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カインとアベル(精神分析とユング心理学第11回)

聖書は読んでおいた方が良いのかもしれない。netにも転がっているはずだから。

 

大場登。カインとアベル。旧約聖書の話。一種の神話とみなしうる。兄弟姉妹葛藤。人類に共通の。カインアベル元型とみなしうる。カインは土を耕す。カインの捧げものを神はもらわなかった、アベルと違う。母親や父親は、本能的に受け入れない子どもがいることが。どうして起こしうるかは背後の事情にもよる。生まれてきた兄弟姉妹の中で、親自身が嫌だと思う子どもが産まれることが。平等にと思っていても、どうしても本能的な拒否や嫌悪が出てしまう。意識的に取り組まないと。いわゆる虐待の背後にあることも。親にあたる者が刺激されるもの、受け入れがたい心理的傾向と時間をかけて取り組む必要がある。子供は勿論、親自身も向き合うことが求められる。心理的傷が癒やしを求めている。事情は複雑でデリケート、時間がかかる。児童相談所だけでなく行政サイドも。虐待する親も困っていて何とかしたいと思っている場合が殆ど。親を説教して解決する問題ではない。現在日本で虐待が明らかになると、子供が一時保護されたり児童養護施設に保護されたり、この期間の間に親の心の変容のプロセスに同行する作業が決定的に重要。当該の親の側は児童相談所から呼び出しを受けて説教されると思い込むことが圧倒的に多いので、心理機関を紹介した方が良い場合が。役所の一面があるので、調整機関として親を見つめることは困難。児童相談所は親の傷を見ている心理職も。ココロというものは一般的なものやマニュアルがないことは大前提。
カインとアベルというのは専ら兄弟姉妹葛藤から。エディプス元型が複雑なもの。必ずしも子供側からの愛着と同性の親への敵意だけではなく、親の側からの子供のイキという主題が認められる。親の愛情や親からの拒否との関わりの上にカインアベル元型がある。カインとアベルの話。顧みられるアベルと顧みられないカイン。何故違いが?神は全知なので、カインとアベルへの姿勢の違いは意図的に?但し色々な視点から意識的に。カインの弟アベルを殺し、追放され地上の放浪者とされてしまう。旧約聖書。親がヤダ、と思う要素を抱えて産まれてきた赤ちゃんへの姿勢。兄弟姉妹葛藤。両親の子供としての親への愛着。神は全知全能?様々な視点からの見方。アダムとイブ、お互いを意識してしまい、営まざるを得ない仕事。食べたことでエデンの園から追放された人間、労働するものとされ、死ぬべきものとされてしまった。生活を苦労する存在に。タブー審判で意識を獲得し死を迎える存在に。人間と成る。神の行いに就いても意識的に取り組むのが人間の課題。戦前は天皇は現人神とされ、探究は冒涜とされた時代が。人間の意識は現在でも発展途上。ヨーロッパでは啓蒙思想から神が死んだと。宗教に対して否定的なフロイトでさえエディプス・コンプレックスが。人間も神などを意識的に扱うことは心理的に難しい課題。人間は意識を。
カインとアベルの検討。神により拒否されたカイン。不公平を目の当たりに。神のアインへの言葉。正しいなら顔を上げれば良い。正しくなければ収めなければならない。カインに起こった怒りや妬み。更に重い罪に発展しうる。怒りや妬み、弟殺しの気持ちを抑圧するように。アダムとイブにわざと禁止を?タブーが生じて意識を得ることに。意図的にカインを顧みなかった?試したかどうかもわからない。弟を殺したカインは地上の放浪者と。殺されると悩むカインに神は。カインは神により印をつけられる。世の人がカインとわかるように、殺されないように。カインとアベルのことが永遠に忘れ去られないように。神はカインを顧みずアベルを省みる。忠告されたが弟を殺す。アダムとイブから産まれたカインとアベル。兄弟の話に意味がないはずはない。アダムとイブは再び交わってセトという男児を。イブはカインがアベルを殺したので代わりに一人の子を。セトの系統が正統となっていく。神によりカインに印が。カインとアベルの話がセトと違う話として聖書に残されているのは何故?カインが妻を娶り子孫が。