F-nameのブログ

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罰。

アランによれば浄化であるとする。当然だが罰と刑罰とは違うものになる。刑罰は近代国家以降では司法権が人間に課すものである。死刑では生命が奪われることになるし、そうでなくても一定期間の自由や金銭が奪われる。恣意的な刑罰権の行使を防ぐのは長らくにわたり形成された知恵である。だからと言って刑罰と罰とは全く別のものでもない。犯罪行為を犯した者が刑罰に処せられるのだが、それにより悔い改める機会を持つことが出来るという側面も併せ持つ。そうして刑罰が終了して新たに生きることになる。まあ累犯は結構な数に上るのだけど。