私は京都大学の、昭和時代で最後の学部入学生である。「学生紛争」という言葉は、今や団塊の世代くらいが懐古的に使うものに成り下りつつある。その学生紛争の残り香が残っているのが京大の教養部の雰囲気であった。左翼の各セクト(それと準ずる団体や個人を含めて)は、頻繁に「糾弾」という言葉を用い、自らと異なる立場の人間達を非難していた。そして、その「糾弾」という言葉が、大多数の人間達を自らから遠ざけているということに、各セクトは揃いも揃って気が付いていなかった。私は30年以上も前の京都大学について書いていたのだが、アレンジすれば今の日本社会を描写することも出来てしまうことに遅まきながら気付いている。手遅れとは思いたくないから、もがくけど。