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学校と思春期(思春期・青年期の心理臨床第5回)

多様性を意識的に育んでいく必要がどの組織にもあると思うけれど、特に学校については強く言えると思う。

 

大山泰宏。学校と思春期青年期。学校に全く行ったことのない人は殆どいないのでは?高校進学率も97%。17年の時点で11%の学童期の世界の子供が学校に行けていない。1883年では50%程度だった。学校に行かない選択をしても学校とは向かい合わせに。学校は必ずしも自明ではなく人為的なもの。
学校と言っても様々だが、スクールという言葉。スコーレ、は暇や余暇、という意味。学校にはどこか日常世界とは異なる浮世離れしたものが。学校のイメージ。一斉授業、黒板で。このスタイルは近代になってから。同年代の子供が囲い込まれて。人為的空間には大きな特徴が。学校では成員の社会的役割が非常に限定的。他の人との関係の中での役割や行動。社会的には様々な役割がある。魚屋や駅の係員などの職業。学校では基本的に先生と生徒の役割しかない。構造として奇妙。学校の外では他の社会的役割があるが、学校の中では限られる。それぞれの役割集団は特定の年齢から成る。小・中学校。大抵は同じ年齢を集めた学年というcategoryを。先生の年齢の幅は広いが、それでも一般より狭い。そうなると人間関係では何が?社会的役割が多様である時は人間関係は役割で規定されている。役割や職業。一人ひとりの個人差よりも社会的意味付けが大事に。学校では先生と生徒だけ。一律。逆に言えば個人差や正確やキャラクターがかえって目立つ。子供を児童生徒という役割に閉じ込めることで、それぞれの個人差に目が向けられる。逃げ場がない。表に出さないことは出来ない。個性を持つ者として表に。学校集団の中で、他の子供との比較の中で性格や個人差、自分自身を。児童生徒を無個性に?逆に個人差というパーソナリティを際立たせる。
社会的役割が限定されているのに続き。学校では他の場には見られない独特のコミュニケーションのバターンが。ミーファー。今何時ですか。正解です。普通の日常のやり取りと異なる。質問する側は知らないから質問する。しかし学校では既に答えを知っているのに聞いている。社会では感謝を。学校では評価が。IRE連鎖。イニシエーション。教師が発問をしてコミュニケーションを開始。生徒の応答。Eは教師による評価。一連のやり取りのパターンが。大前提となるのは教師が何が正解かを知る存在で生徒は知らない。学校の中の色々なところで。生徒指導。身嗜みから礼儀などを知っている。逆に教師の側から言うと、先んじて生徒はどうあるべきか見本にならないといけない。実際には教師の方が生徒より何でも知っていることはあり得ない。IRE連鎖は前提だが、それに囚われると大変。先生も知らない、そもそも正解がない問題が。どのように生きていけば良いか、など。答えが出ないこと。先生も生徒も一緒に考え探求することが沢山ある。先生にも生徒より知らないことがたくさんあると、先生生徒関係に危機が。家族では子供の親への反抗や自立。好ましい面も。学校では必ずしもそうではない。子供は思春期になると心理的距離を。学校であからさまにやると教育が成り立たない。先生に口を利かなくなると学校への反逆となってしまう。先生に対しては他と違う振る舞いをしなければならない。嫌悪感や反抗心を持っていても、捉え直して親との関係と違ったやり方を。制約があることは思春期青年期にとり窮屈。このことが人間関係の柔軟さや他者への配慮を生み出す。自分が相手を心理的にどうかで決めるのではなく、相手との社会関係を保持するという礼儀、レスペクトを。そのような人間関係が保てるのは大人だと言える。多感な時期の学校教師への気持ちは複雑だが、絶対的に受容しなければならなかったことが多様な見方の素地に。
スクールカウンセリング。スクールカウンセラー。馴染みの深いものに。小・中学校や高等学校の殆どに専門家が。不登校やイジメへの対処。文部科学省が予算措置を。生徒に挨拶。学校通信などに記事を。生徒にも馴染みの存在。週に1日か半日が多い。心の問題などの心理学的な専門性を持って解決を。配置され始めたのは95年。調査研究委託事業。効果を調査。ずっと以前から生徒指導の分野ではカウンセリングの必要性は認識されていた。戦後に教育の民主化が。発達を個別的に支援するというのが教育という考え方が。貧困や戦災遺児などの問題。カウンセリングの有効性。日本の社会のスピードから取り残された生徒を適切に導く。学校での様々な問題の解決にカウンセリングが必要。IREの連鎖とは非常に異なる前提を。