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異言語との接点(1) -第二言語という異言語-(異言語との出会い第4回)

言語学の話は面白かったが、結論はある意味では身も蓋もないところ。楽をして「外国語」の習得は出来ないのが事実なのだろうと思う。

 

大橋理枝。第二言語習得。金沢陽子先生。ずっと英語を教える立場。かれこれ30年以上。英語を教える教員は英語教育が専攻ではないことが多いが。なぜ英語教育を専攻にしようと思ったか。中1の体験。沢山リピートをして。オープンリールのテープをリピート。幾つかのアプローチの。高校は訳読式。もう少し違うやり方があるのでは。プロの英語教員に。最初は留学経験もなかったのでネイティブスピーカーならどのようなアプローチをするか。セミナーにも出て異なるアプローチを。タスクの与え方も面白い。大学のときには学問として生成文法が主流。教員になって暫く経つと言語学が多様に。還元主義一辺倒だったのが、社会的アプローチが出てくる。大学院でコミュニケーションなどを。昔は生成文法が主流。ネイティブスピーカーの母国語の直感が大事だったので研究分野の中心に。非英語圏の研究家が活躍してきた。興味関心の傾向が言語学全体の発展と関わる。応用言語学。自分が大学に居ることに応用言語学が認められてきたことを。これまでは認められていなかったのか?
第二言語という学問分野。第二言語とは?どういうものと?L2。二回目に出会う言語。母語。両親と周囲が話す。インプットがあって発展。L1の体系が出来上がっている大人が2つ目の言語として。言語体験を獲得する時に第一言語を。それを持っている人が別の言語体験を。L2。第二言語といっても環境は違う。周りの人が英語を話していなくて教育だけで。外国語。教わって学ぶのが外国語。周囲で話されていて沢山の言語資料がある。自然言語。自然環境で学ぶ。外国の人が日本に来て日本語を学ぶ。第二言語。日本で英語を学ぶのが外国語。教室、きちんとした環境で、学習と、身につける、習得するのとは区別する必要がある。80年代から区別されている。Learningなど。学習したものが習得にならない。もっと連続的に繋がる?いずれにしても自然環境と教室とでは違う。でも言語の学習だから一緒ではないの?言語の学習として。L1L2習得に共通する部分が。相互依存仮説。氷山の一角として。水面下では繋がっている。論理的思考能力に関わる。母語と第二言語で共通。子どもたちの理解。短期間で身につける。しかし学校では落ちこぼれる。日常の言語能力。学校の成績に関わる認知的言語能力。区別には批判もあるがよく引用される。言語能力を考えた時に。1つあると考える。氷山に出ているのがL1とL2。英語でプレゼンテーションが出来ないのは日本語でも出来ないのが理由?実際に海面の上に現れている部分。出てくる部分が違う。個別具体的なものは基底部分があやふやでも通じるが。抽象的なことを論理的に考えないと使えないところも。母語できっちりと基底部分が出来ていると双方とも上達するが、基底部分が出来ていない内に日常の言語能力だけになってしまうと学習能力が身につかない。年齢に適した能力比較。カミンズ。英語がスラスラ話せることと出来るのとは違う。論理展開が問題だったり文法がいい加減だったりする。
共通基底部分。頭の中の構造の話。人とやり取りする部分に。周りのやりとりも問題。第二言語習得では?社会との関係、全体の環境を分析するのに関心が。元々はソビエトの。学習の段階で三段階に。一人で、助けがあれば出来る、助けがなくても出来ない。助けがあれば出来るところまでいく。どういう助けがあったのかをデータで明らかに。出来ない段階では何が言われているか分からない。まだまだ分からないけれど、何を質問されているか分からない。別の言葉で質問してくれる。その段階が1番伸びがある。助けのことを足場を掛けることが大事。データ化して分析する。それに対して長い伝統があるのがチョムスキー以来の行動主義の批判をして頭の中に興味を。認知的アプローチ。第二言語習得研究は70年代に学習者の言語、体系があるとしてタームを使う。80年代になって大きく理論家が。クラッシェン。批判も多いが焦点に。様々な仮説やモデルが。学習者がどういう間違いを犯すかを分析。3人称単数sをつけ忘れるなど。中間言語。日本語の母語者が英語を使う体系が。中間言語として体系化。ダイナミックな言語体系が。チョムスキーの人間の創造性。行動主義の考え方とは違う。クラッシェン。学習と獲得、習得を分ける。習得の順番は決まっている。母語を習得する時は順番があるが。第二言語にも学ぶ順番がある。モニター仮説。学習したものはモニターチェックをする機能を持つ。教室環境では自分がアウトプットするのに気にする。モニターする。理解可能なインプット。自分が今持っている、それと少しだけ難しくなると学習が起こる。テストで100点が。100点取れる人なら110点のところを勉強する。少しずつ伸びていく。どの程度かは難しいが。上位仮説。個人差を説明する仮説。心理的な不安をフィルターと。高い人は学習しづらい。間違っていたらどうしようと思ってしまうと一歩踏み出せない。学習しづらい。個人差が説明できる。5つの仮説は様々な議論が。実証研究がなされなかった。リサーチとしては弱い。現場で教えている時にこういう点を気をつけるという点では良いのだけれど。マイケルロング。インプットが理解可能になるのは相手と調整を。意味交渉の促進。インタラクション仮説。インタラクションが大事。誰かとやりとりをすることによって、自分も相手も聞き直したり言い直したりすることで学習者も理解して伸びていく。意味のあるやり取りが重要。95年のイマージョンの研究。第二言語で教えるのではなく、内容中心の教授法。言語に浸る。カナダで盛んで日本でも多くの高校がイマージョンを。第二言語、英語で授業を受ける。算数などを。カナダでは成果が知られている。沢山のインプットがあるが、アウトプットは沢山の間違いが。アウトプットこそが必要。生徒たちは第一言語で話すので。日本で英語で算数の授業を受ける。英語で2足す2が4と伝えるには話すことが必要。理解はしているが、文法的に問題。アウトプットが欠けている。沢山の言語資料に晒されるだけでは。今までの第二言語習得の研究が英語の授業の教え方にも活かされている。どういうふうにアウトプットの機会を沢山。タスクを与えることが大切。上智大学の泉先生。授業で学生が巻き込まれることを。プラクティスだけでなくインボルブしていく。その中から学ぶ。
いろいろな理論が。批判だったり新しいリサーチの流れだったり。理論により大切なものが。長年英語を教えてこられての。知識は色々、長期記憶にいくには明示的知識と非明示的知識の違いがポイント。高校では新しい文法事項は日本語で明示的に。自分でプラクティス。自分の練習で非明示的になるか。我々が新しい言語を学ぶのはコミュニケーションのため。外国語人は「は」と「が」を間違えたり。明示的なところから非明示的なところを。順番が逆。ネイティブスピーカーは非明示的な無意識的なところから、そうでないとコミュニケーションが円滑にならない。教室環境では難しいが。教え方を授業で取り入れ、使うことを実感させることを。母語話者は文法を意識して話さない。文法の部分は内在化して無意識的なもの。文法項目は意識的に学ぶ。ある程度は自動化するが、頭の中の配船が繋がっているとは違う。結局、第二言語を教えるジレンマ。第二言語、生活環境の中で。外国語として学んで居るうちはなかなか自動化出来ない。教える側の工夫が必要。教室はどうしようもない。学習者が興味を持って教室の外でどれだけするかにかかっている。教師は刺激を与えるだけ。

 

異言語との出会い―言語を通して自他を知る (放送大学大学院教材)

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