自分に気づく。臨床心理の世界に関心を持つ人は心のさまざまな難しさに親和性が。心理療法家としてクライエントを会うのに。逆に言えば自分の問題から偏ってクライエントを見ることにもなる。もう一つの柱はクライエントと会いスーパービジョンを受ける。個人スーパービジョン。スーパーバイザーと検討。グループスーパービジョン。それぞれが交代でケース報告をして検討をする。セラピストになろうとする人は体験を通してどういう変容のプロセスが生じるか自分の心を使い体験的に知っていくことを。しかし終わりはないプロセス。自分の心と向き合うことは生涯必要。
心理療法は空間的時間的器の中で変容が。クライエントとの関わりの中で印象に残るプロセス。ほとんど全て。宝物でもあるし苦労したことも。クライエントとの心理療法の内容は器に留めることが前提。この点については控えた方が。場合により集結してから一定の範囲で議論することはあるが、学会誌や仲間での検討の中での器の中で。不特定多数の人には控えたほうが。これも特色。
心理療法。深層心理を表すものとして夢の分析を。夢占いとどのように違う?心理療法の立場により色んな捉え方が。夢や夢の捉え方は人類歴史始まってから。旧約聖書や古代ギリシアでも夢の到来を待ったり。古事記や日本書紀。神意を知ることも語られる。古来の夢との関わりを再発見したのがフロイト。フロイト自身が科学的ということを強調していたが。00年で「夢判断」という書物。ドイツ語原題は「読む」というのがぴったり来る。行間を読んだりするが。星の運行を読む、ともドイツ語では表現する。科学的ということを大事にしたが、解釈するのではなくより深い意味を把握するという意味での。「フロイトと人間の魂」。心理療法の夢分析といわゆる夢占いとの違い。手相を読むというのと同じ単語を。実はフロイトとともに樹立したユングは中国の易に大きな関心を。因果律で捉えられることが多いが、一定のときや状況に相互に関連した事由が生じることもある。不思議な現象に出会いやすいこともユングは強調している。占うという営みと関連が無いわけでもない。夢占いが何色が出てきたからと一対一の辞書的なものなら心理療法と似ても似つかない。夢をめぐり連想や語り合いを。次回までのプロセスが。その導き手としての夢が。
セラピストとクライアント。負の感情にも向き合う。しんどいのをどのように乗り越える?大切な問い。いわゆる闇や影の世界こそ心理療法で向き合うもの。ポジティブな方に向かわずに。宇宙には陽と陰の世界があるのが自然。生の世界や死の世界。ポジティブな方に向かうのも人間。しかし逆説的だが陰の世界がなくなることもない。しっかりと受け止められないが故に症状が出ることも非常に多い。カウンセリングこそ負の感情と正面から向き合うことが大事。絶望や悲しみなどの感情は避けられるが、心理療法の器でこそ。表の世界にあるのではなくヒッソリと裏の世界にあるのが良いのでは。下水管清掃のようなものだとフロイトは表現した。負の感情や陰の世界が受け止められる過程が心理療法。いわゆる負の感情を大切に。基本的姿勢はそうだが。いわゆるセラピストの精神衛生も意識的な検討が必要。バーンアウトや燃え尽きや心身に異常をきたすことも少なくない。意識的な努力が。心理療法とは別の世界。家族や大学の問題など日常的営みもしっかりと。ドイツやスイスで6年間研修をしてしまったので、その意味では非日本的なものがある。理不尽なことや納得できないことにはとことん議論したり。意識的にすることが精神療法に良い。オンとオフをかなり明確に。夏の1ヶ月は休みを取る。年末年始に2週間と3月末以降の2週間。学校の生活のように。ヨーロッパのセラピストも。キリスト教の復活祭にも2週間休む。街のパン屋さんなども休暇を取る。そんなに休みをとっていいのかと驚かれるが、生き生きとしているのはセラピストの根本条件。クライアントも意識ができるように。セラピストへの個人的依存によらない点でも大きい。精神衛生の一つに過ぎないが。とても個人的時間を少しでも確保するように。セラピストにより音楽や映画など。日常的にはウォーキングを。週に数回1時間自然を歩く。季節を感じる。
最後の質問。学生の方にはどのようなことを大切にして学んでほしい?心理療法は大変なもので難しいもの?確かにカウンセリングはかなり安易に学べるものだと思っている人は多いが。ひとりひとりの生きた人間の心と正面から。簡単であるはずもない。人間の心や生き方や死との向き合い方など深いところを。テスト勉強がしづらい?違うものを学べる。心理療法や臨床心理学を学ぶこと。皆カウンセラーになるわけではないがそれで良い。受講生が人間や人間の心、病や障害を抱えて生きること、友人と社会。個人と宇宙など様々な大事なことについて、自分自身の生き方、どのように死んでいくのか、そういうことに取り組めることは大事なこと。今後の提供されるいろいろな科目。大学院にも。更に科目も含めて提供される色々な科目がそのような向き合い方をするきっかけになれば嬉しい。
心理療法は闇の世界ととっぷり浸かること。とても大切だが、どうしてもそう出来ない事情が。セラピスト無しで向き合うことができる世界でもあることを。

 

 

 

精神分析とユング心理学 (放送大学教材)

精神分析とユング心理学 (放送大学教材)