カウンセリングは横並びの関係で開花させるよう支援を。民主的教育の象徴としてブームに。各地でカウンセリングの研修や勉強会が。臨床心理士などの専門家が。制度が始まるまでは学校の教師が習得して行うという面が強かった。心の専門家の資格が。大学でのカリキュラムが定まる。臨床心理士などの専門家が。学校の先生にもカウンセリングの知識は必要だが。対応が難しい場合は専門家に。実はスクールカウンセリングの在り方は外国と比べて特徴的。外国ではスクールカウンセラーは教師の一員であることが多い。教員集団の中に。人格教育や道徳教育など。依って立つのはカウンセリング心理学など。日本での進路相談はスクールカウンセラーが。日本の場合は派遣事業の枠組みの中では学校の成員ではあったとしても教師集団の一員ではない。依って立つのは臨床心理学が中心的。精神疾患への対象。クリニックスタイル。外の専門家への事案でも協力して対処。生徒指導や進路指導は日本では教師が。カウンセリングの知識が必要。諸外国では教員の1人。学校の内部の人間。日本では学校の外からやってくる外部の人間。自治体の教育委員会から派遣。外部の人間が学校に入るのは画期的だった。学校が責任を持つのが教育という考えがあった。生徒と教師という社会的役割しかなかったところに異なる役割が。IRE連鎖のコミュニケーションに横並びの関係を。カウンセリング・マインド。インパクトは大きかった。河合隼雄。学校に黒船がやってくると表現。学校の外側から。学校の役割と異なる。独立した活動を可能に。同時に何をしたらいいか決まっているわけではない。自分で役割やニーズを探すという専門性が必要。学校の一員でありながら学校の中では稀人としての地位を。共同体に外からやってきて異なるものを。marginalな位置に。子どもたちに関わる上でとても意義のあること。思春期青年期には心理的にも社会的にもmarginalな位置に。子供でも大人でもない。社会的役割の中にも収まりきれない。境界的な位置にある生徒たちが自分を探求する場を提供する。スクールカウンセラーはmarginalな位置に留まり続けることが大事。学校の中心になるとスクールカウンセリングが出来なくなる。馴染めない生徒にとり寄り付きにくくなる。スクールカウンセラーは学校の中にずっと居るというより面接室の中に居ることが多い。スクールカウンセラーの業務に取り面接室が重要。生徒がよってきてカウンセリング心理学などで個別的に生徒を支える。精神疾患になりかねない生徒も。精神病理の知識を持って関わる。場合によっては専門機関の紹介を。保護者に対し面接をする。子供をどう支えるかを考える。保護者が支える上での心理的困難を和らげる。先生に対しコンサルテーションを。自身の専門性を発揮できるように、異なる専門性の複眼的な。問題として上がってきた事例に対応するだけでなく、心の揺れを抱えている。色んなワークやストレス対処法を。大切にすることを伝える。先生にもワークショップを。トータルに行って成長を支えるのが役割。
スクールカウンセラーは稀人で常駐していないので、全てを知っているわけではない。学校とスクールカウンセラーを繋ぐ存在。窓口教員やコーディネーター。教頭先生であったり生徒指導であったり。教室に入れない子供の別室の責任者だったり。一週間の流れを教えてアレンジしてもらうなど。学校の中の別室。marginalな場所。登校としてカウントされるが、緩やかに自分のペースと気づきを大事に。異なる学年が一緒に。色んな役割を取ることが出来る余裕がある。スケジュールで自分の役割を。何らかの社会的役割を自然に。社会性を育んだり自信を養う。保健室。養護教諭。生徒の健康の管理や初期対応など。心理的原因に入れない子供の避難場所。休み時間に一息。不適応感を。身体で表現する生徒が結構いる。身体的な対応をするのが心をフォローすることにも。養護教諭は常駐しているので普段からの様子を見ている。養護教諭がコーディネーターをすることもある。
学校という人工的に囲い込まれる場所の特殊性や人間関係の特徴。カウンセリングの意味。スクールカウンセリングの制度やスクールカウンセラー。学校というのは子供の成長や発達について色んな課題を。人格の形成なども。前提に関わる問題。貧困や虐待。発達障害。学校で携わることは多くなっている。元来は学校にとどまることではないが。学校の位置づけや役割、学校以外で成長に提供する環境が。教え導くだけでなく共に探究する時期に来ている。

 

思春期・青年期の心理臨床〔新訂〕 (放送大学教材)

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