F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

ライフ・サイクル論3:思春期・青年期(臨床心理学特論第13回)

自分の思春期は太平楽に過ぎていったのだなあと改めて感じる。良いことなのか悪いことなのかは分からないが。

 

思春期と青年期の特徴。心理的問題やカウンセリング。心理療法。
子供と大人の中間。小学校高学年から30代の中頃。成熟し始めてから子供が出来る時期。心理的発達では?小さな大人として?東洋では四季に例えたりしている。春から夏?青年期の課題。自立しようとする。職業選択や結婚の準備など。エリクソンがアイデンティティの確立を。特定のものとして位置づけるのが難しくなっている。結婚の平均年齢が遅くなってきている。定職に就けない人も。心理的課題はあらゆる世代で問題になっている。壮年期になっても。既に人生に絶望したり、永遠の青年であり続けたり。ライフサイクルの諸相は曖昧になっている。通過儀礼としての線引も不鮮明に。生じやすい問題。いじめや不登校。問題環境はスペクトルとして。深刻なケースでは引きこもりになったり自殺や殺人になったり。様々な精神障害が顕在化する。自閉症スペクトラム障害。ADHDの子供が問題行動に。基本的欲求が満たされない青年が逸脱行動などを。統合失調症の好発期。自殺も。心理的問題においては特効薬はない。特殊性を考慮して個別の対処を。細部へのマニュアルはない。心理療法。普遍的なテーマがオリジナルな形で。
臨床経験を踏まえて。「普通の子の思春期」、近頃の思春期、など。普通の子、現実と異なる世界。思春期と性。親自身の思春期の課題。
「フツウ」。気持などが言葉にできない。言葉にする内実が無い時に。何を聞いてもフツウ、昔からあったが。とても乾燥している、情緒が込められていない。昔は探られたくないからだったが、今は内実が無い時に。通じない、という意味でフツウ。漫画やアニメ、タレントやゲームを媒体に。窓?窓で話が出来る子供。フツウはなかなか窓にならない。話したい気持はあるが言葉にならない。こちらから具体的に話すことで輪郭を。断片的。文脈を大事にしてストーリーを作るのが難しい。ユース番組。深刻な話をしていても時間が来ればコマーシャルなどに切り替える。共同体感覚や親密な人間関係が築けない。ちゃんと聞いてもらうことが少ない。だいたい、TVでなくnetの動画を見ることが多い。昔はクラス替えが意味を持った。同じクラスだからといって自然になにかの繋がりが出来るわけではなく、自分で関係を作って共同体を維持する。同じクラスでも他人の扱い、アウエーな感じ。居場所が無くて苦しいことも。クラスの共同体感覚は昔はあったが。固定しておくと駄目だったら怖い、複数のグループを。人間関係の保険。幾つかの一面グループを。どこかで弾かれると居場所が無くなる。そういう努力を。コミュニケーション能力が過剰に言われている。SNSのコミュニケーション。blogが時代遅れに。Facebookは古くなっている。WINEやInstagram。TVも見ない。自分たちと似たような年齢があげている動画、共同体感覚を?カップルの動画を見て、仲間になっているような。6秒での動画、どうやってオチを作るか。みんなの中で共有を。SNSでは「いいね」。自閉症スペクトラム障害の人に定型的な絵を使って?感情が、怒りがあっても悲しみが。連帯感の中に孤立感も。パターン化されることで豊かさが削がれる。定型発達。正常は定形でなくて。SNSはパターン化しやすい。スタンプ。微妙な感情表現を。複雑になればなるほど、どちらかを強調して捉えてしまってトラブルに。会っていれば調整がつくようなことでも。炎上みたいになる。面と向かって話していると表情などで伝えられるが、netだと情報量が減る。電話機能を使いたがらない。LINEなどを。ツールを利用して繋がる。極端になると何時でも繋がっていないと不安、常時接続。連絡先を整理するブロック大会で弾かれるも大変。村八分に。好きな人とだけ付き合えば良いという感覚が強い。必ずLINEのグループになっているので、誰も求めていないという不安が高まる。自分のことを認めてくれているのかという自己欲求が。