アランによると、「もっとも深い悔い改めを意味する宗教的表現」とのことで、対立するのは不完全痛悔ということとする。これについては訳者の神谷幹夫氏の註がつけられていて、「神の刑罰を恐れての悔い改め」と言う意味だそうである。思うのは、大抵の人間は悔い改める時には、殆どが不完全痛悔ではないかということである。何しろ神の刑罰というのは極めて強力である。死後の世界があるとしたら、誰しも地獄には落ちたくないから。それとも神に近づけば痛悔の意味内容が変わって知覚されるということだろうか。キリスト教の信者ではないせいかピンと来ないけれど。