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成人発達心理学のテーマ(成人発達心理学第1回)

自分が死ぬことを怖がる必要はないのかもしれない。他に残すことが出来るのならば。まあ他の人に価値があるかどうかは問題だけど。

 

星薫。二宮知子。成人発達心理学のテーマ。成人なら発達は済んでいる?赤ちゃんと比べ、大人は変化がない。赤ちゃんは発達と思えるが。「お変わりありませんね」が褒め言葉に。発達という言葉に成長や進歩と捉えると。そもそも成人発達心理学という学問が成り立たない。今回の講義。Development。展開、という言葉が近い。蕾が開く、というニュアンス。エリクソンの言う意味の発達。人間は死ぬまで色々な可能性を秘めている。出来ることが増えることも。展開していくなら大人でも。ある体験をして。赤ちゃんを育てるなどして、自分の中で気が付かなかった、体験の中で。赤ちゃんが2時間おきに目覚めると不思議に目が覚めたり。初めて経験する可能性が幾らでも開く。人間にはそういうこともある。それも発達と呼ぶといくらでもある。エリクソンの言う統合。8番目の発達課題。自分の死が現実味を帯びる時でも。発達課題として問われる。自分が身体がピンピンしている間は自分の死を現実として受け止めないが、死を実感して初めて。それぞれの時期になり可能性となる要素が色々とある。そういう要素は努力なしではなく可能性を育てる、努力などをして可能性として成長する。自分の状況や段階で可能性がある。年令を重ねたのに大人になっていない。それも発達と言える?大人って?立派な人?幼稚園の児童でも答えは返ってくる。小さい子は小さい子なりに一定のイメージを。小さい子のイメージと若い大人のイメージは同じではない。背が高くなれば大人になる?そうでないと気づく。それも成長の内。いろいろな体験や学習を。もっと他にも出来なければならないことが分かる。それも発達。幼稚園の子に自分を振り返る。メタ認知。自分が出来ること出来ないことを客観的に把握するのは特異ではない。自分を客観視して評価するのは若い大人になれば。今の段階での大人の基準に対しそれほど満たしているかを客観的に感じることが出来る。まだまだ大人ではないと。一種の発達。立派なオトナ?それぞれの年代に。50代でも70代でも大人になっていないと感じることも。大人になることは死ぬまでなりきれない。理想像や目的地に向けて発達していこうという姿勢が大事。
人が目的地に向けて歩いていく。個人に因る違いが。結婚するかしないか、子どもを産むか否か。パターンもある。多様性もパターン化されている?中学校の同窓生と結婚した女性は子どもが中学生に。予想もつかない人生はそうそうない。結婚というキーワードについては幾つかしか無い。1人の人生には沢山のことが折り重なる。結婚の先に子どもを産もうとするか、など。その先に次の選択肢があり次々と折り重なると、その掛け算で出来上がる。選択肢×次の選択肢が無限に。自分の選択だけではなく偶然の出来事が。自分の特性もある。それぞれの人のたくさんのことが積み重なるのがその人。100人いれば100通りの結果が。無限に。お年寄りは皆同じように見える。顔は皺がよっていたり。見たり寄ったり。これまでの歩みを語ってもらうと実に多様。出来事は多彩に。歩いてきた道のりは相当違う。20歳の20年間はまだ結婚の手前なので大学の選択くらいで似通うかもしれないが。80歳に比べれば20歳は多様でない?集積として人を見ると実に様々。歳を取るほど多彩に。パターン化されていると感じることはこれからだということ。
そう考えると発達の着地点は?着地点はない。1人の人生は死ぬことで終わるが、存在が今存在していられるのは両親が居て、それぞれに両親が居て。少なくとも14人の人達が存在するには必要。1人の人生は死で終わるが、営々と子どもを生んで遺伝子をつないで存在している。人生は死で終わるが存在は繋がっている。死で終わるとは言えない。遺伝子で次の世代に繋がる。次の世代の人が覚えてくれている。様々な作品や行いが次の世代やもっと先に影響を与える。存在が死で終わっても何かが世代を超えて広がることは幾らでもある。死というのが人間の終わりとは必ずしも言えない。エリクソン。個人の死をどのように捉えるかも発達の観点で。