ブロック大会開始。承認欲求を満たすために。逆にブロックされて沈んでしまい人間関係が築けなくなる。今、認められたいという欲求。眼の前にツールがあると衝動が外に出てしまい取り返しがつかなくなる。周囲に認められたい。パターンを自分の役割として担う。固定的に。大学生でも友達に本音を見せるのが怖い。キャラを見せる。本当の自分を晒すのが怖い。一面グループ。本当に仲が良ければ楽しい生活が。=仲がよいためでなく、学校に通学するときのお守りになっている。同じキャラは二人と要らないという法則。キャラ替えを。いつも突っ込まれるのがキャラだったり。嫌だとも言えない。言えれば苦労しない。居心地が悪いのでやられ役を続けたほうがまし。共同体は近所付き合い、予定調和。敵意がないことを示す、当たり前のことを。一定のキャラを演じる、共同体の為に。裏で匿名のところで色々と起こる。人のコトが信じられなくなる。
思春期と異界。超越体験。この世のこととは違う。関心を示す。子どもたちが好む物語。自分とは何者なのか、自分の存在価値はなんなのか。ファンタジーの主人公。存在の根拠がこの世界にしかないという物が多い。今の自分ではない何か。芸能界や声優への憧れ。ゲームに夢中に。ネットゲームの中には神話的世界で勇者が敵を倒すなど。仮初の体験を。自分の存在意義を満たす。芸能。元々宗教的なもの。深めていくと自分とは何者なのかという思春期の根本問題。この世のことだけと思ってしまうのを忌避する。存在価値をこの世でないところに見出す。日常の座標軸に下ろす作業が必要。教育体験との付き合い方。日常と非日常。俗の世界と聖なる世界を。成熟。SNSを見ていると子どもたちが、これは不正義であるというのを話せないことが多い。赤胴鈴之助などの正義の味方に対して、正義感を持たない?正義感。とても硬い。少しでも失礼だとあげつらってものすごく責める、自分ではなく人のアラを。それをしないと持たなくなっている。共同体を作る裏に、正義感という鎧を被って。牛乳パックを投げつける行為。親の方が子供の問題行動はSOS、という感覚を持てないでいる。水を袋に入れて投げたりする。自分の存在感の希薄さに。何かの自己表現。ここからが育っていくポイントでもあるのだが、親は愛情不足とされたらどうしようとかと思い、SOSをどう扱うのか分からない、先生方が間違っているとしてしまえば子供との関係が深まる?「やってないよね」と親が言い、子供も肯定し、親子関係を深めてしまう。自分のことを信じてくれたと、イイコでないと認めてくれないという絶望感。嬉しさと共存できない。乖離をしてしまわないと持たない。正義感の無さに見えてしまう。関係を切って保つ、普遍的な関係にならない。
現在の子どもたちにとっての性体験の意味。大人は愛のない性体験を持つ。子どもたちでも愛情のない性体験を。親からの愛情が得られないので代償的に。一時的な快感を。大学生では初めて会ったヒトと性体験をして傷つく。小5から性体験を。誰でも、となる。ただただ抱きしめてほしいだけ、自分のいられる場所を。2、3歳の子供が居る。身体が大人になるとギュッと抱きしめてもらえない。低学年でも大きいから良いだろうとなる。かなりの数の子供が。心の世界での交流を。
大人にとっても思春期。不登校の子供が母親の料理を食べなくなる。お母さん自身が子供と接していく中で自分の母親との関係を考えなければ。子供がインチキ夫婦と。援助交際をしていても学校に行っているからマシだと。魂が救われない。子供の変化と母親の変化がパラレルに。お母さん自身が自分の思春期を考える、自分の母親との関係を考える。良くなかったからという単純な問題ではない。今を信じさえすれば嘘で取り繕っても良いという感覚。子供がnoを。真剣に向かい合う。母親伝説。大事な本当を見出すことに。家族のことだけでなく、世界のことを代わりにやっているのではないかと。一人の子供と家庭。日本のことと世界のこと。原因結果ではなく。パラレルに起こるということは在る。親と子供が同じ問題に直面すること。本当のもの、表面的なものではない自分の視座が。

 

臨床心理学特論 (放送大学大学院教材)

臨床心理学特論 (放送大学大学院教材)