F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

法をめぐる中国・西洋の思考(法学入門第3回)

そもそも45分で法の歴史を論じることは不可能だと思うけれど、入門するためにはどこかで切り取る必要性があるのが厄介。正直に言うと、中国の法の影響なんて現代日本法は受けていないと思っているけれど。

 

西英昭。法というものを巡る思想の多様性。法のイメージや先入観を振り返る。現在の法の状況。中国の思想。ローマ法以来の法の展開。どのように法を考えるのが必要か。
日本の法。世界でも稀な程に様々な要素が積み重なっている。曲芸と言って良い。蘭学をもとに西洋に。英語が基礎。フランス語をもとにしたかと思えばドイツ流に解釈し、アメリカを加えている。複雑な歴史について認識しているとは言えない。法というものが西洋から来たとして、その前提の西洋についての認識は充分か。西洋の歴史も複雑。それを理解せず先進的なものと捉えたら物笑いに。西洋人だからといってすべてを知っているわけでもない。中には日本の法の話しだから日本だけ見れば良い?複雑な歴史を理解できないと致命的。法の前提について理解できないから。目の前にある法を理解しようとせずに運用していることは弄んでいることに過ぎない。法の基礎の部分の様々な前提について理解を。現代日本の法は、近代以前の法があったことは事実。中国からの影響。別途検討が必要。中国の思想はカウンターパートとも捉えられる。何も知らないと致命的。
古代中国の法の言説。歴史で春秋戦国時代。550年の時間の長さ。今から550年前は応仁の乱のあたり。とんでもない長さ。小手先の解決でなんとかなるものではないのは広く認識されていたはず。人間の根っこから考えることを。中国思想の基盤。儒家と法家。儒家の思想。基本設定は各個人が己に立つ。礼に服する。最終的に仁が達成される。各個人が自律的自発的に行うことが基本。他人からの強制でなく礼の価値を認めて行うもの。あくまで説得と教育で根気強く導く。個人個人が自分を律して礼を実行すれば家が整い国が整い天下泰平になる。説得でうまく行かないことも。刑という実力行使。どうしようもないときの最終手段としての刑罰。法は刑罰とほぼイコール。討論ばかりでは上手く行かない?極限まで乱れに乱れた社会。孔子の前でも250年くらい続いていたけれど。礼でどうにもならなければ?以上の制度設計にも限界が。礼に誰も価値を認めなければ?自発的でなければ?礼も検証不可能。古代の聖王の時代の行為様式が正しい礼とされる。それから世の中は堕落してきた。検証可能性が閉じられる。法家の思想。アンチテーゼ。韓非子。人間という本性を取り繕うことなく冷徹に。理に言及して人々を動かすことを肯定。決定的な人間不信に立脚。基本的人間関係は信頼できない。個人が自発的に礼をするのを待つのはいかにも遠回り。儒家を徹底的に批判。矛盾や守株。だから何?続きがあって、いずれも儒家の批判のためのたとえ話。聖人が複数並び立つのは矛盾だし、昔の礼を守るのは古い。誰に対しても平等に適用され、誰にとっても同じことになる客観的な法により統治を。法を明示して信賞必罰を。遵守を求める。適用や運用の平等。誰が使っても同じ結果を。韓非子は法を整備すればそれで良しとは言わない。様々な術を駆使して常に部下を試し、部下が付き従うだけの勢を保持すべき。更には刑罰による威嚇による犯罪の防止。刑事政策の面でも。法で何から何かを取り締まる。冷酷なイメージ。世知辛く窮屈?儒家と法家。どちらもそれなりに極端。中間ぐらいが正解?董仲舒。儒学が官学化。人間の良い本性を。名家と法。論理学を担った。法により論理学は重要。中国の論理学は?法学との関連は?関連資料が少ない。極端に難解。既存の体系を崩す。砂山と富士山は一緒。宇宙空間から見れば大差ない。人間の認識の限界。普遍の存在とどのように現れるか。知覚。ソシュール?いずれも法の思考に不可欠。具体的なものとものとの関係から抽象的に思考。モデルによる思考。詳細は今後の研究を。