死が怖くて仕方がない。けれど逃げられないと絶望的に。1人の死は自然の成り行きだけど、それを自然に受け止める。人類として自分の命は何らかの形で連続性が。次の人がよりよく生きられるようにするには?自分に出来ることは?そういう死の受け止め方も。1個の存在は消えるにしても継続していく命のために何が出来るか。永続に関心を持ち気遣いが出来るか。2つの死への向かい合い方が。後者が幸せ。エリクソンの発達課題の統合。死で全てが終わるわけではないと考えられるのも発達の内。自分ひとりの人生だけでなく。人類の歴史や地球の歴史では発達の途中だと考えることも出来る。
自分の人生そのものが全体の。トレーニング次第で若者に匹敵する記憶力を。記憶をするのは不利な面もあるが、どのように使うのかは若者より有利?記憶の使い方は経験を積み重ねる内に対処の仕方が。敬虔に基づく知識が多い。その点では有利。純粋に記憶力という点。2週間毎日2時に電話をかけてくださいと。20代と70代のグループに。14日間何回忘れたか。実際は大学生たちの方が忘れることが多かった。高齢の人たちが誠実で約束を果たそうという気持ちが強かった。高齢の人は大抵自宅で過ごして生活パターンが決まっている。午後2時はテレビで同じ番組を見ていたり。決めやすい。大学生では大学の講義も違う。バイトが入っていたり。スケジュールが毎日違うことも。スケジュールに組み込みづらい。スマホという道具がない時代で覚えていないといけない。若い大学生は自分の記憶力に自信がある。高齢者は忘れないような外部記憶を。自分の記憶の限界を把握して。高位の記憶については上手く使って結果として上手く課題をクリアー出来る。自分の記憶力に頼るので忘れてしまうことが多く。記憶の使い方については自分の限界を把握して他の方法で補う。トレーニングで記憶の課題は。言葉を使っての記憶。文章を読んで覚えるなど。記憶の課題。この場合には若者の方が得意。脳の機能。学校で勉強するのは記憶の仕方を勉強するということ。覚えておいてテストで答える。記憶の仕方そのものではないが毎日訓練をしていることに。学生たちは記憶の使い方の方法は色々知っている。イメージや語呂合わせ。知識と繋げる。高齢者は必要がないので記憶の仕方を覚えていない。記憶の課題をいきなりテストされても成績が悪い。記憶力と言うより覚え方を忘れている。トレーニングは覚え方の訓練をする。イメージや物語を使って単語を記憶したり。訓練すると高齢者でも若者と遜色なく出来る。放送大学の学生には学校を出て何十年か遠ざかっていた人が勉強を再開しテストを受けることを。ある意味で記憶訓練が必要になる。恐らく放送大学の学生たちは年齢に関わらず比較的記憶力の良い人では?文章の描き方なども思い出す。大人になると全て放り出してしまう。おとなになって勉強し直すことは素晴らしいこと。同年代の人と違って。標準的とは?そもそも年齢とは何か?確かにいわゆる暦の上での年齢があるが。30歳なら、21世紀の30代と大昔の30代は違う。年齢と言っても意味は時代により違ってくる。標準的というのはその時代に通るイベントを経験することであること。小学校に入学卒業する年齢。結婚する年齢。30歳なら半分くらいが現在では。ある集団のかなりの人が経験していることで標準的と。ある集団が普通そういう出来事を経験している。運転免許を取る年齢など。それに対して歴史段階的。30歳という年齢は今では結婚していたりいなかったり。違う歴史段階。大正期など。30歳で結婚していないのはかなり特殊。歴史の中のどの時代で。戦前の30歳は一家を構えて中年どころ。同じ数字の年令でも社会が評価し感じること。歴史のどの時代に30歳かで位置づけが違う。社会や歴史により。非定型的な。30歳で母になる。今の社会では珍しくない。45歳なら珍しいが。同じ1才児のお母さんなら役割は同じことを。45歳のお母さんは1才児の母であることに重きが置かれる。その面で影響も受ける。高校生の母の45歳と1才児の母の45歳では違ってくる。非標準的影響。

 

成人発達心理学 (放送大学大学院教材)

成人発達心理学 (放送大学大学院教材)

  • 作者:星 薫
  • 出版社/メーカー: 放送大学教育振興会
  • 発売日: 2017/03/01
  • メディア: 単行本