住まい方を再検討する時期が来ているのかもしれない。差し当たりは実家に住むにしても。
木下勇。建築事務所。集合住宅の共有空間の。住まいの主体的な。家族の変容。
住まいと家族の変容。77年6月のドラマ。岸辺のアルバム。高度経済成長の家族。74年の多摩川の堤防決壊。アルバムを失ったのが辛いという体験。東日本大震災。津波で流され、原発事故で帰還困難に。アルバムは普遍的課題を。主体としての家族。家族が担っていた仕組みが成り立たない。住まいはマイホーム志向で良い?戦後の住宅政策は持家政策。60%を超える。日本経済の牽引を。消費者のような。住宅は商品?アルバムのように思い出が詰まった。意識の投影。喪失感は底知らない。祖父母と古い家に。茶の間の光景。住むための機会。コルビュジェ。建築家。20世紀の3大巨匠。住宅は機械により生産されるものに。外からコントロールできる。ロボットのような住宅も。西山夘三。食べる空間と寝る空間を分ける。普通のように3LDKなどと。社会の主人としての豊かで好ましい住生活。ボルノー。自分の生活の中で住まう。繰り返し帰郷できる場所。中心の重要性。住まうことでのみ真の本質を実現。
持家を希望するか賃貸でいいか。場所による。終の棲家になるような。戦前までは賃貸が多かった。東京の住宅の93%が木造の賃貸。借地借家が多かった。本格的な集合住宅。同潤会アパートなどから。表参道ヒルズになっているが。全体で16箇所あったが。RC造の建設も少なくなかった。質の高い集合住宅を。実際はモダンなコンクリートづくり。地方から都市への人口集中。55年に発足。大都市への人口の受け皿。鉄筋コンクリートの集合住宅を。賃貸料は高め。屋内共通スペースが。コモンスペース。自由に植物を植えて豊かな環境が。取り壊されて6階建てのマンションになるよう。用途地域で高さや住環境も決まる。分譲マンションの発達は60年代から。62年にマンション法が。第1次のマンションブーム。国の持家政策。しかし現在は持家に拘りを持つ人は少なくなっている。景気の影響。不動産の資産価値の上昇が見込めない。建て替えも大きな課題に。国民も立ち止まって。政策や広告に踊らされることなく主体的に。
高度経済成長に形成された住宅。プライバシーの保護を。都市住宅は外に閉鎖的な形で。オートロック。ゲーテッドコミュニティ。外と中の境界区域は見られなくなった。井戸端も消えていった。小津安二郎。「東京物語」。家族の変容。大きなドラマの展開がなく、淡々と進む。退屈?笠智衆と東山千栄子。家族の関係の変化。尾道から東京へ。子どもたちの生活や老夫婦。家族のコミュニケーションの変容。核家族化や高齢化社会の魁。ローアングルのカメラワーク。世界の小津。共感。舞台の縁側も消えた。笠智衆のように1人残された老人。孤独な住まい方をしているのが現状。老人給食やデイサービス。外と断絶される。プライバシーの重視を転換するべき。
消費者としての受身的だけでなく、主体的に建築する動きも在る。コーポラティブハウス。組合を作り集合住宅を建築。ドイツなど。居住後は親密なコミュニティ。京都のユーコート。四半世紀が。中庭の自然との繋がりが自然にあるもの。外の希薄な関係に違和感を。戻ってくる人も少なくない。日本では広がっていない?話し合いが煩わしい。人間関係が面倒くさい。それより消費者的立場で。豊かな社会は近隣に頼らなくても生きていける?近隣の人間関係を嫌がる。子育てや老後の生活も人生の奥義。欧州では一般的。特色ある集合住宅。ミュンヘン。第一印象は緑が多い。共有空間がありコミュニケーションを活発に。共有空間を周囲に開放。コレクティブハウスに近い。無縁社会への問題意識。共同の空間があるコレクティブハウスが日本にも提唱される。子育ての共同化などの機能を。行政サービスに頼るのではなく。個人の部屋を持つシェアハウス。10年代に急増。交流住宅。インターネットを介して集める。夫婦や子どものいる世帯でも可能になりつつある。賃貸に求める流れも。疑似家族のような住まい方。
住まいのガバナンス。終の棲家。困難な選択を迫られる。周囲の人と関われる場所を?老人ホームに入居する。家族や他者の判断によっても決まる。4人に1人は認知症になるという予測。加速度的に悪化することも。療養型。地方においては施設が満杯に。密度の高い状態に。デイサービスの熱心な。連れ出して元気になる。バリアフリーに改造することを避けて、畳の上で動くことでリハビリを。寝たきりでも季節の流れを。社会的介護。グループホーム。地域社会に溶け込む。ノーマライゼーション。隔離された施設の批判。高齢者の。在宅サービスも。町田市のあおぞら。プロセスを大事に。多様な専門家の輪を。中庭を囲み居心地の良い空間を。認知症患者の生きるエネルギーを引き出すこと。空き家の活用。あらゆる人が立ち寄れる場所を。住み開き。近くにあれば生き甲斐や助けに支えられながら生きることも出来る。