家畜を飼う者の先祖などが輩出。子孫のエメク。私は受ける傷のために若者を殺す。カインが生きたそのものを。復讐は77倍。およそ京大の間では、親側の愛情の偏りが生じうる。自我によりコントロールされない。愛情の偏りこそが癒しがたい傷を。殺害に及び得るまでの心理的可能性。兄弟葛藤を主題とする。父側の愛情の偏りが明確に。兄弟カインの殺意。三者関係の複雑なことが刻印されている。愛情によっても父母子供の愛情。エディプス元型と微妙に異なる?心理的運命的可能性。元型と表現される。虐待という心理現象に戻れば、状況が存在するところではカインアベル元型が生じて虐待の可能性がある。その方が原因探しに明け暮れないで集合的に飲み込まれているカインアベル元型を見据える可能性が。個人を超えて集合的イメージを同一化したり飲み込まれたりするのではなく、エネルギーの渦があるにも関わらず意味と向き合い続けることが重要。旧約聖書にカインとカインの末裔が存続を続け人々に刻みつけられる。当たり前だがアベル殺しが仕方がないと考えている訳ではない。だから元型と取り組む。親が本能的に極端な場合は疎ましく思う心理状況。愛情の偏りは事実として生じうる。怒りを覚えるのは当然と言える。カインは顔を伏せる。冷酷と思える言葉を。正しいなら顔を上げれば良い。神により顧みられていなかったカインは更に傷を深くする。怒りに飲み込まれアベルを殺害する。地上の放浪者に。カインは内政する。神を離れて地上の放浪者に。オイディプスと共通。誰でもカインを殺すものは7倍の。カインが殺されないようしるしを刻印する。厳格というか気ままな神だった。ところがある種の内省をしたアベル。重くて負いきれない内省に至る。神もカインが殺されないよう、人々に忘れ去られないよう印を。気ままで理不尽だったのが、内政すると転換する。神は下僕である人間との接触で意識化を。無意識な行為によりカインは傷つけられ弟殺害を。自らの嫉妬に飲み込まれた。傷のために押さえつけられなかった。人間として無自覚で衝動に飲み込まれた。カインが弟殺害に及ぶにあたり。オイディプスの場合、生まれた時に子捨てをされる。親殺しの遠因に。カインへの威圧的姿勢が弟殺しに走らせた。したがって、人間カインの内省により神も自省を。恨みと殺害の連鎖は止められるが記憶を留める。弟殺害の遠因に神の偏愛が。しかし俎上に載せられない。神が弟殺しのために追放する。ある意味では神は非常に寛大。偏愛を意識した?神により語られることはない。カインの末裔の語る言葉が家系に語り継がれる。カインの心を神が理解できた。自分に責任があると神が?削除されずに聖書に残す。神自身による意識化。言葉により伝達するという聖書。日本と大きな違いはない。核心は言葉で明確には書かれていないが。受ける傷のために人を殺すという言葉を忘れないように。ユング心理学においての影。shadow。まずは基本的に当該人物に生きられなかったもの。個人的レベルで、男の影。ジキル博士とハイド氏。ジキル博士の影としてのハイド氏。どのような人間にも影がある。多面的で宇宙のような。意識が少しずつ形成される、意識に入れてもらえない面。影には文化的な影が。価値観として排除されがちな。人間一般の悪。集合的影もある。元型としての神。元型についての教科書的な学習。神の第二の禁止がカインに。慕い求めるが抑えねばならない。カインにサタンが忍び込む。妬みを克服していたなら、根源的葛藤が明確に意識に刻印されることはなかった、善人のままだった。神も挑発的で冷酷な姿勢や傾向を意識するようになった。アダムとイブもサタンの密かな働きから。蛇の唆しがなかったら善人のままに。人間は神とサタンの両者を。真の意味での人間に成る。葛藤や苦悩こそ光に対する影に。影を包含するのが人間存在。影の意識かと言う点で神に先んじる。意識化が可能に。言い換えれば人間は本来的に将来をかけて影、葛藤や死などと向き合う。

 

精神分析とユング心理学 (放送大学教材)

精神分析とユング心理学 (放送大学教材)

  • 作者:大場 登,森 さち子
  • 出版社/メーカー: 放送大学教育振興会
  • 発売日: 2017/03/01
  • メディア: 単行本