ローマ法の展開と西洋。共和制ローマと法。源を遡るとひとまずはローマに。ローマと言っても歴史は長い。共和制の成立から東西分裂まで900年近い。長い時間の中で様々な展開を。もっと緻密に。探求の行き着く先としては成立の瞬間を。簡単ではない。法は突然に。その前提を。ローマに先んじて文明を。ギリシアとデモクラシー。ここで言う政治は永田町的なものとかけ離れた特殊な営み。政治の出発点は一個人、完全に自由かつ独立な市民が明晰な言語のみで意思決定を。ギリシアには必ず都市の中に広場を。政治の場では実力行使は論外。議論の場ではあらゆる先入観を排除して議論を。非常にドラスティックな劇的な。時代は次へ。よく練り上げられた論拠が必要。彫琢の程度が議論を決定。思いつきや充分に詰められていない議論ではなく。根拠が練り直される。何層にも認識を深めて議論して。常に論拠を磨いていく。一方で深く検討された論拠でも自動的には従わず突き放す。自由な議論。この繰り返しが巨大な射程を持つ文明に。政治やデモクラシーを基礎に一台となる裁判が。主張と論拠の二段階に。このことから手続を二段階に。占有の有無。それを出発点として。占有を中核に発達したのがローマで言う法。最先端の研究成果。木庭顕さんの著書を。法を深く厳密に検討する。西洋においても法は自明のものではない。難しそうだから任せておこう、ではない。法の源がここにあるので我々も当事者。困難な作業だが参加できる事自体が楽しみ。西洋社会とローマ法の変遷。その後のローマの長い歴史で重要な変化を度々。ローマ法の集大成としてローマ法大全。共和制当初の法からは相当に隔たっている。何回もの断絶と再生の果に現代に。欧州におけるローマ法の展開は簡単に要約はできないが、重要な転換点として12世紀イタリアのローマ法文献の再発見。19世紀ドイツのサヴィニー。近代法体系は日本に影響を。こうしたローマ法の展開過程と関連して各国各地域の法も日本法に密接に。神聖ローマ帝国の法。フランスはゲルマン系の慣習法地域と南部の成分法地域に分かれていたが、ナポレオン法典の統一。ローマ法の伝統に影響を受け、成分法を有するのは大陸法。他方でローマ法の包括的継受を行わず、書かれた法でなく判例法を。イギリス。アメリカ法も。英米法。更にキリスト教会の教会法。カノン法。大陸法と英米法に分けるだけでなく、同じ大陸法でも多くの相違点を。フランス法とドイツ法など。それぞれにローマ法と複雑な関係に。西洋の法、ヨーロッパの法といっても多様かつ豊富な内容が。多様性の中にギリシアへと遡る前提が。
現代日本の法と東洋西洋。かなり大雑把な概観。思考するための材料が豊富に。古代中国では法が説かれるときは統治者の立場が中心。我々の法という観点はない。法そのものというより、法の外側にあるもの、1つの戦略として。どう備えるか。親近感を?どの時点でどの密度で影響を与えたかは難しい。儒家法家の扱いについても難しい。孔子の言説の変化や儒家本体の変化にも研究の余地が。西洋古代の思想との対照を。表面的に比較するのも問題。成果は今後の学問の発展に。西洋についての日本での認識は?ヨーロッパ社会が均質な世界ではない。法というものは一様ではない。対抗関係を複雑だとして分析を放棄するのではなく、豊かな違いや意味を引き出すことが必要。何層に対する要素に無知なまま使っていることほど恐ろしいものはない。西洋の法の伝統の末席に居るという意識を。

 

法学入門 (放送大学教材)

法学入門 (放送大学教材)